学位論文要旨



No 117184
著者(漢字) ひらる,あんしゃり
著者(英字) Hilal,Anshary
著者(カナ) ヒラル,アンシャリ
標題(和) 日本沿岸の天然ヒラメに寄生する単生類Neoheterobothrium hirameに関する研究
標題(洋) Studies on the diclidophorid monogenean Neoheterobothrium hirame infection of wild Japanese flounder Paralichthys olivaceus in Japanese coastal waters
報告番号 117184
報告番号 甲17184
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2380号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小川,和夫
 東京大学 教授 塚本,勝巳
 東京大学 助教授 松本,芳嗣
 国立科学博物館 主任研究員 倉持,利明
 独立行政法人水産総合研究センター養殖研究所 室長 良永,知義
内容要旨 要旨を表示する

 1990年代後半から、天然ヒラメに大型で吸血性の単生類の寄生がみられるようになった。分類学的検討の結果、寄生虫はディクリドフォラ科ネオヘテロボツリウム属の新種Neoheterobothrium hirame Ogawa, 1999として記載された。新種の寄生虫の出現とほぼ期を一にして、重度の貧血症状を呈する天然ヒラメが確認されるようになり、日本海西部海域を中心としたヒラメ漁獲の急激な減少も報告されている。貧血症の原因として、当初はウイルス感染が疑われたが、フィールド調査や感染実験の結果から、原因はN.hirameの吸血に起因することが確認された。しかし、天然ヒラメに何故このような寄生虫が突然出現するようになったか、N.hirameの寄生がヒラメ資源の減少にどの程度関与しているかはわかっていない。

 そこで、まずN.hirameのヒラメへの寄生様式と病害性を検討した。次に、天然ヒラメにおける寄生の実態を調査した。多数の魚を検査する必要から、特に寄生初期の小型の虫体を簡便に検出、計数する方法を開発した。その方法を用いて、固定保存されていたヒラメを調べて、寄生の年変動を明らかにした。最後にヒラメ稚魚が沿岸域に着底してから、寄生がどのように推移していくかを調べた。

1.N.hirameのヒラメにおける寄生様式と病害性

 京都府、福井県、茨城県および島根県で漁獲されたヒラメを材料として、寄生虫検査を行った。採集された虫体はカバーグラスとスライドグラスの間に圧平し、AFA(エタノール、フォルマリン、酢酸の混合液)によって固定し、染色標本を作製し、虫体の成長と成熟度を調べた。また、虫体の寄生した組織をブアン液で固定し、H-E染色を施して、寄生様式と寄生が宿主組織に与える影響を検査した。

 N.hirameは鰓弁、鰓耙および口腔壁から採集されたが、虫体の大きさと成熟度は寄生部位ごとに異なった。鰓弁では平均体長1.3mm (0.3-3.8mm)、鰓耙では5.8mm (2.4-9.6mm)、口腔壁では15.2mm (5.9-32.9mm)であった。鰓弁に寄生していた虫体はすべて未熟であった。一方、鰓耙と口腔壁の虫体のそれぞれ40%と80%が成熟していたが、産卵は口腔壁の虫体のみに確認された。虫体の大きさと成熟度から、N.hirameはまず鰓弁に寄生し、鰓耙・鰓弓を経て口腔壁に移行した後、成熟することが明らかになった。

 把握器形成前の虫体は、後端の固着盤上の大鉤と周縁小鉤を使って鰓薄板の基部に固着していた。その後、固着機能は把握器に代わり、各把握器が1枚の鰓薄板を中央で折り曲げて把握していた。鰓薄板の血行障害が考えられたが、病理組織学的変化は認められなかった。鰓耙と鰓弓の上では、把握された上皮組織に軽度の増生と炎症性細胞浸潤が観察された。口腔壁でも上皮組織を把握して寄生していたが、把握器による組織破壊によって、固着盤は次第に真皮、筋肉組織に達し、ついには体後半部を宿主組織内に埋没して寄生していた。虫体周辺では激しい炎症反応と壊死がみられた。

2.固定されたヒラメにおけるN.hirame検査法の標準化

 鰓弁上の小型虫体を検出するためのスターラーを用いた簡便検査法を開発した。寄生を受けたホルマリン固定ヒラメの0歳魚(全長10.3-14.3cm)と1歳魚(全長33.5-38.5cm)の鰓を材料とした。0歳魚では1枚ずつ切り離した鰓を1尾分そのまま、1歳魚ではさらに1 cm角に細断した4枚の鰓を300 mLビーカーに150 mLの水道水と回転子(長さ40mm,直径8mm)とともに入れて、3段階の回転数(低490-570rpm,中870-930rpm,高1150-1200rpm)でスターラーを動かした。その結果、1歳魚の鰓については、高回転数で30分、0歳魚の鰓については高回転数で20分ですべての虫体が脱落した。

 固定された魚からの寄生虫の検査法を以下のように標準化した。まず、肉眼で口腔壁の虫体を確認する。次に鰓を1枚ずつ切り出し、実体顕微鏡で鰓耙・鰓弓上の虫体を探す。その作業中に鰓から脱落した虫体があれば、回収する。最後に、0歳魚では1尾分を、1歳以上の魚では鰓を1cm角に細断後、4枚分をビーカーに入れ、1150-1200rpmで0歳魚では20分、1歳以上の魚では30分間、スターラーにかけ、脱落した虫体を回収する。ヒラメの個体ごとに寄生部位別に虫体を計数し、グリセリンゼリーまたはグリセリンで虫体を封入し、成長を調べる。

3.日本海中部および東シナ海の天然ヒラメにおけるN.hirameの寄生レベルの年変動

 前章で標準化した検査法を用いて、固定保存されていたヒラメにおける寄生の年変動を調べた。材料は1989-93年の7、8月に新潟県五十嵐浜沖で採捕された0歳魚の計316尾、1993-99年の8月に新潟県村上市沖で採捕された0歳魚の計505尾および1998-99年の8月に村上市沖で採捕された1歳魚の20尾である。この2水域は50km離れているが、ヒラメは同一系群とされている。また、1996-99年の6-8月に長崎県加津佐で採捕された0歳魚の計342尾と1歳魚の計94尾についても同様に調べた。

 1989-92年に採捕された五十嵐浜沖のヒラメには寄生は認められなかった。初確認された1993年には五十嵐浜沖と村上市沖の0歳ヒラメにおける寄生率はそれぞれ4.5%と2%と低かった。村上市沖の0歳ヒラメでは、1994年以降の寄生レベルは上昇し、1998年にはほぼ90%に達した。1993年以降は1歳魚にも寄生が認められたことから、0歳魚への感染源は1歳魚に寄生していた虫体と考えられる。1999年は寄生レベルが低下したが、この年のヒラメ加入量が前年の約10倍もあったことが主な原因と思われる。長崎県では、1998年以降に採捕された0歳および1歳ヒラメに寄生が確認された。

4.日本海西部海域の0歳天然ヒラメにおけるN.hirameの寄生動態

 N.hirameの寄生が天然ヒラメに与える影響については調査が行われていない。そこで、鳥取県天神川沖を定点として、着底直後から秋まで月に1-3回の割合で鳥取県水産試験場の小型トロールによって1999年と2000年に加入した0歳魚を採集し、寄生状況の季節変動を調べた。調査に用いた魚は、1999年4月−10月に採捕された726尾(体長1.1-14.2cm)と1-2歳魚24尾(体長18.3-29.2cm)、2,000年4月−11月の1295尾(体長1.0-18.2cm)と1-2歳魚11尾(体長17.4-24.0cm)で、採集後、直ちにホルマリン固定されたものである。2000年8月には寄生の影響を調べるために、ヒラメ80尾について個体別に色見プレート(虫明ら、2001)による鰓の貧血の度合と寄生状況との相関を求めた。

 寄生の季節変動は1999年と2000年でほぼ同様であった。すなわち、6月には、同所的に生息していた1-2歳魚を感染源として0歳魚の寄生が始まった(N.hirameの第1世代)。夏には第2世代の感染が始まって寄生レベルが上昇し、10月には全個体が寄生していた。1999年では、8月下旬には寄生数10虫以上の魚が存在したが、9月下旬以降にはそうした重篤寄生魚はいなくなった。また、8月下旬以降に0歳魚の採捕数が激減したが、その間に0歳魚が沖合に移動した証拠は得られなかった。2000年には1歳魚(=1999年の0歳魚)の商業漁獲も少なかったことから、1999年秋の0歳魚の減少はN.hirameの寄生を受けた魚が死亡したことが原因である可能性が高い。2000年では、前年よりやや遅れて10月上旬には採捕数が激減した。一方、2000年は8月から12月まで天神川沖の定点からさらに沖合の海域でやや大型の0歳魚の漁獲があったが、8月の寄生レベルは定点の魚よりも有意に低かったことから、これは8月よりかなり前に深部へ移動した別群と思われる。また、寄生数が多いほど鰓の目視による貧血の度合が進む傾向があった。1999年、2000年ともに、寄生レベルの上昇とともにヒラメ分布密度が極端に減少したこと、減少の前にヒラメが他へ移動した証拠がないこと、寄生と貧血の進行が相関したことから、N.hirameの寄生が鳥取県の0歳ヒラメの減少に関与していることが強く示唆された。

 以上のように、1990年代に入って突然、天然ヒラメにみられるようになった吸血性の単生類N.hirameは、新潟県に保存されていたヒラメの調査から、1993年頃に出現していることが明らかになった。この寄生虫の起源については諸説あるが、証明されていない。しかし、新潟県では寄生レベルが年々上昇していったことや、その後、2000年までの短期間に、北海道の一部を除くほぼすべてのヒラメ分布域に寄生が拡大していったことから、外国から持ちこまれた寄生虫である可能性が高い。鳥取県の0歳ヒラメにおける寄生の季節変動の結果から、N.hirameの寄生がヒラメ資源に重大な影響を与えていることが示唆された。現在のところ寄生が軽減してきているという傾向は認められていないが、今後の寄生の推移には、長期間の調査が必要であろう。また、日本海西部海域以外の水域における寄生の影響も調べる必要がある。

 魚類の寄生虫症は、従来養殖魚の病気として研究されてきた。天然魚においても寄生虫の感染によって資源に影響を与えた例が報告されているが、多くの場合、寄生との因果関係は十分には証明されていない。その意味では、本研究は天然魚における寄生虫感染の影響を調べた数少ない例である。

審査要旨 要旨を表示する

 1990年代後半から、天然ヒラメに大型で吸血性の単生類の寄生がみられるようになった。その後、この寄生虫はディクリドフォラ科の新種Neoheterobothrium hirame Ogawa, 1999として記載された。ほぼ同時期に重度の貧血症状を呈する天然ヒラメが確認されるようになり、海域によっては漁獲の急激な減少も報告されている。天然ヒラメに何故このような寄生虫が突然出現するようになったかはわかっていない。そこで、まずN.hirame(以下、本虫)のヒラメへの寄生様式と病害性を検討した。次に、天然ヒラメにおける寄生の実態を調査した。多数の魚を検査する必要から、特に寄生初期の小型の虫体を簡便に検出、計数する方法を開発した。その方法を用いて、固定保存されていたヒラメを調べて、寄生の年変動を明らかにした。最後にヒラメ稚魚が沿岸域に着底してからの寄生の推移を調べた。

1.ヒラメにおける寄生様式と病害性

 各地の天然ヒラメから本虫を採集し、虫体の成長と成熟度を調べ、宿主の組織学的検査によって寄生様式と寄生が宿主組織に与える影響を検査した。その結果、本虫はまず鰓弁に寄生し、鰓耙・鰓弓を経て口腔壁に移行した後、成熟することが明らかになった。

 寄生様式に関しては、まず、後端にある鉤を使って鰓薄板の基部に寄生した。その後、固着機能は把握器に代わり、各把握器が1枚の鰓薄板を折り曲げて把握していたが、病理学的変化は認められなかった。鰓耙と鰓弓でも把握器を用いて寄生したが、この際も炎症反応は軽度であった。口腔でも壁面に寄生したが、把握器による組織破壊によって体後半部を次第に宿主組織内に埋没させる結果、虫体周辺では激しい炎症反応と壊死がみられた。

2.固定されたヒラメにおける検査法の標準化

 ホルマリン固定された鰓弁上の小型虫体を検出するための簡便法を開発した。ヒラメ0歳魚では1枚ずつ切り離した鰓を1尾分、1歳魚では1 cm角に細断した4枚の鰓をビーカーに水道水と回転子とともに入れて、スターラーを動かした。その結果、1歳魚では1150-1200rpmで30分、0歳魚では20分ですべての虫体が鰓から脱落した。

 従って、固定された魚の口腔壁は肉眼で、鰓耙・鰓弓は実体顕微鏡で、鰓弁は上記の方法で虫体を脱落させて回収した後、寄生部位別に虫体を透過して観察し、発育段階を特定するという検査法を確立した。

3.日本海中部および東シナ海の天然ヒラメにおける寄生の年変動

 前章で標準化した検査法を用いて、新潟県で1989-99年の7、8月に採捕された0歳魚821尾、1998-99年の8月に採捕された1歳魚20尾における寄生の年変動を調べた。また、1996-99年の6-8月に長崎県の0歳魚342尾と1歳魚94尾についても同様に調べた。

 新潟県では寄生が初確認されたのは1993年であった。その後、寄生率は上昇し、1998年にはほぼ90%に達した。1993年以降は1歳魚にも寄生が認められたことから、0歳魚への感染源は1歳魚に寄生していた虫体と考えられる。長崎県では、1998年以降に0歳および1歳ヒラメに寄生が確認された。

4.日本海西部海域の0歳天然ヒラメにおける寄生動態

 鳥取県天神川沖を定点として、1999年と2000年に加入した0歳魚を小型トロールによって着底直後から秋まで採集し、そのうちの2021尾を用いた。また、同様に採集された1-2歳魚35尾も材料とした。2000年8月に寄生の影響を調べるために、0歳魚80尾について個体別に色見プレート(虫明ら、2001)による鰓の貧血度と寄生状況との相関を求めた。

 寄生の季節変動は1999年と2000年でほぼ同様であった。すなわち、同所的に生息していた1-2歳魚を感染源として6月に0歳魚の寄生が始まった(本虫の第1世代)。夏には第2世代の出現によって寄生レベルが上昇し、10月には全個体が寄生していた。1999年では、8月下旬にみられた重篤寄生魚は9月下旬にはいなくなった。また、8月下旬以降に0歳魚が激減したが、原因はこの群が他に移動したためではないと推察された。2000年には1歳魚(=1999年の0歳魚)の商業漁獲も少なかったことから、1999年秋の0歳魚の減少は寄生を受けた魚が死亡したことが原因である可能性が高い。2000年ではやや遅れたものの、前年同様の寄生レベルの上昇と採捕数の激減が認められた。また、寄生数が多いほど鰓の貧血が進む傾向があった。1999年、2000年ともに、寄生レベルの上昇とともにヒラメの数が極端に減少したこと、減少の前にヒラメが他へ移動した証拠がないこと、寄生と貧血の進行が相関したことから、本虫の寄生が鳥取県の0歳ヒラメの減少に関与していることが強く示唆された。

 天然魚における寄生虫感染の影響を調べた例はほとんどない。本研究は未知の寄生虫が天然ヒラメに突然出現したことを明らかにし、ヒラメにおける寄生状況を調べることによって、寄生が宿主の資源量に重大な影響を与えている可能性を示したもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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