学位論文要旨



No 117186
著者(漢字) 唐,建華
著者(英字)
著者(カナ) タン ジェン ファ
標題(和) 中国農村家計の資金借入行動に関する実証的研究
標題(洋) Empirical Study on Borrowing Behavior of Rural Households in China
報告番号 117186
報告番号 甲17186
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2382号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 泉田,洋一
 東京大学 教授 生源寺,眞一
 東京大学 教授 岩本,純明
 東京大学 助教授 木南,章
 東京大学 助教授 萬木,孝雄
内容要旨 要旨を表示する

 1970年代末における生産責任制の導入によって、中国の農家家計は生産と消費の独立した経済単位となった。その後の経済の改革と発展に伴って、農家の非農業所得も大幅に増加した。所得水準の上昇と収入源の多様化は、様々な点から農家家計の行動に影響を及ぼしている。またこのような農村部における金融ニーズの変化に対して、農村金融機関がどのように対応しているかは、興味深い研究課題であると考えられる。

 上記のような認識に基づいて、本論文は中国農村家計の資金借入行動の実態を明らかにすることを目的としている。分析の方法は、まず公表されている全国の統計データを整理・分析し、農村金融機関や農村家計のマクロ的な動向について把握し、次に3つの省の農村家計において聞き取り調査を行い、得られたデータを集計して主に家計の借入行動をについて分析を行うというものである。

 本論文は、既存研究のサーベイ(第1章)、統計データによる分析(第2章と第3章)、聞き取り調査による分析(第4章)、全体的な考察結果(第5章)、という5つの章によって構成されている。

 第1章では、この分野における既存研究についてサーベイを行った。中国の農村金融研究について、中国の研究者によるものだけではなく外国の研究者による研究動向についても概観している。このサーベイによって明らかにされた点は、農村家計による制度的金融機関に対する資金需要は現段階ではまだ限定的である、というものであった。ただし、農村家計の所得構造と資金需要の関係について、とくにマイクロレベルにまで踏み込んでの実証的な研究は非常に少ないことも判明した。

 第2章では、農村金融機関の資金供給面を中心にして、現在の金融システムについて分析を行った。ここで明らかにされた点は、以下のような5点にまとめられる。第1に、中国の農村金融は、制度的金融、半制度的金融、インフォーマル金融、の3つによって構成されているが、制度的な農村金融機関は都市部を含めた全体の金融システムの中で大きな役割を果たしている。第2は、農村家計からの預貯金受け入れについては制度的金融の役割は重要であったが、資金供給面についてはインフォーマルな貸手による貸付がかなり活発であることが明らかになった。第3は、農村部の制度的金融において代表的な機関である中国農業銀行と農村信用合作社は、事業の拡大や収益性についてあまり良好な成果を達成していないことである。両機関は現在、農村地域において農村家計を対象として事業を行う中で、自立的な経営を確立するために組織を再構築する必要性に迫られている。第4として、農村家計は制度的金融機関の預貯金吸収面で貢献しているが、制度的金融機関から融資を得ているものは少ないという構造が浮かび上がった。過去20年間における分析の結果、制度的金融機関預貯金に占める家計のシェアは増加しているが、貸付に占める家計のシェアは減少している。また農村家計における預貯金に対する借入金の比率も、1984年以来低下していることが明らかにされた。第5は、かなりの数の農村家計はインフォーマルな貸手から融資を受けており、現在の制度的金融機関は家計による資金ニーズを十分に満たしていないことが示唆された。

 第3章では、政府によって公表されている時系列統計データを用いて、農村家計の構造に関する分析を行った。農村家計の資金需要サイドについて、家計の収入や支出の構造を分析し、金融行動における特徴を明らかにしている。主な分析結果は以下の通りである。

 第1に、家計の所得、特に現金収入が増加しており、それが預貯金増加の大きな要因であった。第2は、収入の源泉が多様化する中で、資金需要の多様化も進む傾向が示された。第3として、所得の増加にともなって支出額の増加や支出の内容も変化しており、消費面での資金需要が高まる可能性が指摘された。第4は、都市と農村部、あるいは沿海部と内陸部の所得格差が増大していることが確認された。この結果、農業部門と工業部門間の、あるいは地域間の資金移動に関する研究が重要であることも明らかになった。

 第4章で行った分析は、以下のような手順で進められた。まず聞き取りを行う農村地域を3つの省において3箇所設定し、2000年夏期に現地でサンプリングした個別家計からヒアリングを行い、次に収集されたデータを分析して農村家計の資金借入行動に関する制約や問題点を明確にし、最終的には3つの地域間の比較を交えた分析結果を基にして、中国における農村金融市場の課題について考察する、というものである。主な結果は、以下のようなものである。

 第1は、所得水準が資金借入を決定する大きな要因であった。貧しい地域ほど、あるいは所得水準が低いほど、資金の借入も活発であった。第2は、収入源の構成も家計の借入に重要な影響を及ぼしていることである。自己雇用による収入の割合が高い家計ほど、資金を借入する頻度が高いという傾向が現れた。これは、所得の中心が給与所得である家計では、資金借入が少ないことを示唆している。第3は、家計における大半の資金借入は、特に消費や非農業目的のための借入は、制度的金融機関によってほとんど供給されていないことが明らかとなった。第4は、調査地域によって資金借入の目的がかなり異なっていることである。経済発展が遅れている地域では、借入の目的は生産と医療が多かったが、発展が進んだ地域では、住宅建設や教育などの目的が一般的であった。第5は、インフォーマル金融に頼る家計は、所得に恵まれない家計が多い傾向が現れたことである。これは農村金融機関が、貸付において富裕者を選好していることの結果であるかも知れない。

 以上のような分析結果をまとめたものが、第5章である。本論における最終的な結論と考察した結果は、以下のように大きく2点を示すことが出来る。

 結論の第1は、現時点での制度的な農村金融機関は、多様化する農村家計の資金ニーズに十分に対応し切れていないという点である。従来の農村金融機関においては、貸付は郷鎮企業がその主な対象とされてきた。例えば、農村信用合作社は形の上では農村住民によって組織された協同組合形式の金融機関となっているが、実際には組合員が自由に融資を受けられるような体制にはなっていない。今後は信用合作社の事業方針が、組合員の需要に応えられるような組織へと変革されることが重要であると考えられる。また中国では農地が個人的な資産として認められていないために、資金借入の際の担保設定が不十分である。法制度の整備によって、農地担保の設定によって家計への貸付のさらなる活性化が期待される。

 第2の結論は、経済発展の差異によって、農村家計の資金需要も大きく変化することである。調査した3つの地域や、調査地域内の家計の間においても、所得の格差によって資金借入の構造が大きく異なっていた。そのため、所得が低い地域では農村金融機関へのアクセスや低利の資金制度の整備などにおいて、政府がある一定の役割を果たすことが期待される。また所得が高い地域では、金融機関が市場経済のルールに基づいた自由な事業展開を認めていくことが重要であると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 1970年代末における生産責任制の導入によって、中国の農家家計は生産と消費の独立した経済単位となった。その後の経済発展に伴って、農家の所得上昇と収入源の多様化が進展し、農家家計の行動、更に金融活動も大きく変化した。本論文は上記のような認識に基づいて、中国農村家計の資金借入行動に関する近年の実態を、主に農村調査をもとに明らかにすることを目的としている。

 分析の方法は、まず全国の統計データを整理・分析し、農村金融機関や農村家計のマクロ的な動向について把握し、次に3つの省の農村家計において聞き取り調査を行い、得られたデータを集計して主に家計の借入行動をについて分析を行う、というものである。

 本論は、既存研究のサーベイ(第1章)、統計データによる分析(第2章と第3章)、聞き取り調査による分析(第4章)、全体的な考察結果(第5章)、という5つの章によって構成されている。

 第1章においては、既存研究のサーベイを行った。その結果、特に農村家計の所得構造と資金需要の関係について、マイクロレベルに踏み込んだ実証研究は非常に少ないことが判明した。

 第2章では、農村金融機関の資金供給面を中心にして、金融システムについて分析を行った。中国の農村金融は、制度的金融、半制度的金融及び、インフォーマル金融の3つによって構成されている。その3者の中で、制度的な農村金融機関は都市部を含めた全体の金融システムの中で大きな役割を果たしていることが確認された。ただし、農村家計からの預貯金受け入れについては制度的金融の役割は重要であったが、資金供給面についてはインフォーマルな金融の比重がかなり高かった。実際相当数の農村家計は、親戚や友人を含めたインフォーマルな貸手から融資を受けており、制度的金融機関は家計による資金ニーズを十分に満たしていないことが示唆された。

 第3章では、政府によって公表されている時系列データを用いて、農村家計の所得支出構造に関する分析を行った。近年では家計の所得、特に現金収入が増加しており、それが預貯金増加をもたらしていた。また、収入の源泉が多様化する中で資金需要の多様化も進む傾向が示され、消費面での資金需要が高まる可能性が指摘された。

 第4章の分析は、3つの省の農村地域での個別家計ヒアリングに基づいたものである。まず、所得の低さが資金借入を決定する大きな要因であることが確認され、次に収入源の構成も家計の借入に大きな影響を及ぼしていることが明らかにされた。そして特に消費や非農業目的のための借入は、制度的金融機関によってほとんど供給されていない傾向が示された。ただし調査地域によっては資金借入の目的がかなり異なっている。具体的には、経済発展が遅れている地域での借入目的は農業生産と医療が多かったが、発展が進んだ地域では住宅建設や教育などが一般的であった。

 以上のような分析結果を踏まえて、第5章を結論としてまとめた。主要な結論は、以下のような2点に示すことが出来る。第1は、現時点での制度的な農村金融機関は、多様化する農村家計の資金ニーズに十分に対応し切れていないという点である。今後は農村信用合作社が、組合員の需要に十分に応えられるような協同組合型組織へ変革されることが重要であると考えられる。第2の結論は、経済発展の差異によって、農村家計の資金需要も大きく変化することである。そのため、所得が低い地域では農村金融機関へのアクセスや低利の資金制度の整備などにおいて、政府が一定の役割を果たすことが期待される。また所得が高い地域では、規制緩和を通じて金融機関に対して市場経済のルールに基づいた自由な事業展開が認められることが、重要であると考えられた。

 本研究は、既存の統計資料を用いて全体的な分析を行うと同時に、自ら農村地域を回って収集したデータに基づいて、より個別的で実際的な分析を行っている点において、意義が大きいと考えられる。本研究で得られた知見は、学術上、また政策面での含意においても、貢献するところが少なくない。よって、審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク