学位論文要旨



No 117188
著者(漢字) 清水,夏樹
著者(英字)
著者(カナ) シミズ,ナツキ
標題(和) 中山間地域における農村基盤の持続的管理のための条件整備
標題(洋)
報告番号 117188
報告番号 甲17188
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2384号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,洋平
 東京大学 教授 田中,忠次
 東京大学 教授 宮崎,毅
 東京大学 教授 生源寺,眞一
 東京大学 助教授 塩沢,昌
内容要旨 要旨を表示する

 本研究は,中山間地域を対象に,持続的な農村基盤の管理のための条件およびその整備方法を明らかにしたものである。全体は8章で構成されている。

 第1章では,研究の背景を述べ,研究を進めていく上でのフレームおよび目的を示した。

 本研究で対象としている中山間地域とは農業生産における条件不利地域のことであり,高度経済成長期以降,過疎化・高齢化が進み,生活の場としての農村の維持が危ぶまれ,農林業の担い手の不足から農林地の荒廃が進んでいる地域である。本研究では,農村基盤の持続的管理のための基本的考え方として「持続可能な開発」と「参加型開発」の概念を参考にした。前者は経済的活動の持続,定住人口の維持,土地資源の保全等の課題の指針となり,後者は集落組織等の維持活性化と地域のニーズを把握した支援策など地域住民の主体的な取り組みに結びつく考え方である。そして,中山間地域における問題はその農村基盤を構成する要素の弱体化や不足,およびこれらの相互関連性の脆弱化に由来しているという立場から,持続的な管理システムを構築することを前提として整備すべき要素条件と要素間の関連性およびその整備方法を明らかにすることを目的とした。

 第2章では既存の研究を整理した。中山間地域の農業生産の担い手に着目した研究として例えば,小田切(1994),向井(1996),橋詰(1999)は,公的支援を前提として,農業公社や農協などにより担い手の育成や土地利用調整を重層的に行うシステムを提案してきた。また,物理的な基盤条件に着目した研究として,木村(1993)や柏(1994)は,農地基盤条件を水田荒廃の要因としている。農村の生活基盤に着目したものは例えば,藍沢(1983),青木ら(1984),沼野(1994),満永(1995)の研究がある。以上を踏まえ,本研究では独自の視点として中山間地域の農村基盤を生産と生活の両側面から持続的かつ総合的な視点で捉え,必要な条件の整備を追求した。

 第3章では,農村基盤を定義し,持続的な農村基盤の管理のためのプロトタイプを作成した。本研究でいう農村基盤とは,中山間地域に居住する「人」の生活・経済活動をめぐる総合的な枠組みであり,物理的なものと社会的なもの,さらに各々を生産と生活に関するものの両側面で捉えた。その結果,物理的生産基盤,社会的生産基盤,物理的生活基盤,社会的生活基盤の4つの基盤,およびこれらに働きかけ,相互に関連づける「人」に整理できた。農村基盤の持続的管理のためには,まず,経済的活動の持続および生活の利便性・快適性の確保を目的とした生産・生活の両側面における物理的基盤条件の整備が求められる。本研究ではそれと同時に社会的基盤の確立を図ることとした。社会的基盤は各世代が参加するため,世代交代があっても持続的であり,所属する人の属性が異なった社会的基盤同士の相互関連により多角的な管理が可能となる。さらに,地域の特性に応じた基盤条件の補完・整備,また,整備すべき条件に優先度を考慮した段階的な整備を原則とした。

 第4章では,中山間地域を類型化し,各類型での基盤とその相互関連性の状況を明らかにしたうえでプロトタイプをもとに持続的管理の試案を作成した。

 類型化には農村基盤および基盤を構成する諸要素に影響を与える「傾斜」と「都市までの距離」の2つの指標を用いた。この類型は地代論の援用による土地資源の評価であると共に,都市との関連性から土地資源の利用主体の存在状況に着目した類型でもある。平均傾斜は15度を境に2分し,都市までの距離は,都市に通勤可能な地域では,都市の社会経済条件が大きく作用していたため傾斜による区分は行わず,結果として急傾斜山村(類型A),緩傾斜農村(類型B),通勤型中山間地域(類型C)の3つの類型となった。そして,「人」でついての3変数,社会的基盤条件を表す13変数,物理的基盤条件を表す14変数,総合的な経済条件を表す1変数を用いて判別分析を行い,その結果から各類型の農村基盤の状態を把握して,それらに適応した管理試案を作成した。類型Aは農業担い手の多くが高齢者であり,農業生産条件不利なため,現在の担い手のリタイヤによって農村基盤の管理ができなくなる可能性がある。そこで,生産年齢人口の定住を促進するための生活基盤条件の整備を優先課題とした。類型Bでは,相対的に有利な生産基盤条件をさらに整備することによって農業生産による経済活動を持続可能なものとし,問題点として指摘されたあとつぎ確保のための社会的基盤を同時に補完・整備することを優先課題とした。類型Cでは,農外就業の場が豊富で生産年齢人口割合が高く,あとつぎはいるが,多くが小規模で兼業農家である。よってこの類型では,良好な都市とのアクセス条件を活用して都市住民の参加を組み込み,同時にそれを支援する受け皿としての社会的基盤条件の整備を優先課題とした。

 第5章では,急傾斜山村地域の事例として山形県大江町七軒地区のN区を取り上げ,持続的管理試案を検証した。N区は物理的生産基盤条件が極めて脆弱であり,物理的生活基盤においても教育と医療の不安から,子どものいる世帯の離村を誘発してきた。社会的生産基盤では小規模な自家用野菜の栽培が中心であり,社会的生活基盤は世帯数の減少と共に活動を縮小しつつあった。大江町では集落維持のため山村地域活性化交付金を交付し,その使途を各集落で決定させ,N区では公民館などの生活基盤条件の維持・整備と行事の開催,子供会・老人会等への支援など社会的生活基盤の維持のために利用された。これにより山里留学の開始,伝統行事の復活,集落行事を機に集落に帰省する世帯の維持が図られた。

 第6章では,緩傾斜農村地域の事例として大分県竹田市九重野地区を取り上げ,持続的管理試案を検証した。詳細な調査を行ったH集落は中核的農家が多く荒廃農地は皆無であり,経営耕地の95%が圃場整備済である。この圃場整備は1993年から県営で行われ,水路・道路ともに物理的生産基盤の整備が行われた。物理的生活基盤は,車で20分圏の範囲がほぼ日常生活圏となっているが,ほぼ全世帯で自家用車を所有しているため大きな問題はない。また九重野地区では圃場整備事業を契機として多くの社会的生産基盤が整備された。事業の推進機関である担い手育成協議会のもと,中核的農家を再構成した受託組合,その作業を支援する農作業実践オペレーター,特産物のそばの生産組合,大豆の加工や製品開発を担当する女性協議会がそれぞれ設立された。受託組合はオペレーターの指導・教育も行う。これらの組織は,担い手育成協議会のもとで相互に連絡・調整をとり,生産から加工までを地区内で行っている。生産においては農地のまとまった谷ごとに作目を決め,転作作物の連作障害を防ぎ,低コスト生産を行っており,「谷ごと農場」と呼ばれている。

 第7章では,通勤型中山間地域の事例として,千葉県鴨川市大山地区を取り上げ,持続的管理試案を検証した。大山地区の「大山千枚田」とよばれる3.2haの棚田は,平成11年に全国棚田百選に選ばれ,2000年から鴨川市を実施主体としてオーナー制度が開始された。オーナーは,利用料の支払いと農作業への積極的な参加が求められる。日常管理や農作業の指導は地元住民組織である千枚田保存会が行い,その賃金はオーナー料の中から支払われる。すなわち,都市住民が直接的に物理的生産基盤で生産活動を行い,千枚田保存会は管理の達成を図るために創設された社会的生産基盤である。しかし,都市住民は生産基盤への働きかけのみで生活基盤との相互関連性はなく,都市住民の参加に対する地区内住民のコンセンサスは得られていない。農村基盤全体の持続的な管理を考えた場合,地域の社会的生活基盤と社会的生産基盤の関連性が弱いことが,問題点として指摘できる。

 第8章では,これまでの結果をまとめ,農村基盤の持続的管理のために整備すべき条件とその整備方法を類型ごとに述べた。

 急傾斜山村地域は,生産年齢人口の定住を促進するための生活基盤条件を優先的に整備すべき条件であった。事例から,社会的支援実施の際に地元住民が参加することにより,地域のニーズに応じた効果的な基盤条件の整備が実施できること,同時に基盤の管理主体である社会的生活基盤への支援を行うことによって主体の活動が保たれ,人口の減少を抑制できることが明らかとなった。今後の農村基盤の持続的管理のためには人口の維持から増加への展開,また,観光施設などの新しい物理的生産基盤とこれまでの物理的生産基盤(農地や林地等)とを結びつけた持続的な経済活動の展開が必要である。

 緩傾斜農村地域では,生産基盤の相対的有利性を活かした条件整備と同時に将来的な農業担い手の確保のための社会的生産基盤条件を優先的に整備すべき条件とした。事例から,将来的な作付体系等のビジョンの下での物理的生産基盤の整備,同時に既存の組織を再構成し相互に関連づけた社会的生産基盤の創設により,農業担い手の確保(教育)と付加価値向上への取り組みが可能になることが明らかとなった。

 通勤型中山間地域では,農村基盤に多面的価値を求める都市住民の参加を組み込んだ農村基盤の管理を提案し,そのために受け皿としての社会的基盤条件を整備することを優先的な課題とした。事例から,都市住民の参加目的(棚田の保全)と一致した社会的生産基盤の設立は,都市住民とのパイプラインの役割を果たし,物理的生産基盤の持続性において有効である。しかし,農村基盤全体の持続性のためには,地区内の社会的生活基盤との関連性,快適性を中山間地域に求める都市住民のための物理的基盤条件の整備が必要である。

審査要旨 要旨を表示する

 中山間地域では,高度経済成長期以降,過疎化・高齢化により農林業の担い手が不足したため,農林地の荒廃が問題となっている。本研究は,中山間地域の農村基盤を生活と生産の両側面から物理的基盤,社会的基盤として捉え,「人」による構造化のもとで持続的な管理が行われるために必要な条件整備とその整備方法を明らかにすることを目的とした。なお,必要な条件整備とその整備方法は各地区の地域性と強い関連性を有するため,農村基盤の状態により類型化を行い,類型ごとに整備すべき条件と整備方法を明らかにした。

 本論文は8章で構成されている。第1章では,研究の背景を述べ,研究を進めていく上でのフレームおよび目的を述べている。第2章では既存の研究を整理し,本研究の独自の視点を述べている。

 第3章では,持続的な農村基盤の管理のプロトタイプを作成し、それについて詳述している。最も優先的に整備すべき基盤を「人」とし,物理的・社会的基盤の各々について具備すべき条件を示している。それは,物理的基盤に対応した社会的基盤の確立,地域の特性に応じた基盤条件の整備,条件に優先度を考慮した段階的な整備,オープンな管理体系の構築を原則としている。

 第4章では,「傾斜」と「都市までの距離」の2つの指標によって中山間地域を類型区分し,急傾斜山村,緩傾斜農村,都市近接農山村の3つに類型区分している。さらに、各基盤の状況を表す31変数を用いて判別分析を行い,その結果から各類型の農村基盤の状態を把握し,それらに適応した管理方式を提案している。急傾斜山村は,生活に関する物理的基盤の整備による「人」の確保を優先課題としている。緩傾斜農村は,生産の物理的基盤と同時に社会的基盤を整備することにより,基盤管理主体を確保することを優先課題としている。都市近接農山村では,都市との良好なアクセス条件を活用して都市住民のレクリエーション的参加を組み込んだ管理方式を作成し,その受け皿としての社会的基盤の存立と物理的基盤の質の維持を優先課題としている。

 第5章では急傾斜山村地域について,管理方式を事例調査から検証している。山形県大江町で交付された山村地域活性化交付金は,小規模な生活の物理的基盤の整備と社会的基盤の維持のために利用され,集落世帯数の減少の抑制と帰省世帯数の維持が図られている。愛媛県久万町や徳島県木屋平村等では,第三セクター会社などの社会的基盤に「人」が参加しやすい条件を整備することにより,U・Iターン者の雇用を実現している。長野県長谷村では,住民のニーズに応じた補助金・助成金が直接的に支払われることによりU・Iターン者の定住を図り,新潟県大和町では集会施設の建設により集落組織の活動や高齢者の生活が支援され,若い農家人口の定住が推進されている。

 第6章では緩傾斜農村地域について,管理方式を検証している。大分県竹田市九重野地区では,圃場整備による生産の物理的基盤の改善と同時に生産に関する組織が設立され,土地利用調整や生産,加工部門で相互に連携し,効率的な生産,担い手の確保,地域内での加工を実現している。広島県千代田町では,第三セクターにより町内の条件不利農地の作業が受託され,各地区での優良農地の利用集積を促進し,効率的な生産を可能にしている。岡山県作東町では,専業農家グループにより,共同販売・新規就農者支援が行われ,担い手が確保されている。

 第7章では,都市近接農山村地域について管理方式を検証している。千葉県鴨川市大山地区では,棚田保全を目的とした社会的基盤が設立され,都市住民とのパイプラインの役割を果たすことによって棚田の管理が継続されている。長野県更埴市姨捨地区においても地区の社会的基盤を受け皿に,都市住民による棚田の管理作業と管理経費の負担がなされている。長野県軽井沢町の星野リゾートでは自然観察のガイドサービスの提供により経済収入を得,自然観察に適した周辺環境を維持管理している。

 第8章では,これまでの結果をまとめ,農村基盤の持続的管理における政策課題を述べている。

 以上を要するに,本研究は,中山間地域における持続的な農村基盤の管理のための条件およびその整備方法を各地区の持つ基盤の状態と特性に対応して明らかにしたものである。以上の結果は,わが国中山間地域における政策課題に関して新しい知見を得るものであり,学術上・応用上の価値が高いものと評価できる。よって審査委員一同は,本論文は博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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