学位論文要旨



No 117191
著者(漢字) 五月女,格
著者(英字)
著者(カナ) ソウトメ,イタル
標題(和) 葉菜類組織内部の水移動に関する基礎研究
標題(洋)
報告番号 117191
報告番号 甲17191
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2387号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 瀬尾,康久
 東京大学 助教授 大下,誠一
 東京大学 助教授 鳥居,徹
 東京大学 助教授 芋生,憲司
 東京大学 助教授 後藤,英司
内容要旨 要旨を表示する

1.緒言

 葉菜類は我々の食生活において、栄養源また潤いをもたらすものとして欠かせないものである。また葉菜類は購入される際には、はり・色などの鮮度が重視され、萎れのあるものは倦厭される。しかし葉菜類の店持ちは1日程度とされ青果物販売店では入荷したその日に売れ残ったものは廃棄するというところも多い。この廃棄により経済的損失・食料資源の損失などの問題が発生する。また消費されずに廃棄される葉菜類を余剰な食料とみなせば、食料の余剰生産により環境に負荷をかけていると考えられる。葉菜類の鮮度保持技術が向上すれば上記のような問題は緩和され、また消費者は店頭においてより新鮮な葉菜類を購入する機会に恵まれるということになるであろう。

 次に葉菜類の鮮度低下について整理してみる。まず葉菜類は水分損失・成分の消耗が起こることにより、目減り・萎れ・変色・味ぼけ・肉質の劣変などの品質低下を起こす。また水分損失に関しては5%前後が商品性の限界と言われている。水分損失・成分の消耗の原因としては、気孔蒸散・クチクラ蒸散・呼吸などが原因と言われているが、これらの現象には葉菜類組織内部の水の動的状態、生体膜の状態などが深く関わっていると考えられる。葉菜類の鮮度保持に関する研究を進めていく上では、葉菜類内部の水移動・水の動的状態の変化や、生体膜の水伝導係数など、水の移動に関わると考えられる物性値をより詳細に明らかにする必要があるといえる。

 そこで本研究では葉菜類組織内部における水移動の概観を把握するために、葉組織内部における水の動的状態の経時変化を、縦緩和時間(T1)を通して検討すること、また葉細胞プロトプラストの低浸透圧への耐性を通して、細胞膜の物性・機能などの経時変化について検討すること、また細胞膜の水伝導係数について検討することを目的とした。

2.細胞内水の動的状態と細胞の低浸透圧耐性の経時変化

 収穫された葉菜類内部の水の動的状態が、その後の貯蔵によりどのように変化するかを、1H-NMRによるスピン−格子緩和時間T1をとおして検討した。また同時に植物組織から作製したプロトプラストが低張液中での膨張により破壊されるときの溶液の浸透圧を計測し、貯蔵による細胞膜の物性や浸透圧調節機能などの状態の経時変化を検討した。供試材料には研究室にて栽培したオオムギの子葉を用いた。オオムギ子葉は葉菜類には分類されないが、播種・育成が容易であり、かつ、基礎データの取得という観点からモデル試料としては問題がないと判断して選択した。実験手順は次に述べるとおりである。まずオオムギ子葉を切り出し後、試験管内にて暗所、20℃にて貯蔵した。貯蔵時間は0時間(貯蔵無し)から72時間まで24時間刻みに変化させた。貯蔵後、子葉からプロトプラストを作成し、低張液への浸漬による細胞膜の破壊の有無から、低浸透圧耐性を計測した。またオオムギ子葉を貯蔵中に24時間おきにT1の測定をおこなった。

 T1の測定結果より、オオムギ子葉内には約700msの長いT1を示す水と約300msの短いT1を示す水の存在が確認された。長いT1を示す水は液胞内部の水であり、短いT1を示す水は細胞質内部の水と考えられた。また貯蔵開始時には長いT1を示す水の存在比は生体内水の85%程度であったものが、48時間後には70%程度まで減少した。この時の試料の目減りが約2%であったことから、この存在比の変化は水分損失によるものではなく、液胞内部の水が細胞質へ移動し生体高分子などとの相互作用により、短いT1を示す水へと変化したためと考えられた。

 低浸透圧耐性の測定から次のことが明らかになった。オオムギ子葉細胞においては貯蔵時間の経過とともに低浸透圧耐性が低下した。これは細胞膜の物性の変化、あるいは細胞自身の浸透圧調節機能の低下と考えられた。また細胞の低浸透圧耐性の細胞間格差である分散が貯蔵後24時間で微増した後、48時間で減少し、さらに72時間後に増加するという変化が見られた。このことから細胞の低浸透圧耐性の低下に2つのプロセスが存在すると考えられた。

 以上の結果と細胞の浸透圧調節に液胞が重要な役割を果たしていること、また細胞の老化は液胞に始まると言われていることを考慮して次に述べる仮説を導いた。まず細胞においては子葉の切り出しの後、液胞膜の機能低下が始まり液胞から細胞質へ水の漏出が始まった。液胞膜の機能低下に細胞差があることから貯蔵開始後24時間までは分散が大きくなった。しかし48時間後にはほぼ全ての細胞で液胞膜の機能低下が一段落し、分散が小さくなった。その後液胞からの水分漏出に起因した細胞膜の機能低下が始まり、その低下に細胞差があることから、72時間後に再び分散が増大した。以上が仮説であるが、このことは長いT1を示す水、すなわち液胞内の水の存在比が48時間までは減少し続けたが、48時間から72時間まではほぼ変化しなかったこととも整合する。また上記の仮説が正しいとすれば、葉菜類では水分損失がなくとも液胞から細胞質への水分移動で萎れが起きるといえ、液胞からの水分漏出の防止が葉菜類の鮮度保持には効果的であるということになる。

3.細胞膜の水伝導係数測定

 葉菜類は水分損失により萎れを起こすことから、その貯蔵時には水分損失の抑制が図られる慣例にある。しかし前述の研究により葉菜類は水分損失を起こさずとも、生体内部の局所的な水移動により萎れ等が起こり品質低下を起こしている可能性が高いことが明らかになった。したがって今後は葉菜類貯蔵技術の研究・開発を進めていく上で細胞内外の水移動や組織間の水移動など葉菜類内部の水移動を把握し理解することが重要になってくると考えられる。そこで植物体内の水の挙動に根源的に関連すると考えられる細胞膜の水伝導係数の測定について検討した。

 細胞膜の水伝導係数は細胞周囲の溶液の浸透圧を変化させ、それに対する細胞の体積応答から調べる。従来の手法では細胞を少量の等張液とともにマイクロピペットを用いて高張液に注入するなどして細胞に外部浸透圧変化を与えていたが、細胞周囲の等張液が高張液に置換される際の時間遅れが不確定であることに起因する誤差が大きく、測定精度に問題があった。それに対して細胞懸濁液を攪拌しながら溶液の浸透圧を変化させ、時間遅れの問題を解決した測定法も存在したが、ある一定量の試料が必要であり、葉組織から細胞を取り出しての水伝導係数には応用が難しいと考えられた。

 そこで本研究では少量の試料で、細胞の外部浸透圧変化における時間遅れがほぼ無いとみなせる新しい、細胞膜の水伝導係数測定法を考案し、それを実現する装置を開発した。新たに考案した測定法は二層流式水伝導係数法と名づけた。測定原理を以下に述べる。

 まず二層流についてであるが、流路に2種の溶液を層流として流すと、2種の溶液は接する面において互いに拡散し、混合していくが、混合した溶液はすでに下流に流されているので、流路の中では両液はきわめてよく分離した状態を維持する。また2種の溶液の境界面はそれぞれの溶液の流量を調節することにより動かせる。初めに二層流のうち一方の溶液中に細胞を固定しておき、その溶液と細胞を浸透圧平衡に保つ。その後、二層流の境界面を動かすことにより、細胞の周囲に他方の溶液を流す。2種の溶液の浸透圧を変えておくことにより、細胞に極めて速い浸透圧変化を与えることができる。

 また2種の溶液を二層流として流し、流路中に細胞を固定し顕微鏡による観察が可能な二層流セルを開発した。二層流セルはアクリル製で2種の溶液を層流として流すための直径1.4mmの垂直坑を持つ。セルは上部と下部に分離し、間にメンブレンフィルタを設置しここに細胞を固定する。メンブレンフィルタ上に固定された細胞を垂直坑上部より観察することが可能である。

 二層流セルの2つの溶液導入部と溶液タンクをタイゴンチューブで接続し、途中にニードルバルブを設置し、溶液流量を調節することにより二層流の境界面を動かせるようにした。また二層流セルには、溶液導入部付近のタイゴンチューブに液体用シリンジを刺し、細胞を導入した。顕微鏡にて観察された細胞の像は、顕微鏡に接続されたCCDカメラからビデオレコーダに送られ記録された。記録された画像から細胞の体積を算出した。

 開発した二層流セルと、従来のマイクロピペットにて細胞を高張液に注入する手法にてホウレンソウプロトプラストの細胞膜水伝導係数を測定した。従来法では測定される水伝導係数は真の値と、その5分の1程度の間に分散すると予測されたが、二層流式水伝導係数法により測定された値が真の水伝導係数とみなしたときに、従来法で測定された値は上記の予測どおりとなった。二層流式水伝導係数測定法にて得られた値は約0.076[pm/s/Pa]であったが、従来法にて測定された値は0.03〜0.06[pm/s/Pa]であった。

4.結論

 本研究にて得られた結果は以下のとおりである。まず葉組織内の水の動的状態と細胞の低浸透圧耐性の測定結果より、葉菜類においては水分損失が無い状態でも局所的な水移動により鮮度低下が起きている可能性が高いことを示した。また葉菜類組織内部における局所的な水移動に影響を及ぼすと考えられる細胞膜の水伝導係数を少量の試料から高精度にて測定する新たな測定法である二層流式水伝導係数測定法を考案し装置を開発した。

審査要旨 要旨を表示する

 葉菜類は収穫後、時間とともに鮮度が低下するが、その主たる原因は呼吸代謝による基質の消耗や、水分損失である。水分は気孔蒸散やクチクラ蒸散等により放出されるが、これには細胞内部の水の動的状態や、細胞内外の物質移動をつかさどっている細胞膜や液胞膜等の生体膜の状態が深く関わっている。葉菜類の鮮度保持を図る上では、葉菜類内部の水移動、水の動的状態の変化、さらに生体膜の水伝導係数など水の移動に関わる物性を明らかにする必要がある。本研究は、葉菜類組織内部の水移動を把握するために、葉組織内部の水の動的状態の経時変化を1H-NMRによる縦緩和時間(T1)を通して検討すること、葉細胞プロトプラストの低浸透圧への耐性を通して細胞膜の物性・機能などの経時変化について検討すること、さらに細胞膜の水伝導係数測定について検討することを目的として行われた。

 はじめに、オオムギ子葉をモデル試料として、プロトプラストの低浸透圧耐性および組織内の水の動的状態について検討した。オオムギ子葉を試験管内にて72時間貯蔵した。貯蔵時間0時間(貯蔵無し)から24時間刻みに試料を取り出し、次の手順で低浸透圧耐性を測定した。子葉から作成したプロトプラストをマンニトール溶液に滴下し、40分静置した後、顕微鏡により細胞膜の破壊の有無を調べ、プロトプラストの生存率を計測した。こうして8種類の濃度のマンニトール溶液における生存率からプロトプラストの低浸透圧耐性を算出した。その結果、プロトプラストの低浸透圧耐性は、経時的に低下することが明らかになった。これは、細胞膜の物性の変化により細胞の浸透圧調節機能が低下したためと考えられた。また低浸透圧耐性の細胞毎のばらつきが、子葉切り出し後48時間の間は減少するが、これ以降72時間までは増加することが明らかになった。このことから低浸透圧耐性の低下に2段階の過程が存在すると考えられた。植物細胞の老化は液胞膜の機能低下に始まるが、上記の結果は、液胞膜の機能低下とそれによる液胞から細胞質への水移動、更にそれによって引き起こされる細胞膜の機能低下を反映していると考えられた。この測定と並行して、プロトプラスト作成前にオオムギ子葉内の水のT1を24時間ごとに測定した。切り取り直後の子葉には約700msの比較的長いT1を示す水が約85%存在していたが、切り取り後48時間までにその割合が約70%まで減少し、それ以降は大きな変化がないことが明らかになった。この長いT1を示す水の割合の減少は、試料の質量損失が微小であったことなどを考慮すると、液胞内の長いT1を示す水が細胞質へ移動し、短いT1を示す水に変化したためと考えられた。以上の結果、葉組織においては、全体的な水分損失がない条件においても、内部での局所的な水移動により鮮度低下が起こると考えられた。

 次に葉組織内部における局所的な水移動に深く関わっている細胞膜の水伝導係数を測定した。水伝導係数は細胞外部溶液の浸透圧を変化させ、それに対する細胞の体積応答から知ることができる。これまで様々な測定手法が考案されてきたが、それらの手法は測定精度に問題があることや大量の試料が必要であることなどにより、葉組織の細胞を対照とした測定には適用しにくいと考えられた。このため、少量の試料で高い測定精度が得られる新たな手法である二層流式水伝導係数法を考案し、装置を開発した。この手法は微小な流路に2種の溶液を層流として流すと、混合せずに分離した状態を維持するという現象を利用したものである。二層流式水伝導係数測定法と既存の測定手法によりホウレンソウの葉から作成したプロトプラストの、細胞膜水伝導係数を測定したところ、二層流式水伝導係数測定法では0.073〜0.075[pm/s/Pa]であったが、既存の手法による測定値は0.032〜0.065[pm/s/Pa]であった。既存の手法と開発した二層流式水伝導係数法による測定値との関係は、真の値を仮定した場合に計算される両者の差に一致した。その結果、二層流式水伝導係数測定法による測定値は、従来法より測定精度が高いと結論付けた。

 以上、本研究は葉組織内部の局所的な水移動を1H-NMRによる縦緩和時間T1の変化から検証するとともに、水移動に深く関わる細胞膜の水伝導係数の高精度測定法を開発したものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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