学位論文要旨



No 117192
著者(漢字) 藤川,智紀
著者(英字)
著者(カナ) フジカワ,トモノリ
標題(和) 微生物活性を考慮した土壌中のガス挙動に関する研究
標題(洋)
報告番号 117192
報告番号 甲17192
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2388号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮崎,毅
 東京大学 教授 佐藤,洋平
 東京大学 教授 田中,忠次
 東京大学 助教授 塩沢,昌
 東京大学 助教授 溝口,勝
内容要旨 要旨を表示する

 近年,環境問題として取りざたされている地球温暖化の原因物質として,大気中の温室効果ガス(CO2, N2O, CH4など)が注目されている.しかし,これまでの研究は,主として大気中でのガス挙動に注目しており,土壌中での挙動や土壌から大気への発生に関しては未だに不明な点が多く残されている.土壌の利用・管理法により,土壌から大気へのガス発生は大きく変化するため,土壌の状態と土壌中のガス挙動の関係を正確に把握することは,地球温暖化抑制のために重要であると考えられる.

 本研究では,土壌中のガスのうち,土壌微生物の好気的な呼吸に関係するCO2, O2ガスに注目した.CO2, O2ガスは土壌中において,他のガスにより高濃度で存在し,代表的なガスといえる.土壌中でのCO2, O2ガス挙動は,土壌微生物による発生及び消費,濃度勾配に基づく拡散移動,主にCO2ガスの溶解に代表される化学反応に影響を受けると考えられるが,これらの要因の相互作用は明らかではない.中でも微生物活性は,土壌中のCO2ガスの起源であり,ガス濃度の時間・場所による変化に大きな影響を与えると考えられるが,その影響を解明した研究は見あたらない.

 そこで,本研究の目的は,土壌中のCO2, O2ガス挙動における,微生物活性・ガス拡散・ガス溶解の影響を明らかにすることとした.特に土壌中のガスの発生源となる微生物活性に注目し,現場測定・カラム実験・シミュレーションをそれぞれ行った.

 現場測定では,圃場のCO2, O2ガス濃度を測定した.同時に,ガス挙動に影響を与える物理性として,微生物活性に影響を与える土壌微生物数,地温,土壌水分量と,ガス拡散に影響を与えるガス拡散係数を測定した.調査対象は宮崎県都城市の田畑輪換圃場とし,ガス濃度や物理性の季節,作目による変化を調べた.Fig.1に現場のCO2, O2ガス濃度分布を示す.土壌中のCO2, O2ガス濃度は,深さ0〜20cmまでは大気中とほぼ同様であったが,耕盤層のある20cm近傍で急激にCO2ガス濃度が上昇し,O2ガス濃度が低下した.耕盤層より深い部分では,ガス濃度は大きく変動した.耕盤層におけるCO2ガス濃度の最高値は18%, O2ガス濃度の最低値は3%であった.ガス濃度の測定から,耕盤層がガス濃度分布に影響を与えることが示唆された.各季節のガス濃度の比較からは,深さ0〜20cmのCO2, O2ガス濃度は,一年を通じて殆ど変化しないのに対して,耕盤層以深のガス濃度は季節により大きく変化することが分かった.特に水田利用後の1998年10月の圃場では,他の時期に比べてCO2ガス濃度が高く,O2ガス濃度が低くなった.ガス挙動に影響を与える物理性の測定からは,地温,水分量が季節・作目により変化するのに対し,微生物数が一年を通じて殆ど変化しないことが,またガス拡散係数分布は作目によって変化することが明らかになった.これらの物理性の季節変化から,水田利用後のCO2ガス濃度上昇,O2ガス濃度低下の原因は,水分量の増加と地温の上昇による微生物活性の増加及び表層のガス拡散フラックスの低下によるCO2ガスの蓄積であると考えられた.また,ガス発生量が0になった場合のCO2ガス濃度の時間変化をFickの法則を用いて計算した結果,計算値が数時間で大きく変化するのに対して,現場でのガス濃度測定値の日変化が小さいことから,微生物からのガス発生とガス拡散がガス濃度に与える影響が大きいことが分かった.

 現場測定で指摘された耕盤層(乾燥密度の高い層)がガス濃度分布に与える影響を調べることを目的に,耕盤層を設けたカラム実験を行った.カラム内のCO2, O2ガス濃度分布をFig.2に示す.

CO2, O2ガスの濃度は,表層0〜10cmでは大気と同様であるのに対し,耕盤層の深さ10〜25cmで,急激にCO2ガス濃度が上昇し,O2ガス濃度が低下した.また,耕盤層より深い部分のガス濃度はほぼ一定であった.カラム実験で測定されたガス濃度分布は,表層及び耕盤層では現場のガス濃度分布をよく再現し,耕盤層がガス濃度分布に影響を与えることが明らかになった.しかし,耕盤層以深では,現場のガス濃度が深さ方向に大きく変動するのに対して,カラム実験で測定されたガス濃度はほぼ一定となった.耕盤層より深い部分において現場とカラムのガス濃度分布が異なった原因として,現場における微生物数とガス拡散係数の不均一性及び現場とカラムにおける下方の境界条件の違いが考えられた.土壌水分量の急激な変化が微生物活性とガス拡散およびガス溶解に影響を与えることに注目し,水分量の変化(浸潤)による土壌中のガス濃度の変化を調べた.浸潤によって地上部及び耕盤層以深では,CO2ガス濃度が低下,O2ガス濃度が上昇したのに対し,表層ではCO2ガス濃度が上昇し,O2ガス濃度が低下した.給水後のCO2ガス濃度の変化は,深さ20cmで最大2.9%,また深さ5cmで最大0.46%となった.浸潤によるガス濃度の変化の原因として,地上部及び表層部では地上部の気相率低下によるガス拡散移動量の減少が,また耕盤層以深では含水量の増加による微生物活性の低下とCO2ガス溶解量の増加が考えられた.

 土壌中のガス拡散移動に影響を与えるガス拡散係数の測定を行った.既往の研究では,土壌

中の相対拡散係数(以下D/D0:土壌中のガス拡散係数を大気中のガス拡散係数で割った値,1以下)が,土壌の気相率,乾燥密度,攪乱・不攪乱,土性に影響を受けることが明らかにされているが,これらの要因が同時に比較されたことはない.そこで,様々な試料のガス拡散係数を測定し,D/D0に及ぼす乾燥密度,攪乱・不攪乱,ガス種,土性の影響を調べた.実験の結果,乾燥密度に関して,同じ気相率で比べると乾燥密度が大きい方が,D/D0が大きく(Fig.3),気相率とD/D0の近似曲線からは,気相率0.2の時に乾燥密度1.25g/cm3の試料のD/D0は1.00g/cm3の試料の約4倍になることが推測された.乾燥密度に伴うD/D0増加の原因として,乾燥密度の高い試料では,土壌圧縮を受けた際に,拡散移動に関与しないdead spaceが圧縮され,間隙の拡散効率が上昇することが考えられた.試料の攪乱・不攪乱に関しては,不攪乱試料のD/D0が攪乱試料のD/D0よりも大きくなったが,これは不攪乱試料の内部に,屈曲度の小さいマクロボアが存在し,その中をガスが優先的に拡散移動したことが原因であると考えられた.ガス種に関しては,溶解度の大きなCO2ガスのD/D0がO2, N2ガスのD/D0に比べ大きくなり,土性に関しては,SL(Sandy Loam)とCL(Clay Loam)の試料では,D/D0の違いが表れなかった.

 シミュレーションでは,ガス挙動の支配方程式を用いてCO2ガス濃度の時間変化を計算し,カラム実験の実測値と比較した.本研究では,水分移動が平衡に達した場合を仮定し,ガス濃度の計算を行った.初期条件には,カラム実験で水分移動が十分平衡に達した後に測定されたCO2ガス濃度(t=0)を用い,72時間後(t=72)のガス濃度の計算値と測定値を比較した.仮定より,ガス溶解は無視できるため,支配方程式には,微生物活性とガス拡散を含んだ以下の方程式を用いた.

εは気相率,Cは注目するガスの濃度,rはガス発生速度,Dはガス拡散係数である.ε, Dにはそれぞれカラム実験,拡散係数測定実験で測定された値を用いた.rは様々な仮定をおき,値を変化させた.まず,ガス発生がない場合を仮定し,CO2ガス濃度の変化を計算した結果,計算されたガス濃度は測定値と大きく異なり,測定値と比べて耕盤層直上では高い濃度を,耕盤直下では低い濃度を示した.次に,耕盤上下における測定値と計算値の違い考慮し,表層のガス挙動に2種類の仮定をおいて計算した結果,それぞれの計算で,実測値と計算値が良く一致した.仮定1では,

耕盤直上に拡散係数の小さい層を仮定し,耕盤直上の拡散係数を測定値の1/100にして計算を行った(Fig.4).仮定2では,表層部のガス濃度がより大気に近いことを仮定し,表層のCO2ガス濃度計算値に1より小さい係数を掛けた.どちらの仮定を用いた場合も,耕盤層で大きな発生速度を仮定することにより,計算結果は測定値と良く一致し,耕盤層のガス発生速度が大きいことが示唆された.

Fig.1現場のガス濃度分布グラフの中の数字は測定日

Fig.2カラム内のガス濃度分布

実験開始から32日目

Fig.3乾燥密度が拡散係数に与える影響

曲線は,D/D0=a×εb(D/D0:相対拡散係数,ε:気相率,a,b:パラメータ)で測定値を近似した曲線

Fig.4CO2ガス濃度のシミュレーション

5〜10cmに拡散係数の小さい層を仮定

左:ガス濃度変化の実測値と計算値

右:計算に用いたガス発生量分布

審査要旨 要旨を表示する

 土壌中では大気中に比べてCO2ガス濃度が高いので、土壌と大気とのガス交換が環境へ及ぼす影響を明らかにすることは地球温暖化問題との関連でも重要である。土壌中のCO2濃度が高い理由は、土壌微生物の働きと、間隙中のガスの溶解、吸脱着、化学反応などによるものと考えられているが、それらの全体像は必ずしも明確ではない。しかも、農耕地の場合、これらに加えて施肥や農薬散布、耕耘、灌漑、その他機械作業が影響するので、土壌中のガス挙動はさらに複雑なものとなる。

 本論文は、田畑輪換作付けを実施しているフィールドにおける測定と、その試料を用いた室内モデル実験による測定とを通じて、土壌中のCO2, O2ガス挙動を詳細に把握し、さらにそのデータを、土壌微生物による発生及び消費,濃度勾配に基づく拡散移動,ガス吸着や溶解のような化学反応などの素過程に分離して解析したものであり、この分野における最新の知見を見いだしている。

 第1章では序論を述べ、第2章では既往の研究をレビューした。

 第3章では現場におけるガス挙動の測定結果を述べている。調査対象地は宮崎県都城市の田畑輪換圃場とし、CO2, O2ガス濃度や物理性の季節、作目による変化を詳細に調べた。その結果、特に注目される特徴として、(1)耕盤層がある深さ20cm近傍ではCO2ガス濃度が非常に高いこと(最高値は18%)、(2)土層全体のCO2ガス濃度は、3月や5月に比べて10月の方が高く、何らかの原因があると考えられること、(3)土壌中の細菌数や糸状菌数は、一年を通じてほとんど変化しないこと、などが明らかとなった。また、土層内のCO2ガス濃度分布を詳細に分析し、上述した耕盤層付近の高い濃度が大きな濃度勾配を発生させるので、拡散係数に比例した濃度拡散が発生するはずであることを指摘し、そのような濃度拡散が起こりながらなおかつ高い濃度部位が残存する場合、CO2ガスの大きな湧き出し源が存在しなければならないことを証明した。

 第4章では、現場測定で明らかとなったガス濃度分布の特性を室内カラム実験で再現し、ガス挙動を分析した。カラム実験で測定されたガス濃度分布は,第3章で明らかにした現場のガス濃度分布をよく再現し,特に耕盤層がガス濃度分布に影響を与えることを明らかにした。さらに、現場では捉えにくい現象として、急な降雨などで地表面からの浸潤があるときのガス挙動もカラム実験で測定し、水の浸入に伴ってCO2ガスが水に溶解するためにCO2ガス濃度が低下し、O2ガス濃度は上昇することを確かめた。ただし、降雨直後の地表面下5cmでは、逆にCO2ガス濃度が上昇,O2ガス濃度が低下という特異な現象も現れることを示した。

 第5章では、土壌中のガス挙動を解析する上で不可欠の、ガス拡散係数を測定し、土壌の諸性質がガス拡散係数に及ぼす影響を詳らかにした。既往の研究では、土壌中のガス拡散係数が土壌の気相率、乾燥密度、攪乱・不攪乱、土性に影響を受けることが明らかにされているものの、これらの要因を同じ条件下で比較した例がないので、本研究で扱った全ての試料についてガス拡散係数を測定しなおした。その結果、同じ気相率でも乾燥密度が大きい方がガス拡散係数が大きいこと、不攪乱試料のガス拡散係数は攪乱試料のそれより大きいこと、溶解度の大きなCO2ガスの拡散係数はO2, N2ガスの拡散係数より大きいこと、土性がSLであってもCLであっても拡散係数に違いはあらわれないことなどの知見を得た。

 第6章では、第5章で得たガスの相対拡散係数を用いてシミュレーションを行い、土壌中のCO2ガス濃度分布の時間変化を計算し、カラム実験の実測値と比較した。特に、耕盤層で大きなCO2ガス発生が存在すると仮定し、さらに耕盤直上の拡散係数を測定値の1/100に仮定した場合や、表層20cmのガス濃度が大気と攪乱混合していると仮定した場合、計算結果が測定値と非常に良く一致することから、耕盤層のガス発生速度の重要性が再確認された。

 第7章では結論を述べた。

 以上要するに、本論文は現地測定、室内実験、理論的解析を通じて、農耕地土壌中の酸素ガス、二酸化炭素ガスの分布と、これらガスの拡散移動および微生物の呼吸活動との関連を明らかにしたものであり、学術応用上寄与するところが大きい。よって、審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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