学位論文要旨



No 117197
著者(漢字) 朝原,淳子
著者(英字)
著者(カナ) アサハラ,ジュンコ
標題(和) 架橋型アクリルポリマーの粘着発現メカニズムの解析
標題(洋)
報告番号 117197
報告番号 甲17197
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2393号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小野,擴邦
 東京大学 教授 尾鍋,史彦
 東京大学 教授 空閑,重則
 東京大学 教授 飯塚,堯介
 東京大学 助教授 竹村,彰夫
内容要旨 要旨を表示する

 粘着という現象は日常生活でしばしば経験されるありふれたものであり、また自然現象にも多く見られるものである。多くの製造加工業において粘着は重要因子になっている。例えばカートンボックス(段ボール箱)製造、包装・封かんの糊、繊維産業・製材業・製靴の貼合わせ接着、コンタクトセメント等の接着剤、ゴム工業のタイヤ配合物の重ね貼り、タイヤコードとの接着、印刷におけるインキの粘着、塗装における塗料の付着・粘着、食品類や薬剤類の粘着、さらには生体の癒着や自然界における粘液・粘着の現象などが挙げられる。その中で粘着そのものが最終製品の使用価値である著しい例が粘着テープを代表とする粘着製品である。近年、従来のテープ用粘着剤という観点から脱皮して、簡易接着という長所を維持しながら、その欠点である接着強さ、特に保持力を向上させ、構造接着剤の範囲にまで用途が拡大している。そのためには、張り合わせ前には流動性ある粘稠な粘着剤であり、張り合わせを契機にして何の手段も加えずに架橋反応、硬化反応が生じ、弾性率の高い接着剤に変化するというのが一つの理想である。架橋による粘着特性の変化に関しては、レオロジカルな観点で研究されいくつかの経験則が得られている。しかしながらこれらの研究は粘着剤の物性ならびに組成に関して行われたものである。粘着剤皮膜の表面ならびにバルクの構造が異なること、それにより粘着特性に変化が現れることは経験的に知られていたにもかかわらず、粘着剤皮膜形成過程に関する詳細な研究は少ない。粘着剤皮膜形成過程を明らかにすることは、表面ならびにバルクの構造をコントロールして多彩な粘着特性を得るような新規の粘着剤の開発に有用であることが示唆される。そこで本研究ではアクリルコポリマーとイソシアネート架橋剤からなる架橋型アクリル粘着剤について、粘着フィルム中での架橋反応の進行が粘着特性に及ぼす影響を検討し、さらに粘着フィルムの表面特性に及ぼす影響に関して考察した。以下に各章における実験結果の概要を示す。

 第2章では、各種条件で保管した架橋型アクリル粘着フィルム中のアクリルベースポリマーとポリイソシアネート架橋剤との反応をATR-FTIR測定で観察し、はく離強さの変化と関連づけた。粘着フィルム中の架橋反応進行度は2273cm-1に位置するイソシアネート基のピーク強度変化を用いて観察した。

 80℃・2分間の前処理の後でさえも2273cm-1のイソシアネート基のピークが観察された。このことは、イソシアネート基の反応が予想されていたよりも遅いことを示唆する。架橋剤を粘着剤に配合した場合、粘着フィルム中の未反応イソシアネート基はエージング時間の増加に伴い急激に減少し、これに対応してはく離強さは減少した。これは架橋反応の進行に伴い、粘着フィルムの貯蔵弾性率が増加したためであると考えられる。エージング温度の上昇は架橋反応を促進し、その結果としてはく離強さの急速な減少を導く。

 未反応イソシアネート基の有無に関わらず、被着体との接触時間の増加に伴い粘着フィルムのはく離強さは増加した。観察された全ての期間において、被着体への貼り付け時に架橋反応が完了していた粘着フィルムに比べ、未反応イソシアネート基が残存していた粘着フィルムはより高いはく離強さを示した。これは恐らく完全に架橋させた粘着フィルムに比べ、未反応イソシアネート基を有する粘着フィルムが初期段階におけるよりよい被着体へのぬれ性を持つためと考えられる。すなわちより広い接着面積が得ることができ、さらにその構造が架橋反応後も維持されるものと考えられる。保管温度の上昇は架橋反応のみならず、粘着剤の被着体に対するぬれを促進し、その結果としてはく離強さのより大きな増大が導かれたことが示唆された。

 第3章では、架橋型アクリル粘着フィルム中のアクリルベースポリマーとポリイソシアネート架橋剤との反応とはく離強さを被着体として塗装板を用いて観察し、第2章で得られた結果と比較ならびに検討した。粘着フィルム中の架橋反応は、第2章と同様に2273cm-1に位置するイソシアネート基のピーク強度変化を用いて観察した。

 架橋剤を粘着剤に配合した場合、粘着フィルムのはく離強さはエージング時間の増加に伴い急激に減少した。これは、エージング時間の増加に伴う粘着フィルム中の未反応イソシアネート基の減少に対応している。エージング温度の上昇は架橋反応を促進し、その結果はく離強さの急激な減少を導く。各種エージング条件におけるはく離強さの経時変化には、被着体の違いによる明確な差が見られなかった。

 架橋剤の配合の有無を問わず、被着体との接触時間の増加、もしくは保管温度の上昇に伴い粘着フィルムのはく離強さは増加した。またその経時的増加量は、被着体としてステンレス板を用いた場合に比べ、塗装板を用いた場合のほうが高くなる傾向を示した。このときの粘着フィルム中の架橋反応は被着体による影響を受けなかったが、塗装板からはく離した粘着剤のATR-FTIRスペクトルには塗料成分に起因する新たなピークが出現した。接触時間の増加、もしくは保管温度の上昇に伴いこのピーク強度は増加し、はく離強さの傾向と一致した。これは接触時間の増加ないし保管温度の上昇は粘着剤の被着体に対するぬれを促進し、接触面積が増加するため、粘着剤表面への塗装板成分の転写量は増加したしたものと考えられる。また、その結果としてはく離強さの増加が導かれたことが示唆された。

 第4章では、乾燥条件下ならびに湿潤条件下で保管した架橋型アクリル粘着フィルム中のアクリルベースポリマーとポリイソシアネート架橋剤との反応をATR-FTIR測定で観察した。

 粘着フィルム中の未反応イソシアネート基量を、2273cm-1に位置するイソシアネート基のピークの強度変化を用いて観察した。その結果、雰囲気中の水分の存在は未反応イソシアネート基の消費を促進する傾向を示した。

 また、粘着フィルム中の架橋反応により生じる各種官能基量は、1535cm-1付近に現れるアミドIIバンドを波形分離することにより観察された。湿潤条件下ではイソシアネート基と水酸基との反応に加え、イソシアネート基と水との反応が同時に進行した。その結果、未反応イソシアネート基の急速な消費が導かれたことが示唆された。一方、乾燥条件下ではイソシアネート基と水酸基との反応のみが進行した。これより、水との反応が同時進行で生じる湿潤条件に比べ、乾燥条件下におけるイソシアネート基の消費速度の減少が導かれたことが示唆された。

 第5章では、各種γcを持つ被着体上で粘着フィルム中のアクリルベースポリマーとポリイソシアネート架橋剤とを反応させ、被着体が粘着フィルム中の架橋反応に及ぼす影響について、特に粘着剤の表面とバルクの組成の違いに着目して検討した。粘着剤層の厚み方向に対する官能基分布は、ATR-FTIR分光法を用いたデプスプロファイルにより検討した。

 粘着フィルム中の未反応イソシアネート基量は、2273cm-1に位置するイソシアネート基のピークの強度変化を用いて観察された。いずれの被着体を用いた場合においても、初期段階においては未反応イソシアネート基が粘着剤層のバルク付近に多く存在することが示唆された。しかしながらその後のイソシアネート基の消費は用いた被着体により異なる傾向を示した。

 粘着フィルム中の架橋反応により生じる各種官能基量は、1535cm-1に位置するアミドIIバンドを波形分離することにより観察された。その結果、架橋反応の進行に伴い、フリーのユリア結合を除く全ての生成物量に、粘着剤層の厚み方向に対する濃度勾配が生じることが明らかになった。また、この生成物の濃度勾配は用いた被着体により異なる傾向を示した。

 最終的に得られた架橋型アクリル粘着フィルムの表面張力は、用いた被着体の表面張力の増加に伴い増加した。この時の架橋型アクリル粘着フィルム中の官能基分布を、ATR-FTIR法を用いたデプスプロファイリングによって観察した。その結果、フリーのユリア結合を除く全ての生成物は、高い表面張力を持つステンレス板との界面に偏析することを示した。これに対し、ステンレス板よりも低い表面張力を持つPEフィルムならびにテフロンシートを被着体に用いた場合には、架橋反応による生成物量は粘着剤層のバルクに近づくほど増加する傾向を示した。

 これらの結果より、架橋型アクリル粘着剤は自身の表面張力を被着体の表面張力に適合させるように粘着剤表面の化学組成を変化させることで、最適な接着仕事が得られるような界面を形成することが示唆された。

 以上の結果より、架橋型アクリル粘着フィルム中のアクリルベースポリマーとポリイソシアネート架橋剤との反応は、粘着剤が接する周囲の環境の影響を受け多様な反応経路を経ることが明らかになった。また、架橋型アクリル粘着剤は、粘着剤表面が接する環境に適合するように表面の化学組成を変化させることで最適な接着仕事が得られるような界面を形成することが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

 近年、様々な高機能付加型粘着剤が開発途上にある。例えば、粘着剤を架橋し接着剤化する粘接着剤は木質系内装材の仮止などとして、作業が終了するまでは脱着可能で、その後固化するような用途に期待される。粘着特性の架橋依存性に関してはレオロジカルな研究から経験則も得られているが、実験手段の制約からそれらはあくまでもバルク(表面と内層を一体の構造としたもの)の特性を基本としている。本来、接着は被着体と接着剤の界面の現象により理解されるべきものであり、バルクから粘着、接着特性を演繹することに疑問が投げかけられていた。そこで本研究はアクリル共重合体とイソシアネート架橋剤からなる架橋型アクリル粘着剤の粘着剤皮膜形成過程における架橋反応の進行が界面特性と粘着特性に及ぼす影響を検討することを目的としている。本報告は6章より構成されている。以下に各章における研究の概要を示す。

 第1章において研究の背景と目的を述べた後、第2章では、粘着フィルムの製造・保管履歴がアクリル共重合体と架橋剤との反応に及ぼす影響をATR-FTIRで観察し、ステンレス板とのはく離強さの変化と関連づけている。粘着フィルム中の架橋反応進行度をイソシアネート基のピーク強度変化を用いて観察した結果、未反応イソシアネート基の有無に関わらず、被着体との接触時間の増加に伴い粘着フィルムのはく離強さは増加することを見出した。また、被着体への貼り付け時に架橋反応が完了していた粘着フィルムに比べ、未反応イソシアネート基が残存するフィルムの方がより高いはく離強さを示すことを見出している。そして、この未反応イソシアネート基を有するフィルムのはく離強さの向上は初期の良好なぬれ性に起因することを架橋剤の有無によるフィルム粘弾性の差から結論づけている。

 第3章では、塗装板でのはく離強さと粘着フィルム中でのアクリル共重合体と架橋剤の反応程度との関連について検討している。第2章と同様に、未反応イソシアネート基の有無に関わらず、被着体との接触時間の増加に伴いフィルムのはく離強さは増加するが、その経時的増加量は、被着体としてステンレス板を用いた場合に比べ、高くなる傾向を見出した。また、塗装板からはく離した粘着剤のスペクトルには塗料成分に起因する新たなピークが出現することを見出した。以上のことは、塗装板上の粘着フィルムははく離時に塗膜成分を塗装板から引き抜き、より高いはく離強さを発現する事を証明するものであり、界面状態が被着体により異なることを指摘している。

 第4章では、アクリル共重合体と架橋剤との反応で生成するイソシアネート誘導体のアミドIIバンド中の各吸収の帰属を行い、乾燥条件下ならびに多湿(梅雨時想定)条件下での各誘導体量の生成量の経時変化を波形分離により経時的に追跡している。多湿下では粘着剤層中の未反応イソシアネート基はより早く消費され、ユリア結合の生成量が多くなり、イソシアネート基はアクリルコポリマーに含まれる水酸基のみならず雰囲気中の水分とも反応することを明らかにした。これにより、乾燥期と多湿時では架橋型粘着フィルムの誘導体組成が異なり、保管条件により粘着特性が変化することを明らかにしている。

 第5章は、第3章で得られた推論を証明することに主眼がおかれている。4種の表面張力の異なる被着体上での粘着フィルム中のアクリル共重合体とポリイソシアネート架橋剤との反応をATR-FTIR測定を用いて深さ方向分析(depth profile)により観察している。被着体との接触時間の増加に伴い、高い表面張力を持つステンレス板との界面にはポリイソシアネート架橋剤が偏析し、低い表面張力を持つPEフィルムならびにテフロンシートとの界面には被着体との接触時間の増加に伴いアクリル共重合体が偏析することを観察している。このときの架橋型アクリル粘着フィルムの表面張力は、用いた被着体の表面張力の増加に伴い増加することを見出している。以上の結果は、架橋型アクリル粘着剤は、粘着剤表面が接する環境に適合するようにアクリル共重合体ならびにポリイソシアネート架橋剤が粘着剤層中で移行(マイグレーション)することにより、界面エネルギーが最小となるような界面を形成するという熱力学的必然性を実験的に証明するものである。このことを換言すれば、初期に用いる支持材料の表面特性が架橋型アクリル粘着フィルムの製品としての粘着特性に大きく影響することを示す。

 第6章は上記結果の総括である。

 以上の様に本研究の結果は、木質内装材の仮止め接着などに期待の大きい架橋型粘着剤の界面特性と実用特性に関して基礎的な知見を与え、今後の製品設計のために大きく貢献することが明らかである。よって、審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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