学位論文要旨



No 117206
著者(漢字) 中道,裕子
著者(英字)
著者(カナ) ナカミチ,ユウコ
標題(和) 軟骨由来細胞機能調節因子の生体内高次機能に関する研究
標題(洋)
報告番号 117206
報告番号 甲17206
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2402号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,茂明
 東京大学 教授 福井,泰久
 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 助教授 加藤,久典
内容要旨 要旨を表示する

1.はじめに

 骨は、体重を支え運動器官としての役割を持つと共に、造血器官としての役割をも持つ。同時に、骨はミネラルの貯蔵の場であり、血中カルシウム濃度の厳密な維持に重要な役割を果たしている。骨の外側は緻密な皮質骨で覆われるが、内腔は粗な海面骨と骨髄とから成る。皮質骨/海面骨は、骨形成を司る骨芽細胞・骨吸収を司る破骨細胞と、これらの細胞が分泌する骨基質タンパクおよび沈着したミネラルで構成されている。一方、骨髄は多分化能を有する未分化間葉系細胞と造血系幹細胞が存在し、未分化間葉系細胞は骨細胞種のみならず軟骨細胞・筋芽細胞・脂肪細胞・胸腺ストローマ細胞に分化することが知られている。従って、正常な骨組織の構築や骨代謝の制御には、この骨髄未分化間葉系細胞からの精巧な分化プログラムの制御による骨細胞種への分化が非常に重要であるといえる。

 骨形成は単純に骨芽細胞により形成されるのはまれで、大部分が内軟骨性骨化を経て形成される。内軟骨性骨化はまず中胚葉由来未分化間葉系細胞が凝集して軟骨細胞に分化し、ついで軟骨細胞が増殖することで軟骨組織が作られる。次に軟骨の中央部の細胞が肥大化し石灰化すると血管侵入を受ける。これと同時に未分化間葉系細胞細胞が侵入し、軟骨が浸食されながら骨髄腔の形成とともに骨が形成される。内軟骨性骨化の過程は、長官骨の中央部から始まるので、骨端部分は成長期を過ぎる頃まで軟骨が維持される。最終的に軟骨がすべて骨に置換された段階で骨の成長は止まるので、軟骨成長が骨長ひいては成長を規定すると考えられている。

 軟骨は、他の組織とは異なるユニークな特徴を持ち、原則として血管、神経あるいはリンパ管が存在しない。また、軟骨細胞はin vitroで培養すると、がん細胞に似た増殖特性を持つことが知られている。この軟骨細胞の特性から、軟骨細胞自らが強力な増殖因子を産生することが予想された。実際、軟骨中から軟骨細胞の増殖促進・DNA合成促進・プロテオグリカン合成促進活性のある因子の検索が行われ、コンドロモジュリン(軟骨由来細胞機能調節因子;ChM-I)が見出されている。ChM-Iは、334アミノ酸残基の前駆体ChM-Iとして合成された後、プロテアーゼによるプロセシングを受け、C末端側が成熟型ChM-I(121アミノ酸残基の糖タンパク)として細胞外に分泌される。

 ChM-Iは、血管内皮細胞の増殖阻害活性と内皮細胞による管腔形成阻害活性をも持ち、軟骨を無血管に保つうえで、重要な役割を持つことが示唆された。ChM-Iの主要な発現部位は軟骨であるが、その他には胸腺および眼にも微弱な発現が認められる。また、骨芽細胞に対しては増殖促進・分化抑制作用を持つことが知られている。ChM-Iの以上のような軟骨細胞・血管内皮細胞・骨芽細胞に対するin vitroにおける活性から、内軟骨性骨化の過程における無血管状態から血管形成状態への切り換えの制御および、血管侵入後の骨芽細胞の活性の制御に重要な役割を持つことが示唆される。また、骨機能の制御の上で、骨髄未分化間葉系細胞の分化制御へのChM-Iの関与の可能性は高いと考えられている。

 これまでに、in vitroでのChM-Iの作用については詳細に調べられているものの、個体でのChM-Iの生理作用は全く未知である。そこで本研究ではChM-Iの生体内高次機能の解明を目的に、ChM-Iの遺伝子欠損マウス(ChM-I KOマウス)を作成し、表現型の解析を行った。

2.ChM-I遺伝子欠損マウスの作成

 マウスChM-I cDNA(約1.4kb)を用い、マウスChM-I exon1-exon4を含む約17kbのゲノムDNA断片とexon5-exon7を含む約20kbのゲノムDNA断片を取得した。このDNA断片について制限酵素地図を作製し、exon1内のsecond ATGの直後(N末端から21アミノ酸残基め)にsite direct mutagenesis法によりstopコドンを導入するとともに、exon3を含むゲノム領域3.5kbをネオマイシン耐性遺伝子(NEOr)に置換したターゲティングベクターを構築した。これをC57BL6とCBAマウスのF1のICM由来であるTT2 ES細胞株にエレクトロポレーション法により導入し、サザンブロット法により相同組み換え体を同定した。得られた相同組み換え体ES細胞をCD-1マウス8細胞期胚にアグリゲーション法により導入し、ES細胞の寄与率が100%のキメラマウスを得た。ついで、このES細胞が生殖細胞系列に伝搬したことをサザンブロット法により確認し、F1ヘテロマウス(ChM-I+/-)およびF2ホモマウス(ChM-I-/-)を得た。得られたChM-I-/-マウスの軟骨よりタンパクを抽出し、ウエスタンブロット法により、抗リコンビナントヒトChM-Iポリクローナル抗体を用いてChM-Iタンパクの発現を検討したところ、野生型においてはChM-Iタンパクは検出されたが、ChM-I-/-マウスでは検出されなかった。したがって、ChM-I-/-マウスはNull mutantであると断定した。以下、このホモマウスをChM-I遺伝子欠損(以下ChM-I KO)マウスとして解析した。

3.ChM-I遺伝子欠損マウスの解析

 ヘテロマウス同士の交配により出生するChM-IKOマウスは、メンデルの法則による期待値とほぼ同等の数で誕生した。このことから、ChM-Iは、個体の発生および生存には必須な因子でないと考えられた。ChM-I KOマウスは外見上は正常であり、生殖可能でかつ産仔数も正常で、体重も野生型との差異は認められなかった。そこで、ChM-Iの発現組織である軟骨および隣接する骨組織と眼および胸腺の詳細な解析を行った。

3-1.骨・軟骨組織における解析

 ChM-I KOマウスの胎仔期の骨・軟骨形成は正常であり、生後の骨・軟骨組織も5週齢までは野生型との差異は認められなかった。しかし、12週齢のChM-I KO(ChM-I-/-)マウスにおいて野生型のマウスと比較して体重差がないにも関わらず、DEXAによる大腿骨の骨密度分析の結果、有意に骨密度の上昇が認められた(野生型54.6±1.7mg/cm2, KO59.1±4.3mg/cm2; mean±SD, p<0.01)。一方、ヘテロ接合体(ChM-I+/-)には全く変異は認められなかった。頸骨組織切片のVillanueva-Goldner染色を行ったところ、海面骨・皮質骨の双方で骨量が増加していることがわかった。次に、この骨密度増加の現象を詳細に解析するために骨組織形態計測を行った。単位骨量(BV/TV)はKOマウスは野生型の約2.5倍(野生型4.37±1.43%,KO 10.59±2.20%; mean±SEM)であり、骨芽細胞面(Ob.S/BS)と破骨細胞数(N.OC/B.Pm)はともにKOマウスにおいて顕著な減少(それぞれ、60%,35%)が認められた。骨形成速度(BFR/BS)および吸収面(ES/BS)もまたKOマウスにおいて顕著な減少(それぞれ、45%,64%)が認められた。従って、骨密度上昇は、骨形成・骨吸収の代謝回転の低下によるものであることがわかった。更に、種々の骨代謝マーカーについて検討したところ、ChM-I KOマウスにおいて血中カルシウムおよびリン濃度は正常であったが、骨形成マーカーである血中アルカリホスファターゼ活性(野生型189±33.9IU/L,KO144±36.8IU/L;p<0.005)とオステオカルシン濃度(野生型178±16.3ng/ml,KO147±28.6ng/ml;p<0.05)は野生型と比較して有意に減少していた。以上、本研究によってChM-Iが骨量および骨代謝の制御に関与していることを初めて明らかにした。

3-2.胸腺における解析

 ChM-I mRNAの胸腺組織における発現の局在を検証するためにin situ hybridization法により発現部位の同定を行ったところ、皮質層にのみシグナルが認められた。3週齢および5週齢のChM-I KOマウスにおいて野生型との組織学的な差異は認められなかったが、9週齢のChM-I KOマウスにおいて胸腺髄質層の萎縮と組織サイズの縮小およびTotal cell numberの顕著な減少(約40%)が認められた。そこで、胸腺におけるT cell populationについての検討をFACS解析にて行った。mature T cellの分化マーカーであるCD4,CD8については差が認められなかった。しかし、immature T cellのpopulationを調べるためにCD3-CD4-CD8-細胞のCD25,CD44のプロファイルを作成したところ、CD44+CD25-細胞の増加(野生型12.6%,KO21.8%)とCD44-CD25+細胞の減少(野生型45.7%,KO37.2%)が認められ、ChM-IのT細胞分化への関与が示唆された。

3-3.眼における解析

 眼においてChM-I mRNAは網膜に発現し、ChM-Iタンパクは無血管である硝子体に蓄積していることが知られている。そこでAdult ChM-I KOマウスの眼について眼底撮影装置で血管の走行を調べたところ、野生型との差異は認められなかった。眼の組織切片のHE染色においても網膜の層状構造は正常であり野生型との差異は認められなかった。

4.まとめ

 本研究ではChM-IKOマウスを作成し、ChM-Iの生体内高次機能の解明を試みた。作成したChM-I KOマウスはnull mutantであるにもかかわらず、予想に反して胎生中期の軟骨形成および胎生後期の一次内軟骨性骨化、生後の二次内軟骨性骨化ともに正常に行われ、野生型との差異は見いだされなかった。従って、in vitroにおけるこれまでの知見からはChM-Iは内軟骨性骨化に重要であると考えられていたが、本研究におけるChM-I KOマウスの表現型の解析から内軟骨性骨化において必須の因子ではないことがわかった。一方、これまでに成体における骨代謝および骨量の制御に関するChM-Iの作用に関する報告は全くなかったが、本研究においてChM-I KOマウスの骨密度増加および骨代謝回転低下を見出した。更に骨代謝を検討したところ骨吸収の低下の度合いが骨形成速度低下を上回ることにより骨密度増加に至ることを見出した。即ちChM-Iは、何らかの破骨細胞機能に重要な役割を果たす可能性が示唆された。これらの結果より、ChM-Iの生体内機能は軟骨より皮質骨・海面骨により重大な作用を持つことを明らかにした。また、ChM-I KOにおける胸腺細胞の減少およびCD25,CD44のpopulationの変化から、ChM-IがT細胞の増殖および分化に関与している可能性が示唆された。KOで認められた胸腺細胞の減少および骨芽細胞面・破骨細胞数の減少により、成体におけるT cellの供給源であるとともにこれらの細胞の幹細胞が存在する骨髄において、ChM-Iが幹細胞の分化に関与している可能性が示唆される。今後、骨髄細胞の表面分化マーカーの発現についてFACSで解析することで、ChM-Iの作用部位・時期を解明することが可能であると期待される。

 以上、本研究ではChM-I KOマウスを作成し、ChM-Iが骨量および骨代謝の制御に関与していることを初めて明らかにした。また、胸腺機能の調節にChM-Iの機能が生理的に重要である可能性を明らかにすることが出来た。

審査要旨 要旨を表示する

 骨は、高等動物個体において極めて多種多様な生理機能に必須であり、体重の支持機能と造血機能および体内のミネラル恒常性を保つ機能を有することが知られている。骨を構成する細胞種については、骨形成を司る骨芽細胞、骨吸収を司る破骨細胞のほかに、リンパ球をはじめとする造血系細胞および軟骨細胞が存在することが知られている。これらの細胞種は、お互いに分泌するサイトカインによって複雑なネットワークを構成し、骨の機能を制御している。骨芽細胞、破骨細胞、造血系細胞の分泌する骨機能制御因子については近年非常によく研究されているが、軟骨細胞の分泌する因子の骨機能に対する作用は不明な点が多いのが現状である。

 申請者は、軟骨細胞が分泌する情報伝達因子が、骨形成および骨代謝機能に如何に重要かを明確にすることを目的に、現京都大学の開祐司により単離された、軟骨細胞の分泌する糖タンパクであるコンドロモジュリンーI(ChM-I)に着目した。そこで、ChM-I遺伝子欠損(KO)マウスを作製し表現型の解析を行った。ChM-Iは、in vitroにおける軟骨細胞の増殖促進・プロテオグリカン合成促進活性をを指標に単離された因子である。ChM-Iは、in vitroで血管内皮細胞に対しては増殖抑制、骨芽細胞に対しては増殖促進・分化抑制作用を持つことが知られている。しかし、これらのin vitroにおけるChM-Iの機能解析には限界があり、個体内でのChM-Iのこれらの細胞種に対する機能を明らかにする必要があった。本研究ではジーンターゲティングの手法を用いることで、ChM-I KOマウスの作製に成功し、表現型の解析から、ChM-Iの生体内高次機能の解明を試みた。本論文は4章より構成されている。

 第1章は、序論で、ChM-Iの発見の経緯とその主要な生物活性について、さらに本研究で行ったChM-I KOマウスの作製とChM-Iの生体内高次機能解析の意義について述べている。

 第2章は、最初にジーンターゲティング法の優越性について他の実験系との比較をすることで解説し、改めてChM-I KOマウスの作製の意義について述べている。次にKOマウスの作製法について概説し、ターゲティングベクターの構築、相同組み換えES細胞クローンの取得、キメラマウスの作製とChM-I KOマウス系統の確立を述べている。最後で、ウエスタンブロット法により、抗rhChM-Iポリクローナル抗体を用いてChM-Iタンパクの発現を検討し、ChM-I KOマウスにおけるChM-Iタンパクの発現の消失を確認している。

 第3章は、作製したChM-I KOマウスの表現型の解析について述べている。

表現型の解析はChM-I発現組織(軟骨、胸腺、目)と軟骨に隣接する骨組織において行った結果を述べている。その結果、ChM-I KOマウスの胎仔期の骨・軟骨形成は正常であり、生後の骨・軟骨組織も5週齢までは野生型との差異は認められなかった。しかし、12週齢のChM-I KOマウスにおいて野生型マウスと比較して有意に10%の骨密度の上昇が認められ、海面骨・皮質骨の双方で骨量が増加していることがわかった。さらに、骨組織形態計測を行った結果、骨密度上昇は骨形成・骨吸収の代謝回転の低下によるものであることがわかった。本研究によって生体内では、ChM-Iは軟骨・骨形成には必須ではなく、骨量および骨代謝の制御に関与していることを初めて明らかにした。胸腺組織については、9週齢のChM-I KOマウスにおいて胸腺髄質層の萎縮による組織サイズの縮小および細胞数の顕著な減少(約40%)が認められた。そこで、胸腺におけるT細胞分化マーカーの発現についてFACSにより検討したところ、KOマウスにおいて、野生型と比較して未分化なリンパ球前駆細胞の陽性比率がやや高いことが判明した。従ってChM-IのT細胞の増殖と分化への関与が示唆された。本研究により、胸腺機能の調節にChM-Iの機能が生理的に重要である可能性を明らかにすることが出来た。眼については、ChM-I KOマウスで異常は認められなかった。

 第4章の総合討論では論文全体を総括し、生体内におけるChM-Iの役割と今後の展望について考察されている。

 このように、申請者の行った研究は、骨機能の調節機構を新たな視点からとらえ、遺伝子欠損個体を作製並びに解析することで、軟骨細胞由来の情報伝達因子の重要性を証明する糸口となり得ると考えられる。

 以上、本論文はジーンターゲティング法によりChM-I KOマウスを作製し、ChM-Iの生体内高次機能の一端を明確にしたものである。これらの知見は、骨代謝における研究をはじめ、多くの分野に重要な知見を広く与えるものであり、学術上寄与するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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