学位論文要旨



No 117207
著者(漢字) 長谷川,倫男
著者(英字)
著者(カナ) ハセガワ,ノリオ
標題(和) 脱窒菌のc型シトクロムに関する研究
標題(洋)
報告番号 117207
報告番号 甲17207
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2403号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 五十嵐,泰夫
 東京大学 教授 祥雲,弘文
 東京大学 教授 大久保,明
 東京大学 助教授 西山,真
 東京大学 助教授 石井,正治
内容要旨 要旨を表示する

 硝酸呼吸は酸素の代わりに硝酸を最終電子受容体とする、嫌気呼吸の一種である。そのうち、おもに硝酸を最終的に亜酸化窒素N2O、あるいは分子状窒素N2にまで還元し、気体として放出するものを脱窒と呼ぶ。脱窒は細菌や放線菌、カビ、酵母など微生物によって行われる。最終生成物として分子状窒素を放出する完全脱窒では、硝酸NO3-→亜硝酸NO2-→一酸化窒素NO→亜酸化窒素N2O→分子状窒素N2の順に還元される。それぞれの反応は、硝酸還元酵素(NAR)、亜硝酸還元酵素(NIR)、一酸化窒素還元酵素(NOR)、亜酸化窒素還元酵素(N2OR)によって触媒され、NIR以下が脱窒に特異的な酵素とされる。これらの構造遺伝子をはじめ脱窒に関連した蛋白質をコードする遺伝子は、多くの場合染色体やプラスミド上にクラスターを形成し、近接して存在している。本研究で用いたPseudomonas aeruginosaにおいては、NIRとNORに関連した遺伝子群が隣り合って存在し、nir・norクラスターを形成している。このうち、NIRに関連する遺伝子は構造遺伝子を先頭としてオペロンを形成する。NIRは脱窒過程において、水溶性のNO2-を気体であるNOに変換する反応を触媒する鍵酵素と言え、古くから非常に良く研究されてきた。nirオペロン中には構造遺伝子、NIRに結合し触媒中心となるheme d1の生合成に関与する遺伝子群、NIRへの電子供与体であるcytochrome c551をコードするnirMのほか、c型cytochromeと思われる蛋白をコードする遺伝子nirC、nirNが存在する。

 細菌の脱窒機能は、その中心となる反応については、遺伝子の立場からも蛋白質の立場からも非常に良く研究が進んでいる。一方で脱窒遺伝子群中にはいまだ機能不明のものもある。脱窒機能の発現は関連遺伝子の機能からだけでは説明しきれない部分もあり、こうした遺伝子産物や他の因子の関連も考慮した研究が必要となってきたと思われる。このような観点から、本研究では、まず当研究室で遺伝子構造が明らかにされたP.aeruginosaのnirオペロン中にある機能不明の遺伝子nirC、nirN産物の機能を特定し、それがNIRの反応にどのように関わっているかを明らかにすることを目指した。

1、nirM、nirC、nirN欠損株の作製と解析

 nirM、nirC、nirNの欠損株を作製しそれらの生育、NIRの発現、活性を調べた。その結果、すべての欠損株において生育は低下していた。また、Western blottingによるとNIR蛋白の発現量は野生株と変わらないものの、NIRの活性はin vivo、in vitro共に、それぞれ約20%、40%、80%に低下していた。これは活性型のNIRの発現量が低下していることを示している。その理由はnirM、nirC欠損株ではオペロン中のheme d1合成遺伝子群より上流の遺伝子にマーカー遺伝子を挿入したことによるpolar effectのため、十分量のheme d1が合成されなかったことによると思われた。従って、欠損株の解析からは各遺伝子の機能は特定できない。しかしながら、このときnirC欠損株においても半分弱程度ながら活性型の酵素は発現している。これまでにNirCの機能として、NIRへのheme d1の結合の際に必要であると推定されているが、本実験の結果から、NirCはNIRの成熟化に必ずしも必要ではないと考えられた。

2、NirC、NirNの精製とNirCの機能

 c型cytochromeのような細胞に多種類存在する蛋白質の場合、その遺伝子を欠損させても他のcytochrome、あるいは他の同様の機能を持つ蛋白質に相補され、その影響は表現型として明確にあらわれてこない。そこでNirC、NirNを精製し、性質を調べることから機能の特定を目指した。両者はP. aeruginosaのペリプラズム画分から精製され、N末のそれぞれ31残基、18残基がシグナル配列として機能していることが示された。cytochromeの機能としては電子伝達、気体のセンサーなどが考えられる。そこで、これらのcytochromeとNIRとの電子の授受について調べたところ、NirCはphysiologicalな電子供与体であるNirMと同様にNIRへ電子を伝達し、また、膜画分によってコハク酸依存的に還元された。さらにin vitroで、膜電子伝達系を利用したコハク酸依存のNIR活性を測定したところ、NirCはNirMと同様の値を示したことから、NIRへの電子供与体となり得ることが示された。これらのことから、NirCの機能はNIRへの電子伝達であると判断できた。一方、NirNはNIRとの電子伝達、膜画分による還元のいずれも示さなかった。NirNはNirM、NirCと比較して自動酸化性が高く、電子を保持することには適さないと思われ、これらの性質から電子伝達体ではないと考えている。

3、NirCとNIRの相互作用

 NirCがNIRへの電子供与体として機能することから、NIRとの相互作用について調べた。本菌のNIRはin vitroで、cytochrome c oxidase活性(oxygen reduction)とnitrite reductase活性を示す。cytochrome c oxidase反応時のNirM、NirCに対するKmは大きな差を示さなかった。しかし、nitrite reductase反応においては、NirCに対するKmはNirMに対するものと比較して著しく高かった。こうした違いは両反応におけるNirCの相互作用様式の違いか、あるいはNIRの構造変化等に起因するものと推定された。

 一般的にcytochrome oxidaseとそのredox partnerとの反応はcytochrome側のLysの正電荷と、NIR側の負電荷のアミノ酸との静電的相互作用による。NirCにはNirMとは違い、正電荷のアミノ酸としてArgが多く存在する。nitrite reductase反応における違いは、相互作用に関わるアミノ酸の違いではないかと考え、菌株間で保存性の高いArg8、Arg13、Arg27、His14についてAlaあるいはAspに置換し、Km値の変化を調べることを試みた。しかしながら、変異体の多くは発現せず、唯一発現したArg27Alaについてもcytochrome c oxidase反応のKmに大きな変化は見られなかった。こうしたことから、これらのArgは相互作用よりもむしろ構造の維持に重要であると考えられた。

 そこで、まず立体構造が明らかになっているNirMを用いて、NIRの両反応時における相互作用について調べることとした。NirMでは、heme cが大きく露出するヘム・クレバス周囲に疎水性のアミノ酸が多くあるが、その縁("north"edge)にふたつのLys(Lys8、Lys10)が存在し、これがNIRとの親和性に関わっていると考えられている。これらのLysをAspに置換し、NIRの両反応時におけるKm値を測定した。しかし変異蛋白において、野生型とのKmの差異はみられなかった。各変異蛋白は、Native-PAGEの結果から、野生型と比較して分子の荷電状態が負にシフトしていた。こうしたことからNirMとNIRの相互作用においては、NirM側の電荷はNIRとの親和性におおきく影響していないと結論した。NIRとNirMおよびNirCとの特異的な親和性は、静電的な力よりも疎水的な力によると推察される。また、こうしたことから、ふたつの反応時のNIRのNirCに対する親和性の違いは、NIRの両反応において触媒部位とは別の、電子受容部位の立体構造の変化を示している可能性が考えられた。

4、膜電子伝達経路との関係

 2、において膜画分によるNirMのコハク酸依存的な還元は、cytochrome bc1を阻害するHOQNOによる阻害を受けなかった。P. stutzeriではNIRへの電子伝達に関わる膜蛋白質としてNirTが報告されている。そこでNirMへ電子を渡し得る他の経路の存在を検証するため、cytochrome bc1欠損株を作製した。しかし調製した膜画分によるNirMの還元は観察されず、cytochrome bc1を経由する経路が唯一の経路であった。この実験からは、NirMおよび銅蛋白azurinがcytochrome bc1から直接電子を受け取っていることが示された。azurinはNIRと電子の授受が可能なことから、NIRへの電子供与体と考えられてきたが、nirMが脱窒クラスター中から発見されたことで、近年では生理的な機能は別のものと考えられるようになった。しかし本実験から、cytochrome bc1とNIRとの間で電子をmediateできることが示され、多少は関与していると考えることができる。これらのことから、脱窒に関与する酵素への電子伝達は、cytochrome bc1より下流の経路は、比較的flexibleであると考えられる。

5、転写調節について

 4、で作製したcytochrome bc1欠損株において、nir・nor遺伝子群の転写活性を測定した。これまでに、転写促進物質がNO2-であるかNOであるかについては興味が持たれてきたが、NIRを欠損させNOの生成を止めると、各遺伝子群のプロモーター活性が落ちることから、現在ではNOが有力な促進物質と考えられている。しかし、やはりNOを生成しないcytochrome bc1欠損株ではnir遺伝子群は高い転写活性を示した。さらに本株のCFEは、高いNIR活性を示した。これらのことから、nir遺伝子群はNOよりもNO2-による制御を受けていることが考えられた。このことから単純に判断すれば、脱窒遺伝子群は少なくともふたつ以上の基質に対応した制御系を持つと言える。

まとめ

 本研究で明らかになったおもなことは、1)NirCがNIRへの電子供与体として機能すること、2)NIRの触媒するoxygen reduction、nitrite reductionの両反応において、NirCに対する親和性が異なること、3)NIRとNirMとの作用に、静電的な力はおおきく影響しないことである。ここから、本菌のNIRは電子供与体と疎水的な力で結合すると考察した。また2)から、こうした親和性の違いは両反応時に、酵素の電子受容部位の立体構造が変化することによるものではないかと考察した。近年、NIRの触媒機構について、構造生物学的立場からの詳細な研究が多く報告されるようになった。NirCの立体構造に関する知見などを得ることで、NIRの反応とconformation変化について、多角的にアプローチできるのではないかと考えている。

審査要旨 要旨を表示する

 硝酸呼吸のうち、硝酸を最終的に亜酸化窒素N2O、あるいは分子状窒素N2にまで還元し、気体として放出するものを脱窒と呼ぶ。細菌の場合、酵素の構造遺伝子をはじめ脱窒に関連した蛋白質をコードする遺伝子は、多くの場合染色体やプラスミド上にクラスターを形成し、近接して存在している。Pseudomonas aeruginosaにおいては、NIRとNORに関連した遺伝子群が隣り合って存在する。NIRに関連する遺伝子はオペロンを形成し、そこには構造遺伝子、NIRに結合し触媒中心となるheme d1の生合成に関与する遺伝子群、NIRへの電子供与体であるcytochrome c551をコードするnirMのほか、c型cytochromeと思われる蛋白をコードする遺伝子nirC、nirNが存在する。

 本研究は、P.aeruginosaのnirオペロン中にある機能不明の遺伝子nirC、nirN産物の機能を特定し、それがNIRの反応にどのように関わっているかを明らかにすることを目的とし、序論、本文5章、総括より構成される。

 序論では研究の背景、過去の研究経過、本研究の目的が書かれている。

 第一章ではnirM、nirC、nirNの欠損株を作製し生育、NIRの発現、活性を調べている。NIRの活性はそれぞれ約20%、40%、80%に低下していたが、直接影響は観察できなかった。NirCはNIRへのheme d1の結合の際に必要であると推定されている。しかしnirC欠損株における酵素活性から、NirCはNIRの成熟化に必ずしも必要ではないと結論した。

 第二章ではNirC、NirNを精製し、機能を解析した。これらのcytochromeとNIRとの電子伝達を調べたところ、NirCはNIRへ電子を伝達し、また、膜画分によってコハク酸依存的に還元された。さらにin vitroで、細胞の電子伝達経路を再構成した実験結果から、NirCの機能はNIRへの電子伝達であると判断できた。

 NirCがNIRへの電子供与体として機能することから、第三章では、NIRとの相互作用について調べた。本菌のNIRはin vitroで、酸素還元活性と亜硝酸還元活性を示す。酸素還元時のNirM、NirCに対するKmは大きな差を示さなかったが、亜硝酸還元時はNirCに対するKmはNirMに対するものより著しく高かった。このような性質を示す相互作用について、NirMを用いて詳しく調べることとした。NIRとの親和性に関わると言われるLys8、Lys10をAspに置換し、NIRの両反応時のKm値を測定した。しかし野生型との差異はみられず、相互作用に蛋白質の電荷は影響しないと結論した。さらにこれらの相互作用は疎水的な力によると思われ、報告されている静電的な力によるものとは異なると考えられた。

 第四章ではこれらのc型cytochromeがcytochrome bc1から直接電子を受け取り、これが唯一の経路であることをコハク酸依存的な還元反応を調べる実験から明らかにした。さらに銅蛋白azurinも、これらのcytochromeをsubstituteできる可能性を示した。

 第五章では転写調節について調べた。転写はNOで促進されるという従来の節に従えば、cytochrome bc1欠損株ではNIRは発現しない。しかしながら本欠損株でNIRは発現し、これはNO2-による制御を受けていることが考えられた。このことから単純に判断すれば、脱窒遺伝子群は少なくともふたつ以上の基質に対応した制御系を持つと言える。

 総括として、本研究で明らかになったことは、1)NirCがNIRへの電子供与体として機能すること、2)NIRの触媒するふたつの反応において、NirCに対する親和性が異なること、3)NIRとNirMとの作用に、静電的な力はおおきく影響しないということであるとしている。ここから、本菌のNIRは電子供与体と疎水的な力で結合すると考察し、また2)から、こうした親和性の違いは両反応時に、酵素の電子受容部位の立体構造が変化することによるものではないかと考察した。近年、NIRの触媒機構について、構造生物学的立場からの詳細な研究が多く報告されるようになった。NirCの立体構造に関する知見などを得ることで、NIRの反応とconformation変化について、多角的なアプローチができる可能性を提唱している。

 以上を要するに本論文は、細菌の脱窒遺伝子群中の機能不明遺伝子の機能の同定およびその産物の単離に成功し、硝酸呼吸系の電子伝達経路および蛋白質間の相互作用について新たな知見を与え、学術上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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