学位論文要旨



No 117209
著者(漢字) 藤島,博史
著者(英字)
著者(カナ) フジシマ,ヒロシ
標題(和) 大腸菌の細胞分裂に関与する遺伝子の研究
標題(洋)
報告番号 117209
報告番号 甲17209
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2405号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 祥雲,弘文
 東京大学 教授 大坪,栄一
 東京大学 教授 徳田,元
 東京大学 助教授 足立,博之
 東京大学 助教授 若木,高善
内容要旨 要旨を表示する

 大腸菌は直径約1μm、縦2μmの桿菌で、細胞が単位細胞長の2倍に伸長したときに、細胞の中央部で分裂する。細胞分裂に関わるこれまでの研究は、分裂装置蛋白質からのアプローチが主流であり、FtsZを軸として解析が進んでいる。FtsZは真核生物のチューブリンと構造的類似性を持ち、通常は細胞質中に分散して存在しているが、細胞分裂開始時に細胞分裂面に集合し、細胞質膜に沿って重合したFtsZリングと呼ばれる収縮環を形成する。その一方で、膜の構造の変化と分裂装置蛋白群の機能的相関や、分裂装置蛋白質の膜への局在過程も細胞分裂を理解する上で重要な課題と思われるが、これまでそうした視点からの解析はなかった。本研究の第一章では、外膜の主要構成成分であるリポ多糖の合成に関与する遺伝子の変異株の解析から、外膜の安定化がFtsZリング形成に重要であることを明らかにした。細胞分裂に与える外膜の役割を明らかにした初めての知見である。第二章では、幾つかの状況証拠から機能未知の遺伝子ftsXが、ABCトランスポーターの膜アンカー部位をコードしていると洞察し、ftsX破壊株を作製して、細胞分裂とマルチスパン型膜蛋白の局在に与える影響を追究した。その結果FtsXはFtsEと共に、SecやSRPなどと全く異なる新しいタイプの膜蛋白局在装置を構成している可能性が強く示唆される知見を得た。

1.外膜構造の変化が細胞分裂に与える影響

1-1 目的

 膜の安定性は、膜蛋白の局在性や細胞外環境からの情報伝達を介して、細胞分裂に大きな影響を与えると考えられる。しかし現在までに、膜構造の変化そのものと、細胞分裂との関係を追究した研究例はない。筆者はリポ多糖の合成に関与する遺伝子kdsAが、分裂にも関与していることを見いだした。KdsAは3-deocy-D-manno-octulosonic acid(KDO)の前駆体であるKDO-8−リン酸の合成酵素をコードする。一方リポ多糖は、リピドAと少糖鎖からなり、KDOは両者のリンカー部位を構成する。またリポ多糖は、外膜総重量の30%も占めている。従って、KDO合成が欠損するとリポ多糖が外膜から欠失するため、膜構造は非常に不安定になると考えられる。本研究では、KdsA変異株の解析から膜の安定性と細胞分裂の共役のメカニズムを追究した。

1-2 7株の細胞分裂の温度感受性変異株はkdsA遺伝子に変異を持つ。

 「広田の温度感受性変異体バンク」の中から、30℃で培養すると正常に増殖し桿菌形態を示すが、41℃では細胞分裂が阻害されて多核フィラメントを形成する変異株430系統(fts)が選別された。この内の7株は、P1ファージマッピングによりtrp::Tn10から1 min、fadR::Tn5から0.76 minの位置に変異を持つことがわかった。この領域には細胞分裂に関与する既知の遺伝子は知られていないので、新規遺伝子と期待し以後の解析を行った。7変異株は、この領域の染色体DNA4.8kbpを保持するプラスミドpLC13-27により相補されたので、さらにサブクローニングを行い、約1kbpのHindIII-PvuII断片を持つプラスミドを得た。シーケンス解析の結果、この1kbp断片にはkdsAと機能未知のオープンリーディングフレーム(orf-X)が互いに逆向きにコードされていることがわかった。どちらが原因遺伝子かを調べるために、部位特異的変異導入法を用いて、KdsAのアミノ酸配列は変化させずにORF-XのN末近辺に終止コドンが導入されるように設計したプラスミドpTN18HXを作製した。このプラスミドは7変異株の温度感受性を相補した。また、変異株のゲノミックDNAの塩基配列の解析から、7変異株は何れもKdsAにアミノ酸置換を起こすミスセンス変異であることがわかった。

1-3 fts830変異はKDO合成と膜の安定性に影響を及ぼす。

 大腸菌のkdsA遺伝子はサルモネラ菌のkdsA変異を相補する予想遺伝子として同定されたものであり、大腸菌の変異株が単離されたのは本研究が始めてのことである。そこでまず7株のうちのfts830についてKDOの合成量を測定した。41℃で培養するとfts830変異株ではKDOの合成量が減少するが、野性株では変わりなかった。従って、変異株では外膜のリポ多糖が減少しているものと思われる。リポ多糖はグラム陰性菌の外膜主要構成成分であり、疎水性物質などの細胞内への進入を防ぐバリアであると考えられている。そこで各種薬剤に対する感受性を、変異株が増殖できる最大温度36℃で解析した。その結果、kdsA変異株では親株と比較してノボビオシン、エオシンYやSDSに対して高い感受性を示した。しかし、メチレンブルーでは逆に生育が活性化された。このことからkdsA変異により、単に外膜が病的に不安定になっているというより、リポ多糖の欠失は細胞外環境からのシグナル伝達に影響を与えているものと思われる。

1-4 kdsA変異株の細胞分裂の欠損はリポ多糖の欠失による。

 次に、kdsA変異によりKDOが合成されないと、細胞分裂が停止する原因を検討した。一般にリポ多糖合成系の各種変異株では細胞増殖が阻害されるが、リピドAをペリプラズムに輸送するABCトランスポーターであるMsbAを過剰発現すると増殖が回復することから、リピドAが細胞質膜に蓄積することが増殖阻害の原因と考えられている。そこでMsbAをkdsA変異株内で過剰発現させたところ、細胞分裂の欠損が回復した。しかしコロニー形成能は回復しなかった。また、リポ多糖合成の最初の段階を触媒する酵素の変異株(lpxA-)ではリピドAの蓄積が生じないにも関わらず細胞分裂の欠損が確認された。従ってリピドAの蓄積により細胞分裂の欠損が生じるのではなく、リポ多糖が外膜から欠失するために分裂が阻害されると結論した。分裂だけが回復したのはリピドAがペリプラズムに移行したことで多少なりとも膜が安定化したためと思われる。

1-5 kdsA変異はFtsZリング形成を阻害する。

 kdsA変異株により、分裂面に括れのないフィラメント細胞が形成されることから、細胞分裂の初期の過程で停止していると予想し、FtsZに着目した。まず41℃で培養したkdsA変異株のftsZ-mRNA量を逆転写競合PCR法により、またFtsZ蛋白量をウェスタンブロッティング法により測定したが、どちらも親株の場合と変わりなく合成されていた。更に、間接蛍光抗体法を用いてFtsZの局在を観察した。41℃で培養した変異株では、FtsZはフィラメント細胞の多数の予定分裂部位のいずれにも殆ど検出されなかった。細胞分裂後期で機能するFtsIの変異株では、全ての予定分裂部位にFtsZが検出された。kdsA変異株ではFtsZリング形成過程に異常が生じているか、またはFtsZの局在に必要な因子の転写がkdsA変異の影響を受けるため結果的にFtsZリングの形成が阻害されるものと考えられる。FtsZが細胞質蛋白であることやkdsA変異が各種薬剤に対して必ずしも感受性ではなく逆に増殖が活性化される場合もあることなどを考慮すると後者の可能性が示唆される。リポ多糖が外膜から欠失すると、リン脂質層が細胞表面に露出すると考えられるが、このリン脂質が細胞外環境からのシグナル伝達に関与している可能性が考えられる。今後DNAチップを用いた原因遺伝子の探索を検討している。

2.ftsX遺伝子はマルチスパン型膜蛋白の膜局在に影響を与える。

2-1 目的

 ftsYEXオペロンの内、FtsYは、真核生物のシグナル認識因子のレセプターと相同性を持ちOmpFなどの膜蛋白質の膜局在に関与している。FtsEは、K+−ポンプを構成する膜蛋白質の内、10個以上の膜貫通領域を持つ蛋白(KdpA,Kup,TrkH)の局在に関与している。しかしFtsXについては、変異株もなくその機能は全く知られていない。PDB PSI-BLASTを用いた構造予測からFtsEはABCトランスポーターのモーター部分、FtsXは膜蛋白であることが強く示唆されたので、FtsXはABCトランスポーターの膜アンカー部位に相当するのではないかと予測し、本研究「ftsXの遺伝子破壊株が、細胞分裂と、マルチスパン型K+−ポンプ蛋白の膜局在に与える影響」の解析を行った。

2-2 ftsX破壊株の作製と分裂に与える影響

 ftsX破壊株の作製にあたっては、まず「ftsXの上流及び下流約1kbpの間にcat遺伝子を挿入した線状DNA」を、recBC sbc株に導入し、相同組換えにより染色体上のftsXを完全にcat遺伝子に置換したΔftsX::cat株を作製した。次に「ftsXがアラビノースプロモーターで制御されるように設計したプラスミド」で形質転換した野性株に、上記のΔftsX::catを、P1ファージを用いて形質導入した株ΔftsX::cat/Para(ftsX+)を作製し以後の解析を行った。アラビノースを含む培地では正常に増殖するが、グルコースに置き換えると、プラスミド上のFtsXの発現が抑制され、約2時間で培養液の濁度の増加が低下し始めた。この時、細胞分裂も停止し、ftsE(ts)株と類似のフィラメント細胞となった。

2-3 ftsX破壊株におけるK+−ポンプの局在

 FtsXがFtsEと同様にマルチスパン型のK+−ポンプ蛋白の膜局在に関与しているかどうか検討するために、「KdpA-PhoA及びKdpD-PhoAがIPTGで制御されるように設計したプラスミド」で、上記ftsX破壊株をさらに形質転換した株ΔftsX::cat/Para(ftsX+)Ptac(kdpA-phoA or kdpD-phoA)を作製した。IPTG存在下でアラビノースからグルコース培地に置き換えて培養した後、膜画分を回収し、抗PhoA抗体を用いてウェスタンブロッティングを行った。その結果、FtsXが減少すると、ftsE(ts)株の場合と同様に、12回膜貫通領域を持つKdpAは膜画分から減少するが、2回膜貫通のKdpDは変化なく存在することがわかった。以上の結果から、ftsXはftsEと共にマルチスパン型の蛋白の膜局在に関与していることが強く示唆された。今後は細胞分裂装置に含まれるマルチスパン型蛋白FtsWの膜局在について解析を行う予定である。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、大腸菌の細胞分裂についての遺伝学的研究に関するもので二章及び総合討論からなる。

 大腸菌の膜構造の変化と分裂装置蛋白群の機能的相関や、分裂装置蛋白質の膜への局在過程について、二つの遺伝子の解析することにより大腸菌細胞分裂の研究を行った。

 第一章では、「広田の温度感受性変異体バンク」のうちの、41℃で細胞分裂が阻害されて多核フィラメントを形成する変異株430系統(fts)からリポ多糖の合成に関与する遺伝子、kdsAの変異株を単離し、膜の安定性と細胞分裂の共役のメカニズムを解析した結果について述べている。リポ多糖の合成に関与する遺伝子kdsAは3-deocy-D-manno-octulosonic acid(KDO)の前駆体であるKDO-8−リン酸の合成酵素をコードする。大腸菌においてはkdsA遺伝子の変異株が単離されたのは本研究が始めてのことである。このため、実際にKDOの合成量についてfts830変異株を用いて親株と比較検討している。fts830変異株では親株と比較してKDO合成量が低下していた。

 一方リポ多糖は、リピドAと少糖鎖からなり、KDOは両者のリンカー部位を構成する。またリポ多糖は、外膜総重量の30%も占めている。従って、KDO合成が欠損するとリポ多糖が外膜から欠失するため、膜構造は非常に不安定になると予想し、外膜の安定性について各種疎水性薬剤を用いて解析した。その結果、ノボビオシン、SDS、エオシンYなどには感受性を示したがメチレンブルーに対しては逆に生育が回復することが判明した。リポ多糖の欠失は細胞外環境からのシグナル伝達に影響を与えているものと考えられる。

また、リポ多糖合成系の変異株では細胞増殖が阻害されることから、kdsA変異株の細胞分裂阻害が生じる原因について解析した。リピドAをペリプラズムに輸送するABCトランスポーターであるMsbAを過剰発現させるとkdsA変異株の細胞分裂欠損が回復した。さらに、リピドAの蓄積が生じないlpxA変異株においても細胞分裂の欠損が確認された。従ってリピドAの蓄積により細胞分裂の欠損が生じるのではなく、リポ多糖が外膜から欠失するために分裂が阻害されると考えられる。

 kdsA変異株は細胞分裂の初期の過程で停止していると予想してFtsZに着目し、FtsZ蛋白量をウェスタンブロッティング法により測定したが、親株の場合と変わりなく合成されていた。また、間接蛍光抗体法を用いてFtsZの局在を観察したところ、41℃で培養した変異株では、FtsZはフィラメント細胞の多数の予定分裂部位のいずれにも殆ど検出されなかった。細胞分裂後期で機能するFtsIの変異株では、全ての予定分裂部位にFtsZが検出された。この結果は、外膜の安定性が細胞分裂装置構築過程に重要であることを示しており、外膜が不安定になることで、FtsZの局在に必要な因子の転写が影響を受けていることが考えられる。

 第二章では、大腸菌ftsX遺伝子破壊株を作製し、細胞分裂と、マルチスパン型K+-ポンプ蛋白の膜局在に与える影響についての解析結果について述べている。ftsX破壊株、ΔftsX::cat/Para(ftsX+)はアラビノースを含む培地で培養すると正常に増殖するが、グルコースに置き換えると、FtsXの発現が抑制され、約2時間で培養液の濁度の増加が低下し始めた。この時、細胞分裂も停止し、ftsE(ts)変異株と類似のフィラメント細胞となった。また、ftsX破壊株においてFtsZリング形成について観察したところ、ほとんどのフィラメント細胞ではFtsZリングが形成されておらず細胞分裂装置蛋白質の膜局在に影響していることが考えられる。

 FtsXがFtsEと同様にマルチスパン型のK+-ポンプ蛋白の膜局在に関与しているかどうか検討するために、ftsX破壊株をさらに形質転換した株ΔftsX::cat/Para(ftsX+)Ptac(kdpA-phoA or kdpD-phoA)を作製した。IPTG存在下でグルコース培地で培養した後、膜画分を回収し、抗PhoA抗体を用いてウェスタンブロッティングを行った。その結果、FtsXが減少すると、ftsE(ts)株の場合と同様に、KdpAは膜画分から減少するが、KdpDは変化なく存在することがわかった。以上の結果から、ftsXはftsEと共にマルチスパン型の蛋白の膜局在に関与していることが示唆された。

 以上、本論文は大腸菌細胞分裂に関して分裂装置の構築過程という今まで研究例の少ない視点から解析した結果をまとめたものであり、細胞分裂機構を解明する上で、学術上寄与する部分が少なくない。

 よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値のあるものであると認めた。

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