学位論文要旨



No 117210
著者(漢字) 李,行錫
著者(英字)
著者(カナ) イ,ヘンソク
標題(和) 酵母を用いた内分泌撹乱活性を有する化学物質の検出系の構築とその応用に関する研究
標題(洋)
報告番号 117210
報告番号 甲17210
学位授与日 2002.03.00
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2406号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 教授 五十嵐,泰夫
 東京大学 教授 加藤,茂明
 東京大学 助教授 中島,春紫
 東京大学 助教授 堀内,裕之
内容要旨 要旨を表示する

 内分泌撹乱物質は、生体内のホルモンの作用に影響を与え、内分泌系を撹乱する外因性の化学物質である。その作用機構としては、ホルモン受容体の結合部位を占領することにより生体内ホルモンを模倣するような作用を持つこと、ホルモンとの競合によりその作用を妨害すること、ホルモンの合成あるいは代謝酵素の作用を阻害してその濃度を変化させることなどが挙げられる。このような結果として、特に性ホルモンによる調節系を乱してヒトや野生生物の生殖に悪影響が引き起こされることが社会的な関心を集め、広範な化学物質のモニタリングが計画されている。

 人類は1500万種にものぼる化学物質を合成し、あるいは分離・同定してきた。そして現在約10万種程度の化学物質が商業的に利用されている。これらの化学物質のうち、これまでに有機塩素化合物、工業化学成品、農薬類、重金属及び有機金属、有機臭素化合物、植物エストロゲン及び合成エストロゲン等を含む約数十種の化合物が内分泌撹乱物質として考えられ、あるいは疑われている。しかしながら、他の大部分の化合物については、それらが内分泌撹乱作用を持つのかどうかということについて十分な知見が得られていないのが現状である。従って、それら化学物質の内分泌撹乱作用を評価するための迅速かつ簡便な検出系の確立は極めて重要である。

 そこで本研究においては、核内ホルモン受容体の特徴であるリガンド依存的な標的遺伝子の転写活性化機構を利用したエストロゲン様化合物の検出法として、ヒトエストロゲン受容体(hERα,hERβ)を導入した酵母Saccharomyces cerevisiaeとYarrowia lipolyticaを用いた内分泌撹乱物質検出系の構築を試みた。

1.hERリガンド結合領域(LBD)とコアクチベーター(転写共役因子)を用いた酵母two-hybrid systemによる内分泌撹乱物質の検出系の構築

 hERαとhERβのリガンド結合領域に含まれる転写活性化領域AF-2を介して転写を強く活性化するためにはERと基本転写装置を仲介するコアクチベーターが必要であることが知られている。そこでGAL4DNA結合領域(DBD)-hER LBD融合タンパク質とGAL4転写活性領域(TAD)-コアクチベーター(AIB1,SRC1,TIF2)融合タンパク質を酵母S.cerevisiae中で発現させ、染色体上に組み込んだreporter gene(lacZ)の発現をモニターすることによりヒトERαとERβのligand依存的な転写活性化を測定するエストロゲン様物質に特異的な検出系を構築した。天然ホルモン(17β-estradiol(E2))を酵母の培養液に添加し、種々のコアクチベーターを同時に発現させた場合の転写活性化能の違いについて検討した結果、hERα LBDにおいてはTIF2>SRC1>AIB1の順に、hERβLBDに関してはSRC1>TIF2>AIB1の順に高い転写活性化能が認められた。その中でも特に、hERβLBD-SRC1の組み合わせにおいて最も高い転写活性化が見られた。そこで、hERβLBDとSRC1の系を用いて種々の天然エストロゲン、合成エストロゲン、有機塩素化合物、工業用化合物および農薬類などの物質に対するエストロゲン様活性化について検討したところ、本検出系により広範なエストロゲン様活性を持つ物質を迅速かつ簡便に検出することができることが明らかとなった。また、本検出系により、既存のrat ERαを用いた酵母two-hybrid systemで判定できなかったいくつかの内分泌撹乱物質や、環境省が発表した内分泌撹乱作用を有すると疑われる化学物質のリスク(SPEED'98)に含まれない物質がエストロゲン様活性を持つ可能性を示した。

2.hERβLBD-SRC1の組み合わせを用いたγ-HCHとその中間代謝産物に対するエストロゲン様活性の測定

 内分泌撹乱物質による環境汚染を除去する為の方法として微生物によるそれらの物質の分解は有力と考えられる。しかしながら、微生物分解系を構築するにあたって、環境汚染物質の微生物分解物のエストロゲン様活性について評価する必要がある。内分泌撹乱物質として知られるγ-HCHは土壌細菌Sphingomonas paucimobilisによって分解される。γ-HCHはlinA、linB、linCとlinDなどの遺伝子産物によって2,5-dichlorohydroquinon(2,5-DCHQ)、chlorohydroquinone(CHQ)とhydroquinone(HQ)の順に変換される(1)。これらの中間代謝産物のエストロゲン様活性をhERβLBD-SRC1の組み合わせを用いた系で測定した。γ-HCHの中間代謝産物である2,5-DCHQとCHQはγ-HCHより高いエストロゲン様活性を示したが、更にHQまで代謝されるとエストロゲン様活性を殆ど示さないことが明らかとなった。この結果からγ-HCHによる汚染の解決策として上記微生物による分解が有力な方法であることが確認された。

3.hERβLBD-SRC1の組み合わせを用いた新たなアンタゴニストの検出

 先に述べたように、内分泌撹乱物質にはホルモンとの競合によりその作用を妨害する、いわゆるアンタゴニストとしての作用をもつものも含まれる。この場合、それらの物質は受容体のホルモン結合部位に拮抗的に結合するが本来のホルモンとは異なるコンフォメーション変化を引き起こし、受容体の活性化は行わないと考えられる。そこで本検出系により内分泌撹乱物質のアンタゴニストとしての活性が検出できるか検討した。hERβLBD-SRC1を導入した酵母を天然ホルモンであるE2に加えエストロゲン受容体のアンタゴニストとしてよく知られている4-hydroxytamoxifen(OHT)やICI 182,780を含む培地で培養したところE2による転写促進活性が阻害された。このことから本系によりアンタゴニストとしての活性を持つ化合物が検出できることが明らかとなった。

 更に種々の化合物について同様に検討を行ったところ、これまでアンタゴニストとしては知られていなかった有機スズTBT-OHとTPT-C1が、アンタゴニストとしてよく知られているOHTやICI182,780よりも強力なアンタゴニストとしての作用を持っていることが明らかとなった。

4.hERα全長とコアクチベーターを用いた内分泌撹乱物質の検出系の構築

 核内レセプタータンパク質が転写制御因子として転写を促進する場合には、複数の領域が関与している。転写促進に関わる領域は、リガンド依存的に転写を促進するリガンド領域(E領域のAF-2)のほかにも、N末端側に位置するA/B領域にも転写を促進する能力が存在することが知られている(AF-1)。そこで、hERα全長とコアクチベーターとの相互作用を用いた内分泌撹乱物質の検出系の構築を試みた。

 hERαを、GAL4 TAD-コアクチベーター(SRC1、TIF2)と共に酵母S.cerevisiaeに導入し、染色体上に組み込んだレポーター遺伝子(lacZ)の発現を測定するというエストロゲン様物質検出系を構築した。1で構築したhERβ-SRC1の組み合わせを用いた系と比較した場合、天然ホルモンおよび種々の内分泌撹乱物質を1オーダーまたは2オーダー低い濃度で検出できることが明らかとなった。この結果から、本検出系は低濃度の内分泌撹乱物質のホルモン様活性を感度良く評価できる検出系であることが明らかとなった。

5.n-アルカン資化性酵母Y.lipolyticaを用いた内分泌撹乱物質の検出系の構築

 アルカン資化性酵母であるY.lipolyticaは、通常の酵母の生育を阻害する疎水性物質に耐性であり、また疎水性化学物質の高い取り込み能を持つ酵母である。そこでY.lipolyticaを宿主として用いることで内分泌撹乱物質の高感度検出系が構築できるものと期待された。まず、レポーター遺伝子としてはlacZを飯田(2)らにより単離されたチトクロームP450 ALK1遺伝子のコアプロモーターに連結し、さらにその上流にEREs(estrogen response element sequence)を1コピーあるいは2コピー連結してY.lipolyticaの染色体上のURA3領域に組み込んだものを用いた。また、hERαはY.lipolyticaの翻訳伸長因子EF-1αをコードするTEF1遺伝子のプロモーターに連結してY.lipolyticaに導入し用いた。種々の内分泌撹乱物質のエストロゲン様活性化について検討したところ、レポーター遺伝子の発現レベルは先のS.cerevisiaeの系より低いが、本検出系により広範なエストロゲン様物質を検出することができることが明らかとなった。

6.まとめ

 本研究で構築した検出系により広範な内分泌撹乱物質を検出することができ、その有用性が明らかとなった。

 hERには二つのサブタイプ(hERαとhERβ)が存在する。ERβの生理的機能については、ERαとの類似性を有する一方で、相違点も多く、その原因として発現部位の差に加え、アミノ酸構造の差によるものが考えられる。hERαとhERβは同様のligand E2に対する高い結合能を有するが、各種エストロゲン様物質に対する特異性は必ずしも同一でないことが本研究により明らかとなった。従って、内分泌撹乱物質の検出系を構築する際にERαだけではなく、ERβの利用を考慮しなければならないと考えられる。本研究で構築したヒトのERβを用いた検出系は内分泌撹乱活性を有する化合物のモニタリングに大いに有用なものとなると期待される。

1.Miyauchi, K., Suh, S.K., Nagata, Y., and Takagi, M.(1998)Cloning and sequencing of a 2,5-dichlorohydroquinone reductive dehalogenase gene whose product is involved in degradation of γ-hexachlorocyclohezane by Sphingomonas paucimobilis. J. Bacteriol. 180, 1354-1359

2.Iida, T., Ohta, A. and Takagi, M.(1998)Cloning and characterization of an n-alkane-inducible cytochrome P450 gene essential for n-decane assimilation by Yarrowia lipolytica. Yeast 14, 1387-1397

審査要旨 要旨を表示する

 人類は多数の化学物質を合成して様々な用途に利用してきた。これらのうち、約数十種の化合物が内分泌撹乱物質として疑われている。しかしながら、他の大部分の化合物については、それらが内分泌撹乱作用を持つのかどうかということについて十分な知見が得られていないのが現状である。従って、それら多数の化学物質の内分泌撹乱作用を評価するための迅速かつ簡便な検出系の確立は極めて重要である。

 本論文は、核内ホルモン受容体の特徴であるリガンド依存的な標的遺伝子の転写活性化機構を利用したエストロゲン様化合物の検出法として、ヒトエストロゲン受容体(hERαあるいはhERβ)を導入した酵母を用いた内分泌撹乱物質検出系を構築したものである。

1.hERリガンド結合領域(LBD)とコアクチベーターを用いた酵母two-hybrid systemによる内分泌撹乱物質の検出系

 hERαとβのLBDに含まれる転写活性化領域のAF-2を介して転写を強く活性化するためにはERと基本転写装置を仲介するコアクチベーターが必要である。そこでGAL4 DNA結合領域(DBD)とhER LBD融合タンパク質、またGAL4転写活性領域(AD)とコアクチベーター(AIB1, SRC1, TIF2)融合タンパク質を酵母Saccharomyces cerevisiae中で発現させ、染色体上に組み込んだレポター遺伝子(lacZ)の発現をモニターするエストロゲン様物質の検出系を構築した。17β-estradiol(E2)を酵母の培養液に添加し、種々のコアクチベーターを同時に発現させた場合、hERβLBDとSRC1の組み合わせにおいて最も高い転写活性化が見られた。そこで、種々の内分泌撹乱物質のエストロゲン様活性化について検討し、本検出系は広範なエストロゲン様活性を持つ物質の検出に有効であると言う結果を得ている。

 この系を用い、内分泌撹乱物質として知られるγ-HCHが土壌細菌Sphingomonas paucimobilisによって分解される際の中間代謝産物2,5-dichlorohydroquinonとchlorohydroquinoneはγ-HCHより高いエストロゲン様活性を示したが、更にhydroquinoneまで代謝されるとその活性がなくなることを明らかとしている。

 さらに、有機スズTBTとTPTにhERアンタゴニストとしてよく知られているOHTとICI182,780よりも強力なアンタゴニスト作用を示唆した。これは有機スズの作用に関わる重要な指摘と言える。

2.hERα全長とコアクチベーターを用いた内分泌撹乱物質の検出系の構築

 hERα全長には転写制御因子としてA/B領域のAF-1とLBDのAF-2が存在する。そこで、hERα全長をGAL4 LBDとの融合タンパク質と、GAL4 ADとコアクチベーターSRC1、またTIF2との融合タンパク質を酵母で発現させる検出系を構築した。hERαの全長を用いたone-hybrid systemとtwo-hybrid systemは、本来hERがもっている機能を利用した検出系である。すなわち、AF-2とコアクチベーターの相互作用のみならず、AF-1とAF-2との機能的な相互作用やAF-2以外の領域と基本転写因子群との何らかの相互作用などを用いたものである。1で構築したhER LBDとコアクチベーターを用いた系と比較した場合、天然ホルモンおよび種々の内分泌撹乱物質を1オーダまたは3オーダ低い濃度で検出できることが明らかとした。この結果から、低濃度の内分泌撹乱物質のホルモン様活性を迅速かつ簡便に評価できる検出系であることを示している。

3.n-アルカン資化性酵母Yarrowia lipolyticaを用いた内分泌撹乱物質の検出系の構築

 疎水性物質の親和性を持つ酵母Y.lipolyticaを宿主として用いることで内分泌撹乱物質の高感度な検出系が構築できるものと期待し、レポーター遺伝子としてはlacZをチトクロームP450 ALK1遺伝子のコアプロモーターに連結し、さらにその上流にEREを2コピー連結してY.lipolyticaの染色体上のURA3領域に組み込んだものを構築した。本検出系によりエストロゲン様物質を検出することが出来ることを明らかとした。

 以上、本論文は内分泌撹乱物質の新規酵母検出系を構築し、その有用性を示したものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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