学位論文要旨



No 117214
著者(漢字) 梅田,達也
著者(英字)
著者(カナ) ウメダ,タツヤ
標題(和) TOR情報伝達経路の活性制御機構の解析
標題(洋)
報告番号 117214
報告番号 甲17214
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2410号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 豊島,近
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 助教授 加藤,久典
 東京大学 助教授 反町,洋之
 東京大学 助教授 前田,達哉
内容要旨 要旨を表示する

I.はじめに

 細胞増殖においては、細胞の成長と分裂は協調的に行われる必要がある。そのため、細胞は、外界の栄養状態を検知し、細胞増殖を完遂するのに十分な蛋白質合成を行うことが可能かどうかを判断し、蛋白質翻訳装置を制御しなければならない。T細胞の増殖を阻害する免疫抑制剤ラパマイシンの標的分子として同定されたTORは、この翻訳装置の制御機構への関与が強く示唆されている情報伝達因子で、PI3キナーゼ様の触媒ドメインを持つプロテインキナーゼである。細胞の置かれた環境の栄養源の欠乏やラパマイシン処理により、翻訳開始因子eIF-4Eの阻害因子4E-BP1やリボソーム蛋白質S6をリン酸化するS6キナーゼのリン酸化状態が低下することから、TORはこれらの翻訳制御因子の調節を介して翻訳過程を制御していると考えられる。また、TORが哺乳類ではα4、出芽酵母ではTap42pという相同な蛋白質を介してプロテインホスファターゼ2Aの機能を調節していることも示唆されている。これらの標的経路の解析から、TORが翻訳過程、さらには細胞増殖を制御する機構についての知見が得られることが期待される。これに対し、外界の栄養状態によってTOR自身の機能がどのように制御されているかについては、これまで全く明らかにされていない。

 真核微生物である酵母にもTORの相同蛋白質Tor1p/Tor2pが存在し、哺乳類のTORと同様な働きをしていることが示されている。本研究では、遺伝学的解析の容易な酵母をモデル系として、TOR経路の活性制御機構を明らかにすることを目的とした。

II.結果・考察

1.ラパマイシン非感受性型Tap42pの単離および解析

 野生株酵母にTor2pを過剰発現させても生育に影響はなかったのに対し、Tor2pの活性中心変異体を過剰発現させたところ著しく成長が抑制されたことなどにより、TORの活性を制御する因子の存在が示唆された。次に、栄養源の欠乏によっても不活性化されない恒常的活性化型Tor2pの単離を試みた。実験は、PCRによりランダムに変異を導入した変異TOR2ライブラリーを野生株酵母に導入し、栄養飢餓状態で生存率が急激に低下する株のスクリーニングを行った。なおPCRは、適当な頻度で変異が導入されると思われる条件を、ラパマイシン非感受性変異型TOR2の生じる頻度などを指標に検討した。しかし、約11万の変異クローンをスクリーニングしたが、有望な変異体を単離することはできなかった。

 そこでTORの下流因子であるTap42pに注目し、恒常的活性化型Tap42p、すなわちラパマイシン非感受性型Tap42pを、同様な手法を用いることにより単離することを試みた。約12万の変異クローンをスクリーニングしたところ、高発現したときに限りラパマイシンに対する抵抗性を付与し、アミノ酸配列の異なる18クローンを得ることに成功した。これらのクローンは全てC末端領域に欠損、もしくは点変異を持つという共通の特徴を有することより、この領域がTORによる活性調節に重要な役割を担っていることが推測された。また、これらのラパマイシン非感受性型TAP42は、tap42破壊株の致死性を相補できないことが明らかになった。したがって、変異型Tap42pの高発現によるラパマイシン非感受性は、ラパマイシン存在下においてTap42pの活性を抑制する機構から内在性のTap42pを解放することにより付与されると考えられる。

2.ラパマイシン非感受性型TAP42を用いたTOR経路上流因子の同定

 ラパマイシン非感受性型TAP42を用いてTOR経路の上流で活性を制御する因子のスクリーニングを行った。その原理は次のとおりである。TORの活性を制御する因子が欠損した株は、ラパマイシン処理した時と同様にTORが細胞増殖に必要な活性を発揮できないために生育できない。しかし、ラパマイシン非感受性型Tap42pを発現した細胞は、ラパマイシン処理下でも生育できるのと同様、TORの活性制御因子が欠損しても生育を回復させることができると考えられる。すなわち、ラパマイシン非感受性型Tap42pが発現しているときに限り生育できるような変異株は、TOR経路の上流因子の欠損変異株であることが期待される。このことを利用して、以下のような方法で上流因子の変異株を単離することを試みた。上で得られた変異型TAP42のうち、ラパマイシン非感受性の強いTAP42-W348*、あるいはTAP42-R295*(*は終止コドンに変化したアミノ酸の番号)を持つプラスミドを形質転換した株を、変異原EMS(Ethyl Methanesulfonate)で処理することでゲノムにランダムに突然変異を誘起し、このプラスミドを失っては生育できなくなるような変異株をスクリーニングした。生存率約25%の変異株プールから約7.3万クローンをスクリーニングしたところ、プラスミド依存的な生育を示す18クローンを得ることに成功した。相補性試験などの結果から、これらの変異は全て劣性であること、相補性群は5つ以上あることなどが判明した。これらの変異には野生型Tap42pを高発現した時にもその致死性が回復するものも含まれていた。

 次に、単離された変異株にゲノムライブラリーを形質転換し、その変異を相補する遺伝子のクローニングを試みた。すなわち、ラパマイシン非感受性型Tap42pの高発現なくしても生育の戻る形質転換体をスクリーニングした。その結果、これらの変異株を相補する遺伝子、LST8、DBF2、およびTRS31を同定した。Lst8pはWD-repeatからなる蛋白質で、栄養源としてアミノ酸を取り込むアミノ酸トランスポーターGap1pの細胞表面への輸送を司る蛋白質であり、その破壊株は致死であることが知られている。またDbf2pは核分裂後期(anaphase/telophase)で働くSerine/Threonine細胞周期キナーゼであり、dbf1もしくはdbf20との二重破壊株で致死であると報告されている。さらにTrs31pは、ERからGolgiへの小胞輸送におけるTransport Protein Particle I (TRAPPI)複合体と、Golgiにおける膜の輸送Transport Protein Particle II (TRAPPII)複合体の両方に関わる構成因子であり、その破壊株は致死であることが知られている。同定された3つの遺伝子のうち、LST8遺伝子の産物は、アミノ酸トランスポーターの膜輸送に関わっていることから栄養因子情報伝達への関与が示唆されること、またアミノ酸トランスポーターの輸送に関連した他の遺伝子群と異なり増殖に必須であること、さらに哺乳類の相同分子がインシュリンの刺激により発現量が上がることなどから最も機能的に重要と思われ、この遺伝子に注目して以下の実験を行った。

3.TOR経路活性化におけるLst8pの機能の解明

 はじめに、LST8遺伝子の破壊株を作成した。lst8破壊株は致死のため、LST8をプラスミドとして形質転換した。この株に、スクリーニングに用いたラパマイシン非感受性TAP42(TAP42-W348*、もしくはTAP42-R295*)を形質転換した後、LST8プラスミドなくしても生育が可能であるか否かを解析した。その結果、ラパマイシン非感受性Tap42pを高発現した場合に限り、lst8破壊株の致死性を抑圧することが判明した。このことは、Lst8pの欠損による増殖阻害がTap42pの活性化により回復することを示している。このことから、Lst8pは、Tap42pの上流、おそらくTORよりも上流で機能していることが推測された。

 そこで、Lst8pがTOR経路に及ぼす効果を検討するため、温度感受性lst8のスクリーニングを行った。変異TAP42ライブラリーの作成と同様、PCRによってランダムに変異を導入した。約5.2万クローンのスクリーニングから19クローンを温度感受性lst8として得ることに成功した。

 得られた温度感受性lst8を持つ株を作製し、制限温度下においてこの蛋白質が機能しなくなった場合にTOR経路に及ぼす影響を検討している。具体的には、TOR経路を介してその存在量、活性が制御されているアミノ酸トランスポーターTat2pやGap1p、またTORによりリン酸化状態が制御されているオートファジー制御因子Apg13pや転写因子Gln3pに及ぼす効果を指標に、TOR経路の活性化状態を評価できる。

III.まとめ

 本研究では、外界の栄養条件による細胞の翻訳や増殖、自食作用の制御において重要な役割を果たすTOR情報伝達経路の活性制御機構を、酵母の整備された遺伝学的手法を駆使して明らかにすることを目指した。その結果、アミノ酸トランスポーターが環境の栄養状態によってゴルジ体から細胞膜へと小胞輸送される過程において必須な機能を担う蛋白質Lst8pを、TOR経路活性制御因子の候補として同定した。今後は、これまでの遺伝学的な解析から得られた知見を生化学的に検討することで、TOR自身の活性制御機構の解明に迫りたいと考えている。また得られた知見を哺乳類に応用することでこの複雑なTOR経路の制御機構について明らかにしたい。

審査要旨 要旨を表示する

 免疫抑制剤ラパマイシンの標的分子として同定されたTORは、翻訳制御をはじめとする飢餓応答反応への関与が強く示唆されているプロテインキナーゼである。しかし、環境の栄養状態によってTOR自身の活性と機能がどのように制御されているかについては、これまで全く明らかにされていない。真核微生物である酵母にもTORの相同蛋白質Tor1p/Tor2pが存在し、哺乳類のTORと同様な働きをしていることが示されている。本研究は、遺伝学的解析の容易な酵母をモデル系として、TORの活性制御機構の解析を行ったもので、5章と総括より構成されている。

 第1章では、序論として本研究の背景を述べ、この分野での位置づけを明らかにしている。

 第2章では、栄養源の欠乏によっても不活性化されない恒常的活性化型TOR2の単離の試みについて述べている。求める変異は得られなかったものの、ラパマイシンとの結合に必要なドメインとは異なった場所に変異を持ちながらラパマイシンに対して非感受性を示す、新しい変異型TOR2を単離し、その非感受性獲得機構について論じている。

 第3章では、TORの標的因子であるTap42pに注目し、ラパマイシン非感受性型TAP42の単離と解析について述べている。スクリーニングにより、高発現したときに限りラパマイシンに対する非感受性を付与する18種の変異を得ている。これらの変異は全てC末端領域に欠失、もしくは点変異を持つという共通の特徴を有することより、この領域がTOR経路による活性制御に重要な役割を担っていることが示唆された。また、これらのラパマイシン非感受性型TAP42は、tap42破壊株の致死性を相補することができなかった。このことから、変異型TAP42の高発現によるラパマイシン非感受性は、ラパマイシンの存在下においてTap42pの活性を抑制する機構から、内在性のTap42pを解放することによるというモデルを提案している。

 第4章では、ラパマイシン非感受性型TAP42を用いてTORの上流因子のスクリーニングを行っている。ラパマイシン非感受性型TAP42プラスミドを形質転換した株から、このプラスミドを失っては生育できなくなるような変異株を18株得ている。相補性試験などの結果から、これらの変異は全て劣性であること、相補性群は5以上あることなどを明らかにした。次に、得られた変異を相補する遺伝子のクローニングを試み、LST8、DBF2、およびTRS31を同定した。Lst8pはWD-repeatからなる蛋白質で、アミノ酸トランスポーターGap1pの栄養状態に応じたターゲッティングに異常をきたす変異として同定されており、遺伝子破壊株は致死であることが知られている。またDbf2pは細胞周期の核分裂後期(anaphase/telophase)で働くSer/Thrキナーゼであり、その破壊株は致死ではないと報告されている。さらにTrs31pは、ERからGolgi、およびGolgi間の小胞輸送における輸送複合体の構成因子で、その破壊株は致死であることが知られている。同定された3つの遺伝子のうち、LST8遺伝子の産物に栄養因子情報伝達への関与が強く示唆される。

 第5章では、TOR経路活性化におけるLst8pの機能の解明を行っている。lst8破壊株を作製し解析したところ、ラパマイシン非感受性型TAP42を高発現した場合に限り、この遺伝子破壊株の致死性が抑圧されることが判明した。このことは、Lst8pの欠損による増殖阻害が、Tap42pの活性化により回復することを示している。このことから、Lst8pがTap42pの上流、おそらくTORよりも上流で機能していることが示唆される。次に、温度感受性lst8変異株の単離を試み、19株を得ている。得られた温度感受性lst8株を制限温度下に移し、Lst8pの機能が欠損した場合にTOR経路の活性化状態に及ぼす影響を検討している。具体的には、TOR経路に応答して量と活性が制御されているアミノ酸トランスポーターGap1p、またリン酸化状態が制御されているオートファジー制御因子Apg13pに及ぼす効果を指標に用いている。Gap1pはTORの活性化状態では分解されて量が減少するが、栄養飢餓やラパマイシン処理によりTORが不活性化されると増加することが報告されている。温度感受性lst8株は、非制限温度下においても、また制限温度下においてもGap1pの量が増加していた。Apg13pはTORが活性化状態にあるとリン酸化されているが、TORが不活性化状態にあるとリン酸化レベルが低下するとされている。温度感受性lst8株は、制限温度下で若干の脱リン酸化が検出された。また、ラパマイシンの添加によりApg13pの量に大幅な減少が観察された。Gap1p、Apg13pいずれも、lst8株においてTOR経路の活性状態が低下していると考えられる挙動を示したが、制限温度下に移したことによる劇的な変化を観察することはできなかった。Lst8pによるTOR経路への影響は複雑な機構によるものであると考えられる。

 総括では、本研究の結果を要約して、成果を哺乳類を含む相同経路の解析へ展開する可能性について論じている。

 以上、本論文は、TOR経路の情報伝達因子の恒常的活性化型変異を単離し、これを用いてこれまで未知であったTORの活性制御機構について解析したもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値のあるものと認めた。

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