学位論文要旨



No 117220
著者(漢字) 高久,洋暁
著者(英字)
著者(カナ) タカク,ヒロアキ
標題(和) 酵母Candida maltosaのシクロヘキシミド耐性を誘導する分子機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 117220
報告番号 甲17220
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2416号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 教授 祥雲,弘文
 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 助教授 吉田,稔
 東京大学 助教授 堀内,裕之
内容要旨 要旨を表示する

 動植物の細胞や多くの真菌などほとんどの真核生物細胞は蛋白質合成阻害剤であるシクロヘキシミド(CYH)に感受性であるが、ある種の真菌だけはCYHに耐性である。この性質は酵母の分類学上では重要な指標となりうる。我々は、酵母Candida maltosaがCYH耐性であり、その耐性はCYHにより誘導されるいわゆる誘導的耐性であることを見出した。C. maltosaには二種類のL41リボソーム蛋白質をコードする遺伝子があり、一つは56番目のアミノ酸残基がプロリンであるL41-P遺伝子で、構成的に発現し、これの遺伝子がコードするL41-Pを構成成分とするリボソームはCYH感受性を示す。もう一つは56番目のアミノ酸残基がグルタミンであるL41-Q遺伝子で、CYH存在下で誘導的に発現し、この遺伝子がコードするL41-Qを構成成分とするリボソームはCYH耐性を示す。C. maltosaは、CYH添加後、後者のL41-Q遺伝子の発現を誘導し、CYH耐性リボソームを合成することによりCYH耐性化することが明らかになっている。L41-Q遺伝子のプロモーター領域には、CYH存在下、或いはアミノ酸飢餓などの蛋白質合成が抑えられた時に発現が誘導されるのに必要な配列が同定されており、そこにはSaccharomyces cerevisiaeなどでアミノ酸飢餓時に働くGcn4p responsive elementと類似の配列が含まれている。一般にリボソーム蛋白質をコードする遺伝子の発現量は細胞の成長速度に比例しており、蛋白質合成阻害条件下ではその発現は抑制されるが、逆にL41-Q遺伝子の発現は誘導された。このような発現誘導はリボソーム蛋白質をコードする遺伝子としては初めての例である。

 本研究では、C. maltosaにおけるL41-Q遺伝子の発現制御機構及び、CYH添加後に起こるリボソームのCYH耐性化の機構の解明を目的とした。

1.L41-Q遺伝子の転写制御因子C-Gcn4p

 L41-Q遺伝子のプロモーター領域の解析によりC. maltosa Gcn4pホモログがCYH存在下におけるL41-Q遺伝子の発現誘導に関与することが予想された。GCN4遺伝子は酵母から哺乳動物まで広く保存されている転写因子であり、アミノ酸合成の普遍的制御に関与している。そこで本研究では、まずGCN4遺伝子のC. maltosaホモログを取得し、全塩基配列を決定し、C-GCN4と命名した。大腸菌内でGSTとの融合蛋白質として発現、精製したC-Gcn4pを用い、この蛋白質がL41-Q遺伝子プロモーター中のCYH存在下での発現誘導に関わるエレメントに直接結合することを示した。またC-GCN4遺伝子破壊株を作製したところ、この株はCYH感受性を示し、CYH添加後L41-Q遺伝子の発現が誘導されなかった。これらのことよりC-Gcn4pはL41-Q遺伝子の転写制御因子であることが示された。さらにC-GCN4遺伝子破壊株は、ヒスチジン合成系の遺伝子の一つであるC-HIS5遺伝子の3-aminotriazole (3-AT)添加によるヒスチジン飢餓条件下における転写をも誘導できないことからC. maltosaにおけるアミノ酸の普遍的制御機構に必要であることも示唆された。C-GCN4遺伝子の転写について検討したところ、CYHあるいは3-AT添加において転写の誘導が見られたことから、C-GCN4遺伝子は転写レベルにおいて制御されていることが示された。しかしながら、Gcn4pの生産はGCN4 mRNAのGcn4pをコードするORFの5'上流領域に存在する4つのminiORF (uORF)を介して翻訳レベルで制御されていることが知られている。C-GCN4 mRNAの5'領域にも3つのuORFが存在していることから翻訳レベルにおける制御の存在も推定された。そこでこれら3つのuORFの開始コドンを塩基置換により破壊し、その効果をレポーター遺伝子を用いて解析したところ、C-Gcn4pの生産が非ストレス条件下においてこれら3つのuORFにより抑制されているが、CYH添加またはヒスチジン飢餓による誘導でその翻訳が誘導されることが分かった。そしてその制御機構はC. maltosaにおけるアミノ酸合成の普遍的制御とCYH耐性化の両方に関与することが明らかとなった。この研究より得られた3つのuORFに塩基置換を入れた変異型C-GCN4遺伝子によるGcn4pの生産についてレポーターを用いて検討したところ、非ストレス条件下において野生型の100倍高い発現量を示した。このことより、この系はCandida属酵母において前例のない有用な遺伝子発現系として利用できる可能性があると考えられる。

2.C-GCN4遺伝子の制御因子C-Gcn2p

 酵母S. cerevisiaeにおいてGcn2p活性が細胞内の蛋白質合成を調節し、その結果としてGCN4遺伝子の発現が制御されている。C-GCN4遺伝子の発現もGCN4遺伝子と同様なストレスで誘導されることからC-GCN4遺伝子の発現制御にもC. maltosaのGCN2ホモログの関与が考えられた。そこでC. maltosaにおけるGCN2ホモログをクローニングし、全塩基配列を決定し、C-GCN2と命名した。C. maltosaにはこの遺伝子以外にGCN2ホモログが存在しないことはサザン解析の結果により推定された。そしてC-GCN2遺伝子破壊株を作製し、そのCYHあるいは3-ATに対する感受性を調べた結果、C-GCN2遺伝子破壊株は3-ATに感受性を示したが、CYHに対して野生株同様誘導的耐性を示した。また、C-GCN2遺伝子破壊株におけるCYH添加後のC-GCN4, C-HIS5, L41-Q遺伝子の転写の誘導レベルは野生株と変わらなかったことに比べ、3-AT添加後のC-GCN4, C-HIS5, L41-Q遺伝子の転写の誘導レベルは野生株に比べ減少していた。C-GCN4遺伝子は翻訳レベルにおいてもその発現が制御されているためレポーター遺伝子を用いて解析を行った結果、3-AT添加後のC-GCN4遺伝子の翻訳レベルはC-GCN2遺伝子破壊株においてのみ上昇が見られなかった。以上のことから、CYH耐性化とアミノ酸の普遍的制御は共にC-Gcn4p依存的であるが、その上流は別々の経路が働いていることが示唆された。すなわち、CYH耐性化にはC-Gcn2p非依存的な経路が働いていると考えられる。

3.新規リボソーム会合蛋白質Ray38p

 CYH添加時のリボソームの構成成分の変化を検討する過程で、CYH添加によりC. maltosa野生株のリボソーム画分から消失し、L41-Qリボソーム蛋白質の誘導的合成によるCYH耐性化に伴って再び現れる38kDaの蛋白質を二次元電気泳動(RFHR-PAGE)により見いだした。この蛋白質の消失は、de novoの蛋白質合成を必要とせず、温度依存的なリボソームからの脱離反応によるものであり、38kDaの蛋白質のCYH添加による脱離反応は、CYH感受性であるL41-Pを構成成分とするリボソームにおいては見られたが、CYH耐性であるL41-Qを構成成分とするリボソームにおいては見られなかった。また、この38kDaの蛋白質のリボソームからの脱離は、CYH添加後だけでなく、C. maltosaにおいてCYH添加以外のCYH耐性L41-Q遺伝子の誘導条件であるグルタルイミド系抗生物質アニソマイシン添加、栄養源変化においても見られたことから、L41リボソーム蛋白質と38kDaの蛋白質の機能的関連が示唆された。この38kDaの蛋白質をコードする遺伝子をその部分アミノ酸配列を利用してクローニングし、RAY38 (Ribosome-associated protein of yeast)と命名した。この遺伝子の構造からこの遺伝子がコードするRay38pは、C末端にRNA結合モチーフとして知られるRGGモチーフを持っていた。抗Ray38p抗体を利用したイムノアフィニティー精製により得られたRay38pを抗リン酸化セリン抗体、抗リン酸化スレオニン抗体、抗リン酸化チロシン抗体を用いたウエスタン解析によりそのリン酸化の状態を検討した。その結果、Ray38pはセリン・スレオニン残基がリン酸化を受ける蛋白質であり、CYH添加後リボソームより脱離したRay38pは、そのスレオニン残基が高度にリン酸化されていることが明らかになった。これらのことからこのスレオニンの高リン酸化を介してRay38pのリボソームからの脱離が起こることが考えられた。RAY38遺伝子破壊株を作製したところこの破壊株は、野生株に比べCYH添加後のCYH耐性化が早く起こることから、リボソームからのRay38pの脱離は、CYH耐性化の誘導を促進していることが示唆された。また、この破壊株は非ストレス条件下では野生株と生育に差が見られないことから、本来のリボソームの機能には必須な蛋白質でなく、新規リボソーム会合蛋白質であることが推定された。

4.CYH誘導的耐性化の機構

 CYH誘導的耐性化機構においての問題点の一つはCYH存在下で蛋白質合成が停止した状態でいかにしてL41-Qを含む耐性なリボソームを合成するかという点である。80種類以上のリボソーム蛋白質を合成することは、細胞にとって非常に困難であると考えられたため、リボソーム蛋白質L41-PとL41-Qのリボソーム上における直接の交換について、CYH添加後経時的にパルスラベルを行い、調製されたリボソーム画分を二次元電気泳動に分離し、そのオートラジオグラフィーの比較検討を行った。その結果、CYH添加後にリボソーム中のL41リボソーム蛋白質のみが交換されることはなく、非常に少ないながらもすべてのリボソーム蛋白質が合成されていることが示唆された。

5.G-GCN4遺伝子破壊による偽菌糸形成

 酵母型と菌糸型の間で変換が起こる現象を二形成と呼び、Candida albicansにおいてはその増殖形態と病原性の相関性が推察されている。C. maltosaも病原性を持たないが二形成酵母である。本研究においてC-GCN4遺伝子破壊株は最少培地においては常に偽菌糸型成長を行うことが明らかになった。これはGCN4ホモログの破壊がその増殖形態に影響を及ぼすことを示した初めての例であり、C-Gcn4pはアミノ酸飢餓条件下では偽菌糸形成の情報伝達を負に制御していると考えられた。

6.まとめ

 本研究においてCYH耐性L41-Q遺伝子の発現制御及びリボソームのCYH耐性化の機構に関するの新たな知見が得られた。リボソームに関する知見に比べ、リボソーム蛋白質の合成についてはの知見は現在まで非常に乏しいため、本研究で明らかとなった制御機構が今後のリボソーム及びリボソーム蛋白質における発現制御機構の完全解明に寄与していく可能性が考えられる。また、CYH添加後のC-GCN4遺伝子の転写制御が、哺乳動物において知られるsuperinductionと呼ばれる未だによく理解されていない現象と非常に類似しているため、本研究が非常に良いモデルとなることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 酵母Candida maltosaが蛋白質合成阻害剤であるシクロヘキシミド(CYH)に耐性であり、その耐性はCYHにより誘導される誘導的耐性である。この誘導的耐性はC. maltosaの2種類のL41リボソーム蛋白質のうち、56番目のアミノ酸残基が通常のプロリンではなく、グルタミンであるものをコードする遺伝子L41-Qが発現することによる。L41-Qのプロモーター領域には、CYH添加またはアミノ酸飢餓条件下で発現誘導に必要な配列が同定されており、そこにSaccharomyces cerevisiaeなどでアミノ酸飢餓時に働くGcn4p応答配列と類似の配列が含まれている。本研究は、C. maltosaにおけるL41-Qの発現制御機構及び、CYH添加後に起こるリボソームのCYH耐性化の機構の解明を目的として行われたものである。

1.L41-Q遺伝子の転写制御因子はC-Gcn4pである

 L41-Qのプロモーター解析から関与が予想されたC. maltosa GCN4ホモログを取得し、C-GCN4と命名した。大腸菌内で発現、精製したC-Gcn4pを用い、L41-Qの発現誘導に関わるエレメントに直接結合することを示した。C-GCN4破壊株はCYH感受性を示し、CYH添加後L41-Qの発現を誘導しなかった。以上よりC-Gcn4pはL41-Qの転写制御因子であることが示された。C-GCN4破壊株は、C-HIS5の3-aminotriazole (3-AT)添加によるヒスチジン飢餓条件下における転写をも誘導できないことからC. maltosaにおけるアミノ酸合成の普遍的制御に必要であることが示唆された。CYHまたは3-AT添加においてC-GCN4の転写の誘導が見られた。C-GCN4mRNAの5'領域のすべてのuORFの開始コドンを塩基置換により破壊し、その効果をレポーター遺伝子を用いて解析したところ、C-Gcn4pの生産はuORFで抑制されているが、3-AT添加後では翻訳抑制が解除された。以上よりC-GCN4はCYH添加後は主に転写レベル、3-AT添加後では主に翻訳レベルで制御されると考えられることを示した。

2.C-GCN4遺伝子の制御因子C-Gcn2pの役割

 S. cerevisiae Gcn2pはGCN4の発現を制御する。そこでC-GCN4の発現制御への関与が予想されたC. maltosa GCN2ホモログを取得し、C-GCN2と命名した。C-GCN2破壊株は3-AT感受性を示したが、CYHには野生株同様誘導的耐性を示した。C-GCN2破壊株におけるCYH添加後のC-GCN4, L41-Qの転写の誘導レベルは野生株と変わらないが、3-AT添加後のC-GCN4, C-HIS5の転写の誘導レベルは野生株に比べ減少した。C-GCN4は翻訳制御されるためレポーター遺伝子を用いて解析した結果、3-AT添加後のC-GCN2破壊株においてのみ活性は上昇しなかった。以上よりCYH耐性化とアミノ酸合成の普遍的制御は共にC-Gcn4p依存的であるが、その上流は別々の経路が働いていることを示唆した。

3.新規リボソーム会合蛋白質Ray38pの発見

 細胞遺伝学研究室で見出されたRay38pは、CYH添加後C. maltosa野生株のリボソーム画分から消失し、CYH耐性化に伴って再び現れる。Ray38pの消失は、de novoの蛋白質合成を必要とせず、温度依存的なリボソームからの脱離反応によることを明らかにした。脱離反応は、CYH添加以外のL41-Qの誘導条件であるアニソマイシン添加、栄養源変化でも見られたことから、L41リボソーム蛋白質とRay38pの機能的関連が示唆された。RAY38破壊株は、野生株に比べCYH添加後のCYH耐性化が早く起こることから、リボソームからのRay38pの脱離は、CYH耐性化の誘導を促進することが示唆された。

4.CYH誘導的耐性化の機構

 CYH感受性を決定するL41リボソーム蛋白質を中心にCYH誘導的耐性化について検討した結果、L41-PとL41-Qのリボソーム上での直接の交換はなく、むしろCYH添加後CYH耐性リボソームのde novoの全合成が起こる可能性を示した。

5.C-GCN4遺伝子破壊による偽菌糸形成

 二形性酵母であるC. maltosaのC-GCN4破壊株は最少培地において常に偽菌糸型生長を行うことを明らかにし、C-Gcn4pは栄養ダウンシフト条件下では偽菌糸形成の情報伝達を負に制御する可能性を示した。

 以上、本論文は真核微生物にシクロヘキシミド耐性を付与する遺伝子の誘導機構を分子レベルで明らかにしたものであり、学術上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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