学位論文要旨



No 117223
著者(漢字) 廣子,貴俊
著者(英字)
著者(カナ) ヒロコ,タカトシ
標題(和) TGF−βにより誘導されるアポトーシスの分子機構
標題(洋)
報告番号 117223
報告番号 甲17223
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2419号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 教授 加藤,茂明
 東京大学 教授 福井,泰久
 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 助教授 吉田,稔
内容要旨 要旨を表示する

 TGF-β(transforming growth factor-β)は、BMPやアクチビンなどとともに、共通した構造を有する分泌タンパクとして大きなファミリーを形成している。その生理作用は、増殖、分化、アポトーシスなど細胞の運命の制御、細胞外基質や細胞接着因子の発現調節による細胞外マトリックス形成、血管形成や新生、発生過程における臓器形成、生体における組織恒常性維持など極めて多岐にわたっている。したがって、TGF-βシグナル伝達経路の異常は、さまざまな疾患の原因と考えられる。特に、多くの癌細胞においてTGF-βに対する不応性が報告されていることから、TGF-βシグナル伝達経路は癌抑制経路であると考えられている。これらの生理作用は、分泌されたTGF-βが細胞膜上のTGF-β受容体に結合し、Smadタンパク質を介して遺伝子発現調節を行うことで発揮される。よって、TGF-βシグナル伝達経路の標的遺伝子には、発癌の抑制に作用する遺伝子群が含まれると考えられている。

 本研究では、TGF-βシグナル伝達経路による発癌の抑制メカニズムの解明のため、マイクロアレイを用い、TGF-βによって誘導される遺伝子を検索した。その結果、Bcl-2やBcl-xLなどのアポトーシス抑制因子と結合し、アポトーシスの促進に関係するBH3-onlyタンパク質Bimを見出した。BH3-onlyタンパク質は、アポトーシス抑制因子であるBcl-2サブファミリーとアポトーシス促進因子であるBaxサブファミリーの上流でアポトーシス誘導に作用する重要な制御因子と考えられている。アポトーシスは、Bcl-2サブファミリーとBaxサブファミリーとBH3-onlyタンパク質のバランスで決定されることから、BH3-onlyタンパク質の修飾や発現誘導が、アポトーシスを直接誘導する。TGF-βにより誘導されるアポトーシスの分子機構は、TGF-β刺激によるBcl-xLの発現の抑制やcaspase3やcaspase8の活性化が報告されているが未知な部分が多い。そこで本研究では、TGF-βによるBimの発現制御やTGF-βにより誘導されるアポトーシスに対するBimの発現誘導の重要性について解析を行った。

1.BimはTGF-βにより発現誘導される

 TGF-βシグナル伝達経路の標的遺伝子を単離するために、TGF-βによる応答性が知られているヒト肺がん細胞A549にTGF-βを1時間処理し、得られたPoly(A)+RNAからサブトラクションライブラリーを作成し、マイクロアレイを用いて発現の変化する遺伝子を解析した。その結果、アポトーシスの促進に関係するBH3-onlyタンパク質Bimを見出した。ノーザンハイブリダイゼーションによりBimの発現量を経時的に確認した結果、Bimの発現量はTGF-βを処理して2時間後にピークに達し、その後は経時的に減少することが明らかになった。一方、ヒト肝臓がん細胞Hep3Bでは、TGF-βを処理して1時間後にピークに達し、その発現量は維持されることが確認された。A549細胞はTGF-βによりアポトーシスをおこさないが、Hep3B細胞はTGF-βによりアポトーシスをおこすことが知られている。また、BH3-onlyタンパク質の発現量はアポトーシスの誘導に関係することから、このBimの発現パターンの違いはTGF-βによるアポトーシス誘導に影響を与え、TGF-βによるBimの発現誘導を維持することがTGF-βによるアポトーシス誘導に重要である可能性がある。

 TGF-βによって誘導されるアポトーシスが、標的遺伝子の発現のみで誘導されることを確認するために、Hep3B細胞にTGF-βとタンパク質合成阻害剤であるシクロヘキシミドを同時に処理をしてアポトーシスが誘導されるかどうかを検討した。その結果、TGF-βとシクロヘキシミドを同時に処理したものは、TGF-βによるアポトーシス誘導を阻害することが確認され、TGF-βによるアポトーシス誘導が、標的遺伝子の発現により誘導されていることが示唆された。

 さらに、Bim以外のアポトーシス促進因子であるBaxサブファミリーのBaxとBak、BH3-onlyタンパク質のBik、Bad、Bid、Hrk/DP5が、TGF-βによって発現誘導されるかどうかノーザンハイブリダイゼーションにより調べた。その結果、いずれもTGF-βによる発現誘導は観察されず、TGF-βによる発現誘導時の発現量はBimが最も多いことが確認された。

 次に、BimがTGF-βシグナル伝達経路の直接の標的遺伝子であることを確認するために、Hep3B細胞にTGF-βとシクロヘキシミドを同時に作用させ、ノーザンハイブリダイゼーションによりBimの発現量を経時的に確認した。その結果、TGF-βとシクロヘキシミドを同時に処理してもBimの発現誘導が維持されていることが確認された。このことから、TGF-βによるBimの発現誘導には、他の標的遺伝子の発現誘導は関係なく、TGF-βシグナル伝達経路の下流因子であるSmadの関与が考えられた。

2.BimはSmadタンパク質によって直接転写制御されている

 TGF-βシグナル伝達経路の標的遺伝子は、TGF-βにより活性化したSmad2とSmad3がSmad4と四量体を形成して核に移行し、標的遺伝子のプロモーター内のSmad結合配列(Smad binding element : SBE)に結合することにより発現誘導される。TGF-βによって誘導されるアポトーシスにSmad3が関係していることが報告されていることから、Bimのプロモーター領域が含まれると予想されるヒトゲノムDNA断片の下流にルシフェラーゼ遺伝子を導入したレポーターを作成し、Smad3とSmad4を強制発現してルシフェラーゼアッセイを行った。

 まず、BimのORFより5kb上流までのDNA断片の下流にルシフェラーゼ遺伝子を導入したレポーターを作成し、ルシフェラーゼアッセイを行った結果、Smad3とSmad4依存的に転写活性化が見られた。このことにより、Smad3とSmad4がBimの転写制御に関係していることが示唆された。このDNA断片にはSBEやSBEに類似した配列が6箇所存在することから、SmadによるBimの転写制御に関係しているSBEを決定するために、DNA断片を様々な長さに切断したコンストラクションを作成し、ルシフェラーゼアッセイを行った。その結果、BimのORFより3.3kb上流のDNA断片では、BimのORFより5kb上流のDNA断片と同等な転写活性が見られた。しかし、BimのORFより2.4kb上流のDNA断片では、転写活性が見られなかった。これらの事実から、SmadによるBimの転写制御には、BimのORFより2.4kbから3.3kb上流の領域が関係し、この領域内にある2つのSBEが重要である可能性が示唆された。

3.TGF-βによって誘導されるアポトーシスに対するBimの発現誘導の重要性

 Bimの転写制御にSmad3とSmad4の関与が示唆されたが、TGF-βシグナル伝達経路は様々なシグナル経路とクロストークをしていることが知られているため、TGF-βシグナル伝達経路のみがTGF-βにより誘導されるアポトーシスに与える影響を検索した。Hep3B細胞にドミナントネガティブタイプのTGF-βI型受容体(TβR1-KN)とドミナントネガティブタイプのSmad4(DPCΔC)を強制発現した後TGF-βで処理し、TGF-βにより誘導されるアポトーシスに対する影響を検討した。その結果、TβR1-KNとDPCΔCはTGF-βによって誘導される細胞死を抑制した。このことから、TGF-βI型受容体からSmad4へのTGF-βシグナル伝達経路はTGF-βによるアポトーシス誘導に重要な役割を果たしていると考えられる。

 BimはBH3ドメインを介してBcl-2やBcl-xLと結合することによってアポトーシス抑制の機能を阻害し、アポトーシスを誘導すると考えられている。そこで、BH3ドメインを含む様々な欠失変異体を作成し、Hep3B細胞に強制発現することにより、Bimの細胞死に対する影響を検討した。その結果、BH3ドメインよりC末端側の欠失変異体は細胞死に対する影響はなかったが、N末端から30アミノ酸の欠失変異体(BimsΔN30)は細胞死の誘導能が低下していた。また、N末端から51アミノ酸の欠失変異体(BimsΔN51)は細胞死の誘導能を失っていた。これらの事実から、Bimによるアポトーシスの誘導には、BH3ドメインよりN末端側が必要であることが示唆された。また、BimsΔN51は細胞死の誘導能はないが、BH3ドメインを含んでいるためBcl-2やBcl-xLと結合すると考えられ、Bimに対するドミナントネガティブ効果が期待される。そこで、BimとBimsΔN51を同時に強制発現すると、予想通りBimによる細胞死を抑制することが明らかになった。そこで、TGF-βによるBimの発現誘導がTGF-βによって誘導されるアポトーシスに関与しているかどうか調べるために、Hep3B細胞にBimsΔN51を強制発現した後TGF-βで処理し、TGF-βにより誘導されるアポトーシスに対する影響を検討した。その結果、BimsΔN51はTGF-βによって誘導される細胞死を抑制した。このことから、Bimの発現誘導がTGF-βによるアポトーシス誘導重要な役割を果たしていると考えられる。

 本研究ではTGF-βシグナル伝達経路の標的遺伝子としてBimを同定し、TGF-βにより誘導されるアポトーシスに対してBimが重要であることを述べた。TGF-βによるアポトーシス誘導は白血病や肝臓がんの発生の抑制に重要であることが報告されている。また、骨髄性白血病や肺腺腫でBimの欠失が発見されていることから、Bimは癌抑制遺伝子として機能している可能性が推測される。

審査要旨 要旨を表示する

 TGF-βシグナル伝達経路は発癌の抑制に重要であると考えられている。そこで、本研究ではTGF-βシグナル伝達経路による発癌の抑制メカニズムの解明のため、サブトラクション法やマイクロアレイの解析を行い、TGF-βによって発現誘導される遺伝子を検索した結果、アポトーシス促進因子であるBH3-onlyタンパク質Bimを見出した。本論文は、TGF-βによるBimの発現制御やTGF-βにより誘導されるアポトーシスに対するBimの発現誘導の重要性について検討したものである。

1.TGF-βによるアポトーシス関連因子の発現誘導

 ヒト肝臓がん細胞Hep3BにTGF-βとタンパク質合成阻害剤であるシクロヘキシミドを同時に処理してアポトーシス誘導を検討した結果、TGF-βの標的遺伝子の発現誘導によりアポトーシスが誘導されていると示唆された。そこで、Bimを含めたアポトーシス関連因子の発現誘導についてノーザン解析を行った結果、BimはTGF-βにより発現誘導したが、Bim以外のアポトーシス促進因子やアポトーシス抑制因子の発現誘導はなかった。このことから、TGF-βにより誘導されるアポトーシスに対してBimの発現誘導が重要である可能性が推論された。

2.SmadによるBimの転写制御

 Hep3B細胞にTGF-βとシクロヘキシミドを同時に作用させ、ノーザン解析によりBimの発現量を経時的に確認した結果、TGF-βによるBimの発現誘導には、他の標的遺伝子の発現誘導は関係なく、TGF-βシグナル伝達経路の下流因子であるSmadの関与が考えられた。そこで、Bimのプロモーター領域と予想されるヒトゲノムDNA断片の下流にルシフェラーゼ遺伝子を導入したレポーターを作成し、Smad3とSmad4を強制発現してルシフェラーゼアッセイを行ったところ、SmadによるBimの転写制御には、BimのORFより2.4kbから3.3kb上流の領域が関係し、この領域内にある2つのSmad結合配列が重要であると示唆された。

3.TGF-βにより誘導されるアポトーシスに対するBimの発現誘導の重要性

 Bimの様々な欠失変異体を作成し、Bimの細胞死に対する影響を検討したところ、欠失変異体BimsΔN51はBimのドミナントネガティブとして機能することが判明した。そこで、Hep3B細胞にBimsΔN51を強制発現した後、TGF-βにより誘導されるアポトーシスに対する影響を検討した結果、BimsΔN51は濃度依存的にTGF-βによって誘導される細胞死を抑制した。このことから、Bimの発現誘導がTGF-βによるアポトーシス誘導重要な役割を果たしていると示唆された。

 以上、本論文はTGF-βの標的遺伝子としてアポトーシス促進因子であるBimを同定し、TGF-βによるBimの発現誘導という現象がTGF-βによるアポトーシス誘導に重要な役割を果たしていることを明らかにした。本研究は今後TGF-βによるアポトーシス誘導の生理的役割やTGF-βによる発癌の抑制を理解する上で重要な基礎になると考えられる。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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