学位論文要旨



No 117224
著者(漢字) 古米,亮平
著者(英字)
著者(カナ) フルマイ,リョウヘイ
標題(和) アイソザイム選択的ヒストン脱アセチル化酵素阻害剤の作用機構及び耐性機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 117224
報告番号 甲17224
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2420号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 教授 福井,泰久
 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 教授 加藤,茂明
 東京大学 助教授 吉田,稔
内容要旨 要旨を表示する

 ヒストンのアセチル化は、リン酸化とともに最も早くから知られたヒストンの翻訳後修飾である。アセチル化は8量体コアヒストンから露出した正に荷電したN末領域のリジン残基で起こり、アセチル化によるプラス荷電の中和がヒストン−DNAあるいはヒストン−非ヒストン核蛋白との相互作用に影響し、さまざまなDNA結合蛋白のDNAへの結合性が上昇すると考えられている。ヒストン分子上のアセチル基はアセチルトランスフェラーゼ(HAT)とデアセチラーゼ(HDAC)による代謝回転を受けており、そのレベルは両酵素のバランスによって決まる。近年、それらの実体についての研究が進み、HATは転写促進因子に導かれてDNAに近づき、近隣のヒストンをアセチル化することにより遺伝子発現を誘導する一方、HDACは転写抑制因子に導かれヒストンを脱アセチル化することにより遺伝子発現のスイッチをOFFにすることが分かってきた。また、アセチル化ヒストンはクロマチンのリモデリングを容易にし、転写調節の構造的調節に関わると考えられている。

 現在HDACはアイソザイムが10種類以上存在することが知られており、これらは酵素の基本的性質・発現の組織特異性・結合する因子等が異なっており、それぞれ異なる遺伝子の発現調節に関与すると考えられる。また、近年になって普遍的な蛋白質修飾の一つとしてヒストン以外の蛋白質にも可逆的なアセチル化が観察されるようになっていることから、こうした多様なHDACは非ヒストン蛋白質の脱アセチル化を担っている可能性も考えられる。従って、化学的療法や転写療法にHDAC阻害剤を応用しようとする場合には、目的の遺伝子のみの発現制御を行うことのできるアイソザイム特異的なHDAC阻害剤の開発が望まれる。

 トリコスタチンA(TSA;図1,図2)は1975年に放線菌が生産する抗真菌抗生物質として発見されたものであり、当醗酵学研究室においてHDAC阻害剤であることが明らかにされた。また最近になって、TSAと細菌由来のHDAC様蛋白質(Aquifex aerolicus由来のhistone deacetylase-like protein)との共結晶構造が解析され、TSAは基質アセチルリジンのアナログとして酵素活性中心ポケットに入り、そのヒドロキサム酸を通じて活性中心亜鉛イオンをキレートすることが明らかになっている(図1)。一方、トラポキシン(TPX;図2)はがん遺伝子v-sisによってトランスフォームした細胞の形態を正常化するカビの代謝産物として発見されたHDACの不可逆的阻害剤である。TPXのもつエポキシ側鎖は基質と構造類似性があり、基質アナログとして酵素に接近し、反応性のあるエポキシケトンを介して強い酵素阻害を引き起こすものと推定される。これらのHDAC阻害剤は、白血病をはじめ神経芽細胞など多くの細胞系で分化誘導活性を示すとともに、ras,sisなどのがん遺伝子でトランスフォームした細胞の形態正常化・大腸癌細胞に対する強力なアポトーシス誘導活性などが報告されており、抗がん剤として大きな期待が寄せられている。

 1.合成ヒストン脱アセチル化酵素阻害剤CHAPに関する研究

 これまでに知られるHDAC阻害剤のうち、FK228(後述)を除く全てが基質アセチルリジンと類似の構造を持つ。この構造部分は酵素の活性中心残基や亜鉛と相互作用する部位であり、ヒドロキサム酸やエポキシケトンなどが含まれる。また、結晶構造解析から活性中心ポケットの入口をふさぐ役割をしていると考えられるキャップグループは、芳香族や環状ペプチドからなる。ポケット入口周辺は疎水性アミノ酸残基に富んでおり、酵素は阻害剤のこうした構造と疎水結合によって相互作用していると考えられる。HDACの活性中心ポケットを構成するアミノ酸配列はよく保存されていることから、立体構造も酵素間でよく似ていると推定されるが、ポケット入口周辺は酵素間でかなり異なっており、酵素間で選択的な阻害作用を示すためには、キャップ構造の違いが重要であることが推定された。環状テトラペプチド部分は化学合成が可能であり、アミノ酸の種類や立体配置を改変することができる。TPXの活性基エポキシケトンは不安定で血中安定性が極めて悪いことから、活性基をTSAの持つヒドロキサム酸に改変したハイブリッド化合物を共同研究を通じて合成し、CHAP1(Cyclic Hydroxamic-Acid-containing Peptide)と名付けた(図2)。部分精製酵素を用いた阻害活性測定により、CHAP1は予想通り強力かつ可逆的なHDAC阻害活性を示しただけでなく、酵素選択性を示すことが分かった。TSAがいずれのHDACアイソザイムに対してもほぼ同程度の阻害の強さを示すのに対し、CHAPは環構造の違いによりHDAC1に比べて10〜100倍程度HDAC6に対して弱い阻害を示した。これらの結果からCHAPはTSA同様、ヒドロキサム酸を介して阻害する強力な阻害剤であり、環状ペプチド部位が酵素選択性に関与することが示唆されたことから、CHAPがHDACアイゾザイム特異的阻害剤を開発するためのリード化合物であることを提示した。

2.FK228のHDAC阻害機構

 FK228(図3)は、v-rasによってトランスフォームした細胞の形態を正常化する物質として発見された環状デプシペプチドである。動物実験の結果、ヌードマウスに移植したヒト肺癌、胃癌、大腸癌などの固形がんにシスプラチンと同程度の有効性が確認されている。このような強い抗腫瘍活性に加え、米国NCIでのヒトがん細胞パネルの感受性試験から既存の抗がん剤とは異なる作用機構が示唆されたことから、米国での臨床試験(現在第II相試験中)が開始されている。一方、細胞レベルでは細胞周期のG1,G2期停止やがん細胞のアポトーシス誘導、SV40初期遺伝子プロモーター転写の著しい活性化などが見られ、我々のグループは藤沢薬品工業のグループと共同でFK228が強力なHDAC阻害剤であることを証明した。FK228は従来のHDAC阻害剤とは構造が大きく異なり、その阻害の分子機構は不明であった。筆者はFK228の活性基は環状ペプチド内を架橋するジスルフィドが開裂した結果できるチオール基であり、それがHDAC活性ポケット部位に入り亜鉛と配位することで阻害するのではないかと考え、FK228のHDAC1に対する阻害活性を検討した。還元剤DTT存在下では阻害活性が約30倍に増加するのに対し、過酸化水素存在下では約1/50に減少した。また精製した還元型FK228(redFK;図3)は、DTT存在下と同レベルの強い阻害活性を示した。さらにFK228が細胞抽出液中でほぼ定量的に還元型に変換されること、活性型と考えられるredFKは血清中ではFK228よりも不安定であること確認した。また、分裂酵母のグルタチオン合成酵素gsh1, gsh2変異株がFK228に対して耐性を示したことから、主な細胞内還元力はグルタチオンであると考えられた。これらの結果は、FK228がin vivoで還元型に変換されてはじめて、活性型として機能するプロドラッグであることを示す。このようなFK228の作用特性は、その強い抗がん活性に寄与している可能性が考えられる。

3.TSA耐性変異P29S

 以前、当醗酵学研究室において、マウスFM3A細胞を親株として得られたTSAに対して10倍以上耐性になる変異株TR303が単離されている。このTSA耐性株TR303のHDAC1のcDNA配列を解析した結果、唯一29番目のプロリンがセリンに変異していることが分かった。またPro-29は活性中心ポケットの入口に位置し、大部分のHDACアイソザイム間で保存された残基であったことから、このPro-29のセリンへの変異がTSA耐性を付与する変異であると考えられた。そこでin vitroにおいて、リコンビナントHDAC1/P29Sと野生型HDAC1のTSA感受性を比較したところ、予想通りこの変異酵素の方がTSAに耐性であった。さらにin vivoにおいて、動物細胞に野生型,変異型HDAC1をそれぞれ過剰発現しTSA存在下における生育を比較した結果、HDAC1/P29S過剰発現株はTSAに対して耐性になることが分かった。これらの結果から、HDACのPro-29がTSAに対する親和性に関与することが示唆された。

1. Ryohei Furumai, Yasuhiko Komatsu, Norikazu Nishino, Saadi Khochbin, Minoru Yoshida, Sueharu Horinouchi

Potent histone deacetylase inhibitors built from trichostatin A and cyclic tetrapeptide antibiotics including trapoxin (2001) Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 98, 87-92

2. Yasuhiko Komatsu, Kin-Ya Tomizaki, Makiko Tsukamoto, Tamaki Kato, Norikazu Nishino, Shigeo Sato, Takao Yamori, Takashi Tsuruo, Ryohei Furumai, Minoru Yoshida, Sueharu Horinouchi, Hideya Hayashi

Cyclic Hydroxamic-Acid-Containing peptide 31, a Potent Synthetic Histone Deacetylase Inhibitor with Antitumor Activity (2001) Cancer Res., 61, 4459-4466

3. Ryohei Furumai, Akihisa Matsuyama, Nobuyuki Kobashi, Kun-Hyung Lee, Makoto Nishiyama, Hidenori Nakajima, Minoru Yoshida, Sueharu Horinouchi

(FK228に関する論文を投稿準備中)

図1 TSAのHDAC阻害の分子機構

図2 CHAPの構造

図3 FK228とredFKの構造

審査要旨 要旨を表示する

 アセチルトランスフェラーゼとデアセチラーゼ(HDAC)による代謝回転を受けているヒストンのアセチル化は、コアヒストンから露出した正に荷電したN末領域のリジン残基で起こり、アセチル化によるプラス荷電の中和がヒストン−DNAあるいはヒストン−非ヒストン核蛋白との相互作用に影響し、さまざまなDNA結合蛋白のDNAへの結合性が上昇すると考えられている。現在HDACはアイソザイムが10種類以上存在することが知られており、これらは酵素の基本的性質・発現の組織特異性・結合する因子等が異なっており、それぞれ異なる遺伝子の発現調節に関与すると考えられている。本論文は、各種HDAC阻害剤の作用機構および耐性機構について述べている。

1.合成ヒストン脱アセチル化酵素阻害剤CHAPに関する研究

 目的の遺伝子のみの発現制御を行うことのできるアイソザイム特異的なHDAC阻害剤の開発を目的とした実験を行った。可逆的HDAC阻害剤トリコスタチンA(TSA)は、細菌由来のHDAC様蛋白質との共結晶構造が解析され、基質アナログとして酵素活性中心ポケットに入り、そのヒドロキサム酸を通じて活性中心亜鉛イオンをキレートする事が明らかになっている。一方、不可逆的HDAC阻害剤トラポキシン(TPX)はエポキシ側鎖が基質アナログとして酵素に接近し、エポキシケトンを介して強い酵素阻害を引き起こすものと推定される。HDACの活性中心ポケットを構成するアミノ酸配列はよく保存されているが、ポケット入口周辺は酵素間でかなり異なっており、酵素間で選択的な阻害作用を示すためにはキャップ構造の違いが重要であることが推定された。TPXの環状テトラペプチド部分は化学合成が可能であり、アミノ酸の種類や立体配置を改変することができる。TPXの活性基エポキシケトンは不安定であることから、活性基をTSAの持つヒドロキサム酸に改変したハイブリッド化合物を共同研究を通じて合成し、CHAP1(Cyclic Hydroxamic-Acid-containing Peptide)と名付けた。部分精製酵素を用いた阻害活性測定により、CHAP1は予想通り強力かつ可逆的なHDAC阻害活性を示しただけでなく、酵素選択性を示すことが分かった。TSAがいずれのHDACアイソザイムに対してもほぼ同程度の阻害の強さを示すのに対し、CHAPは環構造の違いによりHDAC1に比べて10〜100倍程度HDAC6に対して弱い阻害を示した。これらの結果からCHAPはTSA同様、ヒドロキサム酸を介して阻害する強力な阻害剤であり、環状ペプチド部位が酵素選択性に関与することが示唆されたことから、CHAPがHDACアイゾザイム特異的阻害剤を開発するためのリード化合物であることを提示した。

2.FK228のヒストン脱アセチル化酵素阻害の分子機構に関する研究

 FK228は、強い抗腫瘍活性を持つHDAC阻害剤である。FK228の活性基は環状ペプチド内を架橋するジスルフィドが開裂した結果できるチオール基であると考え、FK228のHDAC1に対する阻害活性を検討した。還元剤DTT存在下では阻害活性が約30倍に増加するのに対し、精製した還元型FK228 (redFK)は、DTT存在下と同レベルの強い阻害活性を示した。更にFK228が細胞抽出液中でほぼ定量的に還元型に変換されること、活性型と考えられるredFKは血清中ではFK228よりも不安定であること確認した。また、分裂酵母のグルタチオン合成酵素gcs1, gsh2変異株がFK228に対して耐性を示した事から、主な細胞内還元力はグルタチオンであると考えられた。これらの結果は、FK228がin vivoで還元型に変換されてはじめて、活性型として機能するプロドラッグであることを示唆している。

3.トリコスタチン耐性変異HDAC1 P29Sに関する研究

 マウスFM3A細胞を親株として得られたTSAに対して10倍以上耐性になる変異株TR303についての解析を行った。このTSA耐性株TR303のHDAC1のcDNA配列を解析した結果、唯一29番目のプロリンがセリンに変異していることが分かった。またPro-29は活性中心ポケットの入口に位置し、大部分のHDACアイソザイム間で保存された残基であったことから、このPro-29のセリンへの変異がTSA耐性を付与する変異であると考えられた。そこでin vitroにおいて、リコンビナントHDAC1/P29Sと野生型HDAC1のTSA感受性を比較したところ、予想通りこの変異酵素の方がTSAに耐性であった。さらにin vivoにおいて、動物細胞に野生型,変異型HDAC1をそれぞれ過剰発現しTSA存在下における生育を比較した結果、HDAC1/P29S過剰発現株はTSAに対して耐性になることが分かった。これらの結果から、HDACのPro-29がTSAに対する親和性に関与することが示唆された。

 以上、本論文はヒストンアセチル化機構の解明や新しい薬剤開発を目的とし、HDAC阻害剤を用いた研究を行い、阻害剤の作用機構や耐性機構を明らかにしたものである。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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