学位論文要旨



No 117227
著者(漢字) 徐,正又
著者(英字)
著者(カナ) ソ,ジョンウ
標題(和) Streptomyces griseusの形態分化および生理的分化の調節に関する研究
標題(洋) Study on the regulation of morphological and physiological differentiation of Streptomyces griseus
報告番号 117227
報告番号 甲17227
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2423号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 正木,春彦
 東京大学 助教授 松山,伸一
 東京大学 助教授 吉田,稔
内容要旨 要旨を表示する

 土壌微生物である放線菌は抗生物質をはじめとする多種多様な二次代謝産物を生産することで知られるグラム陽性細菌であり、発酵工業や医薬産業的に重要な菌群である。一方、放線菌はその形態も非常に特徴的であり、一般にカビに似た菌糸状の生育形態を示す。放線菌のなかでも代表的な一属であるStreptomycesにおいては、胞子から出芽した菌糸は栄養増殖細胞である基底菌糸として、枝分かれしながら土壌中に伸長していく。基底菌糸ではほとんど隔壁形成が起こらず、1本の菌糸中には複数の染色体が存在する。ある時期になると基底菌糸から一斉に空中に向かって気中菌糸を伸ばすが、その後、気中菌糸には等間隔に隔壁が形成され、染色体1本1本が分配されたコンパートメントが成熟して胞子となる。気中菌糸が形成され始めると基底菌糸は溶菌し、核酸、蛋白質をはじめとする生体成分は気中菌糸形成のための栄養源として再利用される。このような放線菌の複雑な形態分化および生理的分化の調節機構を分子レベルで明らかにすることが本研究の目的である。

1.Streptomyces griseusの形態分化に関与するABCトランスポーターシステムに関する解析1)

グルコース存在下においてESP形質を示す変異株NP4の取得と解析

 S. griseusの形態分化に関する一連の実験過程において、興味深い性質を示す変異株(NP4株)をUV変異により取得した。NP4株はグルコースを含む培地上において、気中菌糸形成が著しく阻害され、しわ状に盛り上がった特異な形状のコロニーを形成するが、基底菌糸においても等間隔に隔壁形成が起こっていることが走査型電子顕微鏡観察により明らかになった。一般に基底菌糸において隔壁形成が起こるという形質はESP(ectopic sporulation phenotype)と呼ばれるが、NP4株の基底菌糸で観察されたコンパートメントは、通常の気中菌糸に形成される胞子と同様の大きさ、形であり、細胞壁の厚さも同じであることが透過型電子顕微鏡観察により明らかになった。また、リゾチームや熱に対しても、通常の胞子と同様の耐性を示した。以上の結果より、NP4株はまさに基底菌糸から直接胞子形成を行う変異株であることが判明した。一方、NP4株は液体培養においても胞子形成を行うが、この胞子はリゾチーム感受性の"submerged spore"とは異なるものであった。

ESP形質に関与する遺伝子の取得

 ESP形質に関与する遺伝子を取得することを目的に、野生株の染色体DNAライブラリーをNP4株に導入し、NP4株のESP形質を相補するDNA断片を取得した。また、このショットガンクローニング実験において、NP4株のESP形質を著しく強めるDNA断片も取得した。サブクローニング、塩基配列決定を行ったところ、GntR型の転写抑制因子と高い相同性のある蛋白をコードする遺伝子(dasR)がNP4株のESP形質を相補するのに必要であることが明らかになった。一方、ABCトランスポーターの基質結合蛋白と高い相同性のある蛋白をコードする遺伝子(dasA)がNP4株のESP形質を著しく強めることが明らかになった。驚いたことに高コピーベクター上のdasAはNP4株だけでなく、野生株においてもESP形質を引き起こした。dasAを過剰発現した野生株では植菌後わずか1日目から基底菌糸に隔壁が形成されたが、各コンパートメントはNP4株において観察されたものより細胞壁が薄く、リゾチームや熱に感受性であった。S. griseus染色体上では、dasAはdasRのすぐ上流に逆向きに存在し、dasAの下流にはABCトランスポーターの膜結合型パーミアーゼと高い相同性を示す蛋白をコードするdasB, dasCがdasAと同じ向きに存在していた。以上の結果より、dasRABCは遺伝子クラスターをなし、コードしているABCトランスポーターが、ESP形質に関与していることが強く示唆された。

DasRはdasAの転写を抑制する

 ESP形質に対するdasRとdasAの機能が正反対であったことから、DasRはdasAの転写抑制因子として機能していると考えられたが、以下の観察結果から、このことは強く支持された。(1)dasRの転写は栄養増殖期で強く形態分化が進むにつれて徐々に弱くなっていくのにたいして、dasAの転写は気中菌糸形成時期から始まり、徐々に強くなっていく。(2)大腸菌で生産させたDasRはdasAプロモーター領域に結合する。

NP4株はdasオペロンの発現制御機構に変異がある

 NP4株よりdasR、dasAおよび両遺伝子間の領域についてクローニングし、塩基配列を決定したがこの領域に変異はなかった。しかしながら、NP4株においてはdasAの転写量が野生株に比べて増大しており、これがNP4株のESP形質の原因であると推察された。また、NP4株においては栄養増殖期におけるdasRの転写量も増大しており、これがdasAを過剰発現した野生株とNP4株の形質の違いの原因であると考えられた。NP4株の変異点はdasオペロンの発現制御機構にあると思われる。

dasA, dasR遺伝子破壊株は形態分化能を失う

 dasR遺伝子破壊株ではdasAの過剰生産が引き起こされESP形質を示すと考えられたが、実際、一部の菌糸においてESP形質が認められた。しかしながら、大部分の菌糸では隔壁形成が起こらないとともに、気中菌糸形成が完全に阻害された。一方、dasA遺伝子破壊株でも気中菌糸形成が完全に阻害された。両遺伝子破壊株の形質はこれまで述べてきたものと異なり、培地の炭素源によらず観察され、本質的にこれらの遺伝子が気中菌糸形成に関して重要な機能をもっていることが示された。

 以上のようにABCトランスポーターの構成因子がESP形質、気中菌糸形成などの形態分化に深く関わっていることを明らかにした。S. griseusにおいて気中菌糸形成は微生物ホルモンA−ファクターにより引き起こされるが、A−ファクター欠損株においてもdasAの過剰生産によりESP形質が引き起こされることから、dasオペロンによる形態分化の制御はA−ファクターによる制御とは独立したものであると考えられる。通常の基底菌糸においては隔壁形成を抑制する機構が存在すると考えられるが、dasAの過剰発現はこの抑制を解除するものと推測される。

2.DasRによるシャペロニンの発現制御に関する解析

 dasオペロンの機能を明らかにするために行った一連の実験において、シャペロニンGroES/EL1, GroEL2の発現量は、dasR破壊株で顕著に増加し、DasR過剰生産株で減少することをSDS-PAGEおよびウエスタンブロッティングにより明らかにした。シャペロニンが熱ショックにより発現誘導されることはよく研究されているが、生理的条件下における発現制御については全く知られていない。そこで、シャペロニンの発現制御に関して解析を行った。groEL2遺伝子をクローニングし、その転写を解析したところ、groEL2の転写は対数増殖期において見られるが、静止期においてはほんのわずかしか検出されなくなることが明らかになった。しかしながら、dasR破壊株では静止期においても、groEL2の転写が継続していた。一方、dasR過剰発現株では、groEL2の転写が弱くなる傾向が見られた。さらに、dasAプロモーターへの結合よりは弱いものの、DasRがgroEL2プロモーター領域近辺に結合することが明らかになった。以上の結果は、DasRがシャペロニンの発現を直接制御している可能性が示すものであり、熱ショック以外でシャペロニンの発現が制御されていることを初めて示した点で興味深い。一方、groEL2プロモーター領域には熱ショックに関する制御因子であるHrcAの結合コンセンサス配列が存在し、これまで他の放線菌で報告されているように、groEL2の転写が熱ショックに応答してHrcAにより制御されていることが推測された。

3.グルコースの形態分化抑制効果に対するグルコキナーゼの役割に関する解析

 放線菌の形態分化にグルコースが抑制効果をもつことが報告されているが、そのメカニズムはほとんど解明されていない。3%のグルコースを含む培地上では、S. griseusの形態分化は完全に抑制されるが、以前取得された変異株VHK2は5%のグルコース存在下でも形態分化の抑制は全く起こらない。また、VHK2株ではカタボライト抑制を受ける典型的な酵素であるグルコースーキシロースイソメラーゼが過剰生産されていることをSDS-PAGE解析により明らかした。VHK2株ではグルコキナーゼ活性が全く検出されず、グルコキナーゼがカタボライト抑制およびグルコースの形態分化抑制効果に関与することが示唆された。VHK2株のグルコキナーゼ遺伝子をクローニングし、塩基配列を決定したところ、147番GlyがArgに置換されていることが明らかになった。

 一方、これまでに真核生物型Ser/ThrキナーゼAfsK、およびその標的である転写制御因子AfsR、さらには真核生物型cAMP合成酵素(アデニレートシクラーゼ)CyaAなどについて研究が行われてきたが、これらの遺伝子破壊株においても、グルコースによる形態分化の抑制効果が部分的に解除されていることが明らかになり、グルコキナーゼを介した形態分化の制御機構は非常に複雑であることが明らかになってきた。今後、これらの遺伝子との関連を含めた解析により、グルコースによる形態分化の抑制メカニズムが明らかにできるものと期待している。

1) Seo J.-W., Ohnishi Y., Hirata A. and Horinouchi S. ATP-binding cassette transport system involved in regulation of morphological differentiation in response to glucose in Streptomyces griseus. J. Bacteriol. 184, 91-103 (2002)

審査要旨 要旨を表示する

 申請者は放線菌の複雑な形態分化および生理的分化の調節機構を分子レベルで明らかにすることを目的に研究を行い、その過程でクローニングされた遺伝子を解析することにより、次のような結果を得た。

1.Streptomyces griseusの形態分化に関与するABCトランスポーターシステムに関する解析

 グルコースを含む培地上において、基底菌糸から直接胞子形成を行うというESP形質を示す変異株NP4をUV変異により取得した。野生株の染色体DNAライブラリーをNP4株に導入し、(1)NP4株のESP形質を相補する遺伝子dasR(GntR型の転写抑制因子と高い相同性のある蛋白をコード)、および(2)NP4株のESP形質を著しく強める遺伝子dasA(ABCトランスポーターの基質結合蛋白と高い相同性のある蛋白をコード)を取得した。高コピーベクター上のdasAはNP4株だけでなく、野生株においてもESP形質を引き起こしたが、この株で作られる胞子はNP4株のものと異なり、未成熟なものであった。S. griseus染色体上では、dasAはdasRのすぐ上流に逆向きに存在し、dasAの下流にはABCトランスポーターの膜結合型パーミアーゼと高い相同性を示す蛋白をコードするdasB, dasCがdasAと同じ向きに存在していた。また、DasRはdasAプロモーター領域に結合し、その転写を抑制していることが示された。以上の結果より、DasABCがコードしているABCトランスポーターがESP形質に関与していることが強く示唆された。

 NP4株のdasR、dasAおよび両遺伝子間の領域には変異はなかった。しかしながら、NP4株においてはdasAの転写量が野生株に比べて増大しており、これがNP4株のESP形質の原因であると推察された。また、NP4株においては栄養増殖期におけるdasRの転写量も増大しており、これがdasAを過剰発現した野生株とNP4株の形質の違いの原因であると考えられた。NP4株の変異点はdasオペロンの発現制御機構にあると思われた。

 dasR遺伝子破壊株ではdasAの過剰生産が引き起こされESP形質を示すと考えられたが、実際、一部の菌糸においてESP形質が認められた。しかしながら、大部分の菌糸では隔壁形成が起こらないとともに、気中菌糸形成が完全に阻害された。一方、dasA遺伝子破壊株でも気中菌糸形成が完全に阻害された。両遺伝子破壊株の形質はこれまで述べてきたものと異なり、培地の炭素源によらず観察され、本質的にこれらの遺伝子が気中菌糸形成に関しても重要な機能をもっていることが示された。

 以上のようにABCトランスポーターの構成因子がESP形質、気中菌糸形成などの形態分化に深く関わっていることを明らかにした。

2.DasRによるシャペロニンの発現制御に関する解析

 dasオペロンの機能を明らかにするために行った一連の実験において、シャペロニンGroES/EL1, GroEL2の発現量は、dasR破壊株で顕著に増加し、DasR過剰生産株で減少することをSDS-PAGEおよびウエスタンブロッティングにより明らかにした。そこでgroEL2遺伝子をクローニングし、その転写を解析した。groEL2の転写は対数増殖期において見られるが、静止期においてはほんのわずかしか検出されなくなった。しかしながら、dasR破壊株では静止期においてもgroEL2の転写が継続していた。一方、dasR過剰発現株では、groEL2の転写が弱くなる傾向が見られた。さらに、dasAプロモーターへの結合よりは弱いものの、DasRがgroEL2プロモーター領域近辺に結合することを明らかにした。以上の結果は、DasRがシャペロニンの発現を直接制御していることを示しており、熱ショック以外によるシャペロニンの発現制御を考える上で非常に重要である。

3.グルコースの形態分化抑制効果に対するグルコキナーゼの役割に関する解析

 放線菌の形態分化にグルコースが抑制効果をもつことが報告されているが、そのメカニズムはほとんど解明されていない。3%のグルコースを含む培地上では、S. griseusの形態分化は完全に抑制されるが、以前取得された変異株VHK2は5%のグルコース存在下でも形態分化の抑制は全く起こらない。また、VHK2株ではカタボライト抑制を受ける典型的な酵素であるグルコース−キシロースイソメラーゼが過剰生産されていることをSDS-PAGE解析により明らかした。VHK2株ではグルコキナーゼ活性が全く検出されず、グルコキナーゼがカタボライト抑制およびグルコースの形態分化抑制効果に関与することが示唆された。VHK2株のグルコキナーゼ遺伝子をクローニングし、塩基配列を決定したところ、147番GlyがArgに置換されていることが明らかになった。一方、これまでに真核生物型Ser/ThrキナーゼAfsK、およびその標的である転写制御因子AfsR、さらには真核生物型cAMP合成酵素(アデニレートシクラーゼ)CyaAなどについて研究が行われてきたが、これらの遺伝子破壊株においても、グルコースによる形態分化の抑制効果が部分的に解除されていることが明らかになり、グルコキナーゼを介した形態分化の制御機構は非常に複雑であることが明らかになってきた。

 このように本研究により、(1)形態分化に関与するABCトランスポーターが明らかにされ、(2)そのABCトランスポーター遺伝子の転写抑制蛋白が、シャペロニンの発現をも直接制御している可能性が示された。さらに(3)放線菌の形態分化に対するグルコースの抑制効果に、グルコキナーゼが重要であることが明らかにされ、さらなる解析の糸口が示された。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値のあるものと認めた。

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