学位論文要旨



No 117228
著者(漢字) 程,朝陽
著者(英字)
著者(カナ) チェン,チャオヤン
標題(和) レトロポゾンp−SINE1の挿入の有無に基づいた栽培稲と野生稲の系統の解析
標題(洋) Phylogenetic studies of cultivated and wild rice strains by insertion polymorphism of retroposon p-SINE1
報告番号 117228
報告番号 甲17228
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2424号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大坪,栄一
 東京大学 助教授 横田,明
 東京大学 助教授 平野,博之
 東京大学 助教授 林,浩昭
 東京大学 助教授 梅田,正明
内容要旨 要旨を表示する

 イネ属は、世界各地に分布している2種類の栽培種と20種類の野生種からなる。これらの種間の系統関係の解明は、栽培稲の起源の解明だけではなく、野生稲の有用遺伝子の利用にも、大変重要である。イネ属は、細胞遺伝学的な形質やゲノムDNA交雑法によって、六種類の二倍体(AA,BB,CC,EE,FFおよびGG)と三種類の四倍体(BBCC,CCDDおよびHHJJ)に分けられている。そのうち、AAゲノムを持つ種は、アジア栽培種(Oryza sativa)とアフリカ栽培種(O. glaberrima)、および地理的あるいは生殖的に隔離している五つの野生種(O. rufipogon,O. barthii,O. glumaepatula,O. longistaminataおよびO. meridionalis)に分けられている。栽培種O. sativaとO. glaberrimaは、それぞれ野生種O. rufipogonとO. barthiiにもっとも近縁であるため、それぞれO. rufipogonとO. barthiiから由来したと推定されている。栽培稲の起源を解明するために、これまでにAAゲノムの種間および種内の系統関係が、形態や生理的形質および各種の分子マーカーで調べられているが、決定的な結論はまだ出ていない。未解決の主な問題点は:(1)種間の系統の近縁関係はどうか、(2)七つの種は独立に進化して来たかどうか、(3)O. sativaの祖先種と考えられるO. rufipogonには一年生と多年生の亜種の分化があるが、それぞれ別の種と考えられるかどうか、(4)O. sativaの二つの亜種indicaとjaponicaはO. rufipogonから独立に由来したかどうか、という点である。

 レトロポゾンp-SINE1は、イネのwaxy遺伝子のイントロン内で挿入配列として見出されたものであり、植物では始めて見つかったSINE(short interspersed elements)である。SINEは、RNAを経由し、逆転写によってランダムにゲノムに挿入する。SINEは同じ遺伝子座に二度挿入されることはなく、一旦ゲノムに挿入されると、ふたたび切り出されるということもない。そのため、SINEの挿入の有無のパターンは、進化の研究の非常に良いマーカーと考えられる。実際、特定の遺伝子座におけるSINEの挿入の有無を解析することによって、ヒトを含む霊長類や鯨を含む他の哺乳類の進化が研究され、多くの論争が解決されつつある。我々の研究室では、p-SINE1の発見以来、inverse PCR(IPCR)あるいはゲノムスクリーニングなどの方法を用いて、栽培稲から数多くのp-SINE1メンバーを同定し、AAゲノムを持つ種の系統関係、および栽培種O. sativaとその祖先種と思われるO. rufipogonの種間および各種内の系統関係を解析してきた。しかし、種間および種内の系統において挿入の有無に関して多型を示すメンバーが少なかったため、系統関係がまだよく解明されていなかった。

 本研究ではAAゲノムを持つ栽培稲と野生稲に存在するp-SINE1メンバーを分離し、p-SINE1の挿入の有無に関して種内および種間の系統の各遺伝子座で多型を示すメンバーを数多く同定した。これらのp-SINE1メンバーの有無のパターンに基づいて、AAゲノムを持つ種の系統関係および栽培種O. sativaの起源を推定することができた。結果は、以下の様に要約できる。

1.p-SINE1の挿入の有無による栽培種O. sativaの起源の解析

 栽培種O. sativaとその祖先種と考えられているO. rufipogonの系統関係を調べるためには、O. sativaとO. rufipogonの系統内でp-SINE1の挿入の有無に関して多型を示すメンバーが必要である。しかし、これまで栽培種の系統間で挿入の多型を示すものは三つしかなかった。そこで、IPCRとADL-PCR(Adaptor-ligation based PCR)を用いて、O. sativaからさらに多くのp-SINE1メンバーを分離し、O. sativaとO. rufipogonの系統でのそれぞれのメンバーの存在の有無をPCRで調べた。その結果、新たに系統間で挿入の多型を示すメンバーを三つ見出した。

 O. sativaとO. rufipogonの系統間で、挿入の多型を示す六つのメンバーは、p-SINE1のコンセンサス配列と比較して異なる三カ所に共通の塩基置換変異を持つことを見出した。そこで、O. sativaゲノムからADL-PCRで、同じ変異を持つ他の16個のメンバーを新たに単離し、AAゲノムを持つ各種の系統におけるp-SINE1の有無をPCRで調べた。その結果、これらのメンバーの大部分がO. sativaとO. rufipogon以外の種の系統には存在していないこと、さらにO. sativaとO. rufipogonに属する各系統間で挿入の多型を示すことが分かった。この結果は、共通の塩基置換を持つメンバーが最近増幅したものであり、サブファミリーを形成していることを示唆する。そこで、このサブファミリーをRA(recently amplified)サブファミリーと名付けた。

 次に、RAサブファミリーのメンバーを用いて、合計106個のO. sativaとO. rufipogonの系統について、p-SINE1の有無を調べ、それぞれのパターンに基づいて、系統樹を作成し、系統関係を推定することを試みた。その結果、O. sativaの系統は明らかに二つのグループに分けられ、それぞれインディカとジャポニカに対応することが分かった。O. rufipogonの系統もいくつかのグループに分けられ、そのひとつは一年生の系統であり、その他は多年生の系統であることが分かった。この結果は、一年生の系統が多年生の系統から由来することを示唆している。また、O. sativaのインディカ系統はO. rufipogonの一年生の系統のグループに属し、ジャポニカ系統はO. rufipogonのいくつかの多年生の系統のグループの一つに属することが分かった。この結果は、インディカ系統が一年生のO. rufipogonの系統、ジャポニカ系統が多年生のO. rufipogonの系統と祖先を同じにすることを強く示唆する

 栽培稲および野生稲に共通の祖先種では、すべての遺伝子座にp-SINE1が挿入されていないと考えられる。そのような仮定の祖先種を加えて系統樹を作って見ると、多年生の系統のグループの一つが仮定の祖先種に近いことが分かった。この結果は、O. sativaとO. rufipogonの祖先種は、多年生のエコタイプを持つものであることを強く示唆している。以上の解析によって、RAサブファミリーのメンバーが、栽培稲の系統分類と起源の研究に優れたマーカーであることが明らかになった。

2.p-SINE1の挿入の有無によるAAゲノムを持つ種の系統関係の解析

 今までに、O. sativaから同定したp-SINE1メンバーの中に、AAゲノムを持つ種の系統間でp-SINE1の挿入の有無に関して多型を示すいくつかのメンバーが見い出された。これらのメンバーは、O. sativaと他の野生種との近縁関係を解明するための優れたマーカーになると思われた。そこで、AAゲノムを持つ他の種の系統関係を調べるため、四つの野生種O. barthii,O. glumaepatula,O. meridionalisとO. longistaminataからも、合計25個の新規のp-SINE1メンバーを同定した。PCRで各種の系統におけるp-SINE1の存在の有無を調べたところ、21個のメンバーが多型を示すことが分かった。これらのメンバーの内、あるメンバーは一つの種にしか存在しないが、他のメンバーは二つあるいはそれ以上の種において存在していることが分かった。

 AAゲノムを持つ種の系統関係を解明するため、合計72個の栽培稲と野生稲の系統において、これまで同定した種間に多型を示す合計35個のp-SINE1メンバーの存在の有無を調べた。その結果、野生稲の各種の系統がユニークな存在の有無のパターンを示すことが分かったが、アジア栽培種O. sativaと野生種O. rufipogon、アフリカ栽培種O. glaberrimaと野生種O. barthiiは良く似たパターンを示すことが分かった。

 p-SINE1の有無のパターンに基づいて、系統樹を作成したところ、野生稲の五つの種の系統がそれぞれ独立のクラスターを成すが、O. sativaとO. rufipogon、O. glaberrimaとO. barthiiは同一のクラスターを成すことが分かった。O. longistaminataの系統とO. meridionalisの系統は遠い関係にあり、またこれらの二つの種のそれぞれの系統とO. rufipogon、O. barthiiとO. glumaepatulaの系統は遠い関係を示すことが分かった。O. rufipogon、O. barthiiとO. glumaepatulaの系統は互いに近い関係を示したが、中でもO. barthiiとO. glumaepatulaの系統はもっとも近縁であることが分かった。また、すべての遺伝子座にp-SINE1が挿入されていない仮定上の祖先種を加えて、系統樹を作成して見ると、O. longistaminataとO. meridionalisが仮定の祖先種と近いが、他の種は遠い関係を示すことが分かった。これらの結果は、1)本研究で同定したp-SINE1のメンバーが、種の系統の識別と分類に有用なマーカーであること、2)AAゲノムを持つ五つの野生種が独立に進化してきたことを示しており、栽培種O. sativaとO. glaberrimaはO. rufipogonとO. barthiiからそれぞれ由来したこと、3)O. longistaminataとO. meridionalisは古い時期に分岐したが、O. barthiiとO. glumaepatulaは最近分岐したこと、を示唆する。

3.p-SINE1の一メンバー内で挿入配列として見出された新規転移性遺伝因子Tnr8

 p-SINE1メンバーr32は初めにO. sativaから分離されたが、O. glaberrimaのr32の場合には418bpの配列が挿入していることが分かった。この配列は、六つの30bpのタンデム重複配列を含む末端逆向き配列を持ち、9bpの標的配列を重複していることから、転移性遺伝因子と考えられ、Tnr8と名付けた。Tnr8は418bpしかないため、非自律性因子と考えられる。相同性解析したところ、Tnr8はイネのゲノムに高コピーで存在し、メンバー間に様々な変異が存在することが分かった。AAゲノムを持つ各種の系統におけるTnr8メンバーの存在の有無を調べたところ、あるメンバーは多型を示すことが分かったが、この結果は、Tnr8が種の分岐の途中に転移したことを示している。Tnr8の持つ構造的特徴は、Drosophilaで見い出されているfoldback transposable element(FB因子)とよく似ているが相同性は全くないことが分かった。しかし、Tnr8は、FB因子と同様、イネのゲノムの再編成に関与していることを示唆する結果を得た。

審査要旨 要旨を表示する

 イネ属のAAゲノムを持つ種は、二つの栽培種(Oryza sativaとO. glaberrima)と五つの野生種(O. rufipogon, O. barthii, O. glumaepatula, O. longistaminata及びO. meridionalis)に分けられる。これらの種間の系統関係の解明は、栽培稲の起源の推定だけではなく、野生稲の有用遺伝子の利用にも大変重要であるが、これまでの形態や生理的形質および各種の分子マーカーによる解析によっては決定的な結論は出されていない。イネのwaxy遺伝子内で見い出されたレトロポゾンp-SINE1は、RNAを中間体とし、逆転写を経てランダムにゲノムに挿入し、ふたたび切り出されることがないため、進化の研究の非常に良いマーカーと考えられる。本研究は、AAゲノムを持つ栽培稲と野生稲から挿入の有無に関して多型を示すp-SINE1メンバーを数多く分離し、種内および種間の系統における挿入の有無のパターンから系統樹を作成することによって、O. sativaの起源を推定すると共に、AAゲノムを持つ各種の系統関係を明らかにしたもので、四章からなる。

 第一章でイネの分類と系統関係に関する研究の背景を概説した後、第二章で、栽培種O. sativaの起源に関する解析結果を述べている。O. sativaは野生種の一つO. rufipogonと最も近縁であるとされているが、これらの種の系統内で挿入の有無に関して多型を示すp-SINE1メンバーが3つ存在すること、それらがp-SINE1のコンセンサス配列と比較して異なる三カ所に共通の塩基置換変異を持つことが分かったので、各種PCR法を用いてO. sativaから挿入の多型を示す新たなp-SINE1メンバーを19個分離した。そこで、多型を示した全てのメンバーを用いて、O. sativaとO. rufipogonの合計106系統での有無を調べ、系統樹を作成した結果、O. sativaの系統はそれぞれインディカとジャポニカに対応する二つのグループに分けられること、また、インディカ系統はO. rufipogonの一年生の系統のグループに、ジャポニカ系統はO. rufipogonのいくつかの多年生の系統のグループの一つに属することが分かった。これらの結果から、インディカ系統は一年生のO. rufipogonの系統と、ジャポニカ系統は多年生のO. rufipogonの系統と祖先を同じにすると結論した。

 第三章では、AAゲノムを持つ種の系統関係の解析結果を述べている。AAゲノムを持つ種の系統関係を調べるため、O. rufipogon以外の四つの野生種から各種の系統において挿入の多型を示す21個のメンバーを分離した。これらとO. sativaで既に分離された野生稲各種の系統間で挿入の有無の多型を示す14個のp-SINE1メンバーを用いて、AAゲノムを持つ全ての種の72系統における存在の有無を調べ、系統樹を作成した。その結果、五つの野生種の系統はそれぞれ独立のクラスターを成すが、O. sativaとO. rufipogon、O. glaberrimaとO. barthiiの系統はそれぞれ同一のクラスターを成すこと、O. longistaminataとO. meridionalisの系統は他の三つの野生種の系統とは遠い関係にあることが分かった。また、すべての遺伝子座にp-SINE1を持たない仮定上の祖先種を加えて系統樹を作成したところ、この仮定の祖先種はO. longistaminataとO. meridionalisに近いことが分かった。これらの結果から、AAゲノムを持つ五つの野生種は独立に進化し、栽培種O. sativaとO. glaberrimaはO. rufipogonとO. barthiiからそれぞれ由来したものであり、O. longistaminataとO. meridionalisは古い時期に分岐したものであると結論した。

 第四章では、O. glaberrimaに存在するp-SINE1の一メンバーr32内で見い出された418bpの挿入配列について述べている。この配列はイネゲノムに高コピーで存在し、末端逆向き配列を持ち、9bpの標的配列を重複していることから、DNA型転移性遺伝因子(Tnr8と命名)と考えられた。Tnr8は、その末端逆向き配列に六つの30bpのタンデム重複配列を含むという他のイネのDNA型転移性遺伝因子にはない構造的特徴を持つことから、新規因子であると結論した。

 以上、本論文はイネのレトロポゾンp-SINE1の挿入の有無により、栽培種O. sativaの起源を明らかにし、AAゲノムを持つ種の系統関係を明らかにすると共に、p-SINE1の一メンバー内に新規転移性遺伝因子が挿入していることを見い出したものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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