学位論文要旨



No 117240
著者(漢字) 荒木,徹也
著者(英字)
著者(カナ) アラキ,テツヤ
標題(和) 食品材料を対象とする凍結乾燥プロセスの最適化モデルに関する研究
標題(洋)
報告番号 117240
報告番号 甲17240
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2436号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 相良,泰行
 東京大学 教授 太田,猛彦
 東京大学 教授 野口,明徳
 東京大学 教授 西尾,茂文
 東京大学 助教授 宮脇,長人
内容要旨 要旨を表示する

 現在、凍結乾燥法はインスタントコーヒーに代表される食品産業やワクチンなどの医療分野などで幅広く応用されているが、凍結乾燥法を食品に適用する試みが始められたのは1930年代、Flosdorfをはじめとする研究グループによってであった。そして1960年代に入り食品凍結乾燥技術が実用化され、日本でも1960年に最初の食品凍結乾燥工場が設立された。その後1970年代の初期にインスタントラーメンが発売されたことにより、その具材を加工するための凍結乾燥設備が急激に増加した。また1980年代後半以降、卵スープ類、おかゆ、ミソやメニュー化された調理済凍結乾燥食品などの「成形加工食品」の登場により凍結乾燥設備はさらに増加した。この成形加工食品の生産量は約3,000トン(1995年)であり、国内総生産量の33.1%と大きな割合を占めている。

 凍結乾燥法は物理的・化学的変性の少ない高品質な乾燥製品が得られる乾燥技術であることから、食品産業分野での適用範囲の拡大が期待されている。一方、従来の乾燥法と比較してコスト面で割高であり、これを改善するために凍結乾燥装置の最適運転操作法を確立することが望まれている。食品材料の凍結乾燥速度は材料乾燥層の熱および物質移動速度に律速されるので、これを予測するためには材料に形成される乾燥層の移動物性値、すなわち熱伝導率と水蒸気の透過係数を非定常法で測定することが不可欠となる。しかしながら、凍結乾燥食品の移動物性値を定量的に測定した研究例は数少なく、また材料の凍結挙動を予測することが困難であるため、乾燥の前処理としての凍結工程を含めた凍結乾燥の全工程の最適化を検討することが不可能な現状にある。

 さらに、実用規模の凍結乾燥操作は材料の品質劣化を招かない加熱温度条件を経験的に決定し、その温度を採用して加熱棚温度一定の条件下で行われる。この現行方式では乾燥工程に20hr以上を必要とし、これに乾燥前後の処理工程に要する時間を加えると24hr以上を必要としている場合が多い。このため作業員の就労時間帯がシフトすることとなって、雇用のための費用が割高となるとともに、凍結乾燥工程のエネルギコストも高くなっている現状にある。これらの問題に対処するためには、対象材料ごとに材料表面の最適加熱温度プログラムを設定し、乾燥時間の短縮を図る必要がある。すなわち、凍結乾燥装置の最適運転操作法を決定するためのシミュレーションモデルの開発が望まれている。

 本論文ではまず、食品材料の最適乾燥プロセスを検討するために、高濃度塩分材料の代表としてミソペーストを、成形加工食品の代表として卵スープをそれぞれ試料に選び、その凍結乾燥特性と乾燥層の熱伝導率および透過係数を測定した結果、両試料ともその表面温度は55℃まで設定可能であることが分かった。また、高濃度塩分材料の乾燥速度は熱移動律速であること、熱伝導率は試料濃度が高いほど大きな値を示すこと、透過係数は圧力依存性を有することがそれぞれ認められた。また、卵スープについては、乾燥時間の短縮および24hr以内の乾燥サイクルの実現可能性が示唆された。

 細胞質材料の代表としてスライスリンゴを、比較対照試料としてすりおろしリンゴを選び、スライス試料については両面輻射加熱方式、すりおろし試料については片面輻射加熱方式によりそれぞれ凍結乾燥した。その結果、スライス試料では表面温度を10℃以上に設定することが困難であったのに対し、すりおろし試料では70℃まで設定可能であった。また、両試料の移動物性値を比較すると、熱伝導率はほぼ同じ値を示すのに対し、すりおろし試料の透過係数はスライス試料の4倍以上大きい値を示した。さらに、すりおろし試料の移動物性値に及ぼす凍結速度の影響が顕著にみられ、特に透過係数は凍結速度により決まる材料内部の氷結晶サイズに依存することが分かった。これらの結果から、組織の構造が破壊されたと考えられるすりおろし試料の乾燥速度は熱移動律速であるのに対し、スライス試料の乾燥速度は材料乾燥層を通過する水蒸気の移動抵抗により律速されることが確認された。

 相良は溶液系材料について、乾燥材料を半径が均一な毛細管束とみなした乾燥層モデルに含まれる幾何学的構造パラメータから透過係数を予測するための材料構造モデルを提唱した。しかしながら、このモデルに基づき計算された透過係数の理論値は、スライス試料の透過係数の実測値と比較して10倍以上大きい値を示した。そこで、細胞質材料の透過係数を予測するために、従来のモデルを補正し、水蒸気分子移動に対する細胞膜抵抗を考慮した材料構造モデルを提唱した。本モデルでは、均一な円柱状の細胞が直列に配置されており、それぞれの細胞膜が固有の膜抵抗値を有しているものと仮定した。また、顕微鏡観察の結果から、細胞の平均半径を150μmとし、スライス試料の細胞膜一枚の膜抵抗値を本モデルにより推算した。

 このようにして、細胞質材料を試料とした乾燥実験より透過係数値を計算し、他方乾燥材料の顕微鏡観察などにより細胞一個のサイズが分かれば、ここに述べたモデルにより単一細胞膜の水蒸気移動抵抗値を計算することが可能となった。すなわち、膜抵抗値推算モデルは、リンゴたけではなく他の細胞質材料の透過係数を予測するための一つの手法として利用可能であると考えられる。

 次に、凍結乾燥の前処理凍結プロセスを一次元的にシミュレーションすることを目的として、白樫らが提唱した生体凍結モデルを簡略化した。本モデルは凍害防御剤(CPA; Cryoprotective agent)を用いた生体組織の凍結保存プロセスを正確に記述しており、具体的には熱・物質同時移動方程式、Kedem-Katchalsky式により表現される膜輸送、熱平衡状態を仮定した細胞外凝固モデルおよびTonerらの細胞内核生成モデルに従って過冷却が起きるものとする細胞内凝固モデルから構成される。しかしながら、本モデルは複雑な数式や測定不可能なパラメータをいくつか含むために、モデルの妥当性の検証した研究例は赤血球およびブタ頸動脈にとどまっており、また食品材料に対する適用性は未だに検証されていない。

 本論文では、白樫モデルにおける細胞外凝固モデルおよび熱伝導方程式のみを食品材料に対して適用し、これをTienらが提唱した三層凍結モデルと組み合わせることにより、食品材料を対象とする新たな簡略化凍結モデルを開発した。凍結材料は冷却面に近い層から凍結層、移動境界層および未凍結層の3層からなり、未凍結層と移動境界層との界面が材料表面に到達すると同時に未凍結層は消滅し、凍結層が形成されるものと仮定した。また各層の界面温度はそれぞれ相図上の凍結点および共晶点温度で一定とした。モデル計算は二つのステップに分けられ、第一段階では界面移動速度をMurray-Landisの移動温度点法により計算し、凍結時間の関数として表現する。そして界面移動速度の時間回帰式を入力データとし、第二段階の数値計算で三層凍結モデルを用いることにより、固定点温度の経時変化を求めることが可能となる。

 溶液系食品材料の代表としてコーヒー水溶液を試料に選び、DSCによる示差熱量データから凍結点を求め、試料の凍結挙動を予測するために必要な相図を作成した。その結果、本研究で得られた相図はグルコースのそれとほぼ同じ値を示した。このことから基本的にはコーヒー溶液の凍結挙動はグルコース水溶液のそれと同様であり、凝固点降下の予測には通常用いられる擬二成分系モデルの適用が可能と考えられた。また、熱物性値は全て温度の関数として定式化し、特に有効熱伝導率は氷を分散相とするMaxwell-Euckenモデルを用いて記述した。

 以上述べた簡略化モデルを用い、相図および熱物性値を入力データとしてコーヒー水溶液の凍結プロセスを一次元的に計算し実測データと比較したところ、両者は良好に一致した。このように、溶液系材料の凍結挙動を正確に再現することが可能となった。特に凍結界面の移動速度は、材料内部に形成される氷結晶のサイズとの相互関連性を検討する上で有力な定量的指標となるものと考えられた。

 以上述べた細胞質の材料構造モデルや界面移動速度の数理モデルにより凍結乾燥プロセスにおける水蒸気移動速度を定量化することができれば、材料の品質を損なわない範囲で凍結乾燥速度が最大となるように加熱サイクルを最適制御するためのプログラムを作成することが可能となる。実用規模における凍結乾燥プラントの最適運転サイクルを決定するためには、材料の品質、特に過剰加熱による材料表面のSCORCHによる変色防止を考慮した加熱温度条件の設定が必要とされる。また、細胞質材料では凍結層の融解を引き起こさない加熱温度プログラムの確立が必要となる。

 これらの問題点を解決するための手法として、凍結乾燥プロセスにおける昇華面移動速度をシミュレーションするモデルを構築し、このモデルに基づく加熱サイクルの最適化手法を体系化した。さらに、本研究で得られた最適加熱サイクルのスケールアップの際に遭遇する問題点を明らかにしてモデルの修正を図ると共に、実用化プラントの設計や制御法に関する改善指針を提案した。また、本研究で得られた最適加熱プログラムを実用機で達成するために、乾燥機メーカーと乾燥機設計に関する検討を行い、卵スープ乾燥サイクルのスケールアップを実現した。これらの成果は大学・食品企業・乾燥機メーカー3者の共同特許として、現在公開されている(特開2000-139427)。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文では先ず既往の研究および実用面での報告を詳細に検討し、以下の諸点を明らかにしている。すなわち、1)凍結乾燥法は物理的・化学的変性の少ない高品質な乾燥製品が得られる乾燥技術であることから、食品産業分野での適用範囲の拡大が期待されていること。2)一方、従来の乾燥法と比較してコスト面で割高であり、これを改善するために凍結乾燥装置の最適運転操作法を確立することが望まれていること。3)食品材料の凍結乾燥速度は材料乾燥層の熱および物質移動速度に律速されるので、これを予測するためには材料に形成される乾燥層の移動物性値、すなわち熱伝導率と水蒸気の透過係数を測定することが不可欠となること。4)しかしながら、凍結乾燥食品の移動物性値を定量的に測定した研究例は数少なく、また材料の凍結挙動を予測することが困難であるため、乾燥の前処理としての凍結工程を含めた凍結乾燥の全工程の最適化を検討することが不可能な現状にあることなどである。これらのこれらの膨大な文献探索と分析の結果に基づき、学術的および実用面での問題点を解決するために、申請者は本論文の目的を次に示すように明瞭に設定している。以下に本論文の内容を新しい知見と成果に着目して述べる。

 本研究の目的は凍結乾燥が困難とされてきた食品材料の凍結乾燥特性と移動物性値を計測し、これらの計測結果に基づき材料の乾燥速度に影響を及ぼす要因を移動現象論の立場から明らかにするとともに、凍結乾燥プロセスの最適操作条件を定量的に検討するために有効なシミュレーションモデルを開発することにある。

 本論文ではまず、従来より凍結乾燥が困難とされてきた高濃度塩分材料の代表としてミソペースト、複合食品材料として卵スープおよび細胞質材料の代表としてリンゴをそれぞれ試料に選び、リンゴについてはスライス試料および溶液系材料と見なすことが可能であるすりおろし試料を対象とし、その凍結乾燥特性と移動物性値を測定することにより最適乾燥条件を検討した。その結果、高濃度塩分材料、複合食品材料およびすりおろし試料の乾燥速度は熱移動律速であるのに対し、細胞質材料であるスライス試料の乾燥速度は乾燥層の水蒸気移動抵抗により律速されることが確認された。そこで、細胞膜の膜抵抗値を推算する材料構造モデルを提唱し、このモデルが野菜や果物などの細胞質材料の透過係数を予測し、乾燥プロセスにおける材料表面の加熱温度条件を決定するのに有用であるという知見が得られた。さらに溶液系材料の透過係数は、凍結速度により決定される材料内部の氷結晶性状に依存することが明らかにした。

 ここで、特に溶液系材料では、前処理工程である凍結操作により乾燥層の構造、ひいては移動物性値をコントロールすることが可能であることを明らかにした。そこで、コーヒー溶液を対象とする凍結プロセスのシミュレーションモデルを構築することとした。具体的には、近年提唱された生体凍結モデルを簡略化し、溶液系材料の凍結曲線と氷結率分布を予測する三層凍結モデルを新たに提唱した。その結果、相図から得られる凍結点および熱物性値が分かれば、本モデルにこれらのデータを適用することにより溶液系材料の凍結挙動が予測可能となることを確認した。

 さらに、細胞質材料および複合食品材料の加熱温度条件をシミュレーションから検討した結果、熱移動律速である材料については乾燥前後の処理工程を含め24時間以内の操業サイクルが実現可能であることが明らかとなった。また、この最適加熱プログラムを実用プラントで達成するために、乾燥機メーカーと乾燥機設計に関する検討を行い、卵スープ乾燥サイクルのスケールアップを実現した。ちなみに、現在、この方式による実用プラントが稼働し、日産15,00食が生産されている。これらの成果は大学・食品企業・乾燥機メーカー3者の共同特許として、現在公開されている(特開2000-139427)。

 ここに述べたように、本論文は凍結乾燥が困難とされてきた食品材料の凍結乾燥特性と移動物性値を計測し、これらの計測結果に基づき材料の乾燥速度に影響を及ぼす要因を移動現象論の立場から明らかにするとともに、凍結乾燥プロセスの最適操作条件を定量的に検討するために有効なシミュレーションモデルを開発した内容となっている。これらの成果は真空下における材料内の相変化を伴う熱と物質の同時移動現象の解明に新しい知見を加え、また、本論文で開発された乾燥操作法は既に実用規模の凍結乾燥プラントに適用されている。以上の審査結果から、審査員一同は本論文の学術的な独創性と実用的な有用性を高く評価し、博士学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51150