学位論文要旨



No 117242
著者(漢字) 中居,正臣
著者(英字)
著者(カナ) ナカイ,タダオミ
標題(和) 琉球諸島西表島におけるニジハタの生活史と社会構造
標題(洋)
報告番号 117242
報告番号 甲17242
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2438号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 佐野,光彦
 東京大学 教授 会田,勝美
 東京大学 教授 青木,一郎
 東京大学 教授 塚本,勝巳
 東京大学 教授 黒倉,壽
内容要旨 要旨を表示する

 熱帯・亜熱帯域のサンゴ礁域の漁業において、ハタ科魚類は重要な漁獲対象資源のひとつであり、市場価値が高い。しかし、近年、乱獲による漁獲量の減少が世界各地で報告されている。このため、ハタ科魚類に対して、適切な資源管理を施した漁業の重要性が高まってきているが、資源管理に必要な生態学的知見は乏しい。そこで本研究では、沖縄地方のサンゴ礁域に普通に生息し、その生活史がほとんど解明されていないニジハタCephalopholis urodetaを対象に、成熟と産卵、年齢と成長、食性、および分布様式などの生活史と社会構造を明らかにすることを目的とした。1997年7月から2001年6月までに得た935個体の標本と潜水観察を基に、以下の解析を行った。

成熟と産卵

 採集した935個体の生殖腺の組織切片を観察したところ、36個体(4%)が卵母細胞と精母細胞の混在した両性生殖腺を持っていた。また、精巣中には卵巣腔や卵母細胞などが痕跡的に存在していた。さらに、ニジハタの全長は、雌、両性生殖腺を持つ個体、雄の順に大きくなり、また、性比は雌に偏っていた。これらのことから、ニジハタは雌性先熟魚であることが明らかになった。さらに、全長100mm以下の個体はすべて卵巣を持ち、かつ、調査したすべての精巣に卵巣腔が痕跡的に存在していたことから、ニジハタでは一次雄は存在せず、雄はすべて雌から性転換した二次雄であることが判明した。

 生殖腺体指数の経月変化と生殖腺の組織切片の観察から、網取湾におけるニジハタの産卵期は4月から5月までの2ヶ月間であることが明らかとなった。さらに、潜水観察によって、その産卵は月周期に同調し、満月の1-4日後の日没以降に雌雄のペアで行われることがわかった。同一卵巣内には、卵黄球期と吸水卵といった、成熟段階の異なる卵母細胞が同時にみられ、また、雌の数個体の腹部が4月に大きくなった後、いったん小さくなり、5月に再び大きくなったことが潜水観察で確認されたので、一産卵期中に複数回(おそらく1ヶ月間隔で2回)産卵すると思われた。1回あたりの産卵数は約4,300粒から54,300粒の範囲であると推定された。

 卵巣内に空濾胞を持つ最小の雌は全長115mmであった。さらに、空濾胞は確認できなかったが、成熟期の卵巣を持っていた最小の個体は全長91mmであった。したがって、ニジハタは全長100mm前後で成熟し、産卵するものと推察された。そこで、以下においては、全長が100mm以下のものを稚魚、100mmより大きなものを成魚と呼ぶことにする。

年齢と成長

 614個体の耳石(扁平石)を用いて年齢査定を行った。不透明帯と透明帯は年1回、それぞれ7-8月と3月に形成が完了するので、透明帯を年齢標示(年輪)とした。ニジハタは雌性先熟魚なので、雌雄を込みにして、輪径から逆算した全長にvon Bertalanffyの成長式を当てはめたところ、Lt=209.0[1−exp{−0.148(t+3.46)}]を得た。ここで、tは年齢、Ltはt歳時の全長(mm)である。当歳魚の成長は非常に早く、満1歳時までに極限全長の約50%にまで達し、その後、成長は緩やかになることが明らかになった。寿命は満16歳前後であると推定された。

食性

 調査した成魚204個体中、95個体(47%)が空胃であり、また、胃内容物重量指数[{胃内容物重量/(体重−胃内容物重量)}×100]は平均で0.6と非常に低い値を示した。したがって、摂餌量はかなり少ないことが明らかとなった。

 成魚は主に魚類と十脚類(特にエビ類)を餌としていた。成魚の食性には季節変化がみられ、2月に魚類の割合が減少し、逆にヤドカリ類が増加する傾向が認められた。

 稚魚については、104個体中、31個体(30%)が空胃であり、胃内容物重量指数は平均で0.9であった。主要な餌生物は魚類とエビ類で、成魚の食性とほぼ同じであった。

分布様式

 調査域の底質環境を空間構造の複雑さや水深帯などにより8区分し、各底質環境に出現したハタ科魚類を計数したところ、最も多かったのはニジハタで、全観察個体のほぼ50%を占め、次いで、カンモンハタ、アカハタ、アカハナ、およびバラハタが多くなっていた。これら5種は、全体の90%を占め、網取湾におけるハタ科魚類の優占種となっていた。

 最優占種のニジハタは礁原のサンゴパッチ域、枝サンゴ域、テーブルサンゴ域、死滅サンゴ域、および礁斜面のサンゴ礫域に広く分布していた。全長別に分布様式を調べてみると、全長100mm以下の稚魚は礁斜面のサンゴ礫域、特にサンゴ礫のみが堆積する場所に主に出現するが、全長101-150mmの個体は砂地とアマモ場を除いたすべての底質に一様に分布することがわかった。全長151-200mmの個体は礁原の枝サンゴ域やサンゴパッチ域に多く、また、全長201mm以上の個体は水深5-15mの礁斜面のサンゴ礫域にのみ、わずかに出現した。したがって、網取湾においてニジハタは、まず礁斜面のサンゴ礫域で稚魚期を過ごし、その後成長するにつれて、礁原の枝サンゴ域やサンゴパッチ域などに徐々に移動していくものと考えられた。

社会構造

 成魚の行動圏を潜水観察で調べたところ、雌の行動圏は互いに重なり合わず、雄の行動圏も他の雄の行動圏と重なり合うことがなかった。さらに、ニジハタの雌雄は同種同性、あるいは食性の似た他魚種に対して激しい排除行動を示したことより、雌雄の行動圏はなわばりであることが明らかになった。また、雄のなわばりは広く(平均107m2)、その中には雄よりも小さな2-8個体の雌が存在しており、それらのなわばりは雄のなわばり内にほぼ収まっていた。したがって、ニジハタ成魚はなわばり型ハレムを形成していることが判明した。

 雌から雄への性転換がいつ、どのような条件下で起こるのかを明らかにするために、成魚の主生息場所であるサンゴパッチ域と枝サンゴ域で、ハレムの長期的な観察や雄の除去実験を行った。その結果、2つの調査域でそれぞれ異なった様式の性転換がみられた。まず、サンゴパッチ域では、雄が死亡などにより消失した場合のみ、そのハレム内の最大雌が雄に性転換し、ハレムの他の雌を囲い、消失雄のハレムを引き継ぐようなかたちで新しいハレムを形成するという後継性転換がみられた。一方、枝サンゴ域ではハレム分割性転換がみられ、ハレム雄の存在下でも、ハレム内の最大雌が性転換し、属していたハレム内の雌の数個体を囲って、新たなハレムを形成した。このような性転換様式の違いは、ハレム間の距離とハレム内の雌の数が両調査域で異なるために生じたと考えられた。すなわち、サンゴパッチ域では、ハレム内の雌が相対的に多くはないため、雄は雌に対する干渉行動を十分に行うことができ、最大雌の性転換を強く抑制することができる。したがって、雄が消失した時のみ、最大雌は性転換できると考えられた。さらに、サンゴパッチ域では、散在するサンゴパッチにハレムが形成されるので、各ハレムは互いに離れ、孤立して存在する。そのため、他のハレムの雄に乗っ取られることなく、最大雌が性転換でき、そのハレムを引き継ぐことができると推察された。一方、枝サンゴ域では、各ハレムが互いに隣接して存在するため、ハレムの雄が消失すると、隣接ハレムの雄による乗っ取りが起こる。その結果、乗っ取り雄は多くの雌を囲うことになり、また、近隣雄に対するなわばり防衛も行わなければならないため、各雌への干渉行動が減少し、最大雌の性転換を抑制できなくなる。したがって、枝サンゴ域ではハレム雄の存在下でも、最大雌が性転換できると考えられた。

 このように、本研究では、網取湾におけるニジハタの底生生活期の生態を明らかにすることができた。しかし、孵化から礁斜面に着底するまでの浮遊期の生態については、本研究で明らかにすることはできなかった。今後は、浮遊仔魚の分布や成長などを定量的に調査し、いつ頃、どの大きさになって着底するのかを解明していく必要があると考える。

審査要旨 要旨を表示する

 サンゴ礁域に生息するハタ科魚類は,重要な漁獲対象魚のひとつとなっているが,その生活史について明らかにされている魚種は意外に少ない。そこで,本研究は,沖縄県西表島のサンゴ礁域に普通に生息し,その生活史がほとんど解明されていないニジハタを対象に,成熟と産卵,年齢と成長,食性,分布様式,および社会構造を,長期にわたる潜水観察と標本採集によって明らかにしようとしたものである。本研究結果の概要は以下のとおりである。

成熟と産卵

 生殖腺の組織切片を観察したところ、卵母細胞と精母細胞の混在した両性生殖腺を持つ個体がみられた。また、すべての精巣中には、卵巣腔などが痕跡的に存在していた。さらに、ニジハタの全長は、雌、両性生殖腺を持つ個体、雄の順に大きくなっていった。したがって、ニジハタは雌から雄に性転換する雌性先熟魚であることがわかった。

 生殖腺体指数の経月変化や潜水観察などから、網取湾におけるニジハタの産卵期は4月から5月までの2ヶ月間であり、さらに、その産卵は月周期に同調し、満月の1-4日後の日没以降に雌雄のペアで行われることが明らかになった。最小成熟全長は100mm前後であると推定された。

年齢と成長

 耳石の不透明帯と透明帯は年1回、それぞれ7-8月と3月に形成が完了する。そこで、透明帯を年輪とし、輪径から逆算した全長にvon Bertalanffyの成長式を当てはめたところ、Lt=209.0[1-exp{-0.148(t+3.46)}]という式が得られた。ここで、tは年齢、Ltはt歳時の全長(mm)である。当歳魚の成長は非常に早く、満1歳時までに極限全長(209.0mm)の約50%にまで達するが、それ以降、成長は緩やかになることが明らかとなった。また、寿命は満16歳前後であると推定された。

食性

 胃内容物を解析したところ、成魚は主に魚類と十脚類(特にエビ類)を餌とすることが判明した。成魚の食性には季節変化がみられ、2月に魚類の割合が減少し、逆にヤドカリ類の割合が増加する傾向が認められた。また、全長100mm以下の稚魚の主要な餌生物は魚類とエビ類で、成魚の食性とほぼ同じであった。

分布様式

 ニジハタは礁原のサンゴパッチ域,枝サンゴ域,テーブルサンゴ域,死滅サンゴ域,および礁斜面のサンゴ礫域に広く分布していた。全長別に分布様式を調べてみると,全長100mm以下の稚魚は主に礁斜面のサンゴ礫域に出現するが、全長101-150mmの個体は砂地とアマモ場を除いたすべての底質に一様に分布することがわかった。さらに、全長151mm以上になると、礁原の枝サンゴ域やサンゴパッチ域に多く出現した。したがって、網取湾においてニジハタは、まず礁斜面のサンゴ礫域で稚魚期を過ごし、その後成長するにつれて、礁原の枝サンゴ域やサンゴパッチ域などに徐々に移動していくものと考えられた。

社会構造

 ニジハタの成魚は雄1個体のなわばり中に、雌2-8個体のなわばりが存在する,なわばり型ハレムを形成することがわかった。雌から雄への性転換がどのような条件下で起こるのかを明らかにするため、成魚の主生息場所であるサンゴパッチ域と枝サンゴ域で、ハレムの長期的な観察や雄の除去実験を行った。その結果,ふたつの生息場所でそれぞれ異なった様式の性転換がみられた。まず,サンゴパッチ域では、雄が死亡などにより消失した場合にのみ、そのハレム内の最大雌が雄に性転換し、ハレムの他の雌を囲い、消失雄のハレムを引き継ぐようなかたちで新しいハレムが形成された。一方、枝サンゴ域では、ハレム雄の存在下でも、ハレム内の最大雌が性転換し、属していたハレム内の雌の数個体を囲って、新たなハレムが形成された。このような性転換様式の違いは、ハレム間の距離とハレム内の雌の数が両生息場所で異なるために生じたと考えられた。

 以上,本研究はニジハタの底生生活期の生態を詳細に解明したものであり,ハタ科魚類の資源管理や増養殖に必要な基礎的知見を提供するとともに,サンゴ礁魚類の生態に関する今後の研究の発展に寄与するところが少なくない。よって審査委員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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