学位論文要旨



No 117245
著者(漢字) 中道,一生
著者(英字)
著者(カナ) ナカミチ,カズオ
標題(和) ウシヘルペスウイルスI型感染の分子生物学的解析
標題(洋) Molecular Biological Analyses of Bovine Herpesvirus I Infection
報告番号 117245
報告番号 甲17245
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2441号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大塚,治城
 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 教授 明石,博臣
 東京大学 助教授 遠矢,幸伸
 東京大学 助教授 松本,安喜
内容要旨 要旨を表示する

 ウシヘルペスウイルスI型(BHV-1)は、ヘルペスウイルス科、アルファヘルペスウイルス亜科に属する。BHV-1は牛を自然宿主とし、牛伝染性鼻気管炎や結膜炎、伝染性膿疱性陰門膣炎、流産等を引き起こす。また、BHV-1感染牛ではウイルスが三叉神経節や仙骨神経節に潜伏感染し、それらが再活性化することで新たな感染源となる。現在、BHV-1は世界各地に分布しており、畜産分野において経済的に重要視されている。本研究は、分子生物学的手法を用いてBHV-1の感染、増殖機構を明らかにすることを目的とし、以下の3章より構成される。

(1) BHV-1の宿主細胞特異性(第1章)

 アルファヘルペスウイルスの中でも、BHV-1は狭い宿主細胞域を示し、ウシ以外の動物に由来する細胞ではウイルス増殖が著しく低下する。これに対して、同亜科に属し、BHV-1と近縁な豚オーエスキー病ウイルス(PrV)は、極めて幅広い宿主細胞域を示す。そこで、PrVの吸着、侵入に関与する糖蛋白質gCとgBを発現させたBHV-1変異株の宿主細胞域を調べた。QCPCRによるBHV-1の微量定量解析の結果、PrVのgCとgBを発現させることで、BHV-1感染に対して低感受性のハムスター肺由来(HmLu-1)細胞への吸着と侵入が飛躍的に増大し、ウイルス増殖が顕著に増加した。このことより、低感受性HmLu-1細胞におけるBHV-1の増殖低下は、ウイルスの吸着や侵入の段階で生じていることが示唆された。

 マウス胚由来のA31細胞はBHV-1感染に対して非感受性を示し、感染性のBHV-1粒子が全く産生されない。A31細胞において、BHV-1はHmLu-1細胞の場合と同程度のウイルス吸着や侵入を示した。また、A31細胞内に侵入したBHV-1は、効率よく細胞核へ輸送された。しかしながら、BHV-1の前初期蛋白質であるICP4の発現やウイルスゲノムの複製は検出されなかった。PrVのgCおよびgBの発現はA31細胞へのBHV-1侵入を促進したが、ICP4の発現は確認されなかった。このことより、非感受性A31細胞におけるBHV-1の増殖障害は、細胞内への侵入の段階ではなく、核移行から前初期蛋白質の発現までの段階で生じていることが示唆された。

(2) BHV-1感染の細胞間伝播(第2章)

 アルファヘルペスウイルスは、標的細胞内での増殖後、細胞間の接着部(cell junction)を介して未感染細胞へと伝播する。この増殖様式は、ウイルスが宿主免疫系による攻撃を回避する上で有利であると考えられており、糖蛋白質gEやgIの関与が示唆されている。本章では、機能が明らかとなっていない糖蛋白質gGに注目し、BHV-1の細胞間伝播におけるgGの役割について検討した。ウシ腎上皮由来のMDBK細胞において、gGを欠損させたBHV-1変異株は、野生型のBHV-1と同程度のウイルス侵入能力を示した。しかしながら、糖蛋白質gEやgIを欠損させた場合と同様に、BHV-1-gGを欠損させることで、細胞から細胞へのウイルス伝播による増殖が有意に低下した。BHV-1-gG欠損株に正常なgG遺伝子を組み込んだBHV-1復帰株は、野生株と同様の性状を示した。このことより、BHV-1-gGは、ウイルスの細胞間伝播において機能することが示唆された。

 共焦点レーザー顕微鏡を用いた解析の結果、BHV-1-gEは細胞間の接着部に局在することが分かった。これに対して、BHV-1-gGは細胞間接着部と細胞核付近の細胞質に蓄積しており、BHV-1-gEとは異なる細胞内分布を示すことが分かった。野生型やgE欠損株に感染したMDBK細胞では、細胞接着分子であるカドヘリンやβ-カテニンが細胞間接着部に蓄積し、細胞間接着が維持されることが分かった。これに対して、BHV-1-gG欠損株に感染したMDBK細胞では、カドヘリンやβ-カテニンは細胞質中に分布し、細胞間接着が乖離した。この結果から、BHV-1-gGは感染細胞間の細胞接着を維持することで、ウイルスの細胞間伝播を促進することが示された。

(3) BHV-1蛋白質による細胞自殺の制御

 アルファヘルペスウイルスは標的細胞に対して細胞自殺(アポトーシス)を抑制することが報告されている。また、細胞種によってはアポトーシスを誘導することも知られている。本章では、アポトーシス制御に関与するBHV-1蛋白質の同定を試みた。BHV-1-gG欠損株は、ウサギ腎由来RK13細胞において増殖能力の低下と、特徴的な細胞変性効果(CPE)を示した。BHV-1-gG欠損株に感染した場合、対照群と比較して感染細胞の生存率が低下した。また、ウイルス増殖の初期段階(感染後約8時間)において、ゲノムDNAの断片化(DNA ladder)と細胞核の凝縮が観察された。アポトーシスに関与するカスパーゼの阻害剤(Z-Asp-CH2-DCB)の存在下では、BHV-1-gG欠損株によるRK13細胞のアポトーシスが抑制され、gG-欠損株のウイルス増殖が有意に増加した。これらの結果より、RK13細胞において、BHV-1-gGは増殖初期段階でのアポトーシスを遅らせることで、ウイルス増殖を促進する働きをもつことが示唆された。

 アルファヘルペスウイルスは様々な細胞種にアポトーシスを誘導することが知られているが、直接的にアポトーシス経路を活性化するウイルス蛋白質は未だ報告されていない。本研究では、BHV-1のUs ORF8遺伝子によってコードされる産物(Us ORF8蛋白質)を同定し、Us ORF8蛋白質の発現によって引き起こされる細胞毒性について検討した。大腸菌発現系によってUs ORF8遺伝子産物を発現させ、これを用いてUs ORF8蛋白質に対する抗体を得た。BHV-1感染細胞を用いたウェスタンブロット解析の結果、分子量約27kDaと32kDaの蛋白質が検出され、翻訳後修飾の可能性が考えられた。バキュロウイルス(AcNPV)に、哺乳類プロモーター(CAGプロモーター)の下流にUs ORF8を接続した発現ユニットを組み込んだウイルスベクター(Ac/CA8)を作製した。Ac/CA8を用いてRK13細胞内にUs ORF8蛋白質を高発現させたところ、細胞の縮小と細胞生存率の低下が観察された。Us ORF8を発現するRK13細胞では、ゲノムDNAの断片化と、細胞核の凝縮が検出された。BHV-1遺伝子発現プラスミドとβ-ガラクトシダーゼ遺伝子発現プラスミドとの共発現系を用いた細胞毒性試験の結果、他のBHV-1蛋白質(膜蛋白質、分泌蛋白質、酵素)では、Us ORF8蛋白質のような細胞毒性ならびにアポトーシスの誘導は観察されなかった。このことから、BHV-1 Us ORF8遺伝子産物の一過性発現は、RK13細胞においてアポトーシス経路を活性化し、細胞毒性を示すことが明らかとなった。

 RK13細胞に感染した野生型BHV-1株は、ウイルス増殖の後期においてアポトーシスを誘導する。このアポトーシス経路の活性化におけるUs ORF8蛋白質の関与を調べるため、Us ORF8遺伝子にPrVのチミジンキナーゼ遺伝子領域を挿入したUs ORF8蛋白質欠損BHV-1株(BHV-1/D8株)を作出した。BHV-1/D8に感染したRK13細胞では、野生株に感染した場合と比較して、感染細胞の生存率が増加した。また、BHV-1増殖後期にみられるアポトーシスの誘導は検出されなかった。さらに、BHV-1/D8はRK13細胞内において野生株よりも高い増殖性を示した。しかしながら、Us ORF8蛋白質の欠損により、RK13細胞外への感染性BHV-1粒子の放出が有意に低下した。また、MDBK細胞では、Us ORF8蛋白質の欠損によるBHV-1の細胞毒性や増殖能力の変化は観察されなかった。これらの結果より、Us ORF8蛋白質は、BHV-1の増殖後期において細胞種特異的にアポトーシスを誘導し、細胞外へのウイルス粒子の放出を促進することが示された。

 以上の研究結果は、アルファヘルペスウイルス感染機構の解明において有用な知見を与えるものと思われる。

審査要旨 要旨を表示する

 審査委員一同は、平成14年1月17日、申請者により提出された論文「Molecular Biological Analyses of Bovine Herpesvirus 1 Infection」(ウシヘルペスウイルスI型感染の分子生物学的解析)について審査を行った。本研究は、世界各地に分布し畜産分野において経済的な損失を引き起こしているウシヘルペスウイルスI型(BHV-1)の感染機構を分子レベルから解析することを目的としたものであり、3章から構成される。論文中には数箇所の修正点がみられたものの、論文自体の完成度は非常に高く、問題意識を明確とした文章構成、ならびに実験結果に対する考察の論理展開は高く評価できる。以下に各章の評価を述べる。

 第一章では、BHV-1の狭い宿主域に注目し、その宿主細胞特異性を決定する機構を解析した。低感受性細胞では、ウイルスの吸着や進入が低下することでBHV-1の増殖が低下することでウイルスの増殖が低下することを示した。これに対して、非感受性細胞ではBHV-1が細胞核に輸送された後、前初期遺伝子産物BICP4の発現が低下することで、ウイルス増殖が阻害されることを示した。本章の研究結果は、BHV-1の細胞特異性がウイルス侵入以外の段階で決定されていることを示唆しており、アルファヘルペスウイルスの宿主特異性を決定する新たな機構として有用な知見であると考えられた。

 第二章では、上皮細胞におけるBHV-1の細胞間伝播を調べ、BHV-1がコードする糖蛋白質gGが関与することを示した。また、BHV-1が上皮細胞間を伝播する際には、カドヘリンやβカテニンといった細胞間接着分子を細胞間に蓄積させることで細胞間の接着を維持することを見いだした。BHV-1の遺伝子欠損株を用いた性状解析の結果、BHV-1 gGがこの伝播過程において必須であることを示した。これらの結果は、アルファヘルペスウイルス感染の際には、宿主細胞の接着分子の細胞内動態を変化させ、ウイルス伝播を促進することを示唆するものであり、これに関与する遺伝子産物の同定は大きな意義をもつものと考えられた。

 第三章では、BHV-1感染による宿主細胞のアポトーシス制御に関与するウイルス遺伝子産物を探索した。本章では、gGを欠損したBHV-1変異体が、上皮腫瘍細胞においてアポトーシスを促進することに注目し、gGが感染初期において生じるアポトーシスを抑制していることが分かり、さらにアポトーシス抑制によって感染初期段階でのウイルス増殖を促進していることを示した。また、野生型BHV-1に感染した細胞では、ウイルス増殖後期の段階でアポトーシスが誘導されるが、アポトーシスを誘導するBHV-1蛋白質として、Us ORF8蛋白質を同定し、この蛋白質は一過性発現細胞において、細胞種特異的にアポトーシスを誘導することが明らかとなった。さらに、BHV-1の増殖サイクルにおけるUs ORF8蛋白質の役割を調べるため、この蛋白質を欠損させたBHV-1変異株を作製し、性状解析を行った結果、Us ORF8蛋白質は増殖後期過程において感染細胞にアポトーシスを誘導すること、これによって細胞外へのウイルス粒子の放出を促進していることが明らかとなった。本章における一連の研究において、BHV-1感染によって宿主細胞のアポトーシスが抑制もしくは誘導されることを示し、この過程において機能するウイルス遺伝子産物を同定したことは、アルファヘルペスウイルス感染によるアポトーシス制御機構を理解する上で大きな意義をもつものと思われた。とりわけ、BHV-1 Us ORF8蛋白質によるアポトーシスの誘導は、アルファヘルペスウイルスがコードするアポトーシス誘導蛋白質としては、初の知見であり、その生物学的意味をも包含した本研究はアルファヘルペスウイルス研究における新たな展開を感じさせた。

 以上のように、本論文の大部分は、他のヘルペスウイルスにおいては報告されていない新規性と独創性をもった内容であり、その成果は、牛のウイルス感染の機構解明といった枠を越え、我々人間のウイルス感染症を研究する上でも大きな貢献を果たすことが期待できた。以上の審査結果から、審査委員一同は、本論文を博士学位論文として価値あるものと認めた。

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