学位論文要旨



No 117248
著者(漢字) 秋田,恵
著者(英字)
著者(カナ) アキタ,メグミ
標題(和) 動脈硬化症ウサギにおける神経性循環調節機能に関する研究
標題(洋)
報告番号 117248
報告番号 甲17248
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2444号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 局,博一
 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 助教授 尾崎,博
 東京大学 助教授 桑原,正貴
内容要旨 要旨を表示する

 循環機能は生命に直結する基幹的な役割を果たしているため,循環機能を正常に保つことは生体の恒常性を維持する上で極めて重要である。循環調節は生体内部の様々な機構から成り立っているが,中でも神経性調節機構は主要な役割を担っている。このため各種の循環器病態において発現する神経性調節機構の変化や状態を明らかにすることは,その病態の解明に役に立つばかりでなく,本来持っている正常な循環調節機構の本質を見極める上でも重要である。本研究は,循環機能の恒常性維持あるいはその破綻に関わる神経性調節機構の役割を知るために,動脈硬化症のモデル動物として知られるKHCウサギを用い,各種の実験条件下における循環動態の変化とそれに関与する神経性調節機構の性状を明らかにするために行われた。本研究ではKHCウサギの動脈硬化病変の進展の程度を考慮して,全体を通して5カ月齢と10カ月齢の2群を設定し,対照の正常動物である同月齢のJWウサギと比較検討した。

 まず第二章では,加齢に伴う心機能変化の一端を知る目的で,50カ月齢以上の高齢JWウサギと5カ月齢および10カ月齢のKHCウサギの心電図変化について5カ月齢および10カ月齢の正常JWウサギと比較した。その結果,高齢ウサギの心電図には期外収縮を中心とした不整脈が多数観察され,さらにJWウサギと比べてRR間隔のばらつきの減少とQT間隔のばらつきの増大が見られた。KHCウサギには記録期間中に不整脈は観察されなかったものの,高齢ウサギと同様にJWウサギと比べてRR間隔のばらつきの減少とQT間隔のばらつきの増大が観察された。この傾向は加齢に伴いより顕著となった。これらの現象はKHCウサギにおいて自律神経系による心拍の調節機構に何らかの異常が存在することや,心室筋の再分極過程における不安定性が存在することを示唆している。

 第三章では,テレメトリー法を用いて5カ月齢および10カ月齢のKHCウサギの心拍数,血圧,体温および活動量の長時間記録を行い,それらの日内変動の特徴を明らかにした。JWウサギでは心拍数,体温および活動量が暗期に高くなる夜行性のパターンが観察された。しかしながら,KHCウサギにおいては5カ月齢における心拍数と10カ月齢における心拍数および活動量が明期に高くなる日内変動を示した。さらにJWウサギでは加齢に伴って心拍数が低下したが,10カ月齢のKHCウサギでは同月齢のJWウサギに比べて心拍数が高い傾向が観察された。一方,血圧はすべての群において明瞭な日内変動を示さなかった。また10カ月齢のKHCウサギの脈圧は同月齢のJWウサギに比べて大きかった。さらにKHCウサギにおける血圧の短期変動(血圧値の一時間内の標準偏差)は5カ月齢に比べて10カ月齢で増大する傾向が見られた。

 KHCウサギの加齢に伴う上述の心機能や血圧の変化は自律神経系機能における何らかの変化を反映していることが推測された。このため第四章ではKHCウサギの自律神経系機能の変化に関して多面的な分析を試みた。その結果,5カ月齢のKHCウサギにおいては副交感神経活動を反映するLF成分およびHF成分のパワー値は他群に比べて有意に高値を示すことが明らかとなった。さらにLF/HF比は同月齢のJWウサギおよび10カ月齢のKHCウサギに比べて低い傾向が見られた。このことは5カ月齢のKHCウサギでは副交感神経系が比較的優位な状態にあることを示すものと考えられた。一方,10カ月齢のKHCウサギではLF/HF比が同月齢のJWウサギと比べ有意に高く,また5カ月齢のKHCウサギと比べても高い傾向にあったことから,KHCウサギは加齢に伴い自律神経系のバランスが交感神経系優位な状態に変化することが示唆された。10カ月齢のKHCウサギでは安静時心拍数が他群と比べて有意に高いことも示された。さらに,自律神経遮断薬(アトロピンおよびプロプラノロール)投与による心拍数変化から自律神経緊張度の算出を行った結果,5カ月齢のKHCウサギにおける正味の自律神経緊張度は,同月齢のJWウサギと比べてより副交感神経緊張型であった。JWウサギでは加齢に伴って正味の自律神経緊張度には変化が示されなかったのに対し,KHCウサギにおいては加齢に伴って副交感神経緊張度が有意に低下した。心臓の固有心拍数(IHR)は,KHCウサギにおいては加齢が進んでも高値で維持された。5カ月齢のKHCウサギにおいては副交感神経活動が高いために,この高いIHRに対して安静時心拍数(CHR)が低く保たれているが,副交感神経活動が減弱し相対的に交感神経系が優位な状態になることが10カ月齢のKHCウサギにおけるCHRの上昇に関与しているものと考えられた。またテレメトリー法を用いた自由行動下の長時間心電図記録をもとに心拍変動解析を行い,自律神経系機能の日内変動を調べた。JWウサギおよび5カ月齢のKHCウサギにおいては自律神経系機能に心拍数の日内変動に一致した変動が観察されたが,10カ月齢のKHCウサギにおいては明瞭な日内変動は認められず,自律神経系機能に何らかの変化が生じている可能性が推察された。KHCウサギで見られた上述の自律神経系機能の変化は動脈硬化症の進展に密接に関連していると考えられた。

 一方,KHCウサギにおいては生後3カ月齢ごろより大動脈弓などに動脈硬化性の病変形成が認められ,加齢とともに末梢部位へと進展することから,圧反射機能の変化が自律神経系やそれに制御される循環動態にも影響を及ぼすと考えられる。そこで,第五章ではKHCウサギにおける動脈圧反射機能の特徴を明らかにする目的で,以下の実験を行った。まず血管作動薬(ニトロプルシドおよびフェニレフリン)投与による血圧変化に対する反射性の心拍反応を評価した。10カ月齢のKHCウサギでは他群に比べて降圧時および昇圧時ともに血圧変化量に対する心拍数の変化量が減少した。このことから圧反射機能の低下が明らかとなった。急速少量脱血による血圧低下に対する急速血圧調節能の評価では,5カ月齢および10カ月齢のKHCウサギにおける開ループゲイン(G)は同月齢のJWウサギと比べて有意に低値を示した。またKHCウサギにおいては加齢に伴ってG値の低下が見られた。このことから,KHCウサギでは急速血圧調節能が低下しているが,その低下は加齢に伴ってより強調されることが示された。つぎに,大動脈神経切断および総頸動脈閉塞による反射性の血圧上昇により大動脈圧受容器および頚動脈洞圧受容器のそれぞれの機能について評価を行った。KHCウサギにおいては大動脈圧受容器機能の低下が示されたが頸動脈圧受容器の機能には顕著な変化が生じていないことが明らかとなった。

 以上の結果から,KHCウサギにおける粥状動脈硬化の進展には圧反射機能の低下が密接に関連していることが明らかとなり,また,この機能低下は循環動態や自律神経系機能にも変化をもたらしている重要な要因であると考えられた。

 最後に,近年,動脈硬化抑制作用などの様々な生理作用を持つといわれ注目されているカカオポリフェノール(CLP)の動脈硬化症の進展に与える影響と,それに関連する循環機能への影響を明らかにするための実験を行った。テレメトリー法を用いた長期間にわたる観察でCLPをKHCウサギに長期間にわたって投与した場合,活動量には影響が生じなかったが心拍数と血圧には有意な低下がみられた。また加齢に伴う脈圧の上昇と血圧の短期変動の増大が有意に抑制された。さらにCLP投与により自律神経系機能にも変化が見られた。すなわちCLP投与開始から2カ月目では対照群と比べて交感神経系活動が優位になり,6カ月目では対照群と比べて副交感神経活動が増大する傾向が示された。このことからCLPの長期間投与により,KHCウサギの加齢に伴う副交感神経系機能の低下が抑制されると考えられた。また,この効果は上述のCLP群における加齢に伴う心拍数の低下を裏付けると考えられた。一方,CLPの投与はKHCウサギにおける粥状硬化病変の進展を抑制した。CLP群では加齢に伴う圧反射機能の低下を抑制することが確認されたが,圧受容器近傍の粥状硬化病変の抑制がこの作用に関与しているものと考えられた。次いで,CLPの持つ抗酸化作用に注目してKHCウサギの血中LDL酸化に対するCLP投与の影響を検討した結果,LDLの酸化は抑制される傾向を示したものの,その効果はそれほど劇的ではなかった。このためCLP投与による動脈硬化の進展抑制作用にはその抗酸化作用の貢献度はそれほど大きいものではなく,むしろ他の原因による血圧低下などの循環機能の変化がより貢献している可能性が考えられた。

 以上を総合して考えると,動脈硬化症においては粥状硬化性病変に起因する血管壁の力学的変化や大動脈圧受容器を介した神経性調節機構に障害が起こるため,その代償性過程が循環動態の変化や自律神経系機能の経時的な変化として表れるものと考えられた。しかしながら,その反面それらの調節機構の変化が動脈硬化病変の進展をさらに憎悪するという悪循環が成立することが示唆された。本研究により動脈硬化症の進展と循環調節機構の変遷の関連性の一端を示すことができた。この結果は循環調節からみた動脈硬化症やそれに付随する重篤な疾患の予防および治療を考える上で有益な情報を提供するものと思われる。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は,循環機能の恒常性維持における神経性調節機構の役割を明らかにするために,動脈硬化症のモデル動物として知られるKHCウサギを用い,各種の実験条件下で循環動態の変化を調べたものである。

 まず,加齢に伴う心機能変化の一端を知る目的で,50カ月齢以上の高齢JWウサギと5カ月齢および10カ月齢のKHCウサギの心電図変化を調べた。その結果,高齢ウサギの心電図には期外収縮を中心とした不整脈が多数観察され,さらにJWウサギと比べてRR間隔のばらつきの減少とQT間隔のばらつきの増大が見られた。この傾向は加齢に伴いより顕著となった。

 ついで,テレメトリー法を用いて5カ月齢および10カ月齢のKHCウサギの心拍数,血圧,体温および活動量の長時間記録を行い,それらの日内変動の特徴を明らかにした。JWウサギでは心拍数,体温および活動量が暗期に高くなる夜行性のパターンが観察された。しかしながら,KHCウサギにおいては5カ月齢における心拍数と10カ月齢における心拍数および活動量が明期に高くなる日内変動を示した。さらに、10カ月齢のKHCウサギでは同月齢のJWウサギに比べて心拍数が高い傾向が観察された。一方,血圧はすべての群において明瞭な日内変動を示さなかった。また10カ月齢のKHCウサギの脈圧およびその短期変動は同月齢のJWウサギに比べて大きかった。

 つぎに、自律神経系機能の変化を心拍間隔パワースペクトラムのLF成分およびHF成分ならびに自律神経作用薬の効果にもとづいて解析した。その結果,5カ月齢のKHCウサギでは副交感神経系が優位な状態にあることや,KHCウサギでは加齢に伴い自律神経系のバランスが交感神経系優位な状態に変化することが示唆された。また、10カ月齢のKHCウサギでは安静時心拍数が他群と比べて有意に高いことも示された。さらに、テレメトリー法を用いた自由行動下の長時間心電図記録では、10カ月齢のKHCウサギにおいては明瞭な日内変動が消失することが示された。

 ついで、血管作動薬(ニトロプルシドおよびフェニレフリン)投与による血圧変化に対する反射性の心拍反応および急速少量脱血に対する急速血圧調節能の評価を行ったところ,5カ月齢および10カ月齢のKHCウサギでは開ループゲイン(G)が同月齢のJWウサギに比べて有意に低値を示した。またKHCウサギにおいては加齢に伴ってG値の低下が見られた。以上の結果から,KHCウサギにおける粥状動脈硬化の進展には圧反射機能の低下が密接に関連していること、また,この低下は循環動態や自律神経系機能にも変化をもたらす重要な要因であると考えられた。

 最後に,動脈硬化抑制作用などの様々な生理作用を持つといわれるカカオポリフェノール(CLP)の循環機能への影響を明らかにするための実験を行った。CLPをKHCウサギに長期間にわたって投与した場合,活動量には影響が生じなかったが心拍数と血圧には有意な低下がみられた。また加齢に伴う脈圧の上昇と血圧の短期変動の増大が有意に抑制された。さらに自律神経系機能は、投与の6カ月目で対照群に比べて副交感神経活動が増大する傾向が示された。このことからCLPの長期間投与により,KHCウサギの加齢に伴う副交感神経系機能の低下が抑制されると考えられた。一方,組織学的検査ではCLPの投与によりKHCウサギにおける粥状硬化病変の進展が顕著に抑制された

 上記の成績から,動脈硬化症においては粥状硬化性病変に起因する血管壁の力学的変化や大動脈圧受容器を介した神経性調節機構に障害が起こるため,その代償性過程が循環動態の変化や自律神経系機能の経時的な変化として表れるものと考えられた。しかしながら,その反面それらの調節機構の変化が動脈硬化病変の進展をさらに憎悪するという悪循環が成立することが示唆された。

 以上を要するに、本論文は動脈硬化症の進展と神経性循環調節機構の変化との関連性を実験的に証明したものであり、その成果は学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって、審査員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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