学位論文要旨



No 117249
著者(漢字) 石田,真帆
著者(英字)
著者(カナ) イシダ,マホ
標題(和) ジーンターゲティング法を用いた20α−水酸化ステロイド脱水素酵素機能に関する研究
標題(洋)
報告番号 117249
報告番号 甲17249
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2445号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西原,眞杉
 東京大学 教授 塩田,邦郎
 東京大学 助教授 内藤,邦彦
 東京大学 助教授 山内,啓太郎
 東京大学 教授 岩倉,洋一郎
内容要旨 要旨を表示する

 アルド・ケト還元化酵素群に属するステロイド代謝酵素である20α−水酸化ステロイド脱水素酵素(20α-HSD)は,黄体ホルモン(progesterone)を生物学的に不活性な20α-dihydroprogesterone(20α-OHP)に代謝する酵素である.ラットやマウスなどの齧歯類では主として黄体に発現し,黄体の機能的退行に中心的役割を担っていると理解されている.例えばラットにおいては排卵後黄体に20α-HSDが発現して血中のprogesterone濃度が低く保たれるため,黄体相が実質的に欠失して4日毎に排卵を繰り返すことができ,齧歯類特有の多産という繁殖戦略に大きく貢献していると想定されている.一方,交尾刺激を受けた場合には,1日2回プロラクチン(PRL)のサージ状分泌が誘起され,20α-HSDの発現が抑制されることにより,他の多くの動物の性周期と同様にラットにも約2週間の黄体相が導入される.そして,偽妊娠あるいは妊娠の末期には20α-HSDの発現が上昇することにより黄体からのprogesterone分泌が低下し,黄体の機能的退行が起こるものと考えられている.しかし,黄体の機能制御にはプロスタグランジンF2α(PGF2α)をはじめとして多くの因子が関与し,それらの作用の分子機構も明らかになりつつあり,20α-HSDという単独の因子が齧歯類の黄体退行にどのように寄与しているかを再評価することは重要であると考えられる.さらに,progesteroneは妊娠の維持がその作用の本質であると考えられるが,細胞増殖抑制作用など細胞毒性を有することも知られており,20α-HSDが黄体以外にも胎盤や胸腺など様々な器官において発現し,progesteroneの作用を修飾している可能性が想定されている.本研究は,ジーンターゲティング法により20α-HSD遺伝子ノックアウト(KO)マウスを作製してその表現型の詳細な解析を行い,20α-HSDの持つ生物学的意義を改めて個体レベルで包括的に理解することを目的としたものである.

 第1章においては,まずマウス20α-HSD cDNAのクローニングとその発現について解析を行った.ICRマウス卵巣のcDNAライブラリーからクローニングされたマウス20α-HSD cDNAは323個のアミノ酸をコードし,ラット20α-HSD cDNAと93%の相同性を有していた.マウス20α-HSDのアミノ酸配列にはアルド・ケト還元化酵素としての活性発現に必須な補酵素結合部位を構成する4個のアミノ酸(Asp50,Tyr55,Lys84,His117)が保存されていた.また,マウス20α-HSD mRNAはprogesterone濃度の低下と20α-OHP濃度の上昇が見られる分娩前後の卵巣において著しい発現の上昇が認められ,また組織学的にもこの時期の黄体細胞で発現が確認された.さらに,妊娠期子宮内組織においては,in situ hybridization法により子宮内膜上皮細胞や胎盤,胎子表皮で20α-HSD mRNAが検出され,またNorthern hybridization法により胎盤では10日頃に,子宮では10日目から分娩日の18日目まで検出され16日にピークに達した.これらの結果は,20α-HSDが胎子発育環境での高濃度progesteroneの作用を緩和し,胎子の正常な発育を維持する機能を有することを示唆している.

 第2章においては,20α-HSD遺伝子KOマウス作製のためのターゲティングベクター構築のため,マウス20α-HSD cDNAをもとに129系統のゲノムライブラリーをスクリーニングした.得られた5つのゲノムクローンを統合した結果,20α-HSDゲノムDNAは,エクソン1から9まで約18kbに渡り,各エクソンのサイズがラット,ヒトの20α-HSD遺伝子とよく一致するとともに,ゲノム構造もヒト20α-HSD遺伝子と類似していた.また20α-HSDの活性発現に必須である4個のアミノ酸がエクソン2から4にコードされていたことから,ターゲティングベクターはこの領域を標的部位に定めてネオマイシン耐性遺伝子で置換するとともに,20α-HSDの発現部位をKOマウスにおいて検出できるようにエクソン2の途中にinternal ribosomal entry site(IRES)配列に連結したenhanced green fluorescence protein(EGFP)遺伝子を挿入した.エレクトロポレーションの結果,1050クローンから4クローンの相同組み換えES細胞が得られ,このうち染色体数に異常の見られなかった2つのクローンを用いてキメラマウス13匹を得ることができた.

 第3章においては,得られたキメラマウスをC57BL/6Jと交配し,F1ヘテロマウスを作製した.ヘテロマウスどうしを交配して誕生した野生型(WT):ヘテロ:KOマウスの割合はメンデルの法則に従っていた.KOマウスには外見上特に異常は認められなかった.KOマウスの遺伝子発現について調べたところ,置換領域であるエクソン2から4の転写は見られずEGFPも黄体に発現していたが,エクソン1の後に直接エクソン5が連結した短い配列も転写されていた.しかし,KOマウスでは抗ラット20α-HSD抗体を用いたWestern blottingによって陽性反応は検出できなかったので,その短い配列は翻訳されていないと考えられた.

 膣スメア像により性周期を検討した結果,KOマウスにおいても性周期が回帰することが明らかとなったが,WTマウスよりも発情休止期が有意に延長していた.このことは,性周期黄体の退行は20α-HSDがなくても起こるが,遅延することを示している.一方,雄を同居させるとこのような発情休止期の延長は認められなくなり,性周期回帰機構にフェロモンが強く影響することが示唆された.

 精管結紮雄と交配して誘起した偽妊娠期間はKOマウスでは14.1日であり,WTマウスの11.6日よりも有意に延長していた.この結果も,偽妊娠黄体の退行は20α-HSDがなくても起こるが,遅延することを示している.偽妊娠中の血中progesteroneと20α-OHPを測定したところ,KOマウスではWTマウスよりもprogesterone濃度が高く,またその低下が遅れることが明らかとなった.一方,20α-OHP濃度はWTマウスではprogesterone濃度とほぼ同様の消長を示したが,KOマウスでは偽妊娠期間を通じて極めて低値であった.

 妊娠期間はWTマウスでは18.5日,KOマウスでは19.6日で,有意差は認められなかった.WTマウスでは,周産期にはprogesterone濃度の低下と20α-OHP濃度の上昇が特徴的であったが,KOマウスではprogesterone濃度の低下のみが認められた.このような偽妊娠末期,妊娠末期における20α-OHP濃度の上昇を伴わないprogesterone濃度の低下は,従来の知見を考えると以外な結果であった.KOマウスに見られたprogesterone濃度の低下は,この時期の黄体細胞におけるステロイド合成系に顕著な抑制的制御が働いていることを示唆している.この抑制的制御因子の候補の一つとして,多くの動物において主要な黄体退行因子としてprogesterone合成の抑制や形態的退行をもたらすPGF2αが考えられる.PGF2αレセプターのノックアウトマウスでは分娩予定日になってもprogesterone濃度が十分下がらず分娩できないことや,ddYマウスでPGF2αによる黄体でのアポトーシス発現が報告されており,KOマウスにおける偽妊娠/妊娠末期のprogesterone濃度低下にもPGF2αによるprogesterone合成系の抑制が寄与していることが考えられた.

 KOマウスとWTマウスの総産子数には差はなかったが,生存産子数は前者が3.5匹,後者が7.1匹とKOマウスでは有意に少なかった.このことは,KOマウスは正常な妊娠期間で分娩可能ではあっても,胎子の発育には異常があることを示唆している.さらに,KOの子宮においてもエクソン2から4の欠損した短い転写産物が検出されたことから,WTマウスの子宮では卵巣と同じ分子種の20α-HSDが発現していることが改めて示された.これらの結果と,第1章における妊娠子宮や胎盤,胎子表皮での20α-HSD遺伝子の発現を併せて考えると,20α-HSDは妊娠の維持に必要な高progesterone環境下における胎子の正常な発育や生存に必須の役割を果たしていることが示唆された.

 以上本研究により,ジーンターゲティング法によって20α-HSD遺伝子を欠損させたマウスにおいても,性周期黄体や偽妊娠/妊娠黄体は寿命の延長は認められるものの退行は起こることが明らかとなり,黄体の退行は20α-HSDによるprogesteroneの異化と,PGF2αなどによるprogesterone合成系の抑制の協調的作用が重要であることが示唆された.さらに,妊娠子宮内におけるprogesteroneの異化が阻害されると生存産子数が減少することが明らかとなり,20α-HSDが胎子発生過程においても重要な機能を担っていることが示唆された.これらの知見は,哺乳類の性周期回帰機構や妊娠維持機構,分娩初来機構の比較生物学的理解を深めることにも貢献するものと考えられる.

審査要旨 要旨を表示する

 アルド・ケト還元化酵素群に属するステロイド代謝酵素である20α−水酸化ステロイド脱水素酵素(20α-HSD)は,黄体ホルモン(progesterone)を生物学的に不活性な20α-dihydroprogesterone(20α-OHP)に代謝する酵素である.ラットやマウスなどの齧歯類では主として黄体に発現し,黄体の機能的退行に中心的役割を担っていると理解されている.一方,progesteroneは妊娠の維持がその作用の本質であると考えられるが,細胞増殖抑制作用など細胞毒性を有することも知られており,20α-HSDが黄体以外にも胎盤や胸腺など様々な器官において発現し,progesteroneの作用を修飾している可能性が想定されている.本研究は,ジーンターゲティング法により20α-HSD遺伝子ノックアウト(KO)マウスを作製してその表現型の詳細な解析を行い,20α-HSDのもつ生物学的意義を改めて個体レベルで包括的に理解することを目的としたものである.

 第1章においては,まずマウス20α-HSD cDNAのクローニングとその発現について解析を行った.マウス20α-HSD cDNAは323個のアミノ酸をコードし,ラット20α-HSD cDNAと93%の相同性を有していた.マウス20α-HSDのアミノ酸配列にはアルド・ケト還元化酵素としての活性発現に必須な補酵素結合部位を構成する4個のアミノ酸が保存されていた.また,妊娠期子宮内組織においては,子宮内膜上皮細胞や胎盤,胎子表皮で20α-HSD mRNAが検出され,20α-HSDが胎子発育環境での高濃度progesteroneの作用を緩和し,胎子の正常な発育を維持する機能を有することが示唆された.

 第2章においては,20α-HSD遺伝子KOマウス作製のためのターゲティングベクター構築のため,ゲノムDNAをクローニングした.その結果,20α-HSDゲノムDNAはエクソン1から9まで約17.5kbに渡り,各エクソンのサイズがラット,ヒトの20α-HSD遺伝子とよく一致していた.また20α-HSDの活性発現に必須である4個のアミノ酸がエクソン2から4にコードされていたことから,ターゲティングベクターはこの領域を標的部位に定めてネオマイシン耐性遺伝子で置換した.エレクトロポレーションの結果,1050クローンから4クローンの相同組み換えES細胞が得られ,キメラマウスを作製した.キメラマウスをC57BL/6Jと交配し,F1ヘテロマウスを得た.ヘテロマウスどうしを交配して誕生したKOマウスには,外見上特に異常は認められなかった.

 第3章においては,得られたKOマウスにおける表現型の解析を行った.性周期を検討した結果,KOマウスにおいても性周期が回帰することが明らかとなったが,野生型(WT)マウスよりも発情休止期が有意に延長していた.また偽妊娠期間はKOマウスでは14.1日であり,WTマウスの11.6日よりも有意に延長していた.これらの結果は,性周期黄体や偽妊娠黄体の退行は20α-HSDがなくても起こるが,遅延することを示している.妊娠期間はWTマウスとKOマウスでは有意差は認められなかった.WTマウスでは,周産期にはprogesterone濃度の低下と20α-OHP濃度の上昇が特徴的であったが,KOマウスではprogesterone濃度の低下のみが認められた.KOマウスに見られたprogesterone濃度の低下は,この時期の黄体細胞におけるステロイド合成系に強い抑制的制御が働いていることを示唆している.さらに,KOマウスとWTマウスの総産子数には差はなかったが,生存産子数は前者が3.5匹,後者が7.1匹とKOマウスでは有意に少なく,KOマウスは正常な妊娠期間で分娩可能ではあっても,胎子の発育には異常があることが示唆された.

 以上本研究により,20α-HSD遺伝子を欠損させたマウスにおいても,性周期黄体や偽妊娠黄体は寿命の延長は認められるものの退行は起こることが明らかとなり,黄体の退行は20α-HSDによるprogesteroneの異化と,プロスタグランジンF2αなどによるprogesterone合成系の抑制の協調的作用が重要であることが示唆された.さらに,妊娠子宮内におけるprogesteroneの異化が阻害されると生存産子数が減少することが明らかとなり,20α-HSDが胎子発生過程においても重要な役割を担っていることが示唆された.これらの知見は,哺乳類の性周期回帰機構や妊娠維持機構,分娩初来機構の比較生物学的理解を深めることに貢献するものと考えられ,学術上,応用上貢献するところが少なくない.よって審査員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものとして認めた.

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