学位論文要旨



No 117251
著者(漢字) 片山,英夫
著者(英字)
著者(カナ) カタヤマ,ヒデオ
標題(和) 犬ジステンパーウイルス増殖における宿主細胞骨格系の役割に関する研究
標題(洋)
報告番号 117251
報告番号 甲17251
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2447号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 唐木,英明
 東京大学 教授 明石,博臣
 東京大学 教授 局,博一
 東京大学 教授 甲斐,知恵子
 東京大学 助教授 尾崎,博
内容要旨 要旨を表示する

(背景と目的)

 ウイルスは、その生存・増殖に必要な機構の大部分を宿主細胞に依存する存在である。ウイルスが宿主細胞に感染し、その複製を多量に作り細胞外へ出すまでの過程においては、宿主細胞が持つシステムを実に巧妙に利用する。

 ウイルスが宿主細胞内で増殖する際には、細胞膜への吸着→細胞内への侵入と脱殻→核酸転写→蛋白質合成→ウイルス粒子の組立→ウイルス粒子の放出、という過程を経る。この過程には種々の構成要素が定められた場所にプログラムに従って順次移動してゆく必要がある。細胞内における物質の動きの多くは、アクチンフィラメントや微小管などの細胞骨格系が関与しており、ウイルス増殖においても、その細胞内での移動・増殖の際に、宿主細胞骨格系を利用していることが考えられるが、十分な検討がなされているとは言えない。

 本研究は、パラミクソウイルス科モルビリウイルス属に属する犬ジステンパーウイルス(CDV)の増殖機構における細胞骨格系の役割を解明することを目的として行った。

(方法)

 本研究では宿主細胞として、アフリカミドリザル腎上皮細胞由来のVero細胞を用いた。Vero細胞のアクチンフィラメントの状態を変化させるため、アクチン線維の切断とアクチンモノマーの隔離を作用機序とするアクチン重合阻害剤mycalolide B、およびアクチン線維の末端に結合してアクチン線維の脱重合を生じさせるcytochalasin Dを用いた。微小管の状態を変化させるためには、colchicineとpaclitaxelを用いた。

 以下の実験では特に断らない限り、ウイルスをMOI=0.1〜0.01で細胞に吸着させ、薬剤はウイルス吸着後に細胞に投与し、ウイルス増殖がほぼ最大となる60時間後にサンプルを回収した。感染性ウイルス粒子の定量の際には、このサンプルを10倍階段希釈した後Vero細胞にかけ、CPEの有無を1週間後に判定しReed-Muench法を用いてTCID50を算出した。ウイルス遺伝子の定量の際には、ウイルス蛋白質をコードするmRNAの発現量をRT-PCR法を用いて定量した。ウイルス蛋白質はウエスタンブロット法によって定量し、CDV蛋白質の検出には抗N蛋白質抗体を用いた。

 また、MOI=1でCDVを吸着させた細胞に薬剤を投与し、細胞骨格の状態やウイルス蛋白質の分布を観察した。免疫蛍光染色法を用い12-24時間後に観察した。アクチンフィラメントの染色にはローダミンーファロイジンを用いた。微小管の染色には抗チューブリン抗体を用いた。ウイルス蛋白質の染色には抗N蛋白質抗体を用いた。以上のように染色した細胞を、共焦点顕微鏡を用いてそれぞれ観察した。

(結果と考察)

1.宿主細胞への吸着から侵入の過程における細胞骨格の役割

 CDVは、パラミクソウイルス科モルビリウイルス属に属し、ウイルスゲノムはマイナス鎖の一本鎖RNAであり、N蛋白質等と結合してヌクレオカプシドを形成している。また、エンベロープを有し、その内部のヌクレオカプシドを包んでいる。CDVが宿主細胞に感染する時にはまず、宿主細胞の受容体に結合し、その場でウイルスのエンベロープと宿主細胞膜を融合させる。その遺伝子と蛋白質の複合体であるヌクレオカプシドを宿主細胞膜内に送り込む。本項目では、ウイルスが宿主細胞膜に吸着する過程における細胞骨格の関与を検討した。

 各試薬をウイルス吸着1時間前から細胞に投与した後、1時間ウイルス吸着させた直後に細胞を固定し、細胞内に取り込まれたCDV N蛋白質の塊の数を測定した。Mycalolide B 300nMを細胞に投与した群において顕著なCDVの吸着の阻害が見られた。cytochalasin Dとcolchicineを細胞に投与した群においても吸着抑制の傾向が見られた。以上の成績から細胞骨格を切断することでウイルス吸着が阻害される可能性が示唆された。

 一方、mycalolide B 300nMをウイルス吸着1時間前より細胞に投与した群と、ウイルス吸着後に細胞に投与した群での60時間後のウイルス増殖能を比較したところ、両群のウイルス増殖能抑制作用には明らかな差は認められなかった。パラミクソウイルスの場合、細胞融合によって隣接細胞にウイルスのRNAが直接流れ込むcell-to-cell infectionという感染様式もあることから、細胞骨格はCDV吸着に関与はするものの、それがアクチン重合阻害によるウイルス増殖抑制の主要な原因ではない可能性が示唆された。

2.宿主細胞内での遺伝子複製から蛋白質合成の過程における細胞骨格の役割

 細胞内に放出されたヌクレオカプシドは宿主細胞内を移動し、細胞質内でウイルスRNAの複製が起こる。複製されたウイルスRNAはリボゾームとの集合体を形成して小胞体に結合し、蛋白質の合成を始める。

 宿主細胞内に侵入したウイルスのヌクレオカプシドの移動と細胞骨格の関連を見るために、高濃度のウイルスを1時間吸着させた後、細胞に各試薬を投与し、12-24時間後にアクチンフィラメントとN蛋白質の分布を免疫蛍光染色法により観察した。

 薬剤処置をしていない細胞では、細胞質内に線維状のアクチンフィラメントが認められ、CDVの感染の有無で顕著な差は見られなかった。ウイルス蛋白質は細胞内の特定の場所に局在することなく、一様に分布していた。

 Mycalolide B 300nMを投与した細胞では、線維状のアクチンフィラメントは消失し顕著な細胞の円形化が生じ、一部残ったアクチンフィラメントは塊を形成していた。ウイルス蛋白質も激しく凝集し、細胞内にいくつかの塊を形成していた。

 一方、cytochalasin D1μMを投与した細胞では、細胞の変形は見られず、細胞膜直下には正常に近いアクチンフィラメントが認められたが、細胞中心部にはアクチンフィラメントは見られなかった。ウイルス蛋白質は、まるで残ったアクチンフィラメントの内側をなぞるかの様に、細胞膜直下にのみ局在しており、細胞中心部には全く存在が認められなかった。このことから、細胞内に侵入したヌクレオカプシドは核近傍までの移動にアクチンフィラメントを利用していることが示唆された。

 Cytochalasin Dを細胞に投与した群におけるウイルス蛋白質の細胞膜直下への局在とは対照的に、colchicineを細胞に投与した群では、N蛋白質の核近傍への局在が見られた。

 次に、遺伝子複製・蛋白質合成に宿主の細胞骨格が関与するのかどうか明らかにするため、mRNA複製の過程と細胞骨格の関連をRT-PCR法を用いて検討した。Mycalolide Bやcytochalasin Dを細胞に投与した群においてCDVのNおよびH蛋白質のmRNA発現量は薬剤無処置群と較べて有意な抑制は認められなかった。Colchicineやpaclitaxelを細胞に投与した群においてもCDVのmRNA発現量に明らかな差は見られなかった。

 次に、細胞骨格とウイルス蛋白質の合成の関連を見るために、ウエスタンブロット法によりN蛋白質の発現量を検討した。薬剤無処置の細胞でのN蛋白質の合成量に較べ、mycalolide Bを細胞に投与した群では、N蛋白質の合成量が著しく減少していることが認められた。Cytochalasin Dを細胞に投与した群においてもN蛋白質の合成は有意に抑制された。

 以上の結果より、アクチンフィラメントならびに微小管がウイルス蛋白質の宿主細胞内での移動に関与していることが示された。その局在の変化はmRNAの複製には影響せず、蛋白質合成の段階に関与している可能性が示唆された。

3.ウイルス粒子の組立から放出の過程における細胞骨格の役割

 宿主細胞内で複製されたRNAと蛋白質は、それぞれ適切な形に組み上げられて初めて感染性を持つウイルス粒子が形成される。ウイルス粒子の組立・放出の段階におけるアクチンフィラメントの関与を見るために、ウイルス吸着後24時間以降にmycalolide B 300nMを細胞に投与し、その影響を検討した。アクチンフィラメントが放出の段階で強く関与しているのならば、この段階でmycalolide Bを細胞に投与することでウイルスの増殖が大きく抑えられるはずである。しかし、24時間後にmycalolide Bを細胞に投与しても、CDV感染性粒子の生成に顕著な抑制は見られなかった。このことより、アクチンフィラメントはウイルス粒子の組立から放出の過程には関与していない可能性が示唆された。

(まとめ)

 Mycalolide B、あるいはcytochalasin Dを細胞に投与してアクチンフィラメントを切断した結果、CDVの細胞への吸着は阻害された。ヌクレオカプシドの細胞膜への吸着後の細胞内での移動も阻害された。よって、アクチンフィラメントは、主にCDVの吸着から細胞内への進入の過程に関与していることが示唆された。さらに、mycalolide Bとcytochalasin Dを細胞に投与することによりCDVのmRNAの発現はむしろ増加し、それとは逆にN蛋白質の合成は有意に抑制されたことから、宿主のアクチンフィラメントはmRNAの複製には関与しないが、ウイルス蛋白質の合成には重要な役割を担っている可能性が示唆された

 本研究によって、アクチンフィラメントがCDVの感染・増殖機構において、密接に関与していることが初めて明らかとなった。微小管もまたCDVの感染・増殖機構に関与する可能性が示された。

審査要旨 要旨を表示する

 ウイルスが宿主細胞内で増殖する際には、細胞膜への吸着→細胞内への侵入と脱殻→核酸転写→蛋白質合成→ウイルス粒子の組立→ウイルス粒子の放出、という過程を経る。この過程には種々の構成要素が定められた場所にプログラムに従って順次移動してゆく必要がある。細胞内における物質の動きの多くは、アクチンフィラメントや微小管などの細胞骨格系が関与しており、ウイルス増殖においても、その細胞内での移動・増殖の際に、宿主細胞骨格系を利用していることが考えられるが、十分な検討がなされているとは言えない。本研究は、パラミクソウイルス科モルビリウイルス属に属する犬ジステンパーウイルス(CDV)の増殖機構における細胞骨格系の役割を解明することを目的として行ったものである。

 本研究では宿主細胞として、腎上皮細胞由来のVero細胞を用いて実験を行い、ウイルスの侵入・吸着からウイルス粒子放出に至る経路を以下の3つに区分し、検討している。

1.宿主細胞への吸着から侵入の過程における細胞骨格の役割

 アクチンならびに微小管線維を修飾する試薬をウイルス吸着1時間前から細胞に投与した後、1時間ウイルス吸着させた直後に細胞を固定し、細胞内に取り込まれたCDV N蛋白質の塊の数を測定した。アクチン線維切断作用を持つmycalolide B(MLB)を細胞に投与した群において顕著なCDVの吸着の阻害が見られた。アクチン線維に対しキャッピング作用を持つcytochalasin D(CD)と微小管脱重合作用を持つcolchicine(CL)を細胞に投与した群においても吸着抑制の傾向が見られた。

2.宿主細胞内での遺伝子複製から蛋白質合成の過程における細胞骨格の役割

 宿主細胞内に侵入したウイルスのヌクレオカプシドの移動と細胞骨格の関連を見るために、高濃度のウイルスを1時間吸着させた後、細胞に各試薬を投与し、12-24時間後にアクチンフィラメントとN蛋白質の分布を免疫蛍光染色法により観察した。薬剤処置をしていない細胞では、細胞質内に線維状のアクチンフィラメントが認められ、CDVの感染の有無で顕著な差は見られなかった。ウイルス蛋白質は細胞内の特定の場所に局在することなく、一様に分布していた。MLBを投与した細胞では、線維状のアクチンフィラメントは消失し顕著な細胞の円形化が生じ、一部残ったアクチンフィラメントは塊を形成していた。ウイルス蛋白質も激しく凝集し、細胞内にいくつかの塊を形成していた。一方、CDを投与した細胞では、細胞の変形は見られず、細胞膜直下には正常に近いアクチンフィラメントが認められたが、細胞中心部にはアクチンフィラメントは見られなかった。ウイルス蛋白質は、細胞膜直下にのみ局在しており、細胞中心部には全く存在が認められなかった。

 一方、MLBやCDを細胞に投与した群においてCDVのNおよびH蛋白質のmRNA発現量は薬剤無処置群と較べて有意な抑制は認められなかった。CLを細胞に投与した群においてもCDVのmRNA発現量に明らかな差は見られなかった。さらに、MLBを細胞に投与した群では、N蛋白質の合成量が著しく減少していることが認められた。CDを細胞に投与した群においてもN蛋白質の合成は有意に抑制された。

3.ウイルス粒子の組立から放出の過程における細胞骨格の役割

 ウイルス粒子の組立・放出の段階におけるアクチンフィラメントの関与を見るために、ウイルス吸着後24時間以降にMLBを細胞に投与し、その影響を検討した。24時間後にMLBを細胞に投与しても、CDV感染性粒子の生成に顕著な抑制は見られなかった。

 以上の成績から、アクチンフィラメントは、主にCDVの吸着から細胞内への進入の過程に関与していることが示唆された。さらに、宿主のアクチンフィラメントはmRNAの複製には関与しないが、ウイルス蛋白質の合成には重要な役割を担っている可能性が示唆され、アクチンフィラメントがCDVの感染・増殖機構に密接に関与していることが明らかとなった。微小管もまたCDVの感染・増殖機構に関与する可能性が示された。これらの知見は、モルビリウイルス属ウイルスにおける細胞骨格系の役割をはじめて明らかにしたものであり、学術上の重要性はいうに及ばず、今後の抗ウイルス薬の開発にとっても有用な知見と考えられる。よって、審査員一同は本論文が博士(獣医学)の論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク