学位論文要旨



No 117255
著者(漢字) 坂上,元栄
著者(英字)
著者(カナ) サカウエ,モトハル
標題(和) 精巣内ステロイド合成系へのエストロゲンおよび内分泌かく乱化学物質ビスフェノールAの影響に関する研究
標題(洋)
報告番号 117255
報告番号 甲17255
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2451号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 林,良博
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 教授 西原,眞杉
 独立行政法人国立環境研究所 主任研究員 大迫,誠一郎
 東京大学 助教授 九郎丸,正道
内容要旨 要旨を表示する

 近年,ヒトの射出精子数が減少しているという報告があり,種の存続を脅かす可能性があることから,学術分野だけではなく広く一般の関心も集めている。この原因として,環境中に存在するエストロゲン作用を示す物質が正常な内分泌系を乱す,いわゆる内分泌かく乱作用を示すことでヒトの精子発生を妨げているとする仮説がある。一方で,雄個体におけるエストロゲンの存在が報告されて以来,その生理学的な役割については不明であったが,近年になって,生殖器系においても直接的に重要な役割を持つことが報告されてきた。そのエストロゲンの作用の一つとして,精子発生に不可欠であるテストステロン産生抑制作用があるが,エストロゲンがテストステロンを合成するステロイド合成系に及ぼす影響について分子生物学的に検討した報告は少ない。本研究では,エストロゲンがステロイド合成系に関与する遺伝子の発現に与える影響を明らかにすることを目的とし,さらに,エストロゲン様活性をもち内分泌かく乱化学物質とされるビスフェノールA(BPA)がステロイド合成系に与える影響を明らかにすることを目的とする。

 第I章では,まず,BPAの精子発生への影響について検討した。13週齢の雄Sprague-Dawley (SD)ラットにBPAを6日間強制経口投与し,投与開始8日目(W14)および36日目(W18)に解剖し,体重(BW),両側精巣重量(TW),1日精子産生数(DSP),精巣重量あたりのDSP(DSP/gt)を測定した。W14ではいずれも有意な変化は見られなかった。W18において,両側精巣重量が減少傾向を示し,DSPおよびDSP/gtは有意な減少を示した(図1)。さらにBPAの精巣タンパク質発現への影響を検討するため,W13の雄ラットにBPA 20μg/kg体重を単回投与し,精巣の細胞質分画を2D-PAGEにより解析したところ,投与群においていくつかのスポットに変化が見られたことから,BPAが精巣に対して影響を与えていることがタンパク質レベルにおいても示された。

 一般的にBPAはエストロゲン作用を持つ化学物質とされており,精子発生に重要であるテストステロン産生に影響することが考えられる。しかしながら,エストロゲンのテストステロン産生抑制機序については不明な点が多い。そこで,第II章では,まず,精巣のステロイド合成系におけるエストロゲンの作用を検討した。雄SDラットにEstradiol-3-benzoate(EB)を筋肉内に単回投与し,24時間後に血清中黄体形成ホルモン(LH)レベル,精巣内のテストステロンレベルおよびステロイド合成酵素mRNAレベルを観察した。EB投与により,血清中LHレベルは変化を示さなかったが,ラットの精巣内テストステロンレベルは著しく減少した。半定量的RT-PCR法による解析から,EB投与により,テストステロン合成に関与する四つのステロイド合成酵素のうち,シトクロームP450側鎖切断酵素(P450scc),シトクロームP450 17α-hydroxylase/C17-20 lyase (P450c17)および17β-ヒドロキシステロイド脱水素酵素III型(17β-HSD-III)の発現が有意に減少し,3β-ヒドロキシステロイド脱水素酵素I型(3β-HSD-I)の発現には変化がなかった(図2)。さらにEB2μg/kg体重を腹腔内投与し,投与1, 2, 6時間後の変化を解析したところ,血清中LHレベルは減少していたが,精巣内テストステロンレベルは投与1時間後に増加し,その後は減少した。この精巣内テストステロンレベル変化に対応して,ステロイドホルモン合成短期調節タンパク(steroidogenic acute regulatory protein: StAR)の発現が有意に上昇していた。これらの結果から,投与初期にはStARの発現増加により一過性にテストステロン産生が亢進し,その後,P450scc, P450c17の発現が減少することでテストステロン産生が抑制されることが明らかになった。

 第III章では,BPA投与によるステロイド合成系への影響を観察した。BPA200mg/kg体重を6日間強制経口投与し,投与開始8日目における血清中テストステロンレベル,精巣内のステロイド合成系に関わる主な遺伝子のmRNAレベルをリアルタイムPCRにて観察したところ,血清中テストステロンレベルが減少しており,ステロイド合成酵素では,P450sccの発現だけが有意に減少していた。さらにBPA2mg/kg体重の単回経口投与による経時的な影響についても検討した。血清中LHレベルは投与1時間後で減少した。精巣内テストステロンレベルは投与0時間後と比較して投与2時間後には上昇し,3時間後では減少する傾向にあった。精巣内のステロイド合成系に関わる主な遺伝子のmRNAレベルは,投与2時間後には,テストステロンの原料となるコレステロールの細胞内への取り込みを担うScavenger receptor, class B, type I (SRBI)およびP450sccの発現が増加していた。従って,BPA投与初期にはSRBIおよびP450sccの増加がテストステロン産生の増加を引き起こし,6日間投与後におけるテストステロンの減少はP450sccの減少によることが明らかになった。

 以上のことから,エストロゲンによるテストステロン産生抑制はステロイド合成系の遺伝子発現の抑制が一因となっていることが示唆された。また,BPA投与によって精子発生が抑制されること,および精巣内ステロイド合成系に影響することが明らかとなった。さらにBPAの精巣内ステロイド合成系への影響パターンがエストロゲンのものと異なることから,BPAの作用機序について従来のようなERを介したものではなく別の作用機序が存在すると思われた。そして,BPA投与により観察された精子発生の抑制は,おそらくBPAによりテストステロン産生が影響を受けることによって精子発生の量的な減少を引き起こしたことによると思われた。

図1 W18の成熟SDラットにおけるBPAの影響。

有意差は対照群(Vehicle)と比較したものを示した。図の値はSEMで表示している。*はP<0.05,**はP<0.005を示している。

図2 成熟ラット精巣における,テストステロン合成系で働く四つのステロイド合成酵素mRNAレベルへのEBの影響を半定量的RT-PCRにて解析した結果。

(A)はPCR産物をアガロースゲルを用いて電気泳動したパターン,(B)はCyclophilinの発現量で除し,標準化した値を,対照群の平均値に対する相対平均値±標準誤差で示した。統計学的解析は分散分析後,post hoc testとしてFisher's PLSD testを使用した(*, P<0.01; **, P<0.001)。

審査要旨 要旨を表示する

 近年,ヒトの射出精子数が減少しているという報告があり,その原因として,環境中のエストロゲン様物質が精子発生を妨げるとする仮説がある。一方で,エストロゲンの雄性生殖器系における重要な役割が明らかになりつつあり,その一つとして,精子発生に不可欠であるテストステロンの産生抑制作用があるが,エストロゲンがステロイド合成系に及ぼす影響について分子生物学的に検討した報告は少ない。本論文では,エストロゲンおよびエストロゲン様活性を持ち,内分泌かく乱化学物質とされるビスフェノールA(BPA)がステロイド合成系遺伝子の発現に与える影響を検討した。

 第I章では,BPAの精子発生への影響について検討した。13週齢の雄Sprague-Dawley (SD)ラットにBPAを6日間強制経口投与し,投与開始8日目(W14)および36日目(W18)に解剖した。W18において,20μg/kg体重以上の投与群で,両側精巣重量が減少傾向を示し,1日精子産生数および精巣重量あたり1日精子産生数が有意な減少を示したことから,BPAの精子発生への影響が示された。さらにBPA20μg/kg体重単回投与し,精巣の細胞質分画を2D-PAGEにより解析したところ,投与群で,いくつかのスポットに変化が見られたことから,BPAが精巣に影響を与えることがタンパク質レベルにおいても示された。

 一般的にBPAはエストロゲン様作用を持つとされており,精子発生に重要であるテストステロン産生に影響を及ぼすことが考えられる。しかしながら,エストロゲンのテストステロン産生抑制機序については不明な点が多い。そこで,第II章では,まず,精巣のステロイド合成系遺伝子発現レベルへのエストロゲンの作用を検討した。雄SDラットにEstradiol-3-benzoate (EB)を筋肉内単回投与し,24時間後に精巣内のテストステロンレベルおよびステロイド合成酵素mRNAレベルを観察したところ,ラットの精巣内テストステロンレベルは著しく減少し,ステロイド合成酵素のうち,シトクロームP450側鎖切断酵素(P450scc),シトクロームP450 17α-hydroxylase/C17-20 lyaseおよび17β−ヒドロキシステロイド脱水素酵素III型の発現が有意に減少した。さらに投与後の経時的変化の解析では,精巣内テストステロンレベルは投与1時間後に増加し,その後は減少した。この精巣内テストステロンレベル変化に対応して,ステロイドホルモン合成短期調節タンパク(steroidogenic acute regulatory protein: StAR)の発現が有意に上昇していた。これらの結果から,投与初期にはStARの発現増加によりテストステロン産生が亢進し,その後,P450scc,P450c17の発現が減少することでテストステロン産生が抑制されることが明らかになった。

 第III章では,BPA投与によるステロイド合成系への影響を検討した。BPA 200mg/kg体重を6日間強制経口投与し,投与開始8日目において観察したところ,血清中テストステロンレベルが減少しており,ステロイド合成酵素では,P450sccの発現だけが有意に減少していた。さらにBPA 2mg/kg体重単回経口投与による経時的な検討では,精巣内テストステロンレベルは投与2時間後には上昇し,3時間後では減少する傾向にあった。またScavenger receptor, class B, type I (SRBI)およびP450sccの発現が,投与2時間後には増加していた。従って,BPA投与初期にはSRBIおよびP450sccの増加がテストステロン産生の増加を引き起こし,6日間投与後におけるテストステロンの減少はP450sccの減少によることが明らかになった。

 以上のことから,エストロゲンによるテストステロン産生抑制はステロイド合成系の遺伝子発現の抑制が一因であること,また,BPA投与によって精子発生が抑制されること,および精巣内ステロイド合成系に影響を及ぼすことが示された。さらに精巣内ステロイド合成系遺伝子発現レベルへの影響パターンが,エストロゲンとBPAで差異があることから,エストロゲンとは異なるBPAの作用機序が存在すると思われた。そして,BPA投与による精子発生の抑制は,おそらくテストステロン産生が影響を受けることによると推測された。

 本論文は,BPAの精子発生およびステロイド合成系への影響を明らかにし,エストロゲンの影響と差異があることから,別の作用機序の存在可能性を示したものである。この結果は,新規の知見および概念を含み,獣医学学術上貢献するところが少なくない。よって,審査委員一同は,本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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