学位論文要旨



No 117258
著者(漢字) 藤田,賢太郎
著者(英字)
著者(カナ) フジタ,ケンタロウ
標題(和) リバースジェネティクス系を用いたCDVの侵入と遺伝子発現機構の解析
標題(洋) Analysis of virus entry and gene expression of CDV using a reverse genetics system
報告番号 117258
報告番号 甲17258
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2454号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 甲斐,知恵子
 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 教授 明石,博臣
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 教授 辻本,元
内容要旨 要旨を表示する

 ジステンパーはイヌにおける代表的なウイルス性伝染病であり致死的感染を引きおこす疾病として知られている。イヌジステンパーウイルス(CDV)は、麻疹ウイルス、牛疫ウイルスなどと共に、パラミクソウイルス科(Paramyxoviridae)のモービリウイルス属(Morbillivirus)に分類されている。1950年代に生ワクチンが開発されて以来、イヌでの本病の発生数は激減し、世界的によく制御されていると考えられていた。一方で近年、世界各地でCDV感染症の流行が報告されるようになり、その上これまで感受性宿主とは考えられていなかったネコ科の大型獣や、アザラシ類からもジステンパー感染症による大量死が相次いで報告されていることから、新たな変異ウイルスの出現によるリエマージングウイルス感染症の原因となる可能性が考えられている。

 CDVのゲノムは一本鎖マイナス鎖のRNAから成る。最近まで一本鎖マイナス鎖非セグメント型RNAウイルス(モノネガウイルス)においてはゲノムのcDNAクローンからの感染性ウイルスの作出が不可能であったため、ウイルスの病原性支配領域や転写機構などの解明を組み換えウイルスによって行う事は不可能であった。しかし1994年に初めてcDNAクローンから感染性のあるウイルスを産生する系(リバースジェネティクス系)が開発され、モノネガウイルスの研究が飛躍的に進展ている。著者らの研究グループでは1999年にイヌジステンパーウイルスにおいて、リバースジェネティクス系を独自に開発し、ウイルス学的基礎研究を進めると共に、ヒトの麻疹ウイルス等のモデル系として、またCDVを多価ワクチンならびに遺伝子治療用のベクターとして利用しようと考えている。本研究ではこの新リバースジェネティクス系を用いてイヌジステンパーウイルスの宿主域及び転写制御機構の基礎的な解析を行った。また同様に近年開発されたセンダイウイルスにおけるリバースジェネティクス系を応用し、生体防御に重要な役割を果たすイヌIFNγを大量に発現する系の確立を行った。本論文は以下の4章より構成される。

第1章;EGFPならびにluciferase発現組み換えCDVの作製

EGFP(enhanced green fluorescent protein)やluciferaseはウイルス感染の有無や細胞内での転写活性を調べるのに有用なマーカー分子である。第1章ではこれらの分子を発現する組み換えウイルスを作製し、その組み換えウイルスの性状ならびにCDVの宿主域の解析を行った。EGFP並びにluciferase遺伝子の上流にCDVのN遺伝子の転写終結シグナル配列及びH遺伝子の転写開始シグナル配列からなる転写制御シグナル配列を付加し、これを近年我々が分離した野外流行株から作製したCDVのfull-genome cDNA cloneのN遺伝子の下流に導入した発現プラスミドを作製した。このプラスミドと、牛疫ウイルスのN、P、LタンパクをT7プロモーターにより発現させるプラスミドを、予めT7 RNA polymerase発現組み換えワクチニアウイルスを感染させておいた293細胞にトランスフェクトした。3日後にCDV感受性細胞であるB95a細胞と共培養した後数日間さらに培養を続けるとそれぞれの組み換えCDV(EGFP-CDV、Luc-CDV)が得られた。得られたウイルスは何も遺伝子を導入していない親株ウイルスに比べて若干増殖は遅かったが最終的なウイルス力価はほぼ同等であった。またそれぞれの組み換えウイルス感染細胞中にはそれぞれの外来遺伝子のmonocistronic mRNAと上流のN遺伝子とつながったbicistronic RNAがNorthern blot解析により検出された。これら組み換えウイルスを様々な細胞に感染させると、程度に違いがあるものの広範囲の細胞に感染性があることが明らかになった。近縁の麻疹ウイルスが主にSLAM(CD150)をレセプターとして利用していることが最近明らかとなったが、CDVも同様に利用しているかを検索するため、EGFP-CDVを用いてanti-SLAMモノクローナル抗体による感染阻害実験を行った。その結果SLAMを発現していない上皮系の293細胞への感染は阻害されなかったが、SLAMを高発現しているB95a細胞への感染がanti-SLAMモノクローナル抗体によってほぼ完全に阻害された。このことから、CDVもB95a細胞ではSLAMをレセプターとして利用していることが明らかとなった。

第2章;CDV感染におけるheparan sulfateの関与

第1章でCDVが様々な細胞に感染すること、及びリンパ系細胞ではSLAMをレセプターとして利用していることが明らかとなった。しかしCDVは生体内で様々な組織の細胞に感染するのに対し、SLAMはリンパ球系の細胞にしか発現していないことから、SLAMが唯一のレセプターであるとは考えられず、CDVは複数の経路で感染すると考えられた。CDVの広範な細胞親和性は多くの細胞で発現しているheparan sulfateのようなグリコサミノグリカンがCDVの感染に関与しているのではないかと考え、その可能性を検討した。EGFP-CDVをheparin、chondroitin A、BまたはCで処理した後に293細胞に感染させたところ、293細胞への感染はheparinによって阻害され、chondroitin A及びchondroitin Cによっては阻害されなかった。またchondroitin Bも感染を阻害したがその度合いはheparinに比べると低かった。一方、B95a細胞への感染はheparinによっても阻害されなかった。実際にCDVのウイルス粒子がheparinに結合することを確かめるために精製EGFP-CDVを用いてheparin agarose chromatographyを行ったところ、精製したEGFP-CDVはheparinに結合することが分かった。またheparan sulfateを発現出来ない変異細胞株への感染効率は親細胞株への感染効率に比べて低かった。heparan sulfateならびにchondroitin sulfate両方を発現出来ない変異細胞株への感染効率はheparan sulfateのみを発現出来ない細胞株への感染効率とほぼ同等であったことから主としてheparan sulfateがCDVの細胞への感染に関与していると考えられた。

第3章;CDVの様々な遺伝子間配列が及ぼす転写への影響

 CDVのゲノム中の各ウイルス構成蛋白遺伝子間には遺伝子発現制御配列が存在する。その制御配列は上流遺伝子の転写物の終結とポリA付加並びに下流遺伝子の転写の再開始を制御していると考えられている。この制御配列は各遺伝子間で多様性がみられ、この違いが転写の終結、再開始に与える影響はまだ明らかにされていない。この影響を検索するため、我々は各遺伝子間の制御配列をルシフェラーゼ遺伝子の上流に配した6つの組み換えCDVを作製した。これらの組み換えウイルスをB95a細胞に感染させたところ増殖曲線はほとんど変わらなかった。また各ウイルス感染B95a細胞は、ほぼ同程度のルシフェラーゼ活性を示したことから、この各遺伝子間に存在する制御配列の多様性が転写に与える影響は少ないと考えられた。

第4章;イヌIFNγのセンダイウイルスベクターによる発現

IFNγは抗ウイルス作用や抗腫瘍効果があるサイトカインである。またセンダイウイルスは宿主域が広く多種の細胞に感染しウイルスタンパクを大量に産生することから、蛋白発現並びに遺伝子治療のベクターとして有用であると考えられる。センダイウイルスにおいてもリバースジェネティクス系が近年開発され、外来遺伝子をセンダイウイルスに導入することが可能となった。本研究ではセンダイウイルス発現系を用いてイヌIFNγの大量発現を試みた。イヌIFNγの遺伝子にセンダイウイルスの転写シグナルを付加し、もっとも高い発現量を得るためにセンダイウイルスの最上流遺伝子であるN遺伝子の前に導入した組み換えセンダイウイルスを作製した。Western blot解析により組み換えセンダイウイルスは発育鶏卵のしょう尿液、並びに培養細胞(CV-1細胞)上清中にイヌIFNγを発現することが確認された。しょう尿液中に発現したIFNγは分子量約17kDa、20kDa、25kDaの3分子だったが、CV-1細胞で発現させたIFNγは分子量約17kDa、19kDa、20kDa、22kDa、25kDa、27kDaの6分子だった。しょう尿液中あるいは培養上清中に発現されたIFNγは、共に抗ウイルス作用は保持していたが、しょう尿液由来のものは培養上清中由来のものに比べて単位mlあたりのIFN活性が低かった。またどちらに由来する組み換えIFNγもMHC classII誘導能を保持していた。さらに活性の高いCV-1細胞培養上清中に発現させたイヌIFNγをConAアフィニティークロマトグラフィー、陰イオン交換クロマトグラフィー並びにゲル濾過クロマトグラフィーによって精製したところ高純度のIFNγを得ることに成功した。

本研究の成果はリバースジェネティクス系の有用性を明らかにし、イヌジステンパーウイルスを含むモノネガウイルスの生物学的性状の研究に多大な知見を与え、ウイルスの宿主決定機構や転写制御機構を解明するために有用な実験系を提供すると考えられる。同様にこれらの基礎的知見はワクチン開発や遺伝子治療ベクター開発など応用的領域を新たに開くものと期待出来る。

審査要旨 要旨を表示する

 イヌジステンパーウイルス(CDV)はヒトの麻疹ウイルス及び獣医・畜産領域で重要な牛の牛疫ウイルスと同じモービリウイルス属に属し、イヌ及び野生のイヌ科動物に対し重篤な病気を起こすウイルスである。近年これまで自然宿主と考えられていなかった動物(大型ネコ科獣、海棲哺乳類)への感染が報告され、その重要性は大きくなってきている。CDVの研究は古くから行われてきたが、人為的に遺伝子を組み換えたウイルスを作製することが不可能であったため、基礎的なウイルスの分子生物学的性状解析が困難であった。本論文著者らのグループは世界に先駆けてゲノムのcDNAから感染性のCDVを回収する系(リバースジェネティクス系)を確立した。本研究第1章において著者はレポーター遺伝子となる外来遺伝子(EGFP及びluciferase遺伝子)をCDVのゲノムに組み込んだ組み換えCDVを世界で初めて作製した。このような組み換えCDVが作製可能であることは、CDVが本来ウイルスの持っていない遺伝子を運ぶベクターとして利用可能であることを示唆し、遺伝子組み換え多価ワクチンの開発等への第一歩を踏み出したことを意味する。本著者はこれらの組み換えウイルスを用いて、CDVが多種多様な動物種および細胞種に感染することを示した。近縁のヒト麻疹ウイルスの野外分離株のレセプターはリンパ系細胞に特異的に発現するSLAM(CD150)であり、同じ属に属するCDV及び牛疫ウイルスもこのSLAMをレセプターとして利用していることが最近明らかとなったが、リバースジェネティクス系を用いて作製した組み換えCDVを用いて検索し、本組み換えCDVも実際にSLAMをレセプターとして利用していることを示した。SLAMはリンパ系の細胞にしか発現していないのに対し、CDVはリンパ系以外の細胞にも感染することから、SLAM以外のレセプターも利用していると予想される。本組み換えCDVの感染効率を抗SLAM抗体が阻害しなかったことから、実際に上皮系の細胞にはSLAM非依存的に感染することを明らかにした。これは組み換えCDVを用いることにより複数のレセプターの存在を実証した興味深い結果である。本論文第2章ではCDVの細胞への侵入にグリコサミノグリカンの一つであるheparan sulfateが関与していることを、heparinによる感染阻害および固相化heparinへのウイルス粒子の結合を調べることにより明らかにした。heparan sulfateは様々なウイルスにおいて細胞への侵入に関与していることが報告されているが、CDVが属するモービリウイルス属での報告は初めてである。また本研究においてheparan sulfateを発現していない細胞へもCDVが感染したことが示されたことから、更に他の細胞表面に存在する分子がCDVの細胞への侵入に関与していることが示唆された。このように外来遺伝子発現組み換えCDVは細胞への侵入に関わる分子の探索に有用なツールであり、今後の様々な研究に貢献すると考えられる。第3章においては、CDVの各構造遺伝子間に存在する転写制御シグナル配列に見られる多様性がウイルスの転写にどのような影響を及ぼすかを調べた。各遺伝子間の制御配列をルシフェラーゼ遺伝子の上流に配した6つの組み換えCDVを作製した。これらの組み換えウイルスをB95a細胞に感染させたところ増殖曲線はほとんど変わらず、また細胞内のルシフェラーゼ活性もほぼ同等であったことから、各遺伝子間に存在する制御配列の多様性はウイルスの転写にほとんど影響を及ぼさないことが明らかになった。本結果は、近縁のセンダイウイルスでこの転写制御シグナルの多様性がウイルスの転写に大きく関わっているという結果と異なるもので、ウイルスの違いによる転写制御の違い等を検討する上で興味深い。第4章においては同じくリバースジェネティクス系が開発されたセンダイウイルスを用いて、感染症や癌の治療に有用とされるイヌIFNγを大量に発現する系を確立した。組み換え蛋白を臨床応用する場合、蛋白の翻訳後修飾(糖鎖の構造など)は生体内での有効性に重要な働きをすることも多く、本来生体内で存在する形の方が有効性が高いと考えられる。センダイウイルスによって発現させたイヌIFNγは糖鎖修飾を受け、ヒトのIFNγとほぼ同じ大きさを持ち、MHC classIIの誘導活性や抗ウイルス活性などを保持し、また高純度に精製することが可能であったことから臨床への応用も期待できると考えられた。

 本研究によって得られた知見はリバースジェネティクスを用いたモノネガウイルスの生物学的性状の解析およびそのベクターとしての応用に大いに役立つと考えられる。よって審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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