学位論文要旨



No 117274
著者(漢字) 北,芳博
著者(英字)
著者(カナ) キタ,ヨシヒロ
標題(和) 細胞質型ホスホリパーゼA2の生殖系における役割に関する研究
標題(洋)
報告番号 117274
報告番号 甲17274
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1882号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武谷,雄二
 東京大学 教授 堤,治
 東京大学 教授 岡山,博人
 東京大学 助教授 福岡,秀興
 東京大学 助教授 中田,隆夫
内容要旨 要旨を表示する

−序−

 細胞質型ホスホリパーゼA2(cPLA2)は細胞内で機能するホスホリパーゼの一種であり、細胞外からの種々の刺激により活性化され、膜リン脂質のsn-2位の脂肪酸、特にアラキドン酸のエステル結合を選択的に加水分解する酵素である。膜リン脂質より遊離されたアラキドン酸はプロスタグランジン(PG)類、ロイコトリエン(LT)などの代謝前駆体であり、これら脂質メディエーターは生体内において多様な生理活性を発揮することが知られている。ホスホリパーゼA2(PLA2)として知られている酵素には、主要なものでsPLA2、cPLA2、iPLA2の3種類ある。初期のcPLA2欠損マウスの解析により、この酵素がアレルギー・炎症反応において重要な役割を果たすこととともに、cPLA2欠損メスマウスでは分娩の遷延が見られ、また不妊ではないが産仔数が少ないことが指摘されていた。

 本研究では、cPLA2の妊娠初期における役割を明らかにすることを目的とし、cPLA2遺伝子欠損マウスの表現型を詳細に解析した。

−遺伝的背景の純化を行なったマウスにおける産仔数の比較−

 初期の報告で用いられたマウスはF2世代マウスであり、C57BL/6Jおよび129/Svという2種類の系統のマウスに由来する遺伝的背景を持っている。本研究では、12回以上C57BL/6Jマウスに戻し交配を行い遺伝的背景を純化することにより、遺伝的背景のばらつきによる影響を排除した表現型の解析を試みた。

 このマウスの自然交配における産仔数をcPLA2欠損メスマウスまたは野生型メスマウスを、それぞれ野生型オスマウスと交配することで比較した。交配の成立は翌朝の膣栓(vaginal plug)形成により確認し、野生型マウスは自然分娩により、遺伝子欠損マウスは妊娠19.5日(分娩予定日)における帝王切開により、それぞれ仔数を数えた。その結果、野生型マウスでは交配が成立したマウスの全てについて少なくとも1匹、平均で6〜7匹の産仔数が見られたのに対し、cPLA2欠損メスマウスでは、交配成立マウスの約半数において胎仔が存在しなかった。これらのマウスでは胎盤形成の痕跡さえ見られなかった。その他のマウスも産仔数は少なく、全体の平均では1.2匹であった。

 初期の報告においては、母体の体重の増加により妊娠成立を判定しているため、胎盤形成にいたらなかった母親マウスは平均産仔数を計算する際には対象外であったが、本解析の結果、妊娠初期の胎盤形成以前の段階における重篤な障害が存在することが明らかとなった。

−排卵数−

 妊娠初期における、排卵、受精、着床、胎盤形成などの一連の現象のうち、産仔数の減少がどの段階の障害によるものかを特定するため、まず、排卵数の比較を行なった。

 野生型オスマウスとの自然交配における自然排卵数を、膣栓確認後、卵管の洗浄により卵を回収して数えた。また、ゴナドトロピン投与による排卵誘発による排卵数も比較した。

 その結果、自然排卵、排卵誘発時のいずれにおいてもcPLA2欠損メスマウスと野生型マウスの間に有意な差は見られなかった。

−着床前の胚発生−

 次に、受精卵の着床前の胚発生が正しく行なわれているか検討するため、胚盤胞形成について検討した。野生型オスマウスと交配し、膣栓確認後、妊娠2.5日に卵管より胚を回収し、これをM16培地中で1〜2日培養することにより胚盤胞形成を観察した。野生型メスマウス由来の胚は、ほぼ全て正常に胚盤胞を形成することが観察された。cPLA2欠損メスマウス由来の胚は培養後約半数が胚盤胞を形成し、これらについては引き続きハッチングも観察された。胚盤胞形成にいたらなかった半数のうち大多数は卵割が見られず、未受精、もしくは受精後卵割しなかった可能性が考えられた。

−着床−

 野生型オスマウスとの自然交配時における着床を検討した。膣栓確認後、妊娠4.5日に色素(Chicago Sky Blue 6B)を静脈より注入し、子宮の着床痕(implantation site)を染色した。野生型では全ての子宮に着床痕が観察され、その平均は7.8個であった。一方、cPLA2欠損マウスでは半数の個体において着床痕が確認できず、全平均は1.3個であった。また、cPLA2欠損マウスで観察された着床痕の染色は淡い傾向が見られた。

−性ステロイドホルモン産生−

 これまで見られた初期妊娠の異常の原因が黄体機能不全による性ホルモン産生の不足である可能性を検討するため、血中プロゲステロン(P4)量およびエストラジオール(E2)量を測定した。野生型オスマウスとの自然交配を行い、膣栓確認後、妊娠4.5日に血清を回収し、EIAにて測定した。その結果、野生型マウス、cPLA2欠損マウスのいずれも妊娠に伴い血中プロゲステロンの濃度の上昇が見られ、cPLA2欠損による初期妊娠の異常が性ステロイドホルモンの分泌量低下によるものではないことが示された。

−子宮におけるプロスタグランジン産生−

 これらの結果から、cPLA2欠損メスマウスにおける生殖能力の減弱はその一部は着床前発生の障害によるが、主要な原因は着床の障害であると考えられる。cPLA2がどの脂質メディエーターを産生することにより着床の過程に関わっているか検討するために、妊娠子宮に含まれるプロスタグランジン類の定量を試みた。野生型オスマウスとの自然交配により、膣栓確認後、妊娠4.5日に子宮を摘出し、組織をエタノール中でホモゲナイズしてプロスタグランジンを含む抽出物を得、さらにC18逆相固相抽出カートリッジを用いてプロスタグランジン分画を得た。これら試料についてPGI2(6-keto PGF1αとして測定)、PGE2、PGF2α含量をEIAにより測定した。その結果、PGI2については野生型メスマウス由来の子宮では従来の報告に匹敵する程度の産生(9.8±4.9 ng/g tissue)が見られるのに対し、cPLA2欠損メスマウス由来の子宮では検出限界以下(<3.0 ng/g tissue)であった。これに対し、PGE2含量は野生型マウスおよびcPLA2欠損マウスにおいてそれぞれ11.9±6.8 ng/g tissueおよび9.5±1.7ng/g tissueであり、有意な差は見られなかった。また、PGF2α含量は野生型、cPLA2欠損マウスのいずれにおいても検出限界以下であった。

−結語−

 cPLA2が妊娠初期において、着床前発生および着床に重要な役割を果たしていることが示された。特にcPLA2欠損マウスにおいて重篤な着床障害が見られることから、cPLA2は着床に不可欠なPLA2であると考えられる。

 また、このときcPLA2はPGI2産生を介して機能していることが示唆された。cPLA2欠損によって子宮PGE2産生は減少しないことから、着床期の子宮ではcPLA2以外の既知または未知のPLA2が機能していることが考えられる。

 現在、抗炎症剤としてのcPLA2阻害薬の開発が行なわれているが、それらの薬剤は妊娠中、特に着床期においては禁忌であることが予想される。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究では細胞質型ホスホリパーゼA2の生殖機能における役割を明らかにする一端として、細胞質型ホスホリパーゼA2欠損メスマウスを用いて、このマウスの妊娠障害について検討し、さらにそのメカニズムについて論じた。本研究により下記の結果を得ている。

1.遺伝的背景の純化を行なったマウスにおける産仔数の比較

 cPLA2欠損マウスについてC57BL/6Jマウスに戻し交配を行い遺伝的背景を純化することにより、遺伝的背景のばらつきによる影響を排除した表現型を解析した。

 このマウスの自然交配における産仔数をcPLA2欠損メスマウスまたは野生型メスマウスについて比較したところ、野生型マウスでは交配が成立したマウスの全てについて少なくとも1匹、平均で6〜7匹の産仔数が見られたのに対し、cPLA2欠損メスマウスでは、交配成立マウスの約半数において胎仔が存在せず、妊娠初期の胎盤形成以前の段階における重篤な障害が存在することが明らかとなった。

2.排卵数

 自然交配における排卵数を、膣栓確認後、卵管の洗浄により卵を回収して数えた。また、ゴナドトロピン投与による排卵誘発による排卵数も比較した。その結果、自然排卵、排卵誘発時のいずれにおいてもcPLA2欠損メスマウスと野生型マウスの間に有意な差は見られなかった。

3.着床前の胚発生

 次に、受精卵の着床前の胚発生が正しく行なわれているか検討するため、胚盤胞形成について検討した。野生型メスマウス由来の胚は、ほぼ全て正常に胚盤胞を形成することが観察された。cPLA2欠損メスマウス由来の胚は培養後約半数が胚盤胞を形成した。胚盤胞形成にいたらなかったものについては、未受精、もしくは受精後卵割しなかった可能性が考えられた。

4.着床

 妊娠4.5日に子宮の着床痕を染色することで自然交配時における着床数を検討した。野生型では全ての子宮に着床痕が観察されたが、cPLA2欠損マウスでは半数の個体において着床痕が確認されなかった。また、cPLA2欠損マウスで観察された着床痕の染色は淡い傾向が見られた。

5.着床

 異常の原因が黄体機能不全による性ホルモン産生の不足である可能性を検討するため、妊娠4.5日における血中性ステロイドホルモン量を測定した。その結果、野生型マウス、cPLA2欠損マウスのいずれも妊娠に伴い血中プロゲステロンの濃度の上昇が見られ、cPLA2欠損による初期妊娠の異常が性ステロイドホルモンの分泌量低下によるものではないと考えられた。

6.子宮におけるプロスタグランジン産生

 cPLA2がどの脂質メディエーターを産生することにより着床の過程に関わっているか検討するために、妊娠4.5日の子宮に含まれるプロスタグランジン類の定量を行なった。その結果、PGI2については野生型メスマウスの子宮に比べ、cPLA2欠損メスマウスの子宮では有意に低いレベルであった。これに対し、PGE2は野生型マウスおよびcPLA2欠損マウスにおいて同程度の産生が見られた。PGF2α含量は両遺伝型において検出限界以下であった。

 以上、本論文はcPLA2が妊娠初期において、着床前発生および着床に重要な役割を果たしていることを明らかにした。特に重篤な着床障害が見られることから、cPLA2は着床に不可欠なPLA2であること、また同酵素が着床時期におけるPGI2産生に関与していることを明らかにした。本研究では従来の研究では不明であったcPLA2の妊娠初期における役割について重要な知見が得られたものであり、妊娠のメカニズムの研究に重要な貢献をなすものと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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