学位論文要旨



No 117275
著者(漢字) 徳岡,涼美
著者(英字)
著者(カナ) トクオカ,スズミ
標題(和) 血小板活性化因子による神経細胞移動の制御機構
標題(洋)
報告番号 117275
報告番号 甲17275
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1883号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 児玉,龍彦
 東京大学 助教授 久保田,俊一郎
 東京大学 助教授 中田,隆夫
 東京大学 助教授 宮澤,恵二
 東京大学 講師 本田,善一郎
内容要旨 要旨を表示する

(緒言) 血小板活性化因子(1−O−アルキル−2−アセチル−sn−グリセロ−3−ホスホコリン、platelet-activating factor; PAF)は、1972年にウサギ好塩基球より遊離する血小板を活性化する化学因子として、またほぼ同時期に腎臓由来の降圧脂質として発見された。'79年に構造が決定され、グリセロール骨格の第1位(sn-1位)にアルキルエーテル、sn-2位にアセチル基、sn-3位にホスホコリンが結合したリン脂質の一種であることが明らかとなった。その後の研究によりPAFは血小板活性化以外にも多彩な生物活性を持つことも示されてきた。現在までに知られている主な生物活性としては、好中球やマクロファージ・単球、好酸球の活性化、血管透過性亢進、降圧、気管支収縮、心拍数や心拍出量の変化などがあげられる。PAFをつくる細胞や臓器は、好中球、好酸球、好塩基球、マクロファージ、肥満細胞、血小板、血管内皮細胞、脳や腎臓など、多岐にわたる。また他の生理活性脂質と同様に、細胞を刺激することによってPAFの産生量や放出量が増すこと、作用した後はPAFアセチルヒドロラーゼで速やかに不活性な形へと代謝されることが報告されている。PAFアセチルヒドロラーゼには三種類が報告され、細胞内のI型酵素はαサブユニット二分子とβサブユニット一分子からなるヘテロ三量体を構成しており、また、このβサブユニットはヒト滑脳症遺伝子(Miller-Dieker症候群)がコードするタンパク質と同一であるなどの事実も明らかとなった。

 PAF受容体はGタンパク質共役型受容体ファミリーに属する細胞膜7回膜貫通型の構造を持つ。現時点ではどの動物種においてもPAF受容体のサブタイプは報告されていない。しかしPAF受容体は複数のGタンパク質と共役することができ、百日咳毒(PTX)感受性、非感受性の各種のGタンパク質を介して、MAPキナーゼを初めとする各種キナーゼ、ホスホリパーゼの酵素活性を上昇させ、またアデニル酸シクラーゼの活性を抑制するなど、様々なエフェクター系を動かすことが明らかになっている。PAF受容体の欠損マウス(PAFR-KO)を用いた実験によってPAF受容体が炎症反応やアレルギー反応、急性肺損傷、脳の虚血再灌流障害、神経伝達物質の放出、さらに精子の受精能に関与することが示された。

 PAFは脳でも刺激に応じて産生され、ニューロンやミクログリアに受容体が存在し、また、PAFアセチルヒドロラーゼI型も脳で最も発現が高いことが知られている。しかし、神経の発生や機能に関する役割については不明の点が多い。本研究では、PAFとPAF受容体の神経細胞移動における役割を明らかにすることを目的に、PAF受容体欠損マウスを用いてin vivoでの小脳形態の観察、さらにin vitroでの小脳顆粒細胞の移動への影響を解析し、その機構について論じた。

(方法と結果)

1.胎児小脳の組織学的解析

 胎生14.5日(E14.5)、E17.5、生後0日目および1日目(P0/P1)のマウス脳の切片を作り、小脳の外顆粒層の厚さを測定した。E14.5の時期では、外顆粒層の厚さは野生型(WT)マウスに比べてPAFR-KOマウスでは有意に薄いことがわかった。E17.5およびP0/P1においては両者の間に有意差は見られなかった。これらの結果は外顆粒層の形成の早い時期において、小脳顆粒細胞の移動または分化に対しPAF受容体が関与する可能性を示唆している。

2.in vitro小脳顆粒細胞の移動の解析

 P2-P4の小脳顆粒細胞凝集培養系を用いてWTとPAFR-KOの細胞移動速度を測定すると、WTマウス由来の顆粒細胞に比べて、PAFR-KO細胞は移動が有意に遅くなっていた。また、PAF受容体拮抗剤WEB2086によってWT細胞の移動は抑制された。PAF受容体アゴニストメチルカルバモイルPAF(mc-PAF)に対する反応はWTマウスでもPAFR-KOマウスでも認められたが、その濃度依存性は異なっていた。しかしmc-PAFによる低濃度での細胞移動促進効果、および高濃度での抑制効果はWTマウスでもPAFR-KOマウスでも観察された。

3.関連遺伝子、タンパク質発現の解析

 P2-P4のマウス小脳におけるPAF受容体の発現および、PAF産生能をそれぞれRT-PCRおよび酵素活性で示した。また、PAFR-KOマウスでのLISIおよびNUDELの発現量をウエスタンブロットで調べたところ、WTマウスと差が見られなかった。

(結語)

1.組織学的解析より、PAFがin vivoでE14.5に顆粒細胞の移動や成熟に関与する可能性が示された。

2.小脳顆粒細胞のin vitro移動実験により、PAFR-KOマウスは移動速度がWTマウスと比べると遅く、また、WTマウスにPAF受容体拮抗薬WEB 2086を投与すると移動速度が低下することが明らかとなった。PAFR-KOマウスにWEB 2086は効果を示さなかった。このことはPAF及びその受容体が顆粒細胞の移動速度を調節していることを示唆する。

3.mc-PAF投与により、野生型では移動速度が抑制された。これは従来の報告と一致する。また、PAFR-KOマウスでは低濃度のmc-PAFで促進、高濃度で抑制効果を示した。WTマウスでは内因性のPAFによって十分な移動促進効果がもたらされるが、高濃度のPAF添加で抑制されるのかもしれない。PAFR-KOマウスでは、受容体非依存性のPAF作用も観察された。

4.小脳におけるPAFアセチルヒドロラーゼβサブユニット(LIS1)やその相互作用分子であるNUDELの発現量には変化は無かった。

5.したがって、PAFは受容体依存的、非依存的に神経細胞の移動または分化を制御し、適切なアゴニスト濃度以外では抑制に働くものを考えられた。

6.以下の問題が未解決であり、今後の課題である。

 1)PAFによる神経移動調節の分子機構

 2)PAFR-KOマウスがPAFに応答し、刺激と抑制の2相性の反応を引き起こす機構

 3)PAFがLIS1やLIS1と相互作用する分子に与える影響

審査要旨 要旨を表示する

 本研究では神経細胞の移動や成熟におけるPAF及びPAF受容体の役割を明らかにする一端として、PAF受容体欠損(PAFR-KO)マウスを用いて、in vivoでの小脳形態の観察、さらにin vitroでのマウス小脳顆粒細胞の神経細胞移動の影響を解析し、その機構について論じた。本研究により下記の結果を得ている。

1.胎児小脳の組織学的解析

 胎生14.5日(E14.5)、E17.5、生後0日目および1日目(P0/P1)のマウス脳の切片を作り、小脳の外顆粒層の厚さを測定した。E14.5の時期では、外顆粒層の厚さは野生型(WT)マウスに比べてPAFR-KOマウスでは有意に薄いことがわかった。E17.5およびP0/P1においては両者の間に有意差は見られなかった。これらの結果は外顆粒層の形成の早い時期において、小脳顆粒細胞の移動または分化に対しPAF受容体が関与する可能性を示唆している。

2.in vitro小脳顆粒細胞の移動の解析

 P2-P4の小脳顆粒細胞凝集培養系を用いてWTとPAFR-KOの細胞移動速度を測定すると、WTマウス由来の顆粒細胞に比べて、PAFR-KO細胞は移動が有意に遅くなっていた。また、PAF受容体拮抗剤WEB2086によってWT細胞の移動は抑制された。PAF受容体アゴニストメチルカルバモイルPAF(mc-PAF)に対する反応はWTマウスでもPAFR-KOマウスでも認められたが、その濃度依存性は異なっていた。しかしmc-PAFによる低濃度での細胞移動促進効果、および高濃度での抑制効果はWTマウスでもPAFR-KOマウスでも観察された。

3.関連遺伝子、タンパク質発現の解析

 P2-P4のマウス小脳におけるPAF受容体の発現および、PAF産生能をそれぞれRT-PCRおよび酵素活性で示した。また、PAFR-KOマウスでのLIS1およびNUDELの発現量をウエスタンブロットで調べたところ、WTマウスと差が見られなかった。

 以上、本論文はPAFR-KOマウスの小脳顆粒細胞を解析することにより、PAF受容体による神経細胞移動の制御が行われていること、及びPAF受容体を介さずにPAFによる神経細胞移動の制御が行われる機構があることを明らかにした。本研究では従来の研究ではわからなかったPAFによる神経細胞移動の制御機構に関して、新たな知見が得られたものであり、脳の層構造や神経核の形成に必須のプロセスである神経細胞移動研究に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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