学位論文要旨



No 117276
著者(漢字) 坂本,洋
著者(英字)
著者(カナ) サカモト,ヒロシ
標題(和) 解糖系代謝酵素グリオキサラーゼIを標的とした癌のアポトーシス誘導療法に関する研究
標題(洋)
報告番号 117276
報告番号 甲17276
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1884号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮園,浩平
 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 小俣,政男
 東京大学 教授 岡山,博人
 東京大学 教授 廣川,信隆
内容要旨 要旨を表示する

序論

 臨床で使用されている多くの抗癌剤はアポトーシスを誘導することがその作用機序として知られている。有効性の高い抗癌剤の開発は、アポトーシスという現象をうまく利用していかに治療に結び付けられるかがキーとなってくる。しかしながら、実際癌細胞の多くは抗癌剤が誘導するアポトーシスに対して抵抗性を示すことがあり、癌の特性を理解したうえで新たな治療薬の分子標的を見極めていく必要がある。

 本研究において、抗癌剤によるアポトーシス誘導を制御する因子として、グリオキサラーゼI(GLO1)を見い出した。そこで、その機能およびこれを標的とした薬剤であるGLO1阻害剤の有効性を検討した。

1、抗癌剤誘導によるアポトーシス耐性細胞株で高発現しているGLO1の解析

 癌細胞におけるアポトーシスシグナル伝達の異常は癌化学療法による耐性化と密接な関係があると考えられる。抗癌剤誘導によるアポトーシス誘導機序およびそれを抑制的に制御する耐性機構を解明するために、当研究室ではこれまでに、ヒト白血病細胞U937から種々のアポトーシス誘導刺激に対して抵抗性を示す複数の変異細胞株を樹立してきた。これらのうちUK711細胞は、エトポシド(VP-16)やアドリアマイシン(ADM)など複数の抗癌剤に対してアポトーシス耐性を示す(Fig.1A)。UK711細胞は、今までに報告されてきたMDRやMRPのような薬剤耐性遺伝子の発現や抗癌剤標的分子となるtopoisomerase I、IIの発現、あるいはアポトーシス関連遺伝子(p53、bcl-2、c-myc)の発現の変化は認められなかった。そこで、U937、UK711の両細胞からmRNAを調製し、cDNA subtraction法に従い、UK711細胞で発現変化が認められる遺伝子の同定を行った。その結果、アポトーシス耐性細胞UK711で過剰発現している遺伝子として、解糖系における副生成物メチルグリオキサールを消去する酵素GLO1遺伝子を同定した(Fig.1B)。GLO1酵素活性の亢進はUK711細胞だけでなく、その他の薬剤耐性を示す細胞株においても認められた。GLO1の亢進が認められる変異細胞株は抗癌剤処理後に生き残ってきた細胞集団であるということから、GLO1は抗癌剤耐性化に関わる遺伝子の一つであることが示唆された。

 次に、GLO1の機能を直接示すために、GLO1をコードするcDNAをベクターに組み込み、これをJurkat細胞に導入し、過剰発現による影響を検討した。その結果、GLO1遺伝子を一過性に過剰発現させた細胞集団は空ベクターを導入したコントロールと比較して、ADMやVP-16によって誘導されるアポトーシスに対して、有意に耐性を示し(Fig.2A)、薬剤処理後のcaspaseの活性化を抑制した(Fig.2B)。

 さらにGLO1の阻害剤を用いて、抗癌剤に対して抵抗性を示す細胞で認められるGLO1の活性亢進を抑えることでその耐性を克服できるかを検討した。細胞浸透性のGLO1阻害剤として、最近報告されたS-p-bromobenzylglutathione cyclopentyl diester(BBGC)を使用した。BBGCによる抗癌剤VP-16との併用は、BBGCの濃度依存的に抗腫瘍効果を高めた(Fig.3)。特に、これらの効果は親株U937細胞に比べ、GLO1の過剰発現しているアポトーシス耐性変異細胞株UK711細胞で顕著に認められた。

 以上の結果から、GLO1は抗癌剤によるアポトーシス耐性因子の一つであり、GLO1阻害剤BBGCは抗癌剤耐性を克服する効果的な化合物であることが示唆された。

2、ヒト肺癌細胞株におけるGLO1阻害剤BBGCの選択的アポトーシス誘導

 上記の結果より、GLO1阻害剤BBGCが抗癌剤に対してアポトーシス耐性な白血病細胞の感受性を増強する薬剤として有効であることを明らかにした。GLO1阻害剤はヒト白血病細胞株で、単独処理においてもアポトーシスを誘導し、抗腫瘍作用をもつことが報告されているが、一般的に薬剤感受性の低い固形癌細胞での効果、またそのメカニズムに関しては不明である。38種のヒト固形癌細胞株においてGLO1の酵素活性を測定したところ、肺癌細胞で高頻度に高いGLO1活性を示した(Fig.4)。

 GLO1阻害剤BBGCによる抗腫瘍効果をヒト肺癌細胞株で検討したところ、GLO1活性の高い細胞株ほど感受性が高く、アポトーシスを誘導しやすいことを明らかにした。また、BBGCの誘導するアポトーシスはc-Jun N-terminal kinase 1(JNK1)やp38 MAPKといったstress-activated protein kinaseやcaspaseの活性化に依存していることが明らかとなった。

 次に、GLO1の高発現しているヒト肺癌細胞DMS-114やヒト前立腺癌細胞DU145をヌードマウスに移植したXenograftを作成し、in vivoでのBBGCの抗腫瘍効果を検討した。その結果、コントロール群と比較して、BBGC(100 mg/kg/d)を9日間連続投与した群ではマウスに対してほとんど毒性(体重減少)を与えずに、有意な腫瘍増殖抑制効果が認められた(Fig.5)。

 以上のことから、GLO1阻害剤は肺癌細胞株のようにGLO1の活性亢進が認められる癌細胞を標的とした効果的な治療薬剤となりうることが示唆された。

総括

本研究において、GLO1が抗癌剤によるアポトーシスシグナルのモジュレーターであり、また新規抗癌剤のターゲット分子であることを見い出した。GLO1阻害剤の薬剤感受性パターンは既存の抗癌剤のものとは異なっており、ユニークな作用機序をもった抗癌剤となりうるかもしれない。GLO1は大腸や前立腺などの臨床組織サンプルにおいても、正常組織に比べて腫瘍組織で高い酵素活性を示すことが報告されていることから、癌治療における標的分子として適しており、今後、さらなる特異性の高いGLO1阻害剤の開発が期待される。

文献

(1) Sakamoto, H. et al. Blood 95, 3214-3218(2000)

(2) Sakamoto, H. et al. Clin. Cancer Res. 7, 2513-2518(2001)

Fig.1 Overexpression of GLO1 in apoptosis resistant UK711 cells.

Fig.2 Effect of overexpression of GLO1 on antitumor agent-induced apoptosis.

Fig.3 Effect of BBGC on sensitivity of U937 and UK711 cells to VP-16.

Fig.4 GLO1 enzyme activity.

Fig.5 Effect of BBGC on tumor growth and body weight change in nude mice bearing human cancer xenografts.

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は抗癌剤耐性機構、とりわけ抗癌剤が誘導するアポトーシス耐性機構を明らかにするために、ヒト白血病細胞U937と複数の抗癌剤に対してアポトーシス耐性となっている変異細胞株とを用いて、アポトーシス耐性を規定する遺伝子の同定を試みている。さらに、その分子を標的とした薬剤の有効性及び選択性について検討しており、下記の結果を得ている。

1.U937細胞とその抗癌剤耐性変異細胞株UK711との両細胞間において、既知の耐性に関与する蛋白の発現レベルの変化は認められなかった。両細胞からmRNAを調製し、cDNA subtraction法に従い、発現変化が認められる遺伝子のスクリーニングを行った。その結果、アポトーシス耐性細胞UK711で過剰発現している遺伝子として、解糖系における副生成物メチルグリオキサールを消去する酵素グリオキサラーゼI(GLO1)遺伝子を同定した。GLO1酵素の活性亢進は薬剤耐性を示す複数の変異細胞株においても認められ、GLO1は抗癌剤耐性化に関わる遺伝子の一つであることが示された。

2.GLO1の機能を直接示すために、GLO1をコードするcDNAをベクターに組み込み、これをJurkat細胞に導入し、過剰発現による影響を検討したところ、GLO1を一過性に過剰発現させた細胞集団は空ベクターを導入したコントロールと比較して、ADMやVP-16によって誘導されるアポトーシスに対して、有意に耐性を示し、薬剤処理後のcaspaseの活性化を抑制した。この結果からGLO1がcaspase活性化過程よりも上流でアポトーシス経路を阻害し、抗癌剤によるアポトーシス耐性に関与していることが示された。

3.GLO1阻害剤S-p-bromobenzylglutathione cyclopentyl diester(BBGC)と抗癌剤VP-16との併用は、BBGCの濃度依存的に抗腫瘍増強効果が認められた。特に、この効果はU937細胞に比べ、GLO1の過剰発現しているアポトーシス耐性変異細胞株UK711細胞で顕著に認められたことから、GLO1阻害剤BBGCは抗癌剤耐性を克服する効果的な薬剤の一つであることが示された。

4.38種のヒト固形癌細胞株においてGLO1の酵素活性を測定したところ、肺癌細胞で高頻度に高いGLO1活性を示した。ヒト肺癌細胞株におけるGLO1阻害剤BBGC単剤での抗腫瘍効果はGLO1活性の高い細胞株ほど感受性が高く、アポトーシスを誘導しやすいことが示された。また、BBGCの誘導するアポトーシスはc-Jun N-terminal kinase 1(JNK1)、p38 MAPKといったstress-activated protein kinaseやcaspaseの活性化が関与していることが示された。

5.ヒト肺癌細胞DMS-114やヒト前立腺癌細胞DU145をヌードマウスに移植したXenograftを作成し、in vivoでのBBGCの抗腫瘍効果を検討したところ、コントロール投与群と比較して、BBGCを投与した群ではマウスに対して毒性を与えずに、有意に腫瘍増殖抑制効果が認められた。

 以上、本論文は抗癌剤が誘導するアポトーシスの耐性因子としてGLO1を見い出し、GLO1阻害剤はその耐性を克服する効果的な薬剤であることを初めて明らかにした。さらに、GLO1阻害剤の選択性、アポトーシス誘導機構及び動物実験によるin vivoでの有効性も明らかにした。本研究の成果はGLO1分子を標的とした新たな癌化学療法の開発につながるものと期待され、興味ある知見を明らかにしたものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

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