学位論文要旨



No 117281
著者(漢字) 徳岡,宏文
著者(英字)
著者(カナ) トクオカ,ヒロフミ
標題(和) ゼブラフィッシュ網膜視蓋投射の可視化およびGSK−3βの役割
標題(洋) Visualization of the zebrafish retinotectal projection and the role of GSK-3β
報告番号 117281
報告番号 甲17281
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1889号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 御子柴,克彦
 東京大学 教授 飯野,正光
 東京大学 教授 井原,康夫
 東京大学 助教授 中福,雅人
 東京大学 講師 長谷川,巧
内容要旨 要旨を表示する

[序論]

 脳の神経回路は、神経細胞が軸索・樹状突起を発達させ、これらがシナプスにより結合することで形成される。しかし、軸索・樹状突起の分枝形成やシナプス形成の分子機構はほとんど分かっておらず、特に生体内における知見は非常に乏しい。本研究では、生体内でシナプス形成の分子機構を解析するため、ゼブラフィッシュの網膜視蓋投射系に注目した。ゼブラフィッシュは胚が透明なため神経回路のイメージングに適し、また神経発生が早い。網膜視蓋投射系では、網膜神経節細胞(RGC)の軸索と中脳視蓋神経細胞の樹状突起がシナプスを形成する。この系は、投射地図がトポグラフィックに形成されることや神経活動依存的なシナプス形成・除去が行われることから、中枢神経系の回路形成の分子機構を解析するのに優れている。

 本研究ではGlycogen Synthase Kinase-3β(GSK-3β)に注目した。GSK-3βはセリン/スレオニン・キナーゼであり、転写因子β-catenin、微小管結合蛋白MAP1B、Tauなど多くの蛋白をリン酸化する。また、GSK-3βは増殖因子からphosphatidylinositol3-kinase (PI3K)、Akt/PKBにより介されるシグナルと、Wntシグナルの2つのシグナルにより制御を受ける。これらの事からGSK-3βは細胞の中で様々な役割を担っていると考えられている。GSK-3βは脳に多く発現し、ラット脳では生後20日頃まで特に多く、これは神経回路形成が盛んに進む時期と重なる。培養神経細胞では、GSK-3βの阻害剤であるリチウム(Li+)により、軸索微小管の再編成、またシナプス小胞タンパクであるシナプシンIの集積が起きることが報告されている。しかしin vivo中枢神経系の回路形成における機能は依然として不明である。そこで、本研究ではまずRGC特異的に遺伝子操作を行う系の開発を行い、RGCの軸索の可視化・観察を試みた。さらにその系を用いてGSK-3βの神経回路形成における役割を調べた。

[結果]

 まず網膜神経節細胞において遺伝子操作を行うため、RGC特異的なプロモーターを検討した。ニコチン性アセチルコリン受容体β3サブユニット(nAChRβ3)はキンギョ、ニワトリでRGCおよび他少数の組織にほぼ特異的に発現することが報告されていたため、そのゼブラフィッシュ相同遺伝子をクローニングした。予想翻訳開始点の5'上流3.8kb配列の制御下でenhanced green fluorescent protein (EGFP)を発現させるベクターを受精卵に微量注入し、6つのトランスジェニック・ゼブラフィッシュのラインを得た。いずれも主にRGC、および三叉神経核、Rohon-Beard感覚神経細胞においてEGFPの強い発現が見られた。作成したトランスジェニック・ゼブラフィッシュを用い、視神経の発達を共焦点レーザー顕微鏡により観察した(図1)。網膜におけるEGFPの発現は30hpf(hours postfertilization、受精後時間)より、鼻−腹側の一部の細胞から始まり、48hpfには神経節細胞層全体で発現が見られた(図1A-F)。視神経は36hpfには先端が視交差を抜けて(図1E')46hpfには視蓋へ到達し、54hpfには複数の軸索の視蓋への進入が確認された(図1G)。さらに、視蓋における視神経終末の発達を観察した所、54hpf、から84hpfにかけては軸索の数が増え尾側内側方向へと活発に進展し、分枝が進んだ(図1G-J)。その後84hpf以後は発達がゆっくりとなる事が分かった(図1J-L)。また軸索終末の形態は視蓋において一様ではなく、側方では一部の軸索がbundleを形成していることが分かった。

さらに軸索終末を詳しく観察するため、発現ベクターを受精卵に微量注入し、低効率な一過性発現の条件下で少数のRGCを標識したところ、個々の軸索終末の分枝が観察できた。

 可視化した少数のRGCでGSK-3βの機能を操作するため、nAChRβ3プロモーター制御下でEGFPを発現するベクターとGSK-3βのキナーゼ活性を欠損させたドミナントネガティブ変異体(dnGSK-3β)を発現するベクターを結合し(ダブルカセットベクター)、受精卵に微量注入し、76、84、100hpfにおいて軸索終末の分枝を観察した。EGFPのみを発現させたコントロールのRGCではこの時期に軸索終末の分枝が広がり発達した。一方dnGSK-3β発現ベクターを導入したRGCでは、分枝の発達が低下した。分枝の形態の定量的評価のため、総ての分枝の長さの合計(総分枝長)、分枝範囲の面積(最初の枝分かれから、分枝の端を凸状に直線でつないだ多角形の面積)、分枝の数を測定した。dnGSK-3βにより、総分枝長は経時的に影響を受け、76hpfではコントロールと同程度の長さであったが、100hpfにおいては低下した(図2左)。同様に分枝範囲の面積についても76hpfでは差を示さず、100hpfにおいて低下した(図2右)。分枝の数に有意な違いは認められなかった。

 次に、軸索終末の分化を調べるため、シナプス小胞蛋白であるvesicle-associated membrane protein (VAMP2)とEGFPの融合蛋白(VAMP2-EGFP)を用いて観察を行った。VAMP2-EGFPの集積を評価するため、個々の軸索上でvaricosity状のシグナルのないshaft部分の輝度の4倍を閾値とし、それ以上の強度の点をpunctaとした。VAMP2-EGFPのみを発現させたコントロールの軸索ではpunctaの大きさ、数ともに76hpfから84、100hpfとかけて増加が見られた。dnGSK-3βの発現により、76hpf,84hpfにおいてpunctaの大きさの増加が見られたが、100hpfではコントロールとほぼ同じ値であった。一方、punctaの数はコントロールと同程度の経時的増加を示した。

[考察]

本研究では、ゼブラフィッシュ網膜視蓋投射において前シナプス側となる、RGC特異的に遺伝子操作する系を開発した。トランスジェニック・ゼブラフィッシュを用いて観察したRGCの発生、軸索の投射の時間経過や投射経路は、以前にDiIやhorse radish peroxidase (HRP)による観察報告とほぼ一致し、本研究の発現系は視神経軸索の発達を研究する上で優れた系であることが示された。さらに視蓋における軸索終末の発達を連続的に観察することが初めて可能となり、軸索終末の発達は初め活発であるが30時間ほどでゆっくりとなること、軸索終末の形態は一様ではなく一部の軸索がbundleを形成していることが新たに分かった。また、ダブルカセット・ベクターと、微量注入による低効率での発現系を用い、少数の軸索終末の発達を経時的に観察すると共に、機能分子の役割を調べることが可能となった。この発現方法は組織特異的であり、また組織へのダメージが少ないという点で優れいている。

 RGCの軸索はトポグラフィーを持った投射地図を形成するために、分枝することでそれぞれの投射野を形成する。dnGSK-3βは軸索終末の分枝の発達を抑制したが、この効果は分枝発達初期の76hpfでは認められず後の100hpfで見られた。このことは、dnGSK-3βは単に軸索の伸長を抑制したのではなく、GSK-3βの活性が視神経終末の分枝発達を制御していることを示唆する。

 VAMP2-EGFPを用いた観察により、dnGSK-3βはVAMP2-EGFPのpunctaの大きさを分枝発達の初期の段階(76, 84hpf)で増加させたが、数には影響を与えなかった。このことはGSK-3βの抑制がシナプス小胞の集積を促すことを示唆する。以上のことから、GSK-3βの活性は軸索終末の分枝発達に必要であること、逆にGSK-3βの活性抑制は分枝発達を抑制し、前シナプスの分化を促進することが示唆された。

[結論]

本研究により、ゼブラフィッシュ網膜視蓋投射系において前シナプス側である網膜神経節細胞特異的に遺伝子操作する系を開発し、軸索の発達をGFPによりin vivoで可視化することが出来た。また脊椎動物中枢神経系において、GSK-3βが軸索終末の分枝発達およびシナプス小胞の集積を制御することが示唆された。

図1

図2

審査要旨 要旨を表示する

本研究では、生体内でシナプス形成の分子機構を解析するため、ゼブラフィッシュの網膜視蓋投射系に注目し、網膜神経節細胞(RGC)特異的に遺伝子操作を行う系の開発を行い、RGCの軸索の可視化・観察を試みた。さらにその系を用いてGSK-3βの神経回路形成における役割を調べた。下記の結果を得ている。

1.RGC特異的なプロモーターとして、ニコチン性アセチルコリン受容体β3サブユニット(nAChRβ3)のゼブラフィッシュ相同遺伝子をクローニングした。予想翻訳開始点の5'上流3.8kb配列の制御下でenhanced green fluorescent protein (EGFP)を発現させるベクターを受精卵に微量注入し、6つのトランスジェニック・ゼブラフィッシュのラインを得た。いずれも主にRGC、および三叉神経核、Rohon-Beard感覚神経細胞においてEGFPの強い発現が見られた。

2.作成したトランスジェニック・ゼブラフィッシュを用い、視神経の発達を共焦点レーザー顕微鏡により観察した。網膜におけるEGFPの発現は30hpf(hours postfertilization、受精後時間)より、鼻−腹側の一部の細胞から始まり、48hpfには神経節細胞層全体で発現が見られた。視神経は36hpfには先端が視交差を抜けて46hpfには視蓋へ到達し、54hpfには複数の軸索の視蓋への進入が確認された。さらに、視蓋における視神経終末は、54hpfから84hpfにかけては軸索の数が増え尾側内側方向へと活発に進展し、分枝が進んだ。その後84hpf以後は発達がゆっくりとなった。また軸索終末の形態は視蓋において一様ではなく、側方では一部の軸索がbundleを形成していることがわかった。

3.可視化した少数のRGCでGSK-3βの機能を操作するため、nAChRβ3プロモーター制御下でEGFPを発現するベクターとGSK-3βのキナーゼ活性を欠損させたドミナントネガティブ変異体(dnGSK-3β)を発現するベクターを結合し(ダブルカセットベクター)、受精卵に微量注入した。76、84、100hpfにおいて、軸索終末の分枝を、総ての分枝の長さの合計(総分枝長)、分枝範囲の面積(最初の枝分かれから、分枝の端を凸状に直線でつないだ多角形の面積)、分枝の数の3点について測定した。dnGSK-3βにより、総分枝長は経時的に影響を受け、76hpfではコントロールと同程度の長さであったが、100hpfにおいては低下した。同様に分枝範囲の面積についても76hpfでは差を示さず、100hpfにおいて低下した。分枝の数に有意な違いは認められなかった。

4.シナプス小胞蛋白であるvesicle-associated membrane protein (VAMP2)とEGFPの融合蛋白(VAMP2-EGFP)を用いて軸索終末の分化の観察を行った。VAMP2-EGFPの集積を評価するため、個々の軸索上でvaricosity状のシグナルのないshaft部分の輝度の4倍を閾値とし、それ以上の強度の点をpunctaとした。VAMP2-EGFPのみを発現させたコントロールの軸索ではpunctaの大きさ、数ともに76hpfから84、100hpfとかけて増加が見られた。dnGSK-3βの発現により、76hpf,84hpfにおいてpunctaの大きさの増加が見られたが、100hpfではコントロールとほぼ同じ値であった。一方、punctaの数はコントロールと同程度の経時的増加を示した。

以上、本論文はゼブラフィッシュ網膜視蓋投射系において前シナプス側である網膜神経節細胞特異的に遺伝子操作する系を開発し、軸索の発達をEGFPによりin vivoで可視化することが出来た。また脊椎動物中枢神経系において、GSK-3βが軸索終末の分枝発達およびシナプス小胞の集積を制御することが示唆された。

本研究はこれまであまり行われてこなかった、生体内での軸索分枝・シナプス形成の分子機構を解析するための実験系を確立し、GSK-3βの役割の一端を明らかにしたものであり、中枢神経系における神経回路形成機構の解明に重要な貢献を成すと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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