学位論文要旨



No 117282
著者(漢字) 岩野,はるか
著者(英字)
著者(カナ) イワノ,ハルカ
標題(和) 小脳プルキニエ細胞特異的TrkBノックアウトマウスの作成およびその解析
標題(洋) Generation and Analyses of Purkinje Cell-Specific TrkB Knockout Mice
報告番号 117282
報告番号 甲17282
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1890号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森,憲作
 東京大学 教授 真鍋,俊也
 東京大学 助教授 横溝,岳彦
 東京大学 講師 山口,正洋
 東京大学 講師 長谷川,功
内容要旨 要旨を表示する

 神経栄養因子およびその受容体は、神経細胞の生存・維持、神経回路網形成、シナプス可塑性、記憶・学習に重要な分子として注目を集めている。なかでも神経栄養因子受容体に属するTrkBは脳由来神経栄養因子(BDNF)およびNeurotrophin-4 (NT-4)に対する高親和性受容体として、TrkCはNeurotrophin-3 (NT-3)に対する高親和性受容体として、中枢神経系において広範囲な発現を示し、神経細胞の生存維持に協調して関わっていることが明らかになっている。しかし、TrkBおよびTrkCのノックアウトマウスは出生後致死的であるため成体における十分な解析が行われていなかった。そこで本研究では、脳部位特異的コンディショナルノックアウトマウスを作成し、TrkBおよびTrkCの機能解析を行うことにした。

 本研究ではまず、ターゲットマウスの作成を行った。始めに、TrkB、TrkCチロシンキナーゼドメインを含んだゲノム遺伝子をクローニングし、次にTrkBの3番目のキナーゼドメインをコードするエキソン(K3)の両端、あるいは、TrkC K2エキソンの両端にCreの認識配列loxPを挿入したターゲティングベクターを作成した。このターゲティングベクターには、ES細胞での選択を目的としてネオマイシン耐性遺伝子Neoを挿入した。また、挿入したNeoが従来の遺伝子発現に影響を及ぼす可能性を除去するため、Neoの両端にはFlp Recombinase Target (FRT)配列を付加し、この配列を認識する遺伝子組み換え酵素FlpによるNeoの除去を可能にした。

 この様にして作成したターゲティングベクターは、C57BL/6由来のES細胞にエレクトロポレーションにより遺伝子導入した。続いて、相同組み換えによりターゲティングベクター由来遺伝子が組み込まれたES細胞をサザンハイブリダイゼーションを用いてスクリーニングした。スクリーニングの結果、得られた相同組み換えES細胞はTrkBで435クローン中29クローン、TrkCで238クローン中4クローンであった。インジェクションには、TrkBで5クローン、TrkCで4クローンのES細胞を用いた。このES細胞をICR由来の8細胞期胚にマイクロインジェクションした後、胚盤胞期に、仮親の子宮内に移植した。このようにして、TrkBでは雄の100%キメラマウス1匹を、TrkCでは100%および90%のキメラマウス2匹を得ることができた。得られたキメラマウスは、交配により、ES細胞由来の相同組み換え遺伝子が生殖系列を通して子孫マウスへ伝達することを確認した。

 このように、本研究ではC57BL/6由来のES細胞を用いることにより、戻し交配を行わずにC57BL/6の遺伝背景が100%であるターゲットマウスを作成することができた。従来、遺伝子ノックアウトに使用されてきたES細胞は129マウス由来であったが、この129系統マウスにおいては脳梁の形成不全が報告されており、また、空間学習や運動学習といった行動解析に影響を与えるマウスの遺伝背景が問題となってきた。こういった点から、本研究で用いたC57BL/6由来ES細胞は、中枢神経系での機能解析を目的とした遺伝子ターゲティングにおいて重要なツールとなると考えられた。

 次に、ターゲット遺伝子中のNeoを除去することを目的として、FLPを持つC57BL/6由来トランスジェニックマウスとターゲットマウスとを交配した。こうして得られたTrkBfloxNeo/FLPマウスはC57BL/6マウスと交配し、TrkBターゲット遺伝子を持ち、FLP遺伝子を持たない子孫マウス54匹を得た。これらのうちTrkBターゲット遺伝子からNeoが欠失しているマウス20匹をサザンハイブリダイゼーションにより選択した。このようにして得たマウス(TrkBflox/+)を後のCreマウスとの交配に用いた。TrkCターゲットマウスも同様に交配して作成した。

 一方、作成したターゲットマウスにおいて、実際にCreの存在下でloxP間が欠失することを確認するために、全身でCreを発現するノックインマウスTLCNCreとTrkBターゲットマウスとを交配した。この子孫マウスを用いたサザンハイブリダイゼーションにより、実際にTLCNCreの存在下でK3領域が欠失し、ヘテロの遺伝子型(TrkB-/+)を示すことを確認した。続いて、K3領域の欠失によりタンパクレベルでTrkBが消失することを確認するために、TrkB-/+マウスを交配し、TrkB nullノックアウトマウス(TrkB-/-)を作成した。TrkB-/-マウスは、これまでの知見と同様、生後48時間以内に死亡した。生後0日の時点で全脳を用いたウエスタンブロット法により、TrkB-/-マウスにおいて実際にTrkB蛋白質が消失していることを確認した。これらの結果から、作成したTrkBターゲットマウスは期待通り、Creの発現下でTrkBを欠損することが確認できた。

 Creマウスには、海馬CA3領域錐体細胞特異的発現を示すGluRγ1受容体の開始コドン部位にCre遺伝子を挿入したノックインタイプのGluRγ1 Creマウス、および、プルキニエ細胞と網膜双極細胞に特異的発現を示す分子であるL7の開始コドン部位にCre遺伝子を挿入したL7Creマウスを用いた。まず、L7CreマウスとTrkBflox/+マウスとを交配することにより、ターゲット遺伝子とCre遺伝子をヘテロに持つTrkBflox/+・L7Cre/+マウスを作成した。さらに、TrkBflox/+・L7Cre/+とTrkBflox/+とを交配することにより、TrkBターゲット遺伝子をホモに、Cre遺伝子をヘテロに持ち(TrkBflox/flox・L7Cre/+)、プルキニエ細胞特異的にTrkBを欠失するマウス(TrkBPuKO)を作成した。TrkBを海馬CA3領域特異的に欠失するマウス(TrkBCA3KO)作成の交配も同様に行った。

 TrkBPuKOマウスは正常に発育・繁殖した。TrkBPuKOにおける遺伝子ノックアウトの開始時期を調べることを目的として、小脳全体のゲノムを用い、PCRによる解析を行った。この結果、TrkBPuKOマウスにおいて、生後0日の時点でTrkBの遺伝子欠損に由来するバンドを検出することができた。しかし、TrkBPuKOマウスを用いた組織学的解析および小脳が関わると考えられている行動解析(rotorod、瞬目反射条件付け学習)において、TrkBPuKOマウスとコントロールマウスとの間に有意差は認められなかった。このように、TrkBPuKOが小脳の形態学的・行動学的解析において正常な表現型を示したことは、プルキニエ細胞に発現するTrkBが、小脳の形態形成や小脳が関与する学習行動に重要ではない、という可能性を示唆した。BDNFやTrkBの全身での全身でのノックアウトマウスではプルキニエ細胞の形態異常と共に外顆粒層から内顆粒層への顆粒細胞の移動阻害が報告されているが、これらの異常は、プルキニエ細胞に発現するTrkBではなく、顆粒細胞といった、プルキニエ以外の細胞に発現するTrkBが欠失したことが原因であったと考えることが可能である。

 以上、TrkB、TrkCコンディショナルノックアウトマウスを用いた解析は、末梢・中枢神経系に広範囲に発現するTrkB、TrkCの特定部位における機能を解析することを可能とした。このような、コンディショナルノックアウト法を用いた研究は、中枢神経系における特定脳部位の機能を調べる上で今後有用であると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、神経回路網形成や記憶・学習に重要と考えられる神経栄養因子受容体TrkBおよびTrkCの機能を明らかにするため、これらの分子の部位特異的ノックアウトマウスを作成・解析したものであり、下記の結果を得ている。

1.TrkBおよびTrkCチロシンキナーゼドメインを含むゲノム遺伝子をクローニングし、キナーゼドメインをコードするエキソンの両端に遺伝子組み換え酵素Creの認識配列loxPを挿入したTrkBおよびTrkCターゲティングベクターを作成した。TrkBおよびTrkCターゲティングベクターはC57BL/6由来のES細胞に遺伝子導入し、相同組み換えES細胞を得た。相同組み換えES細胞をICR由来8細胞期胚にマイクロインジェクションした後、胚盤胞期に仮親の子宮内へ移植し、TrkBおよびTrkCキメラマウスを得た。キメラマウスの子孫においてターゲット遺伝子が生殖系列を通して伝達することを確認し、C57BL/6の遺伝背景が100%であるTrkBあるいはTrkCターゲットマウスを得た。

2.実際にターゲットマウスにおいてCre存在下でloxP間が除去されることを確認するため、TrkBターゲットマウスとCreを全身で発現するTLCNCreマウスとを交配した。子孫マウスを用いたSouthern blot hybridizationにより、loxP間が欠失し、ヘテロの遺伝子型になっていることが示された。さらに、ヘテロマウス同士を交配し、TrkB nullマウスを作成した。Nullマウスは生後48時間以内に死亡した。生後0日目(P0)の全脳を用いたウエスタンブロット法により、期待通りnullマウスではTrkBタンパク質が欠失していることが示された。

3.ES細胞での選択を目的としてターゲット遺伝子に挿入した薬剤耐性遺伝子Neoを除去するために、TrkBターゲットマウスと遺伝子組み換え酵素FLPを生殖細胞で発現するFLP66トランスジェニックマウスとを交配した。その子孫マウスを用いたサザンハイブリダイゼーションにより、FLP Recombinase Target (FRT)間の遺伝子組み換えが起りNeoが除かれていることが示された。

4.海馬CA3錐体細胞特異的TrkBノックアウトマウスを作成するために、海馬においてCA3錐体細胞特異的発現を示すGluRγ1CreマウスとTrkBターゲットマウスとを交配した。子孫マウスのP28の全脳を用いたIn Situ Hybridizationにより、実際にTrkB mRNAが海馬CA3において低下していることが示された。

5.小脳プルキニエ細胞特異的TrkBノックアウトマウスを作成するために、プルキニエ細胞および網膜双極細胞特異的にCreを発現するL7CreマウスとTrkBターゲットマウスとを交配した。子孫マウスの小脳ゲノムを用いたPCRによりP0よりも早い時点で、TrkBの遺伝子ノックアウトが開始していることが示された。

6.プルキニエ細胞特異的TrkBノックアウトマウスを用いた組織学的・行動学的解析ではコントロールマウスと比較し、異常は認められなかった。このことは、プルキニエ細胞に発現するTrkBが、小脳の形態形成や小脳が関与する学習行動に重要ではない、という可能性を示唆した。TrkB null mouseで報告されているプルキニエ細胞樹状突起の発達阻害や顆粒細胞移動阻害はプルキニエ細胞以外の部位に発現するTrkBが関与していると推測された。

以上、本論文はC57BL/6由来ES細胞を用いた遺伝子ターゲティングシステムを確立し、C57BL/6の遺伝背景が100%であるTrkBおよびTrkCターゲットマウスを得た。このシステムは、従来の129由来ES細胞を用いた遺伝子ターゲティングシステムで問題となってきた遺伝背景の問題点を克服したものである。また、海馬CA3特異的あるいはプルキニエ細胞特異的TrkBノックアウトマウスは、広範囲な発現を示すTrkBの特定脳部位における機能解析、さらにプレシナプスあるいはポストシナプスにおける機能を明瞭に区別して解析することを可能とした。本研究で確立した手法は、中枢神経ネットワークの機構の解明に重要なツールとなると考えられ、学位の授与に値すると考えられる。

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