学位論文要旨



No 117288
著者(漢字) 中澤,敬信
著者(英字)
著者(カナ) ナカザワ,タカノブ
標題(和) NMDA受容体チロシンリン酸化の生理学的解析
標題(洋)
報告番号 117288
報告番号 甲17288
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1896号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 竹縄,忠臣
 東京大学 教授 中村,祐輔
 東京大学 教授 御子柴,克彦
 東京大学 助教授 井上,貴文
 東京大学 助教授 宮澤,恵二
内容要旨 要旨を表示する

 グルタミン酸は哺乳類中枢神経系における主要な興奮性神経伝達物質である。その受容体はイオンチャネル型と代謝(G蛋白共役)型に分類される。イオンチャネル型受容体の1つであるN-methyl-D-aspartate(NMDA)型容体はシナプス可塑性、神経細胞の発達、及び神経細胞死などに重要な役割を果たすことが知られている。NMDA型受容体はNMDAR1 (NR1)ファミリー(マウスではGlutamate receptor (GluR)ζ1)、NR2 (GluRε)ファミリー及びNR3Aの3種類の相同性の高いサブユニットから構成されている。GluRζ1 (NR1)は、チャネルの活性に必須なサブユニットである。一方、調節サブユニットと呼ばれているGluRε(NR2)はGluRε1-GluRε4 (NR2A-2D)の4種類があり、GluRεの構成の相違によりチャネルの特性にも相違が見られる。またNR3Aもチャネルの特性を調節していると考えられている。

 Src型チロシンキナーゼの1つであるFynの欠損マウスがLTPの減弱や空間記憶の障害、海馬構造の形成不全、ミエリン形成不全、恐怖心の亢進、エタノール感受性の亢進など様々な神経機能の異常を示すことからFynの神経系における重要性が指摘されている。また、NMDA型受容体のチャネル活性がSrcにより増強される。さらに、NMDA受容体サブユニットの1つであるGluRε2のチロシンリン酸化レベルは高頻度刺激によるLTP誘導時や味覚の記憶の際に上昇することが示されている。これらの知見はSrc型チロシンキナーゼによるNMDA受容体のチロシンリン酸化がグルタミン酸作働性ニューロンの機能、また脳活動に関与することを示唆している。しかしながら、NMDA受容体チロシンリン酸化の生理的意義についてはほとんど未解明である。そこでNMDA受容体GluRε2サブユニットのFynによるリン酸化の生理的意義を個体レベルで検証し、またその裏付けとなるメカニズムを分子・細胞レベルで明らかにすることを目的とし本研究を行った。

1) NMDA型グルタミン酸受容体GluRε2サブユニットのチロシンリン酸化の意義の解析1)

 GluRε2は細胞質領域に25個のチロシン残基を持つ。まず、in vitroにおけるFynによるGluRε2の細胞質領域のリン酸化残基を検討したところ、Tyr-932、Tyr-1039、Tyr-1070、Tyr-1109、Tyr-1252、Tyr-1336、Tyr-1472の7つであった。さらにHEK293T細胞再構成系を用いて上記7つの残基のリン酸化を検討したところ、Tyr-1472が一番主要なリン酸化残基であり、Tyr-1252、Tyr-1336はわずかではあるがリン酸化されうることがわかった。次にTyr-1472を含むリン酸化ペプチドをウサギに免疫することによってリン酸化Tyr-1472を特異的に認識する抗体を得た。抗リン酸化Tyr-1472抗体の特異性を確認した後、この抗体を用いて調べたところ、実際マウス脳内においてもGluRε2のTyr-1472がリン酸化されていることが明らかになった。また、Fyn欠損マウス由来のGluRε2はほとんどTyr-1472のリン酸化が検出されなかったことから、マウス脳内においてGluRε2のTyr-1472のリン酸化にFynが深く関与していることが示された。さらに、Tyr-1472のリン酸化レベルは生後3、7、16、28日と脳の発達に応じて上昇することがわかった。

 次に、海馬CA1領域におけるLTP誘導時におけるTyr-1472のリン酸化レベルの変動について検討した。LTP誘導後60分後ではTyr-1472のリン酸化レベルは刺激前のそれに比べて1.5倍(p<0.002)上昇していることが明らかになった。刺激後5分後ではTyr-1472のリン酸化の上昇は見られなかった。以上のデータはTyr-1472のリン酸化がLTPの発現に関与していることを示唆している。

 NMDA受容体はクラスリン依存性のエンドサイトーシスにより後シナプス膜から取り込まれる。AP-2複合体μ2鎖はクラスリン被覆小胞の重要な成分の一つであり標的基質の認識に関与している。μ2鎖が標的とするコンセンサス配列はYXXΦ(ΦはLやIなどの疎水性のアミノ酸)であることからTyr-1472を含むYKEL配列はμ2鎖の標的部位である可能性が考えられた。そこでHEK293T細胞を用いた再構成系においてGluRε2とμ2鎖の結合を検討したところ、野生型GluRε2はμ2鎖と結合したが、GluRε2Y1472F変異体は結合しなかった。従ってTyr-1472のリン酸化はGluRε2とμ2鎖の結合を制御していると考えられた。

2) NMDA受容体GluRε2サブユニットY1472Fノックインマウスの作製

 1)の結果からTyr-1472のリン酸化は海馬におけるLTPの発現、ひいてはマウス個体の記憶形成・学習に関与している可能性が考えられた。そこで、Tyr-1472のリン酸化の生理的意義を解明することを目的としてGluRε2のTyr-1472をフェニルアラニンに置換したノックインマウスを作製した。ホモノックインマウス(ホモマウス)はやや体格は小さいが、その他の目立った表現型はなく正常に生育する。また、ホモマウスにおける海馬の構造異常は見いだされなかった。さらに海馬におけるGluRε2、GluRε1、AMPA受容体GluR1サブユニット、PSD-95の各蛋白質の発現について、それぞれの抗体を用いた組織染色により検討を行ったところ、光学顕微鏡レベルの観察ではいずれの蛋白質においてもその発現場所、発現レベルに有意な差は見られなかった。

 次にホモマウスにおけるGluRε2のチロシンリン酸化レベルについて検討したところ、ホモマウスにおいてGluRε2のチロシンリン酸化レベルは野生型マウスのそれの約30%に減少していた。以上の結果はTyr-1472がマウス脳GluRε2において最も主要なチロシンリン酸化残基であることを示している。

3) NMDA受容体複合体に局在する神経系特異的新規Rho GTPase activating protein (GAP)蛋白質の同定と解析

 GluRε2のTyr-1472のリン酸化の意義として、Tyr-1472のリン酸化依存的に結合する蛋白質を想定した。そこで、その分子をYeast Tri Hybrid Systemを用いて検索した。Yeast Tri Hybrid Systemにおける第3の蛋白質としてFynを用いた。

 GluRε2のTyr-1472を含む細胞質領域をFynによりリン酸化したものをベイトとし、ヒト脳cDNAライブラリーをスクリーニングしたところ、陽性クローンの1つは新規Rho GTPase activating protein (GAP)様蛋白質をコードしていた。新規RhoGAP蛋白質(p250)はアミノ末端にRhoGAPドメインが存在する。HEK293T細胞を用いた再構成実験の結果、p250はGluRε2とPSD-95に会合することが明らかになった。また、HEK293T細胞中ではFynによってリン酸化された。次にp250のGAP活性を検討したところ、p250はRhoとCdc42に対するGAP活性が検出された。また神経芽細胞腫細胞Neuro2Aにp250を過剰発現させたところ、血清飢餓の条件で誘導される神経突起の伸長が阻害された。

 次にp250の発現場所について検討を加えた。マウス組織レベルのノザン解析により、p250は脳特異的な発現を示すことがわかった。また、脳内ではNMDA受容体同様、シナプス後膜肥厚部に濃縮して局在していた。以上の結果から、神経細胞ではp250はNMDA受容体複合体に局在し、NMDA受容体からのシグナルをRhoファミリーGTPaseに伝達しているRhoGAP蛋白質である可能性が考えられた。

 本研究では、NMDA受容体GluRε2サブユニットのFynによるリン酸化残基の同定とそのリン酸化の意義の解析、さらにはGluRε2Y1472Fノックインマウスの作製を行った。またその過程でNMDA受容体複合体に局在すると考えられる神経系特異的新規RhoGAP蛋白質を同定し、機能解析を行った。本研究で作製したGluRε2Y1472Fノックインマウスの電気生理学的手法、行動学的手法を用いた解析は、NMDA受容体チロシンリン酸化の意義を包括的に理解する上で重要な位置を占めると考えられる。また、同定した新規RhoGAPの解析は、NMDA受容体を介したスパイン形成、更にはシナプス形成の制御のメカニズムを明らかにする上で重要であると考えられる。

1) Nakazawa T. et al., (2001) Characterization of Fyn-mediated tyrosine phosphorylation sites on GluRε2 (NR2B) subunit of the N-methyl-D-aspartate receptor. J. Biol. Chem. 276:693-699.

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、NMDA受容体GluRε2サブユニットのFynによるリン酸化の生理的意義を個体レベルで検証し、またその裏付けとなるメカニズムを分子・細胞レベルで明らかにすることを目的とし、NMDA受容体GluRε2サブユニットのFynによるリン酸化残基の同定とそのリン酸化の意義の解析とGluRε2Y1472Fノックインマウスの作製を行ったものである。またその過程において、NMDA受容体複合体に局在すると考えられる神経系特異的新規RhoGAP蛋白質の同定と機能解析を行ったものであり、以下の結果を得ている。

1.GluRε2は細胞質領域に25個のチロシン残基を持つ。in vitroにおけるFynによるGluRε2の細胞質領域のリン酸化残基を検討したところ、Tyr-932、Tyr-1039、Tyr-1070、Tyr-1109、Tyr-1252、Tyr-1336、Tyr-1472の7つであった。さらにHEK293T細胞再構成系を用いて上記7つの残基のリン酸化を検討したところ、Tyr-1472が一番主要なリン酸化残基であり、Tyr-1252、Tyr-1336はわずかではあるがリン酸化されうることを示した。

2.リン酸化Tyr-1472を特異的に認識する抗体を作製し調べたところ、実際マウス脳内においてもGluRε2のTyr-1472がリン酸化されていることが明らかになった。また、Fyn欠損マウス由来のGluRε2はほとんどTyr-1472のリン酸化が検出されなかったことから、マウス脳内においてGluRε2のTyr-1472のリン酸化にFynが深く関与していることが示された。さらに、Tyr-1472のリン酸化レベルは生後3、7、16、28日と脳の発達に応じて上昇することを示した。

3.海馬CA1領域におけるLTP誘導時におけるTyr-1472のリン酸化レベルの変動について検討したところ、LTP誘導後60分後ではTyr-1472のリン酸化レベルは刺激前のそれに比べて1.5倍上昇していることが明らかになった。この結果はTyr-1472のリン酸化がLTPの発現に関与していることを示唆している。

4.HEK293T細胞を用いた再構成系においてGluRε2とAP2複合体のμ2鎖の結合を検討したところ、野生型GluRε2はμ2鎖と結合したが、GluRε2Y1472F変異体は結合しなかった。従ってTyr-1472のリン酸化はGluRε2とμ2鎖の結合を制御していると考えられた。

5.Tyr-1472のリン酸化の生理的意義を解明することを目的としてGluRε2のTyr-1472をフェニルアラニンに置換したノックインマウスを作製した。ホモノックインマウス(ホモマウス)はやや体格は小さいが、その他の目立った表現型はなく正常に生育した。

6.ホモマウスにおけるGluRε2のチロシンリン酸化レベルについて検討したところ、ホモマウスにおいてGluRε2のチロシンリン酸化レベルは野生型マウスのそれの約30%に減少していた。

7.GluRε2のTyr-1472を含む細胞質領域をFynによりリン酸化したものをベイトとし、ヒト脳cDNAライブラリーをスクリーニング新規Rho GTPase activating protein (GAP)様蛋白質を得た。新規RhoGAP蛋白質(p250)はアミノ末端にRhoGAPドメインが存在する。HEK293T細胞を用いた再構成実験の結果、p250はGluRε2とPSD-95に会合することが明らかになった。また、HEK293T細胞中ではFynによってリン酸化された。

8.p250のGAP活性を検討したところ、p250はRhoとCdc42に対するGAP活性が検出された。また神経芽細胞腫細胞Neuro2Aにp250を過剰発現させたところ、血清飢餓の条件で誘導される神経突起の伸長が阻害された。

9.マウス組織レベルのノザン解析により、p250は脳特異的な発現を示すことがわかった。また、脳内ではNMDA受容体同様、シナプス後膜肥厚部に濃縮して局在していた。以上の結果から、神経細胞ではp250はNMDA受容体複合体に局在し、NMDA受容体からのシグナルをRhoファミリーGTPaseに伝達しているRhoGAP蛋白質である可能性が考えられた。

 以上、本論文ではNMDA受容体GluRε2サブユニットのFynによるリン酸化残基の同定とそのリン酸化の意義の解析、さらにはGluRε2Y1472Fノックインマウスの作製、表現型の解析を行った。またNMDA受容体複合体に局在すると考えられる神経系特異的新規RhoGAP蛋白質を同定し、機能解析を行った。本研究はこれまで不明な点が多かったNMDA受容体チロシンリン酸化の意義を包括的に理解する上で重要な位置を占めると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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