学位論文要旨



No 117290
著者(漢字) 上北,尚正
著者(英字)
著者(カナ) ウエキタ,タカマサ
標題(和) 癌細胞の浸潤・転移に関与する膜型マトリックスメタロプロテアーゼ1の細胞質ドメインの機能解析
標題(洋) Study on the role of cytoplasmic tail of membrane-type 1 matrix metalloproteinase (MT1-MMP) in cancer cell invasion
報告番号 117290
報告番号 甲17290
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1898号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 竹縄,忠臣
 東京大学 助教授 仙波,憲太郎
 東京大学 助教授 森,庸厚
 東京大学 助教授 久保田,俊一郎
 東京大学 助教授 仁木,利郎
内容要旨 要旨を表示する

【背景】

 マトリックスメタロプロテアーゼ(MMPs)は、酵素活性中心にZn2+を保持するプロテアーゼであり、可溶型MMPsと膜結合型MMPs (MT-MMPs)の2種類のサブグループに分類され、これまでにヒトでは20種類が単離されている。可溶型MMPsは、細胞外に放出されて組織内の広範な細胞外基質(extra cellular matrix, ECM)分解に関与しているのに対し、MT-MMPsは、細胞膜上に局在することから、細胞の増殖や運動に伴う膜近傍の局所的なECMの分解を担うことが示唆されている。このことからMT1-MMPは、細胞の運動、増殖、形態変化をECM分解面から制御していると考えられている。MT-MMPsは、現在6種類(MT1, MT2, MT3, MT4, MT5, MT6-MMP)が単離されており、膜貫通ドメインと短い細胞質ドメインを介して膜表面に存在する膜貫通型(MT1, MT2, MT3, MT5)とGlycosylphosphatidylinositol (GPI)を介して膜表面に存在するGPI型(MT4, MT6)の2種類に分類されている。

 これらMT-MMPsの中でもMT1-MMPは、特に研究の進んでいる分子である。MT1-MMPは、I, II, III型コラーゲン、ラミニン1, 5、フィブロネクチン、フィブリン、プロテオグリカン等のECMを分解する活性を持つのみでなく、細胞膜表面において可溶型MMPであるMMP-2やMMP-13を活性化する機能をも有している。また、MT1-MMP遺伝子欠損マウスは骨格系に異常をきたし、潜在型MMP-2の活性化が抑制されている。またMT1-MMPは、その発現と癌の浸潤・転移とに相関があることが示されている。MT1-MMPは正常組織において、主として間質系細胞で発現する一方、癌組織においては、その進展とともに癌細胞と周辺の間質細胞でMT1-MMPの発現が亢進することが明らかとなっている。さらに、MT1-MMPの発現が癌細胞の浸潤・転移能を増大することも癌細胞を用いた実験系によって示されている。これらの知見から、MT1-MMPは癌細胞の浸潤・転移に重要な役割を担っていると考えられている。

 細胞が浸潤する際には、プロテアーゼや細胞接着因子を含む細胞膜表面に存在する多くの分子が機能している。この過程においてMT1-MMPは、ECMの分解のみならず、細胞運動にも重要な役割を担っていることが示唆されており、細胞が運動する際、その運動方向の先端部及び、接着部位に局在することが示されている。しかしながら、その部位におけるMT1-MMPの活性制御機構や、役割についてはいまだ明らかにはなっていない。

 細胞膜表面のMT1-MMPは、いくつかの異なる機構によって活性が制御されている。潜在型MT1-MMPはプロプロテインコンバターゼ(PCs)に認識されるArg-Arg-Lys-Arg111部位をプロペプチド配列の末端に有しており、MT1-MMPのプロペプチド配列は細胞内においてPCsにより切断され、活性型として細胞膜表面に存在すると考えられている。活性型MT1-MMPは、内因性の阻害分子であるTissue inhibitors of metalloproteinase (TIMP)-2, TIMP-3, TIMP-4によって阻害され活性が制御されることが明らかとなっており、その中でもTIMP-2はMT1-MMPの主要な阻害剤であることが知られている。一方でTIMP-2は、MT1-MMPの活性部位に結合することにより、潜在型MMP-2と結合して3量体を形成し、別の活性型MT1-MMPによりプロペプチド配列を切断して潜在型MMP-2を活性化する機構に関与するとの報告がなされている。また活性型MT1-MMPは、MMP-2やMT1-MMP自身により触媒ドメインが切断され、細胞膜表面に43kDaの不活性型分子として存在し活性が制御されることも示唆されており、その分子が潜在型MMP-2の活性化を阻害する可能性も報告されている。

 それ以外のMT1-MMPの細胞膜表面における活性制御の機構として、MT1-MMPの細胞内への取り込み機構やMT1-MMPの段階的な分解による活性制御機構などが考えられる。近年、MT1-MMPに結合するTIMP-2が細胞内に取り込まれ分解されるという報告がなされ、MT1-MMPが細胞内に取り込まれる可能性の高いことが推測された。

 本研究では、MT1-MMPの膜表面からの取り込みを検証する観点から細胞内ドメインに着目し、細胞質ドメインによるMT1-MMPの取り込みの有無について検証をおこなった。さらに、MT1-MMPの細胞質ドメイン変異体を作製し、同分子の細胞質ドメインの細胞機能への関与の可能性を細胞生物学的手法を用いて検証した。

【方法と結果】

 MT1-MMPの細胞内への取り込みを調べるため、MT1-MMPの触媒ドメインのN末端にFLAG-tagを付けた同分子をCHO-K1細胞に発現させ、125I−標識したFLAG抗体を用いてMT1-MMPの細胞内への取り込みを検証した。その結果、MT1-MMPが30分で約40%細胞内に取り込まれることを確認した。また、MT1-MMPがどのドメイン依存的に細胞内に取り込まれるかを検証するために、MT1-MMPの各ドメイン欠失体を作製し、同様に細胞内への取り込みを検討したところ、MT1-MMPの細胞質ドメイン欠失体は細胞内への取り込みが抑制されることを見出した。以上の結果から、MT1-MMPは細胞質ドメイン依存的に細胞内に取り込まれることが示唆された。また、MT1-MMP細胞質ドメイン内の欠失及び、点変異体をもちいた細胞内への取り込み実験の結果から、細胞質ドメインのLeu-Leu-Tyr573領域によってMT1-MMPが細胞内に取り込まれることが示唆された。

 次に、MT1-MMPの細胞内への取り込みに関与する分子を同定することを試みた。膜型タンパク質の輸送にはクラスリン被覆小胞が関与することが知られている。特に、膜型タンパク質の細胞内への取り込みには、クラスリン被覆小胞の被覆成分として同定されたAdaptor protein-2 (AP-2)が重要な役割を担っている。AP-2は、α,β2,μ2,σ2鎖からなるヘテロ4量体から構成されている。α鎖は細胞質から形質膜へのAP-2の移行及び、クラスリン被覆小胞の形成制御に関与し、β2鎖はクラスリンとの結合に関与する。μ2鎖は膜型タンパク質の細胞質領域に存在するチロシン領域(YXXΦ)やジロイシン領域(D/EXXXLL)と結合し、その領域を持つ膜型タンパク質をクラスリン被覆小胞に組み込んで選択的な細胞内取り込みを引き起こす。σ2鎖に関しては明らかな機能はまだ分かっていない。これらの知見をもとに、μ2鎖とMT1-MMPの細胞質ドメインとの結合の有無をYeast two-hybrid法により検証したところ、MT1-MMPの細胞質ドメインはμ2鎖と結合することが明らかとなった。また、MT1-MMPの細胞質ドメインのLeu-Leu-Tyr573点変異体ではμ2鎖と結合しなかったことから、μ2鎖はMT1-MMPの細胞質ドメインのLeu-Leu-Tyr573領域を認識している可能性が示唆された。さらに、クラスリン被覆小胞とMT1-MMPとの局在を免疫染色で観察したところ、両者の局在が細胞先進部近傍の小胞で一致することを見出した。以上の結果とMT1-MMPが細胞内に取り込まれるという結果から、MT1-MMPは細胞先進部でクラスリン被覆小胞を介して細胞内に取り込まれることが強く示唆された。

 次に、このMT1-MMPの細胞内への取り込みとその機能との関係について検証を試みた。MT1-MMPの重要な機能の一つは潜在型MMP-2の活性化である。そこで、MT1-MMPの各細胞質ドメイン変異体における潜在型MMP-2の活性化能の検討をゼラチンザイモグラフィーを用いておこなった。その結果、どの細胞質ドメイン変異体においても、野生型と比べて潜在型MMP-2の活性化には影響が見出されなかった。また、125I−標識したFLAG抗体を用いて細胞表面のMT1-MMP量を測定した実験から、細胞表面に存在する各細胞質ドメイン変異体の量に変化がないことを見出した。以上の結果から、MT1-MMPの細胞内への取り込みは細胞表面のMT1-MMP活性には影響を及ぼさないことが示唆された。また、TIMP-2の取り込みがMT1-MMPの細胞質ドメインに依存している可能性について検証した。細胞質ドメイン欠失体と野生型の各々を発現させた細胞に125I−標識したTIMP-2を結合させ、細胞内への取り込みの検証をおこなった結果、TIMP-2がMT1-MMPの細胞質ドメイン依存的に細胞内に取り込まれることを見出した。

 最後に、細胞運動の制御にMT1-MMPの細胞質ドメインを介した細胞内への取り込みが関与する可能性を検証するため各細胞質ドメイン変異体を発現させた細胞を用いて金コロイド法による細胞運動性の解析をおこなった。金コロイド法は、細胞の金コロイドに対する貧食作用を利用し、細胞が移動した軌跡を測定する方法である。その結果、細胞に取り込まれない変異体では、Mockと同程度の運動性しか見られなかったが、取り込まれる変異体や野生型では、Mockと比較して約3倍程度に運動性が亢進することを見出した。また、再構成基底膜を用いた浸潤実験から、細胞の運動性の解析同様に、細胞に取り込まれない変異体では、浸潤能がほとんど見られず、取り込まれる変異体や野生型では、浸潤能が亢進することを見出した。以上の結果から、細胞質ドメインによるMT1-MMPの細胞内への取り込みが細胞の運動性や浸潤能に重要な役割を担っていることが示唆された。

【結論】

 本研究によって、MT1-MMPが同分子の細胞質ドメイン、特にその中のLeu-Leu-Tyr573領域依存的に、クラスリン被覆小胞を介して細胞内に取り込まれていることが明らかとなった。さらに細胞内に取り込まれないMT1-MMPの細胞質ドメイン変異体を用いた細胞運動性の解析(金コロイド法)と再構成基底膜による浸潤実験から、MT1-MMPの細胞内への取り込みが、細胞の運動性及び浸潤能の制御の一端を担っていることを明らかにした。その制御機構の中で、MT1-MMPの細胞質ドメインは、細胞運動及び、癌細胞の浸潤の際の細胞先進部におけるECM分解後の同分子の回収機構に関与する重要なドメインであることが示唆された。本研究は、これまで細胞運動や癌細胞の浸潤・転移の分子機構に関与するMT1-MMPの中で機能がほとんど明らかになっていなかった細胞質ドメインの一つの機能を明らかにし、細胞の運動性及び、癌細胞の浸潤・転移機構の解明に新たな局面を提示した。

 癌細胞の浸潤過程は、低分子量GTP結合タンパク質を介した、細胞骨格の再編と細胞接着因子やプロテアーゼによる時間的・空間的な制御により、(I)細胞先進部での浸潤突起の形成、(II)浸潤突起のECMへの接着、(III) ECM分解による細胞の運動、(IV)細胞後進部の脱接着と収縮という現象が繰り返し起こることによって成立していると考えられている。

 これまで、MT1-MMPは細胞膜近傍のECMを分解をすることで、細胞の運動や癌細胞の浸潤に関与していると考えられてきたが、本研究により、細胞先進部でMT1-MMPが適切に機能するためには、同分子の細胞内への取り込みと新しく産生された分子への置換が細胞の運動性に必要であり、それが細胞の浸潤能にも関与するという新たな興味深い知見が得られた。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は癌細胞の浸潤・転移の過程において重要な役割を果たしていると考えられている細胞外基質(ECM)分解酵素の1つである膜型マトリックスメタロプロテアーゼ1(MT1-MMP)の細胞質ドメインの機能を明らかにするため、MT1-MMPの細胞質ドメインの変異体を作製し、細胞内への取り込みと細胞の運動性及び、浸潤能の解析を試みたものであり、以下の結果を得ている。

[1] MT1-MMPの触媒ドメインのN末端にFLAG-tagを付けた同分子をCHO-K1細胞に発現させ、125I-標識したFLAG抗体を用いてMT1-MMPの細胞内への取り込みを検証した結果、MT1-MMPが30分で約40%細胞内に取り込まれることを確認した。また、MT1-MMPの各ドメイン欠失体を作製し、同様に細胞内への取り込みを検討したところ、細胞質ドメインのLeu-Leu-Tyr573領域によってMT1-MMPが細胞内に取り込まれることが示唆された。

[2] MT1-MMPの細胞内への取り込みに関与する分子を同定するため、膜型タンパク質の細胞内への取り込みに関与するクラスリン被覆小胞の被覆成分であるAP-2複合体の構成因子であるμ2鎖とMT1-MMPの細胞質ドメインとの結合の有無をYeast two-hybrid法により検証した。その結果、μ2鎖はMT1-MMPの細胞質ドメインのLeu-Leu-Tyr573領域を認識している可能性が示された。さらに、クラスリン被覆小胞とMT1-MMPとの局在を免疫染色で観察したところ、両者の局在が細胞先進部近傍の小胞で一致することを見出した。以上の結果、MT1-MMPは細胞先進部でクラスリン被覆小胞を介して細胞内に取り込まれることが強く示唆された。

[3] MT1-MMPの細胞内への取り込みと細胞機能との関係について検証を試みた結果、潜在型MMP-2の活性化及び、MT1-MMPの細胞表面の量には影響を及ぼさないが、TIMP-2の細胞内に取り込みには重要であることが示唆された。また、細胞運動の制御にMT1-MMPの細胞質ドメインを介した細胞内への取り込みが関与する可能性を検証するため各細胞質ドメイン変異体を発現させた細胞を用いて金コロイド法による細胞運動性の解析をおこなった結果、細胞に取り込まれない変異体では、Mockと同程度の運動性しか見られなかったが、取り込まれる変異体や野生型では運動性が亢進することを見出した。また、再構成基底膜を用いた浸潤実験から、細胞の運動性の解析同様に、細胞内に取り込まれない変異体では、浸潤能がほとんど見られず、取り込まれる変異体や野生型では、浸潤能が亢進することを見出した。以上の結果から、細胞質ドメインによるMT1-MMPの細胞内への取り込みが細胞の運動性や浸潤能に重要な役割を担っていることが示唆された。

 以上、本論文は、細胞運動や癌細胞の浸潤・転移の分子機構に関与するMT1-MMPの中で機能がほとんど明らかになっていなかった細胞質ドメインの1つの機能を明らかにした。MT1-MMPが細胞膜近傍のECMを分解することで細胞の運動や癌細胞の浸潤に関与しているというこれまでの見解に加えて、MT1-MMPが細胞先進部で適切に機能するためには同分子の細胞内への取り込みと新しく産生された同分子への置換が細胞の運動性に必要であること、それが細胞の浸潤能にも関与すること、という新たな興味深い知見を見出した。

 これらの結果より、本研究は細胞の運動性及び、癌細胞の浸潤・転移機構の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値する物と考えられる。

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