学位論文要旨



No 117291
著者(漢字) 玉野,孝一
著者(英字)
著者(カナ) タマノ,コウイチ
標題(和) 赤痢菌の病原因子輸送に働くIII型分泌装置の超分子構造及び機能解析
標題(洋)
報告番号 117291
報告番号 甲17291
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1899号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩本,愛吉
 東京大学 教授 小俣,政男
 東京大学 教授 高津,聖志
 東京大学 助教授 堀本,泰介
 東京大学 助教授 俣野,哲朗
内容要旨 要旨を表示する

 赤痢菌は、経口的にヒト体内に取り込まれ大腸に達した後、腸管内でエフェクターと呼ばれる病原因子を大腸上皮細胞に輸送し、このエフェクターによる上皮細胞内の細胞骨格の再構築の結果、上皮細胞に菌体の貪食運動を誘導することで細胞侵入する。上皮細胞侵入後の赤痢菌は、細胞内で増殖しつつ隣接する細胞へと拡散を繰り返し、上皮組織を破壊し、最終的に炎症性の出血性下痢を引き起こす。このエフェクターの上皮細胞への輸送には、mix,spa両オペロンの20の遺伝子群によって作製されるIII型分泌装置が用いられる。グラム陰性細菌には、I型からIV型までの蛋白分泌装置が存在し、このうちIII型又はIV型分泌装置が宿主細胞への病原因子の輸送に用いられる。III型分泌装置は、多くのグラム陰性病原細菌に存在し、その遺伝子産物は菌種間でアミノ酸配列の相同性が認められる。更に、III型分泌装置を形成する遺伝子産物のいくつかは、サルモネラべん毛基部を構成する遺伝子産物ともアミノ酸配列の相同性が認められる。我々の研究室では、赤痢菌のIII型分泌装置を作製する遺伝子群及びその遺伝子産物について、長らく解析を行ってきた。しかし、赤痢菌の作製するIII型分泌装置の超分子構造は、全く不明であった。

 そこで、赤痢菌のIII型分泌装置の超分子構造を電子顕微鏡観察により明らかにすることを試みた。最初に、赤痢菌野生株を浸透圧ショック処理し、その後菌体膜を透過型電子顕微鏡を用いて観察した。その結果、野生株の菌体表面には菌体膜から菌体外部へと突出する針状の構造体が、一菌体あたり50-100個観察された。このような構造は、III型分泌装置を作製する遺伝子を欠失した非病原性株では観察されなかった。このことより、この針状の構造体は赤痢菌III型分泌装置であるものと考えられた。

 そこで、赤痢菌のIII型分泌装置を精製し、透過型電子顕微鏡にて観察を行った。その結果、赤痢菌のIII型分泌装置は、針部分と基部部分からなる円柱対称の針状の構造をしていることが、明らかとなった。更に、基部部分は上下にそれぞれ二重のリングを持っていることが認められた。各部分の大きさを測定したところ、針部分は長さ45.4±3.3nm、太さ8.4±0.7nm、基部部分は長さ31.6±0.3nmであることが認められた。サルモネラIII型分泌装置の構成成分である三種類の蛋白の赤痢菌ホモログMxiD,MxiG,MxiJは、イムノブロット及びアミノ末端配列決定解析の結果、赤痢菌III型分泌装置の構成成分であることが認められ、いずれも膜蛋白であるために、基部部分を構成しているものと考えられた。一方、針部分は菌体外へと突出していることから、細菌性赤痢のワクチンや新しい治療法の開発を行うのによい標的となるものと考えられた。そこで、針部分の構成成分の同定を行うこととした。

 サルモネラべん毛では、基部部分から菌体外へとフックが伸び、更にそこからべん毛繊維がのびている。我々は、III型分泌装置とサルモネラべん毛との構造上の類似性から、III型分泌装置の針部分は、べん毛のフックに相当するものと推測した。べん毛フックは、その構成成分であるFlgEが、細胞質のF1型ATPase FliIの作用によりべん毛基部を介して菌体外へと輸送され、そこで複合体となって形成される。赤痢菌には、このFliIに非常に高いアミノ酸配列の相同性のあるSpa47が存在する。そこで、このSpa47が、針部分の構成成分の輸送を担っているものと想定し、spa47変異株を作製して、そのIII型分泌装置の構造を観察した。その結果、spa47変異株は針部分を欠失した基部部分のみのIII型分泌装置を作製した。このspa47変異株のIII型分泌装置精製サンプルを、野生株のものと並べてSDS-PAGEに供し、バンドパターンを比較したところ、9kDa付近に野生株には存在しspa47変異株には存在しないバンドが確認された。一方、MxiD,MxiG,MxiJに相当するバンドは、両菌株に共通して同量に認められたため、MxiD,MxiG,MxiJは基部部分を構成する成分であることが、確認された。そこで、この9kDaのバンドをアミノ末端配列決定解析に供したところ、mxiオペロンの遺伝子産物であるMxiHのアミノ末端に一致する配列を読むことができた。そこで、mxiH変異株を作製し、そのIII型分泌装置を観察したところ、針部分を失った基部部分のみのIII型分泌装置が観察された。このことから、赤痢菌III型分泌装置の針部分は、主にMxiHにより構成されていることが示唆された。

 これまでの針部分を欠失したIII型分泌装置を作製するspa47及びmxiH各変異株について、III型分泌装置を介した蛋白分泌を活性化する0.003%コンゴレッド添加PBS液に菌体を懸濁してエフェクターの分泌能を調べた。その結果、両変異株はエフェクターを分泌できず、そのためHeLa細胞に侵入できないことが認められた。このことから、MxiHによる針部分の形成が、菌体のエフェクター分泌及び細胞侵入性に必須であることが認められた。

 このmxiH変異株にMxiHを大量発現させたところ、赤痢菌は最長で1μmまで針部分の非常に長くなったIII型分泌装置を作製した。このことから、赤痢菌III型分泌装置の針部分は、菌体内でのMxiHの生産量に影響を受けることが認められた。そして、当菌株はエフェクターを分泌することが認められ、また野生株に比べ二倍以上のHeLa細胞侵入性を示した。このことは、当菌株はMxiHを大量発現して針部分が非常に長くなったためにHeLa細胞により接触しやすくなり、その結果野生株に比べより効率的に細胞侵入することができたものと考えられた。

 サルモネラでは、III型分泌装置の作製に必要な遺伝子群のうちinvJ遺伝子を欠損すると、針部分が野生株に比べて長くなったIII型分泌装置が作製される。赤痢菌には、サルモネラInvJと15.4%の非常にわずかなアミノ酸配列の相同性が認められるspaオペロンのspa32遺伝子によってコードされるSpa32が存在する。そこで、赤痢菌においてSpa32が針部分の長さの制御に関与しているかを調べるために、spa32変異株を作製し、そのIII型分泌装置を精製して電子顕微鏡観察により構造を解析した。その結果、spa32変異株は野生株に比べて針部分の長くなったIII型分泌装置を作製することが認められ、その長さは45nmから1150nmまでさまざまであった。このspa32変異株に、spa32遺伝子をクローニングしたプラスミドを導入すると、菌体は野生株と同じ45nmの均一な長さの針部分を作製した。このことから、Spa32はIII型分泌装置の針部分の長さの制御に関与していることが認められた。実際に、spa32変異株にMxiHを大量発現させると、菌体は5μmを越える異常な長さの針部分を有するIII型分泌装置を作製した。

 Spa32は、赤痢菌野生株を培養中に培地に分泌されることがSpa32抗体を用いたイムノブロットにより認められた。しかし、培養終了後の野生株菌体をコンゴレッド添加PBS液に懸濁しても、Ipa等のエフェクターとは異なり、Spa32の分泌は誘導されなかった。また、Spa32は、mxiH及びspa47変異株では、培養中に培地に分泌されなかったことから、Spa32の分泌はIII型分泌装置を介して行われ、その分泌様式はIpa等のエフェクターとは異なることが認められた。

 次に、spa32変異株をコンゴレッド添加PBS液に懸濁し、当液中にIpaB,IpaC,IpaDが分泌されるかをイムノブロットにより調べた。その結果、spa32変異株はIpa等のエフェクターを分泌できないことが認められた。更に、spa32変異株についてHeLa細胞への侵入性を調べたところ、当変異株は細胞侵入できないことが認められた。このことから、spa32変異株の作製する長い針部分は、エフェクターの分泌に機能できず、そのため当変異株は細胞侵入性を欠失しているものと考えられた。

 Spa32は、InvJ以外にサルモネラのFliK、エルシニアのYscPとわずかにアミノ酸配列の相同性がある。これらの蛋白は、いずれも分泌蛋白であり、III型分泌装置もしくはべん毛構造体の形成に必要である。このことから、これらの蛋白は赤痢菌においてSpa32と同様に機能する可能性が考えられた。そこで、InvJ,FliK,YscP各蛋白をspa32変異株において相補させた結果、InvJを相補したspa32変異株は赤痢菌野生株と同様の45nmの均一の長さの針部分を有するIII型分泌装置を作製し、エフェクター分泌能及び細胞侵入性も野生株と同程度に回復した。一方、FliK,YscPを相補したspa32変異株は、元のspa32変異株と同様の長い針部分のIII型分泌装置を作製し、細胞侵入性も認められなかった。これらのことから、赤痢菌のSpa32の働きはサルモネラのInvJによって置き換えられることが認められた。

 以上の結果より、赤痢菌のIII型分泌装置は、針部分と基部部分からなる針状の構造をしており、針部分はMxiH、基部部分はMxiD,MxiG,MxiJにより主に構成され、更に針部分の長さはMxiH及びSpa32の存在量に影響され、また針部分はエフェクターの分泌に必須であることが明らかとなった。そして、針部分は菌体外へと突出していることから、細菌性赤痢のワクチンや新しい治療法を開発するにあたりよい標的となるものと考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究では、赤痢菌の腸管上皮細胞への侵入に必要な病原因子の輸送を行うIII型分泌装置の構造及び機能について電子顕微鏡観察を中心として解析を行った。その結果、下記の1〜6の結果を得ている。

1.赤痢菌のIII型分泌装置の超分子構造を電子顕微鏡観察により明らかにすることを試みた。最初に、赤痢菌野生株を浸透圧ショック処理し、その後菌体膜を透過型電子顕微鏡を用いて観察した。その結果、野生株の菌体表面には菌体膜から菌体外部へと突出する針状の構造体が、一菌体あたり50-100個観察された。このような構造は、III型分泌装置を作製する遺伝子を欠失した非病原性株では観察されなかった。このことより、この構造体は赤痢菌III型分泌装置であるものと考えられた。そこで、このIII型分泌装置を精製し、透過型電子顕微鏡にて観察を行った。その結果、赤痢菌のIII型分泌装置は、針部分と基部部分からなる円柱対称の針状の構造をしていることが、明らかとなった。更に、基部部分は上下に各々二重のリングを有していることが認められた。そして、III型分泌装置の各部分の大きさを測定したところ、針部分は長さ45.4nm・太さ8.4nm、基部部分は長さ31.6nmであることが認められた。

2.サルモネラIII型分泌装置の構成成分である三種類の蛋白の赤痢菌ホモログMxiD,MxiG,MxiJは、イムノブロット及びアミノ末端配列決定解析の結果、赤痢菌III型分泌装置の構成成分であることが認められ、いずれも膜蛋白であるために、基部部分を構成しているものと考えられた。そこで、針部分の構成成分を明らかにすることを試みた。項目3で述べるようにspa47変異株では針部分を欠失した基部部分のみのIII型分泌装置が作製された。そこで、当変異株のIII型分泌装置と野生株の同分泌装置の部分精製サンプルのSDS-PAGEのバンドパターンを比較したところ、9kDa付近に野生株には存在しspa47変異株には存在しないバンドが確認された。一方、MxiD,MxiG,MxiJに相当するバンドは、両菌株に共通して同量に認められたため、MxiD,MxiG,MxiJは基部部分を構成する成分であることが示唆された。この9kDaのバンドをアミノ末端配列決定解析に供したところ、mxiオペロンの遺伝子産物であるMxiHのアミノ末端に一致する配列を読むことができた。そして、mxiH変異株を作製してそのIII型分泌装置の構造を解析した結果、針部分を欠失した当分泌装置が観察されたことから、赤痢菌III型分泌装置の針部分は主にMxiHにより構成されているものと示唆された。

3.サルモネラべん毛では、基部部分から菌体外へとフックが伸び、さらにそこからべん毛繊維がのびている。我々は、III型分泌装置とサルモネラべん毛との構造上の類似性から、III型分泌装置の針部分は、べん毛のフックに相当するものと推測した。べん毛フックは、その構成成分であるFlgEが、細胞質のF1型ATPase FliIの作用によりべん毛基部を介して菌体外へと輸送され、そこで複合体となって形成される。赤痢菌には、このFliIに非常に高いアミノ酸配列の相同性のあるSpa47が存在する。そこで、このSpa47が、針部分の構成成分の輸送を担っているものと想定し、spa47変異株を作製して、そのIII型分泌装置の構造を観察した。その結果、spa47変異株は針部分を欠失した基部部分のみのIII型分泌装置を作製することが認められた。このことから、Spa47はIII型分泌装置の針部分の形成に必要であり、針部分の構成成分MxiHを基部から菌体外に輸送するのに必要であることが認められた。

4.針部分を欠失したIII型分泌装置を作製するmxiH変異株及びspa47変異株を、それぞれ赤痢菌にIpa蛋白などのエフェクターの分泌を誘導するフンゴレッド添加PBS液に懸濁して、IpaB,IpaC,IpaDの分泌をウエスタンブロットにより調べた。その結果、両変異株ではこれらのエフェクターの分泌が行われなかった。更に、IpaB,IpaC,lpaD以外のエフェクターの分泌をSDS-PAGE後のゲルの銀染色により調べたところ、両変異株はIpa以外のエフェクターの分泌も行っていないことが認められた。このことから、MxiHによる針部分の形成は赤痢菌のエフェクター分泌に必須であることが認められた。

5.赤痢菌野生株のmxiH遺伝子を蛋白大量発現用プラスミドpTB101にクローニングし、これをmxiH変異株に導入した。そして、当菌株のIII型分泌複合体を精製し、その構造を透過型電子顕微鏡観察により解析した。その結果、非常に長い針部分を有するIII型分泌装置を観察することができた。これらの497個のIII型分泌複合体の針部分の長さを測定し、その分布を調べたところ、針部分の長さは45nmから1μmまで広い領域に分布していた。このようなさまざまな長さの針部分は、実際に菌体表面から菌体外へと突出していることが観察された。以上のことより、赤痢菌の針部分の長さは、その構成成分であるMxiHの菌体内での生産量に影響を受けることが認められた。次に、このMxiHを大量発現したmxiH変異株のHeLa細胞への侵入性を調べた結果、当菌株は野生株に比べ二倍以上の細胞侵入性を示した。このことは、当菌株はMxiHを大量発現して針部分が非常に長くなったため、HeLa細胞により接触しやすくなり、その結果野生株に比べより効率的に細胞侵入することができたものと考えられた。

6.III型分泌装置の針部分は、野生株では45nmに長さが一定に制御されている。じかし、赤痢菌のIII型分泌装置の作製に必要なおよそ20もの遺伝子のうちspa32遺伝子を欠損した赤痢菌では、針部分の長さが厳密に制御されず、45nmから1150nmまでのさまざまな長さの針部分を有するIII型分泌装置が作製されることが認められた。このspa32変異株に、野生型のspa32遺伝子を導入すると、菌体は野生株と同じ45nmの均一な長さの針部分を作製した。一方、spa32変異株に針部分の主要構成成分であるMxiHを大量発現させると、菌体は5μmを越える異常な長さの針部分を有するIII型分泌装置を作製した。このことから、Spa32は、赤痢菌III型分泌装置の針部分の長さ制御に関わっていることが認められた。

 以上の結果より、赤痢菌のIII型分泌装置は、針部分と基部部分からなる針状の構造をしており、針部分はMxiH、基部部分はMxiD,MxiG,MxiJにより主に構成され、更に針部分の長さはMxiH及びSpa32の存在量に影響され、また針部分はエフェクターの分泌に必須であることが明らかとなった。

UTokyo Repositoryリンク