学位論文要旨



No 117292
著者(漢字) 吉田,整
著者(英字)
著者(カナ) ヨシダ,セイ
標題(和) 赤痢菌の上皮細胞感染における微小管の役割に関する研究
標題(洋)
報告番号 117292
報告番号 甲17292
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1900号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 竹縄,忠臣
 東京大学 教授 岩本,愛吉
 東京大学 教授 廣川,信隆
 東京大学 助教授 俣野,哲朗
 東京大学 講師 深見,希代子
内容要旨 要旨を表示する

 赤痢菌は経口的に体内に取り込まれ大腸に達した後、腸上皮細胞内に侵入する。細胞内に侵入した菌は、細胞質内で増殖しつつ細胞間を拡散し、上皮細胞を破壊しそれに伴い炎症性の粘血性下痢を惹起する。近年の研究成果より、赤痢菌の腸管粘膜上皮への感染は以下のような過程を経て行われていると考えられている。赤痢菌は腸管組織において管腔面を形成する上皮細胞の頂端側からは細胞侵入せず、大腸孤立リンパ節上に分布するM細胞により取り込まれトランスサイトーシスによりM細胞を通過した後、常在するマクロファージに感染する。赤痢菌の感染を受けたマクロファージはアポトーシスもしくはネクローシスを引き起こし死滅する。殺傷したマクロファージから離脱した菌は吸収上皮細胞に側底面側から侵入する(細胞侵入)。細胞侵入後、菌体の一極にはF−アクチンの凝集が始まる。この凝集はコメット状の凝集束(アクチンコメットテール)へと成長し、この間起こるアクチンの重合を原動力として、赤痢菌は細胞内を移動する(細胞内拡散)。細胞内拡散により宿主細胞の形質膜に達した菌は、そこから偽足となって突出し、その先端に菌を包む偽足を隣接細胞へ挿入する。隣接細胞に侵入した菌は二重の形質膜に一時取り囲まれた後に、膜から脱離する(細胞間拡散)。以上の過程を繰り返すことで、菌は次々と周囲の細胞に感染していく。

 赤痢菌感染において重要な病原因子は、赤痢菌の保有する230kDaの大プラスミド上にコードされている。特に、31kDaにわたる病原遺伝子塊(pathogenicity island)と呼ばれる領域には、細胞侵入に関わるIpa蛋白質群、その分泌に必要なタイプIII分泌機構の構成蛋白質であるMxiおよびSpa蛋白質群、そして、これらのシャペロン群がコードされている。上皮細胞に接触した赤痢菌はタイプIII分泌機構によりIpa蛋白質群を菌体表面より遊離し、上皮細胞内にシグナルを伝達しアクチン系細胞骨格蛋白質の再構築を誘導する。さらにタイプIII分泌機構は菌と宿主細胞の接触により宿主細胞に対してニードルを挿入し病原因子を細胞質内に分泌・注入する。注入された病原因子は細胞内においてエフェクター(機能性蛋白質)として働き、アクチン系細胞骨格蛋白質の再構築及びそれに関する細胞内シグナル伝達を促進すると考えられている。

 細胞内・細胞間拡散に必要な因子であるvirG遺伝子も大プラスミド上にコードされている。細胞侵入後に菌の一極に発現されるVirGは宿主細胞内因子を用いて、アクチンコメットテールの形成を誘導する。virG遺伝子の約500bp上流には、virAと呼ばれる病原性に関する遺伝子が存在する。virAは44.5kDaの蛋白質(VirA)をコードし、これはIpa蛋白質群と同様にタイプIII分泌機構により、宿主細胞内に注入される。virA遺伝子破壊変異株は細胞の侵入性とともに細胞内・細胞間拡散性が野生株に比べ低下することが我々の研究室からすでに報告されている。このことは、VirAが菌の細胞侵入とともに、菌の細胞内・細胞間拡散のいずれか、もしくは両方において、何らかの役割を担っていることを強く暗示している。しかしながら、VirAが細胞侵入及び細胞内・細胞間拡散においていかなる役割を果たしているかは不明であった。

 そこで本研究では赤痢菌の感染におけるVirAの上皮細胞内における役割を明らかにすることを目的とし、(1)VirAの宿主細胞側の標的因子の同定およびその相互作用、(2)菌の細胞侵入におけるVirAの役割、また(3)細胞内拡散におけるVirAの役割の解析を分子生物学的、細胞生物学的な手法を用いて行い以下の結果を得た。

 (1)VirAの宿主標的因子を同定するためにグルタチオンS−トランスフェラーゼとVirAを連結した融合蛋白質を作成し、これをプローブとして牛脳抽出液を用いたプルダウンアッセイを行った。その結果、VirAはβ−チューブリンと結合することが分かった。そこで、牛脳から精製したチューブリンを用いてチューブリン重合化・脱重合化反応系を利用して、VirAの影響を調べた。その結果、VirAによって微小管の重合が阻害されるとともに、微小管が断片化されることが明らかとなった。この活性は電子顕微鏡観察、あるいは蛍光ラベルした微小管の経時的変化を蛍光顕微鏡で観察することにより確認することができた。以上の結果より、VirAはβ−チューブリンと結合し、おそらく微小管の切断を促進することで、その不安定性を誘導していることが示された。

 (2)赤痢菌の細胞侵入におけるVirAの役割を解明するために、VirAの宿主細胞内における生物学的および生化学的特性を検討した。エレクトロポレーション法を用いてvirA遺伝子をCos-7細胞に導入しVirAを細胞内に強発現させると、ラッフル膜形成が誘導され、同時に微小管ネットワークの破壊が生じていた。さらに、精製したVirAを宿主細胞に微量注入すると一過的なラッフル膜出現が認められた。細胞内において微小管は伸長と短縮の繰り返しを起こしており、伸長時にはsmall GTPaseの1つRac1の活性とラッフル膜の誘導が観察されることが報告されている。そこで、ラッフル膜が誘導されているVirA発現細胞のRac1の活性をそのコントロール株と比較した。その結果、VirA発現細胞ではRac1活性がコントロールに比べ有意に増加していた。一方、VirAと不活化型Rac1を共発現した細胞ではラッフル膜の誘導が見られなかった。従って、VirAは宿主細胞の微小管ネットワークの変動を促進することによりラッフル膜形成を誘導する、と推定された。事実、赤痢菌が感染した上皮細胞株HeLa細胞を免疫蛍光染色法で観察すると、菌の感染部位にはVirAが分泌されており、また、その部位にある微小管は破壊されていることが認められた。さらに、virA変異株によって誘導されたラッフル膜の数は、野生株によって誘導されたその数に比べると、およそ40%程度に減少していることが分かった。また、野生株赤痢菌が感染した細胞では、virA変異株に比べRac1活性が上昇していることが認められた。一方、薬剤処理により微小管の伸張をあらかじめ生じさせておいたHeLa細胞に対して赤痢菌を感染させると、virA変異株によって低下したラッフル膜誘導能は著しく上昇し、その程度は野生株と同等となった。以上の結果より、VirAは赤痢菌感染の際、感染部位の微小管の動態に変化を生じさせることによりRac1の活性を促し、その結果ラッフル膜形成の誘導を通じて、菌の細胞侵入の効率を上げていると推定された。

 (3)赤痢菌の細胞内拡散におけるVirAの役割について、免疫蛍光染色法および光学顕微鏡を用いた経時的な観察を中心にして解析をおこなった。まず、赤痢菌の細胞内拡散と微小管の関係について検討するために、菌をCos-7細胞に感染させ、その微小管の動態について観察を行った。その結果、菌の細胞内拡散によって微小管ネットワークが激しく破壊されているのが明らかになった。また、薬剤処理によって微小管ネットワークが破壊されている細胞に菌を感染させると、正常細胞に感染した場合と比較して、菌はおよそ1.25倍の速度で感染細胞内を移動できることが示された。一方、細胞内拡散をしている菌を免疫蛍光染色法で観察した結果、アクチンコメットテールを形成している菌の表面にはVirAが分泌されていることが観察された。そこで、野生株赤痢菌とvirA変異株赤痢菌をCos-7細胞に感染させ、光学顕微鏡を用いて経時的な観察を行うと、野生株では観察した菌の80%が細胞内拡散を行っていたのに対して、virA変異株ではおよそ15%の菌でしか細胞内拡散を行っていなかった。このとき、virA変異株が感染した細胞を免疫蛍光染色法で観察すると、菌の周辺の微小管には特に変化が見られなかった。以上より、赤痢菌はVirAを菌体外に放出することにより菌周辺の微小管の破壊を引き起こし、その結果、細胞質内を移動する際に微小管からうける抵抗値を軽減させ細胞内拡散の効率を上げていると推測できる。そこで、IPTGによりVirAの発現を調製できるプラスミドを調製し、これを導入したvirA変異株をCos-7細胞に感染させ、経時的な観察をおこなった。その結果、VirAの発現量の増大とともに、細胞内拡散を行う菌の比率も上昇することが分かった。これはVirAによって細胞内での菌の移動が制御されていることを示している。一方、微小管ネットワークが破壊されている細胞を薬剤処理によって調製し、これにvirA変異株を感染させるとおよそ50%の菌が細胞内拡散をおこなっていた。この結果は、宿主細胞の微小管を破壊することによりvirA変異株での細胞内拡散能の低下が回復することを示唆している。以上より、赤痢菌の細胞内拡散においてVirAは重要な因子であり、おそらく菌はVirAを細胞質中に分泌することにより菌周辺の微小管を破壊し、細胞質内で菌自身が受ける抵抗値を軽減させることにより細胞内拡散効率をあげていると思われる。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、赤痢菌の宿主大腸上皮細胞感染機構の解明を、赤痢菌の機能性分泌蛋白質であるVirA蛋白質に注目して行ない、以下の結果を得ている。

 (1)VirAの宿主細胞側の標的因子の同定およびその相互作用について解析を行なった。グルタチオンS−トランスフェラーゼとVirAを連結した融合蛋白質を作成し、これをプローブとしてプルダウンアッセイを行った結果、VirAはβ−チューブリンと結合することが分かった。そこで、牛脳から精製したチューブリンを用いて微小管安定性に対するVirAの影響を調べた結果、VirAによって微小管の重合が阻害されるとともに、微小管が断片化されることが明らかとなった。この活性は電子顕微鏡観察、あるいは蛍光ラベルした微小管の経時的変化を蛍光顕微鏡で観察することにより確認することができた。以上の結果より、VirAはβ−チューブリンと結合し、おそらく微小管の切断を促進することで、その不安定性を誘導していることが示された。

 (2)赤痢菌の細胞侵入におけるVirAの役割について解析を行なった。VirAを強制発現させた培養細胞を観察した結果、ラッフル膜形成が誘導され、同時に微小管ネットワークの破壊が生じていることが分かった。さらに、精製したVirAを宿主細胞に微量注入すると一過的なラッフル膜出現が認められた。細胞内において微小管は伸長と短縮の繰り返しを起こしており、伸長時にはsmall GTPaseの1つRac1の活性とラッフル膜の誘導が観察されることが報告されている。そこで、ラッフル膜が誘導されているVirA発現細胞のRac1の活性を計測した結果、VirA発現細胞ではRac1活性がコントロールに比べ有意に増加していた。一方、VirAと不活化型Rac1を共発現した細胞ではラッフル膜の誘導が見られなかった。次に、赤痢菌が感染した上皮細胞株を免疫蛍光染色法で観察すると、菌の感染部位にはVirAが分泌されており、また、その部位にある微小管は破壊されていることが認められた。この時、野生株赤痢菌が感染した細胞では、virA変異株に比べRac1活性が上昇していることが認められた。さらに、virA変異株によって誘導されたラッフル膜の数は、野生株によって誘導されたその数に比べると、およそ40%程度に減少していることが分かった。一方、薬剤処理により微小管の伸張をあらかじめ生じさせておいた培養細胞に対して赤痢菌を感染させると、virA変異株によって低下したラッフル膜誘導能は著しく上昇し、その程度は野生株と同等となった。以上の結果より、VirAは赤痢菌感染の際、感染部位の微小管の動態に変化を生じさせることによりRac1の活性を促し、その結果ラッフル膜形成の誘導を通じて、菌の細胞侵入の効率を上げていると推定された。

 (3)赤痢菌の細胞内拡散におけるVirAの役割について解析を行なった。菌を培養細胞に感染させ、その微小管の動態について観察を行った結果、菌の細胞内拡散によって微小管ネットワークが激しく破壊されているのが明らかになった。この時、菌の表面にはVirAが分泌されていることが観察された。また、薬剤処理によって微小管ネットワークが破壊されている細胞に菌を感染させると、正常細胞に感染した場合と比較して、菌はおよそ1.25倍の速度で感染細胞内を移動できることが示された。そこで、野生株赤痢菌とvirA変異株赤痢菌を培養細胞に感染させ経時的な観察を行うと、野生株では観察した菌の80%が細胞内拡散を行っていたのに対して、virA変異株ではおよそ15%の菌でしか細胞内拡散を行っていなかった。この時、virA変異株が感染した細胞を観察すると、菌の周辺の微小管には特に変化が見られなかった。一方、VirAの発現量を調製できるプラスミドを導入したvirA変異株を培養細胞に感染させ、経時的な観察をおこなった結果、VirAの発現量の増大とともに、細胞内拡散を行う菌の比率も上昇することが分かった。さらに、微小管ネットワークが破壊されている細胞にvirA変異株を感染させるとおよそ50%の菌が細胞内拡散をおこなっていた。以上より、赤痢菌の細胞内拡散においてVirAは重要な因子であり、おそらく菌はVirAを細胞質中に分泌することにより菌周辺の微小管を破壊し、細胞質内で菌自身が受ける抵抗値を軽減させることにより細胞内拡散効率をあげていると考えられた。

 以上、本論文は、赤痢菌は宿主細胞の微小管ネットワークシステムを利用することで上皮細胞感染を行なっていることを新たにし、その機構における赤痢菌の機能性分泌蛋白質であるVirA蛋白質の役割を明らかにした。本研究はこれまで未知に等しかった赤痢菌と微小管ネットワークシステムとの関係について初めて詳細に検討された研究であり、赤痢菌の宿主大腸上皮細胞感染機構の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値すると考えられる。

UTokyo Repositoryリンク