学位論文要旨



No 117294
著者(漢字) 吉田,敦
著者(英字)
著者(カナ) ヨシダ,アツシ
標題(和) リアルタイムPCR法を用いたサイトメガロウイルス遺伝子定量の有用性に関する研究
標題(洋)
報告番号 117294
報告番号 甲17294
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1902号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 野本,明男
 東京大学 教授 中原,一彦
 東京大学 教授 笹川,千尋
 東京大学 助教授 余郷,嘉明
 東京大学 助教授 小池,和彦
内容要旨 要旨を表示する

1.はじめに

 ヒトサイトメガロウイルス(HCMV)は,広くヒトに感染している普遍的なヘルペスウイルスである.初感染時に単核球症を発症することがあるが,多くは不顕性感染で,生涯にわたって体内に潜伏・持続感染する.そして免疫低下時に再活性化し,体内に播種して,肺炎,網膜炎,食道炎,網膜炎等を発症する(日和見感染).

 このため特にimmunocompromised host(易感染宿主)における重篤な日和見感染症が問題となるが,その際のHCMV感染症の診断,治療およびその効果判定には難渋する場合が多い.これは確定診断できる手段が少なく煩雑なことや,治療効果を反映する指標が少ないためである.近年,HCMVの遺伝子検査法の検討が進み,その有用性が評価されたが,潜伏・持続感染と再活性化の区別が不十分である,測定が煩雑であるといった理由から,臨床応用された方法はなかった.

 本研究では,近年開発され,簡便性,迅速性,再現性に優れるreal-time PCR法を用い,血液中のHCMV遺伝子定量を行って,臨床的に有用なHCMVの遺伝子検査法の確立を試みた.

2.対象患者と血中の遺伝子定量

 易感染宿主としてHIV感染者111例,移植患者6例,免疫抑制薬投与中の患者12例,化学療法中の坦癌患者1例と,免疫低下のない入院患者22例,健常成人26人を対象とした.HCMV感染症はLjungmanらの基準により診断した.HIV感染者では免疫抑制の指標となるCD4陽性リンパ球数も測定した.

 血中HCMV DNAの定量については,全血,血漿それぞれ400μLからDNAを抽出し,HCMV genomeのopen reading frame US17の一部をtargetとしてPCR反応を行った.ABI PRISM〓 7700 Systemを用い,PCR増幅産物中の蛍光色素からの光量を測定し,HCMV DNAコピー数を算出した.なおこの際,サブクローニングしたHCMV genome断片の希釈系列を作成し,定量のスタンダードとした.

 一部の検体については白血球中のHCMV mRNAの定量を行った.血中mRNAの検出は,現在までtargetとする遺伝子や用いる血液サンプルの種類がまちまちであり,かつ定性・半定量反応であるために,その意義には統一した結論がなかった.本研究ではHCMV early geneをtargetとしてreal-time RT-PCR法を用い定量した.同時にGAPDH mRNAも定量し,得られたHCMV mRNA値との比で示した.

3.HIV感染者におけるHCMV感染症の診断と血中DNA量

 21例でHCMV感染症を認めた.111例全例のCD4陽性リンパ球数は0.15-1030 [median:32]個/μL,全血中DNAはundetectable(UD)-7.0x105,血漿中DNAはUD-1.3x105コピー/mLであったが,CD4陽性リンパ球数が少なく(<50個/μL),全血中,血漿中のDNA量が多い例において,発症例を多く認めた.HCMV感染症の有無とDNA量の相関について,ROC curveを作成し,至適なcut-off lineを全血中DNA量3.0x103,血漿中DNA量1.0x103コピー/mLと定めると,診断の感度はそれぞれ90%,85%,特異度は87%,89%, positive predictive value (PPV)は61%, 65%, negative predictive value (NPV)は98%, 96%となった(p<.0001).よって診断に有用であることが明らかになった.なお健常人では全員定量限界(200コピー/mL)以下ないしUDであった.

4.HIV感染者におけるHCMV感染症の推移と血中DNA量

 診断例14例について,DNA量を経時的に測定したところ,13例で治療の奏功と臨床症状の改善に伴ってDNA量は低下し,最終的に定量限界以下となった.血漿中DNAには全血中DNAよりも早期に低下する傾向があり,全血中DNAには病変が鎮静化してもしばらく検出される傾向があった.

5.HIV感染者におけるHCMV感染症の発症予知と血中DNA量

 未発症である例が今後発症するリスクを,血中DNA量で判定できるかどうか検討を加えた.未発症例47例において,CD4陽性リンパ球数,全血・血漿中DNA量を前向きに測定,追跡した.開始時のCD4陽性リンパ球数はmedian 26個/μLであり,全血中DNA量はmedian 631,血漿中DNA量はmedian<200コピー/mLであった.

 7-751 [median: 53]日追跡したところ,10例が7-264[median: 66]日で発症した.発症時のCD4陽性リンパ球数はmedian 12個/μLであった.発症例10例のDNA量は,発症までに全血中1.0x104かつ血漿中2.0x103コピー/mLというレベルを超えていた.一方,経過中DNA量がこのレベルに達しなかった33例では発症はなかった.このレベルを発症予知に対するbreakpointとして設定すると,breakpointの感度は100%,特異度は89%, PPVは71%, NPVは100%となり(p<.0001),良好な結果が得られた.

 DNA量増加の時期と発症時期との関係をみると,(i) DNA量の増加とほぼ一致して発症,(ii) DNA量が増加し,ピークを過ぎて下降に転じてから発症,の2パターンがみられた.さらに全血中DNA量が先行して増加し,後に血漿中DNA量が増加して,発症に至る傾向があり,全血中DNA量は早期に鋭敏に増加する特徴を,血漿中DNA量は発症のリスクとより関連する特徴を有した.

6.HIV感染者におけるHCMV感染症と血中HCMV mRNA量

 22例から血液71検体を採取し,白血球中のHCMV mRNA量を定量し,同時に測定したDNA量と比較しつつ,臨床経過との関連を検討した.発症例12例中11例で診断時のmRNA量が測定でき,うち9例でmRNA量が増加していたが(DNA量は11例全てで高値),HCMV感染症のない10例では1例を除いてUDであった.HCMV感染症の臨床的改善に伴ってmRNA量はDNA量よりも早く低下する場合が多かった.未発症例11例を追跡した場合には,4例で発症がみられたが,mRNAを検出できたのは2例であり,発症のリスクとの相関性はDNA量に比べ低かった.

7.HIV感染者以外の易感染宿主におけるHCMV感染症と血中DNA定量

 移植患者の発症例3例,免疫抑制薬投与下の患者の発症例4例の全血,血漿中DNA量は1.8x103−6.8x106, 4.8x102−5.8x106コピー/mLであり,高値であった.免疫低下のない入院患者のDNA量は,ほとんどが定量限界以下ないしUDであった.

8.考察

 HCMV感染症における遺伝子検査では,まず定性的PCR法が検討されたが,特異度に劣り,疾患活動性の反映という点で不十分であった.次いで検討された定量的PCR法も,煩雑であるという欠点があった.近年開発されたreal-time PCR法は,従来の定量的PCR法に比べ簡便性,迅速性に優れており,適切なcut-off値を定めることができれば,これらの欠点を克服しうると予想した.実際第3章では,cut-off line以上に血中のDNA量が増加したHIV感染者において,良好な感度,特異度でHCMV感染症を診断できた.

 次いで第4章では,治療の奏功と臨床的改善とともにDNA量が減少し,最終的に定量限界以下になった.これは定性的PCR法の欠点を克服するものである.さらに臨床所見とDNA量の比較から,全血中DNA量が検出されなくなれば,急性期の治療が成功したとみなせると推論した.

 さらに第5章ではHCMV感染症の発症予知におけるDNA量のbreakpointを設定した.DNA量がbreakpointに達すると,以後の発症のリスクが大きくなっており,後にDNA量が減少しても発症がおこりうることも明らかになった.DNA量が増加している時間(HCMVにさらされている時間)と発症とが相関する可能性が示唆された.また全血中,血漿中DNA量の時間的推移の比較から,発症前のDNA量の増加のパターンが明らかにされ,全血中DNA量のみの増加者も発症予備群とでもいうべきグループであることが明らかになった.現在HIV感染者におけるHCMVに対する抗ウイルス薬の予防投与(1次予防)はCD4陽性リンパ球数に頼っており,不必要な投与がなされている可能性がある.本研究の所見が,リスクの高い症例に対するターゲットを絞った投与法(pre-emptive therapy)の開発につながる可能性がある.

 第6章でのreal-time RT-PCR法によるHCMV mRNA定量は,診断や経過観察には比較的良好な成績をおさめたが,予知においてはDNA定量以上ではなかった.mRNAの増加は,HCMVの活動性の亢進をより鋭敏に反映するのであろうが,しばしば短期間におこるため,検査による捕捉が難しいのではないかと推測した.

 また移植患者,免疫抑制薬投与下の患者においても,DNA量の高値がHCMV感染症の診断に役立つと考えたが,この場合障害される免疫機構の種類や程度が様々であり,病態毎にcut-off lineを設定することが必要であろうと推論した.

9.結論

 real-time PCR法によるHCMV遺伝子定量は,HCMV感染症の診断,経過観察,予知に有用であり,今後,HCMV感染症の遺伝子診断法における有用な一法となりうる.本法を使用することで,抗ウイルス薬の予防投与の開始時期等,臨床上有益な情報が得られるといえる.

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、ヒトサイトメガロウイルス(HCMV)感染症において、診断、臨床的推移の観察、発症予知に有用な遺伝子検査法の開発を、リアルタイムPCR法を用いて行ったものであり、下記の結果を得ている。

1.易感染宿主であるHIV感染者111例を対象として、リアルタイムPCR法を用いて全血、血漿中のHCMV DNA量を定量した。21例で発症がみられたが、発症例のDNA量は全血、血漿ともにHCMV感染症のない者よりも有意に高値であり、本法による血中DNA定量は、HCMV感染症の診断に有用であった。さらに診断のためのcut-off lineを具体的に定めえたが、それによる成績は従来の検査法以上であった。

2.HIV感染者におけるHCMV感染症発症例では、臨床的な改善と、血中DNA量の推移とには良好な相関が認められた。血中DNA量はHCMV感染症の臨床的推移を良好に反映する指標でもあった。

3.HCMV感染症を有しないHIV感染者47例を対象とし、前向きに血中DNA量を追跡した。10例で発症がみられたが、この際、DNA量があるbreakpointを超えて増加した例において、以後の発症のリスクが有意に高いことが判明した。この際のbreakpointのPPVは70%以上と良好な成績が得られた。さらに全血中DNA量と血漿中DNA量との変化を比較することで、発症の際のDNA量の変化がより詳細に解析され、効果的な抗ウイルス薬の予防投与につながる特徴が明らかにされた。

4.続いて本法を応用し、白血球中のHCMV mRNA定量にも成功し(21例より71検体を採取し、定量した)、DNA定量と比べた場合のmRNA定量の意義がより明らかになった。

5.移植患者、免疫抑制薬投与中の患者、化学療法中の坦癌患者においても同様に血中DNA定量を行い、これらの易感染宿主においても本法がHCMV感染症の診断、治療効果の判定に有用であることを示した。

6.本法は従来の遺伝子検査法(特に定量的PCR法)に比べ、迅速性、簡便性に優れており、臨床応用がより容易な方法であることを確認した。

 以上、本論文は、リアルタイムPCR法を用いて新しく開発した簡便な定量法が、HCMV感染症の診断、臨床的推移の観察、予知に有用であり、かつ従来の検査法以上の結果を収めたことを示した。さらにHCMV感染症発症の際の血中DNA量の変化から、今後臨床に還元できる新たな知見を明らかにした。本研究は従来のHCMV感染症の診断法、検査法に、新たに加わりうる一法を開発したという点で、学位の授与に値するものと考えられる。

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