学位論文要旨



No 117298
著者(漢字) 藤原,俊伸
著者(英字)
著者(カナ) フジワラ,トシノブ
標題(和) tRNA擬態分子によるリボソーム再生機構の研究
標題(洋)
報告番号 117298
報告番号 甲17298
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1906号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊庭,英夫
 東京大学 教授 北,潔
 東京大学 教授 岩倉,洋一郎
 東京大学 助教授 丸,義朗
 東京大学 助教授 渡邉,すみ子
内容要旨 要旨を表示する

 [1]序論

 染色体DNA上のアミノ酸配列の遺伝情報はmRNAに転写される。翻訳とはこのmRNA上の塩基配列情報を、蛋白質合成装置であるリボソーム上で、アダプター因子tRNAの媒介によりアミノ酸配列へ変換する過程である。そのメカニズムはこれまで、翻訳の開始、ペプチド鎖の伸長、翻訳の終結(成熟ペプチド鎖の解離)に大別されてきた。コドンの解読反応は開始、伸長反応では、核酸分子であるtRNAがコドン配列とアミノ酸を対応付けるアダプター分子として機能し、蛋白質因子である翻訳蛋白質因子群がそれを制御、補助する。一方終結過程では、核酸であるtRNAは用いられず、真核・原核を問わずペプチド鎖解離因子(polypeptide-chain release factor : RF)と呼ばれる一群の蛋白質因子がtRNAの様に終止コドンを解読し、成熟ペプチド鎖を解離させる。

 しかしながら、これで翻訳の全過程が終了なのかというと実はそうではない。ペプチド鎖解離後には、リボソーム、mRNA、脱アシル化されたtRNAからなる終結複合体が残される。この複合体の効率の良い解体再生過程は原核生物から真核高等動物まで、全ての蛋白質発現系に必須であると考えられる。では、どのようなメカニズムが関与しているのであろうか。

 最も研究の進んでいる原核生物の場合、この分解過程を触媒する中心的蛋白質因子として、リボソーム再生因子RRF (Ribosome Recycling Factor)が1970年代に大腸菌から生化学的に同定された。RRFは原核生物の成育に必須であり、原核生物のみならず、酵母からヒトなどのオルガネラ原核遺伝子発現系にまで高度に保存されている。GTP結合性翻訳因子であるEF-G及びGTPを必要とすることも明らかとなっているが、その作用機序の解明は未解決である。本研究では、この理解が遅れているリボソーム再生過程の分子機構解明を目指し、その中心的因子であるRRFの遺伝学的・生化学的手法による解析から機能ドメインを特定する。そして、その構造的特徴の本質の解明を試み、蛋白質とtRNA間の分子擬態という生物学の新しい概念に理解を深めることを目的とした。

 [2]遺伝学的アプローチによるRRF機能ドメインの同定

 RRF蛋白質の機能領域に関しては本研究以前には殆ど具体的な知見が得られていなかった。蛋白質因子の機能ドメインを同定する手段として分子遺伝学的手法は極めて効率がよい。そして、RRFの条件致死変異株は、遺伝学的手法により、様々なRRF変異体の活性評価を簡便に行いかつ、スクリーニングする上で必須である。そこで、P1ファージ形質導入を用いたlocalized mutagenesis法により、高温致死性アンバー変異RRF遺伝子株を分離し、in vivo機能評価系を確立した。

 まず最初に、機能解析のターゲットとする領域を決定する為に、本研究以前までに報告された種々のRRFのアミノ酸配列を比較検討した。そして、C末端領域に核酸や蛋白質との相互作用に関わりうる荷電アミノ酸が極度に集中することを見出した。さらに、上記高温致死性変異株はC末端領域中の変異により機能を欠損することも明らかにした。これらの知見から、C末端領域が機能上重要な役割に関わっているのではないかと予想し、この領域の機能解析を試みた。

 そこで、RRF分子のC末端からの系統的な欠損変異体シリーズを作成し、大腸菌の生育に最低限必要なC末端長を決定した。その結果、活性を失ったもののうち、最も表現系の閾値が復帰変異体の遺伝学的選択に有利と考えられたのは、9アミノ酸残基の欠損体(RRF△9)であった。そして、RRF△9遺伝子発現ベクターにPCRで変異を導入し、C末端欠損に加えて変異が導入されることで機能が回復したRRF変異体の分離を試みた。

 得られる復帰変異体は、変異導入によってRRFの持つ機能が強化された結果、C端欠損による機能欠損を他の機能領域の強化により補って生育性を回復したものであることが想定できる。従って、得られた復帰変異体の変異導入部位の解析からそれら機能ドメインを特定することができ、これまでにほとんど具体的な知見が得られていないRRFの機能構造領域について知見が得られる。

 そしてスクリーニングの結果、数百の復帰変異体を得、その幾つかはC末端領域に隣接し、α-helix構造をとることが強く予想される領域に集中することを見出した。しかしながら、それ以外の変異部位の機能構造はこの時点での知見では不明であった。

 [3]RRF機能ドメインの生化学的解析

 次に、これら復帰変異が局在する領域の持つ機能的役割を解明するために、RRFの示す基本的性質であるリボソーム結合能への影響を評価することが必要と考えた。

 本研究までにRRFとリボソームの単独2者を用いた結合素過程解析系は構築されていなかった。そこでまず、ショ糖密度勾配遠心法によりRRFとリボソームの2者間の結合を観察した。ショ糖密度勾配遠心法は、リボソームのサブユニットのサイズ分画に適しており、分画された70Sリボソームを解析することでこれに結合している分子を同定できる。そしてその結果、70Sリボソーム画分にRRFが存在し、RRFがリボソーム結合能を持つことを証明した。そこでより簡便に、かつ系統的に2者間の結合を解析できるin vitro RRF−リボソーム2者結合系の構築を行った。この系では、各種改変RRFと野生型RRFを用いた結合活性測定を簡便かつ系統的に行う。そして、この系を用いた実験の結果、RRF△9のリボソームヘの親和性は著しく低下しており、復帰変異体ではこれが回復していることが明らかとなった。このことは、in vitroでポリソームをモノソームヘと変換するという古典的RRF活性測定系において、RRF△9が活性を失っていることと符合する。この様に、C末端欠損によるRRFの機能欠損がリボソーム結合の欠損に起因することが明らかとなった。

 [4]RRFのtRNA擬態性と機能ドメイン

 これらの変異の機能的意義を明らかにするためには、RRF蛋白質分子の立体構造の解明が必須と考えられた。そのために高度好熱菌Thermus thermophilus由来RRF遺伝子のクローニングを行い、過剰生産精製系を確立した。DNA塩基配列決定の結果、高度好熱菌RRFは、アミノ酸レベルで大腸菌のRRF遺伝子と44%の同一性、68%の類似性を示した。そして、構造生物学グループとの共同研究による構造解析の結果、RRFは2ドメインで構成され、形状、サイズともにtRNAと酷似するtRNA擬態分子であることが判明した(図1)。そして、これまでの解析で得られた機能ドメイン情報をRRFの立体構造と対応づけた時、C末端領域、そして復帰変異体の変異導入部位が担う機能が次の様に一目瞭然となり、RRFのtRNA擬態性に関して重要な知見を得ることができた。

 まず第一の知見として、このC末端領域は立体構造上2つのドメインをつなぐヒンジ領域を形成するということである。共同研究者による立体構造に基づいた分子遺伝学的解析で、RRFはこのヒンジ領域でtRNAとは全く異なる可動性を持ち、この可動性がRRFの機能発現に必須であることも判明した。従って、RRFはtRNA擬態分子であるが、リボソーム上で機能するために核酸であるtRNAでは成し得ない蛋白質独自の特性を持つと考えられる。一方、復帰変異体の変異部位がtRNAの特徴的な機能構造領域であるアンチコドン領域、elbow領域、CCA末端のそれぞれに相当する部位に局在するという重要な知見を得た(図1)。アンチコドン領域はリボソームのA部位30S側ヘドックする領域であり、50S側に配位されるCCA末端はtRNAがアミノ酸を付加する領域である。これらの部位に相当する領域に変異が集中することから、RRFのtRNAと同様な機能性が強く示唆される。このように、遺伝学的・生化学的解析を3次元構造に適用することで形態の類似性だけでなく機能面においてもtRNAとの類似性が示された。これにより、リボソーム中の50S及び30SにまたがるtRNAが立体配置される空間に、RRFも同様に配置され、tRNAとは異なる機能性で作用することが強く示唆された。

 [5]総括

 翻訳の分子機構解明において、最難関であった蛋白質合成装置であるリボソームのX線結晶構造が解明され、これまでの遺伝学的・生化学的アプローチに加え、翻訳研究における構造生物学的視点が重要となった。様々な翻訳因子による「tRNA分子擬態」は蛋白質でありながら、核酸であるtRNAに形態的に擬態し、リボソーム上で有利な機能性を獲得するという概念である(図2)。翻訳機構の機能構造を理解する上で、翻訳因子群による「tRNA分子擬態」の概念は、蛋白質による新たな機能構造構築原理の発見、更には翻訳の普遍的メカニズムを解明する重要な鍵として注目されるが、RRFにおいてはその意義はこれまでのところ明らかでなかった。しかしながら以上の実験結果から、RRFがリボソーム上で機能する上で、RRFの擬態構造とtRNAとの相関性・相違性の双方が具体的に検証され、RRFの持つ高次機能の一端が明らかになった。RRFが最も効率よく機能するためには、リボソームにおけるtRNAと共通の部位に結合することが必要であり、そのためリボソームと立体障害を起こさないようにtRNAのアンチコドンステムに酷似した構造を獲得したと考えられる。また、リボソーム結合した後は、核酸であるtRNAにはない機能性を発揮するために、Tステムに相当する部位でtRNAとは異なる可動性が必要であったのだろう。

 現在のところ、RRFの触媒するリボソーム再生反応の分子機構は依然として不明である。しかしながら、本研究によりRRFの機能構造領域が明らかとなり、RRFをtRNA擬態分子という側面から機能解析するための手がかりが得られた。今後、他の翻訳因子群及び各種抗生物質を用いたリボソーム結合系、化学架橋法による相互作用部位の決定等の実験によって、リボソーム再生の素過程が分子レベルで解明され、リボソーム内のどの部位と相互作用するのかが明らかとなるであろう。更に、RRFをモデル研究として、蛋白質とtRNAの間の分子擬態という生物学の新しい概念に関して理解を深めることができると考える。

 (A)リボソームA部位は、コドンを解読し、P部位に存在する合成途中のペプチド鎖にアミノ酸を供与する為にtRNAがアクセスする部位である。

この部位にはtRNAばかりではなく、tRNA擬態性を獲得した蛋白質もアクセスする。リボソーム上に確立されたtRNAの形をしたコクピットはリボソームの機能発現部位にアクセスする最適部位であり、翻訳因子が異なる目的のためにtRNAに擬態し、アクセスすることがいかに有利であるかを物語っている。

 (B)L字型を示すtRNAの両端には、アミノ酸受容部位、アンチコドン部位が存在する。

tRNAはこれらを介してそれぞれリボソームの50S、30Sサブユニットに架橋的に結合する。一方、RRFに遺伝学的・生化学的に特定された機能部位はtRNAの機能領域に構造上対応し、リボソーム結合に必要な領域であることが示された。tRNAのL字形はelbowの部位を形成するTステム、Dステムの構造領域が組合わさった強固な構造領域である。これに対してRRFの2つのドメインを繋ぐ2本のループ構造(点線円)は可動性を持つことが機能上重要である。矢印でRRFを失活させるC末端9アミノ酸残基の欠損を示し、球は本研究で明らかとなったRRFの機能部位上の変異の局在を表す。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、成熟ペプチド鎖合成後に残るリボソーム、mRNA、tRNAからなる複合体を解体し、各々を再生する反応過程を触媒する中心的タンパク質因子であるリボソーム再生因子RRFの作用機構を分子レベルで解明することを試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.RRF遺伝子の高温致死性大腸菌株を分離し、in vivo機能評価系を確立した。これにより、様々なRRF変異体の活性評価を簡便に行い、かつスクリーニングを行うことが可能になった。次に、本研究以前に報告されている様々な生物由来RRFのアミノ酸配列を比較検討し、C末端領域にタンパク質因子やRNAと相互作用に関わりうる荷電アミノ酸が集中することを見出した。そこで、C末端領域が機能上重要な役割を果たしているのではないかと予想し、RRF分子のC末端からの系統的な欠損変異体シリーズを作成し、失活したものの中で最も表現系の閾値が復帰変異体の遺伝学的選択に有利と考えられる9アミノ酸残基欠損体(RRF△C9)に、PCRで変異を導入することで復帰変異体の分離を試みた。その結果、数百の復帰変異体を得た。そして、これらのうち幾つかはC末端に隣接し、α-helix構造をとることが強く予想される領域に集中することを見出した。

2.得られた変異の機能的意義を明らかにするためにRRFタンパク質分子の立体構造の解明が必須と考え、高度好熱菌Thermus thermophilus由来RRF遺伝子のクローニング、および過剰生産精製系の確立を行った。DNA塩基配列決定の結果、高度好熱菌RRFはアミノ酸レベルで大腸菌RRFと比較的高い相同性を示した。そして、構造生物学グループとの共同研究による構造解析の結果、RRFは2ドメインで構成され、形状、サイズともtRNAと酷似するtRNA擬態分子であることが判明した。

3.遺伝学的実験で得られた情報をRRFの立体構造に対応づけた結果、復帰変異体の変異導入部位が担う機能が一目瞭然となり、RRFのtRNA擬態性に関して非tRNA的側面とtRNA的側面の双方で重要な知見を得た。特に、復帰変異はtRNA擬態分子RRFの特徴的な2ドメインの先端に集中し、これらの部位はtRNAのアミノ酸受容部位(CCA末端)、アンチコドン部位に相当することが示された。

4.復帰変異が局在する立体構造上特徴のある領域の機能的役割を解明するため、RRFの示す基本的性質であるリボソーム結合能への影響を生化学的に評価することを試みた。まずRRFとリボソームの単独2者が結合することをショ糖密度勾配遠心法により証明した。更により簡便に、かつ系統的に2者間の結合を解析できるin vitro RRF−リボソーム2者結合系の構築を行い、各変異体RRFタンパク質のリボソーム結合能を解析した。また、in vitroでポリソームをモノソームヘと変換する古典的RRF活性測定系においても各変異体RRFタンパク質の活性を解析した。これらの結果、RRF分子のリボソーム結合ドメインを見出した。これにより、3.で見出した復帰変異が局在する立体構造上特徴のある2つの部位はtRNAと同様にそれぞれリボソーム50S、30Sサブユニットに架橋的に結合する部位であることが示された。

 以上、本論文は遺伝学的、生化学的手法による解析と構造解析を融合させることにより、RRFにおいて未知であったリボソーム結合性および、リボソーム結合ドメインを明らかにした。本研究は、RRFをモデル研究として、翻訳の普遍的メカニズムを解明する重要な鍵である翻訳因子群による「tRNA分子擬態」という概念を、擬態構造とtRNAとの相関性・相違性の双方を具体的に示すことで検証したものであり、タンパク質とtRNAの間の分子擬態という生物学の新しい概念に関して理解を深めるうえで重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク