学位論文要旨



No 117303
著者(漢字) 朱,瑾
著者(英字)
著者(カナ) シュ,キン
標題(和) MOLT−4放射線細胞死に対するVanadateの修飾作用
標題(洋) Effect of Vanadate on Radiation-induced MOLT-4 Cell Death
報告番号 117303
報告番号 甲17303
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1911号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 安藤,譲二
 東京大学 教授 谷口,維紹
 東京大学 教授 竹縄,忠臣
 東京大学 講師 中川,恵一
 東京大学 講師 鈴木,崇彦
内容要旨 要旨を表示する

「背景と目的」

 p41は、放射線高感受性メカニズム解明の研究の中でヒトT細胞白血病細胞株MOLT-4に、X線10 Gy照射6時間後から、細胞死の過程で新たに出現してくる分子量41kDaのタンパク質として所属研究室で見出された。更にp41は、SETβ(p42)の、主としてカスパーゼ-7による切断によって生ずることが明らかとなった。SETβは白血病の転座点の解析から発見され癌遺伝子の可能性が示唆されていた。また、p41の出現は、チロシンフォスファターゼの阻害剤であるバナジン酸塩(Vanadate)によって阻害されることが見出された。本研究では、MOLT-4照射後のp41生成と細胞死に対するVanadateの抑制作用とその分子機構を調べた。

 放射線誘発細胞死は、照射後分裂を経ずに速やかに死に至る間期死と、持続的な分裂能を失い、照射後数回細胞分裂して死に至る増殖死に大別される。ヒトT細胞白血病細胞株MOLT-4は、放射線高感受性の間期死を示し、照射後に核の凝縮や断片化、DNAの断片化等アポトーシス様の細胞死を示す。MOLT-4細胞のp53遺伝子型は野生型とされており、その細胞死にはp53経路とJNK/SAPK経路を経ている可能性が示唆されている。p53は、一般にがん抑制遺伝子とされ、X線照射後にp53タンパク質の発現量が蓄積することによって標的遺伝子を転写活性化し、細胞周期進行の抑制や細胞死を引き起こすことが知られている。本研究はMOLT-4の照射後、及びVanadate処理後におけるp41の生成過程とそのメカニズム及び、p53のリン酸化状態の変化と転写活性など、p53経路の関与の可能性を中心に解析した。

「材料と方法」

1) 用いた細胞はヒトT細胞白血病株MOLT-4である。X線照射は島津X線発生装置(200kV, 20mA, 0.5mm Cu+1.0mm Alフィルター)より得られるX線(1.46 Gy/min)を用いた。特記なき場合、Vanadateの添加は照射直後に行った。

2) MOLT-4照射後p41の生成は、当研究室で開発したp41特異抗体AM-4を用い、Western blotting法で検出した。更に、Vanadateによるp41生成の抑制濃度を検討した。

3) X線誘発細胞死の判定は、エリスロシンB染色による色素排除試験を行い、染色された細胞(死細胞と考えられた)と色素に染まらない細胞(生細胞と考えられた)を計数し、生存率(Viability)を算出した。また、細胞死に伴うミトコンドリア膜電位の消失を、Mito Tracker染色によるミトコンドリアの染色性の喪失により検出した。X線照射後MOLT-4細胞のDNA断片化は、DNAアガロースゲル電気泳動で検討した。

4) カスパーゼ活性化、p53の蓄積、p53 Ser-15リン酸化、p53の転写産物のタンパク量などをWestern Blotting法で調べた。

5) RT-PCR法によりp53転写産物のmRNAを解析した。

6) 2次元電気泳動法で、照射後のp53リン酸化の変化を分析した。

「結果と考察」

1)p41生成のVanadateによる抑制、カスパーゼ-3, -7, -9の切断とDNA断片化の抑制

 X線10 Gy照射後9時間、p42のカスパーゼ切断産物であるp41が検出され、カスパーゼ-3, -7, -9は照射後6時間から切断(活性化)された。DNA断片化は照射後9時間に見られた。X線照射とVanadateとの併用処理により、p41の生成だけでなく、照射後のカスパーゼ-3, -7, -9の活性化とDNA断片化のいずれもが阻害されることが明らかとなった。

2)VanadateによるMOLT-4の照射後生存率(Viability)に対する影響

 MOLT-4は、X線照射後、速やかに死に至る。10 Gy照射24時間後のViabilityは5.5%を示したのに対し、Vanadateとの併用処理では、10 Gy照射24時間後、37%のViabilityにまで細胞死が抑制された。更に、添加濃度とタイミングについて検討し、1mMを原則として照射直後に加えることとした。

3)Vanadateはシトクロームcの放出、ミトコンドリアの膜電位低下を抑制するが、カスパーゼに対する直接の不活性化作用はない

 MOLT-4はX線照射後6時間で、シトクロームcのミトコンドリアからの細胞質への放出が検出された。Vanadate処理は、照射後のMOLT-4ミトコンドリアのシトクロームc放出と膜電位低下を抑制した。また、リコンビナントの活性化カスパーゼを用いたin vitroでの活性測定では、Vanadateは直接カスパーゼを阻害しなかった。これらの結果から、Vanadateはシトクロームcの上流に位置し、作用していると結論した。

4)Vanadateが照射後のp53のリン酸化と、転写活性化の抑制を介して細胞死を抑制する可能性

 我々の研究室で作製したp53 Ser-15のリン酸化抗体を用いて調べた結果、照射3時間後、Ser-15のリン酸化が検出され、Vanadate処理では抑制された。また、2次元電気泳動法によるp53のリン酸化スポット量の比較からも、同様のリン酸化抑制効果がみられた。更に、p53によって転写誘導される細胞周期調節因子p21/Waf1の誘導もVanadate処理で抑制された。

 p53によって転写誘導され細胞死誘導に関与するとして、これまでにBax、PIG3、Noxa、p53AIP1、PUMA等が提示されている。そこで、MOLT-4のアポトーシス様放射線急速細胞死にこれらの因子の遺伝子発現が関わっているか、RT-PCR法とWestern Blotting法により、これらのmRNAやタンパクの定量を行って検討し、Vanadateの細胞死抑制効果との関連を調べた。RT-PCRの結果、PIG3は非照射で既に発現しており、照射による変化は見られなかった。また、PUMAは、BH3ドメインを持たないアポトーシス非誘導性のδ型が照射1時間後に発現誘導されたが、アポトーシスを引き起こす活性のあるα型とβ型は4時間以降も検出されなかった。Bax、Noxa、p53AIPIついては、誘導や増加の時間や程度、発現量に違いはあるものの、照射後のmRNAの増加誘導が見られ、時間的にはBax、Noxaは照射後1時間からmRNA量の増加が、p53AIP1は照射4時間後から発現が見られた。しかしながら、Western BlottingではBax量の変化は顕著でなく、p53AIP1の誘導は、カスパーゼが活性化、照射6時間後より遅く、照射12時間後であった。これら結果から、Bax、PIG3、p53AIP1、PUMAがMOLT-4のアポトーシス様放射線急速細胞死の誘導に関与している可能性は低いと考えられた。一方、Noxaは、RT-PCRで照射1時間後から、Western Blottingでも照射3時間後から発現の増加が認められ、時間的な誘導のタイミングはカスパーゼの活性化が生じる照射6時間後より前であり、Vanadate処理により抑制されることから、MOLT-4細胞死の誘導に関わっている可能性が示唆された。

 転写因子であるp53の制御には発現量と、リン酸化やアセチル化などの特定部位の翻訳後調節がその活性調節に重要な役割を果たしていることが知られている。特に近年、リン酸化によるp53転写活性化機構の研究は目覚ましく進展しつつあり、Ser-15,Ser-46を初めとする発現量の蓄積やアポトーシスの誘導に関わるリン酸化部位を同定する試みが盛んに行われているが、p53分子内に9個あるチロシン残基のリン酸化について報告はあるものの、その部位の同定や意義については未解明のままである。Vanadate処理によるp53の抑制は、チロシンリン酸化の亢進が一因かもしれない。Vanadateの抑制効果におけるp53のチロシンリン酸化の検出、リン酸化部位の特定を現在進めている。一方、細胞死における情報伝達経路は複雑で、JNK/SAPK経路等、他の可能性について検討の余地も残る。

 以上の結果から、Vanadate処理により、ミトコンドリアからのシトクロームcの放出とカスパーゼの活性化、放射線誘発MOLT-4細胞死が抑制されていることが明らかとなった。更にその原因として、p53経路とくに、p53からNoxaの経路の可能性を示した。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、p41タンパク質の誘導阻害作用が見いだされていたオルトバナジン酸ナトリウム(Vanadate)の照射後MOLT-4細胞への作用、特にp41誘導阻害と細胞死について、とそのメカニズムを解明しようとしたものである。

1.照射と添加タイミングと濃度について検討し、原則として1mM Vanadateを照射直後に加えることとした。MOLT-4は、X線単独では、10 Gy照射24時間後のViabilityは5.5%を示したのに対し、1mM Vanadateの存在下では、10 Gy照射24時間後、37%のViabilityにまで細胞死が抑制された。

2.X線照射単独では6時間後、p41の出現とカスパーゼ-3、-7、-9の活性化が検出され、9時間後からDNA断片化が見られるが、X線照射後Vanadateを添加すると、p41の生成、照射後のカスパーゼ-3、-7、-9の活性化、DNA断片化のいずれも阻害されることが明らかとなった。

3.X線照射単独では6時間で、シトクロームcのミトコンドリアから細胞質への放出が検出されが、Vanadate存在下では24時間までの間、ミトコンドリアのシトクロームc放出と膜電位低下が抑制された。また、Ac-DEVD-pNA基質としてリコンビナントの活性化カスパーゼ-7を用いたin vitroでの活性測定では、Vanadateは直接カスパーゼ活性を阻害しなかった。これらの結果から、Vanadateはミトコンドリア又はその上流にし、作用していると考えられた。

4.MOLT-4はp53 wildと報告されているが、Western Blottingによるp53の照射後の蓄積については1mM Vanadateによる抑制効果は顕著ではなかった。2次元電気泳動法によるp53のリン酸化スポット量の比較を試み、同様のリン酸化抑制効果がみられる様であるが確定的ではない。一方、研究室作製したp53 Ser-15のリン酸化抗体を用いて調べた結果、照射単独では3時間後、Ser-15のリン酸化が検出されたのが、Vanadate存在下では抑制されていた。p53によって転写誘導される細胞周期調節因子p21/Waf1の誘導もVanadate存在下で抑制されていた。

5.p53によって転写誘導され細胞死誘導に関与するとして、これまでにBax、PIG3、Noxa、PUMA等が提示されている。そこで、MOLT-4のアポトーシス様放射線細胞死にこれらの因子の遺伝子発現が関わっているか、RT-PCR法とWestern Blotting法により、これらのmRNAやタンパクの定量を行って検討し、Vanadateの効果を調べた。その結果、Bax、PIG3、PUMAは変化があまり見られず、一方、Noxaは、RT-PCRで照射1時間後から、Western Blottingでも照射3時間後から発現の増加が認められ、時間的な誘導のタイミングはカスパーゼの活性化が生じる照射後6時間より前であり、Vanadate処理の抑制効果も見られ、MOLT-4細胞死の誘導に関わっている可能性が示唆された。

6.以上の結果はp53の経路がMOLT-4の照射細胞死とそのVanadate作用点としての可能性を示唆するが、確定的とは言いがたく、Bcl-2やAkt、あるいはJNK/SAPK経路等、本研究でも部分的に調べられていた他の可能性も含めた、より詳細なメカニズムについて検討の余地は残る。

 以上、本論文は確定的なメカニズムの解明には至らなかったが、Vanadate存在下にミトコンドリアからのシトクロムcの放出とカスパーゼの活性化の抑制を伴ってX線照射MOLT-4細胞の放射線細胞死が抑制されていることを明らかにした。本研究は、放射線高感受性MOLT-4細胞の放射線誘発細胞死の機構や制御の解明に重要な知見を与えると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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