学位論文要旨



No 117305
著者(漢字) 劉,長青
著者(英字)
著者(カナ) リュウ,チョウセイ
標題(和) U937細胞の温熱誘発細胞死および温熱耐性におけるSAPK/JNKを介するシグナル伝達の解析
標題(洋) Signal Transduction through SAPK/JNK in Heat-induced Apoptosis and Thermotolerance of U937 Cells
報告番号 117305
報告番号 甲17305
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1913号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井街,宏
 東京大学 教授 安藤,譲二
 東京大学 教授 吉田,謙一
 東京大学 講師 浅井,昭雄
 東京大学 講師 鈴木,崇彦
内容要旨 要旨を表示する

「背景と目的」

 温熱処理による癌治療の歴史は長く、放射線感受性の低いS期細胞や低酸素細胞が温熱に高い感受性を示す特性ゆえに、しばしば放射線と組み合わせて癌治療に用いられている。しかしながら、その生物作用の分子機構や標的分子についてはまだ十分解明されていないのが現状である。温熱処理に応答して細胞は細胞死や温熱耐性などを引き起こす。細胞死は細胞の膨化を伴うネクローシスと細胞の縮小や核の断片化を伴うアポトーシスに大別されることが多い。42〜45℃前後の温熱処理はCaspase依存的アポトーシス様の細胞死を起こすことが種々の細胞で報告されている。一方、温熱処理を行った後、時間をおいて再び熱処理を施すと細胞は熱に対して温熱耐性を持つようになる。温熱耐性の出現は癌の温熱治療上一つの問題点と思われてきた。

 温熱誘発細胞死におけるp53経路についての研究は多いが、SAPK/JNK経路については十分解明されていない。SAPK/JNKはストレス応答によって活性化されるMAPキナーゼファミリの一つである。MAPキナーゼは、酵母からヒトに至る真核生物に広く保存されており、MAPKKK-MAPKK-MAPKの3種のキナーゼにより情報伝達を実行する。MAPKKはMAPKKKによってリン酸化され活性化し、その結果MAPKをリン酸化する。リン酸化されたMAPKは活性化し、転写因子などをリン酸化する。これらのキナーゼにはSAPK/JNKの他に,p38 MAPK, ERK1/2などいくつかのファミリーが存在する。温熱によってSAPK/JNK、p38 MAPKが活性化することから、温熱誘発アポトーシスにもSAPK/JNK、p38 MAPK経路の関与の可能性が示唆されてきた。さまざまな刺激でSAPK/JNK、p38 MAPK経路の両者同時に活性化するという報告が多いが、SAPK/JNK経路のみ或いはp38 MAPK経路のみ活性化される例もある。細胞によって、また、ストレスによって異なると考えられるが、温熱に関するMAPキナーゼの研究は限られている。最近われわれはJNK1のドミナントネガティブの導入実験で、温熱によるアポトーシスにはJNK1の活性化が重要であることを示した。

 本研究はp53 nullのU937細胞を用い、温熱による細胞死及び温熱耐性におけるSAPK/JNKとp38 MAPK経路の活性化の役割を中心に解析を試みた。

「材料と方法」

(1) 材料としては、対数増殖期のヒト単芽球性リンパ腫細胞株U937を用いた。温熱処理は44±0.5℃の恒温水槽にフラスコを沈めることにより行った。温熱耐性実験では細胞を44℃、15分の前処理後、37℃に8時間或いはそれぞれの図に示した時間置き、再び温熱処理(44℃、30分)を行った。

(2) 酸性スフィンゴミエリナーゼ阻害剤(D609)は直接培地中に添加し、37℃、30分間処理してから遠心によりD609取り除き、新しい培地を加え、37℃で2時間置き、温熱処理を行った。p38 MAPKの阻害剤SB203580は温熱処理1時間前に培地に添加した。

(3) 細胞死或いは生存率には0.2%エリスロシンB染色による色素排除試験、Annexin V, PI二重染色後FCM早期アポトーシス検出法及びWestern法によるPro-caspase-7の活性化及びPARPの切断、蛍光顕微鏡観察によるPI染色した細胞の核凝縮などの核変形を指標とした。

(4) MAPK family(SAPK/JNK54/46, p38 MAPK)の活性化はそれぞれのリン酸化型抗体を用いてWestern法により行った。

「結果と考察」

(1) U937細胞における温熱誘発細胞死とSAPK/JNK, p38 MAPKの活性化

 温熱処理(44℃、30分)により、U937細胞では急速に生存率の低下が見られ、(1)細胞膜のリン酸脂質の構成成分のファスファスオスファチジルセリンが細胞膜内層から外膜に移行する事がAnnexin V染色で確認された。(2)PI染色した細胞の蛍光顕微鏡下、アポトーシス様の核凝縮、(3)Pro-caspase-7やPARPの切断も温度依存的および時間依存的に確認できた。次に、温熱により細胞死を引き起こす際、SAPK/JNK, p38 MAPK活性化の変化を調べた。43℃から45℃までの温熱処理によってSAPK/JNK, p38 MAPKの活性化がほぼ同時に見られ、さらに、その活性化とPro-caspase-7の切断にも時間的関連性が認められた。42℃で180分までにSAPK/JNKおよびp38 MAPKの活性化もPro-caspase-7の切断も見られなかった。44℃あるいは45℃の温熱処理ではSAPK/JNKおよびp38 MAPK活性化が処理後15分から見られ、Pro-caspase-7の活性化より10分から15分ほど先行して出現した。これらの結果はU937細胞の温熱誘発細胞死にSAPK/JNKおよびp38 MAPKのリン酸化が関与する可能性を示す。

(2) 温熱耐性を獲得したU937細胞ではSAPK/JNKやp38 MAPKのリン酸化が抑制されていた。

 44℃、15分温熱処理後、37℃に6〜20時間培養して、温熱耐性を誘導したところで44℃、30分温熱処理した場合、SAPK/JNK、p38 MAPK、HSP27のリン酸化は前処理しなかった場合に比べ、顕著に抑えられ(SAPK/JNKが最も顕著)、Pro-caspase-7及びPARPの切断や温熱誘発細胞死は有意に低下していた。また、44℃、15分温熱処理によるSAPK/JNK, p38 MAPK活性化の低下がHSP70の蓄積と並行して起こることから、HSP70の蓄積がSAPK/JNK, p38 MAPK活性化を抑制する可能性も考えられる。これらの結果から、U937細胞の温熱耐性の獲得はSAPK/JNK(p38 MAPK、HSP27)のリン酸化の低下が要因の一つとなっていることが示唆された。

(3) p38 MAPK特異的阻害剤SB203580は温熱誘発アポトーシスを抑制しなかった。

 p38 MAPK特異的阻害剤SB203580存在下に温熱処理するとp38 MAPK活性が阻害され、下流のHSP27のリン酸化も完全に抑えたが、Pro-caspase-7の切断及び温熱誘発細胞死は阻害されなかった。SB203580前処理による温熱誘発SAPK/JNKのリン酸化の程度に顕著な違いがなかった。従って、p38 MAPK経路はU937細胞の温熱誘発細胞死に重要でない可能性が示された。

(4) SAPK/JNK活性化をD609で抑制すると温熱誘発アポトーシスも抑制された。

 温熱処理すると、細胞がストレス応答して脂質セカンドメッセンジャーであるセラミドの合成量が増加し、SAPK/JNKが活性化すると考えられている。細胞膜通過性合成C2-ceramideでU937細胞を処理した場合も、SAPK/JNKのリン酸が見られ、Pro-caspase-7やPARPの切断、細胞死が起きた。セラミドの合成に関わる酵素の一つが酸性スフィンゴミエリナーゼ(aSMase)である。セラミドを低下させるため、aSMaseの阻害剤D609で処理すると顕著な温熱防護効果が示された。D609(50μg/ml)30分の前処理により、SAPK/JNKのリン酸化は著しく低下し、温熱誘発Pro-caspase-7及びPARPの切断、細胞死も有意に抑制された。その効果はD609の濃度に依存した。一方、D609前処理はp38 MAPKとその下流のHSP27の温熱によるリン酸化やHSP70の蓄積には顕著な影響を示さなかった。

 以上の結果から、U937細胞における温熱誘発アポトーシス様細胞死及び温熱耐性においてはSAPK/JNK経路、p38 MAPK経路とも活性化してみえるが、重要なシグナル伝達経路はSAPK/JNKであることが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

 アポトーシスにおける重要なシグナル伝達経路としては、主にp53とSAPK/JNK経路が関与している。本研究は、p53 nullのU937細胞を用いてSAPK/JNK経路の役割を中心に、温熱誘発アポトーシスおよび温熱耐性のメカニズムを解明しようとしたものである。

 1.U937細胞においては、44℃温熱処理による細胞死はミトコンドリア膜電位低下,Procaspase-9と−7の切断、及び核の凝縮・断片化いったアポトーシスの特徴を示した。この過程の初期に持続的なSAPK/JNK, p38 MAPKの活性化が見られた。

 2.温熱耐性を獲得した細胞においては、温熱誘発Procaspaseの切断及び細胞死が顕著に阻害された。さらに、Procaspase-7の切断を指標にし、温熱耐性の獲得・持続・減衰のプロセスを明らかにした。この温熱耐性時には、温熱処理によるSAPK/JNKやp38 MAPKのリン酸化が著しく抑制された。

 3.温熱耐性を獲得過程においては、Hsps、とくにHsp70の蓄積とSAPK/JNK、p38 MAPK活性化の低下と並行して起こることから、Hsp70はSAPK/JNK、p38 MAPKの活性化を抑制する可能性が考えられる。また、温熱耐性を獲得した細胞では、温熱誘発SAPK/JNK、p38 MAPKのリン酸化が低下していることが耐性の要因の一つとなっていると示唆された。

 4.p38 MAPK特異的阻害剤SB203580存在下に、温熱処理するとp38 MAPK活性化は完全に抑制されたが、Procaspase-9、-7の切断および細胞死は阻害されなかった。SB203580前処理による温熱誘発SAPK/JNKのリン酸化の程度に顕著な抑制効果が見られなかった。

 5.D609はセラミド合成に関わる酵素の一つの酸性スフィンゴミエリナーゼ(aSMase)阻害剤である。D609前処理で、温熱誘発細胞死、Procaspase及びPARPの切断が有意に抑制された。同時に、温熱処理によるSAPK/JNKの活性化も著しく低下していることを初めて明らかにした。D609の前処理はp38 MAPKとその下流のHsp27のリン酸化には顕著な影響を示さなかった。Hsp70の蓄積にも影響を示さなかった。

 6.UV照射によるアポトーシスにはSAPK/JNKとp38 MAPKの活性化が重要であることが報告されたが、温熱誘発細胞死にはp38 MAPK経路が関与せず、SAPK/JNK経路は重要なシグナル伝達経路である。温熱耐性の獲得にはSAPK/JNK活性の減弱が関わると考えられる。

 本論文は、温熱耐性という温熱療法の臨床応用にあたり主要な障害といわれてきた現象を新なアポトーシスの観点から取り上げ、温熱耐性状態の細胞における温熱誘発SAPK/JNK活性化の低下とアポトーシス抵抗性との相関を見出した。本研究における結果は温熱耐性及び温熱誘発細胞死の機構の解明に重要な知見を与えると考えられ、学位の授与に値するものと思われる。

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