学位論文要旨



No 117307
著者(漢字) 郭,非凡
著者(英字) GUO,FEIFAN
著者(カナ) カク,ヒボン
標題(和) M1ムスカリン性アセチルコリン受容体によるERK1/2の活性化におけるCalDAG−GEFI/Rap1/B−Raf複合体の役割
標題(洋) A CalDAG-GEFI/Rap1/B-Raf cassette couples M1 muscarinic acetylcholine receptors to the activation of ERK1/2
報告番号 117307
報告番号 甲17307
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1915号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 御子柴,克彦
 東京大学 教授 山本,雅
 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 竹縄,忠臣
 東京大学 助教授 中福,雅人
内容要旨 要旨を表示する

概要

 本論文では、ムスカリン性アセチルコリン受容体(mAChR)のM1サブタイプとExtracellular signal-Regulated Kinases (ERK) 1/2を結び付ける、新しい細胞内伝達経路について述べる。PC12D細胞を用いた実験より、M1 mAChRの刺激によるERK1/2の活性化は、グアニンヌクレオチド交換因子であるCalDAG-GEFI、低分子量GTP結合タンパク質であるRap1とセリン−トレオニンキナーゼであるB-Rafからなる複合体を介して起こることを初めて明らかにすることができた。この事実より内在性のCalDAG GEFIの機能についての最初の知見を得ることができた。

序論

 M1 mAChRが制御する細胞内シグナル伝達経路を調べるために、私が所属する実験室ではPC12D細胞を用いて実験を行っている。PC12D細胞は、広く研究されているPC12細胞の亜種で、mAChRのM4サブタイプだけを発現する親株と違ってmAChRのM1とM4の両サブタイプを発現する。PC12D細胞をアセチルコリンのアナログであるカルバコール(carbachol)で処理すると、M1 mAChRを介して前初期遺伝子であるzif268 (egr-1、NGF1-A、krox-24)の発現が誘導されることは、以前の研究より明らかになっていた。更に、その発現誘導には細胞外のCa2+の流入、PKCの活性化およびERK1/2の活性化が必要であることも分かっていた。しかし、PC12D細胞においては、Ca2+の流入とPKCの活性化と、それらの下流で機能するERK1/2の活性化を結び付けるする経路は未だ明らかにされていなかった。

 ERK1/2の活性化に関する研究の中で、成長因子の刺激によるERK1/2の活性化機構の解析が一番進んでいる。多くの細胞と体内組織では、成長因子の刺激後、最初にRasが活性化せれ、その結果、Raf1, MEK, ERK1/2からなるキナーゼカスケードが活性化されることが、およそ10年前からの研究より明らかになっている。一方、最近の研究より、B-Rafを発現する細胞では、成長因子の刺激後、Rasの代わりにRap1が活性化され、その結果、B-Raf, MEK, ERK1/2が順々に活性化せれることを示唆するデータが得られている。例えば、PC12細胞では、神経成長因子(NGF)の処理による、ERK1/2の持続的な活性化にRap1とB-Rafが必要である報告がある。しかし、Rasに高い相同性を持つRap1は、もともとRasを阻害するタンパク質として同定されたことや、細胞によってRap1によるB-Rafの活性化が観察されない事実などからは、ERK1/2の活性化におけるRap1の役割に関して議論の余地がある。

 最近、特定のシグナルに応答し、Rap1を活性化するGEFがいくつか発見された。これらの中で、Ca2+とDAGの結合部位をもつCalDAG-GEFIが我々の興味を引いた。Ca2+とDAGの結合により活性化されるCalDAG-GEFIは、M1 mAChRの活性化により産生されるIP3やDAGと、ERK1/2の活性化をリンクするための有力な候補と思われたからである。(PC12D細胞では、IP3が産生されると細胞内Ca2+ストアが枯渇し、その結果で細胞外からのCa2+流入が促進されることが以前に分かっていた。)しかし、現在までは、細胞内シグナル伝達におけるCalDAG-GEFIの役割についての報告はなっかた。それで、私は、PC12D細胞でのM1 mAChRによるERK1/2の活性化に、CalDAG-GEFIが機能するかどうかを調べることを本研究の目的とした。

方法

 dominant-negative(dn) Rap1の発現ベクターを作るために、site-directed mutagenesis法を用いて、マウス由来の野生型Rap1の17セリンをアスパラギンに変えることにより作製し、それをStratagene社のLacSwitchベクターの[(isopropyl thiogalactoside (IPTG)で誘導可能]lacプロモーターの下流に組み込んだ。そのベクターを、dexamethasoneの前処理によりdn Rasの発現を誘導することができるPC12D-37株に安定した形で導入することより、dn Rasまたは、dn Rap1を選択的に発現させることができるPC12D-37-19を作製した。

 マウスCalDAG-GEFIに基づいたプライマーとPC12D細胞のRNAを用いてPCR産物を増やし、それをクローニングした後、その全長のDNAシークエンスを確かめた。そのシークエンスをもとにラットCalDAG-GEFIのアミノ酸の配列を同定した。次、ラットCalDAG GEFIのC末端の最後の18−アミノ酸を含んでいる20残基のアミノ酸オリゴペプチド(592-GCIREEEVQV-EDGVFDIHL-609)を抗原としてウサギに注射し、CalDAG-GEFIに対する抗体を作製した。抗原ペプチドでアフィニティー精製をした抗体を用いてPC12D細胞およびラット脳でのCalDAG-GEFIの発現を検出した。また、同抗体を免疫沈降実験にも使用した。

結果と考察

 PC12D細胞をカルバコールで処理すると、ERK1/2が速やかに活性化されることをanti-phospho-ERK1/2抗体を用いて、ウェスタンブロット法で確認した。ERK1/2の活性化は、mAChRの拮抗薬であるアトロピン(atropine)または、MEKの阻害剤であるPD098059とU0126の前処理により抑制された。これらの結果から、カルバコールによるERK1/2の活性化は、mAChRとMEKを介して起こることを確認することができた。

 PC12D-37-19細胞を用いた実験より、カルバコール刺激によるERK1/2の活性化は、主にRap1依存性の細胞内シグナル伝達経路を介して起こることが明らかになった。一方、NGF刺激によるERK1/2の活性化は、主にRas依存性の経路を介して起こた。GTP-Rasと選択的に結合するGST-Raf-RBDと、GTP-Rap1と選択的に結合するGST-RalGDS-RBDを用いた実験より、カルバコールは、Rap1を比較的強く活性化することと、NGFはRasを比較的強く活性化することが分っかた。なお、GST-Raf-RBDとGST-RalGDS-RBDを用いることにより、dnRasは主にRasの活性化を抑制することと、dnRap1は主にRap1の活性化を抑制することを確かめることもできた。

 NGF受容体キナーゼの阻害剤であるK252aと上皮増殖因子(EGF)受容体キナーゼの阻害剤であるAG1478を用いた実験より、カルバコール刺激によるRap1の活性化は、NGFやEGF受容体キナーゼに非依存的であることを確認した。また、Ca2+をキレートするEGTAとC−キナーゼの阻害剤であるGF109203Xの前処理によりカルバコール刺激によるRap1の活性化は、主にCa2+の流入に依存することが分っかた。

 カルバコールよるRap1の活性化の機構を明らかにするため、CalDAG-GEFIがRap1の上流で機能するかどうか調べた。まず、RT-PCR法とDNAシークエンシング法を用いて、PC12D-37-19細胞では、CalDAG-GEFIのmRNAが発現していることを確認した。次にCalDAG-GEFIのC末端を認識する抗体を用いて、PC12D-37-19細胞でのCalDAG-GEFIの発現も確かめた。CalDAG-GEFIがカルバコールの刺激に対して応答するかどうかを調べるため、免疫沈降実験を行った。その結果、細胞をカルバコールで処理すると、CalDAG-GEFI、Rap1とB-Rafを含む複合体が形成されることが分かった。MEKを基質とするキーナーゼアッセイを行うことにより、その複合体に入っているB-Rafが活性型であることも確認することができた。

 カルバコールによるB-Rafの活性化には、CalDAG-GEFIが必要であるかどうかを調べるため、PC12D-37-19細胞にCalDAG-GEFIのアンチセンスRNAを発現させ、HA抗原のタッグが付いているB-Rafの活性化への効果を検討した。その結果、カルバコールによるB-Rafの活性化は、アンチセンスRNAの発現により部分的に抑制されることが判明した。同様な実験により、カルバコール刺激による複合体の形成も、CalDAG-GEFIのアンチセンスRNAの発現により部分的に抑制された。これらの実験結果から、CalDAG-GEFIは、カルバコール刺激によるERK1/2の活性化に機能することが明らかになった。

結論

 PC12D細胞においては、M1 mAChRによるERK1/2の活性化は、CalDAG GEFI/Rap1/B-Rafからなる複合体を介して起こることが、本研究により始めて明らかにされた。この結果より、B-Rafを発現する細胞や体内組織では、他のGタンパク質共役型受容体もCalDAG-GEFIとRap1を介してERK1/2を活性化することも十分考えられる。その可能性を調べるのは、今度の研究の課題の一つにしたいと思っている。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、ムスカリン性アセチルコリン受容体(mAChR)のM1サブタイプとExtracellular signal-Regulated Kinases (ERK) 1/2を結び付ける新しい細胞内伝達経路を明らかにするため、PC12D細胞を用いた実験より、M1mAChRの刺激によるERK1/2の活性化は、グアニンヌクレオチド交換因子であるCalDAG-GEFI、低分子量GTP結合タンパク質であるRap1とセリン−トレオニンキナーゼであるB-Rafからなる複合体を介して起こることを初めて明らかにすることができた。下記の結果を得ている。

1.PC12D細胞をカルバコールで処理するとERK1/2が速やかに活性化されることをanti-phospho ERK1/2抗体を用いてウェスタンブロット法で確認した。ERK1/2の活性化は、mAChRの拮抗薬であるアトロピン(atropine)、またはMEKの阻害剤であるPD098059とU0126の前処理により抑制された。これらの結果から、カルバコールによるERK1/2の活性化はmAChRとMEKを介して起こることを確認することができた。

2.Site-directed mutagenesis法を用いて、dn Ras、またはdn Rap1を選択的に発現させることができるPC12D-37-19細胞を作製した。PC12D-37-19細胞を用いた実験より、カルバコール刺激によるERK1/2の活性化は主にRap1依存性の細胞内シグナル伝達経路を介して起こることが明らかになった。一方、NGF刺激によるERK1/2の活性化は、主にRas依存性の経路を介して起こった。GTP-Rasと選択的に結合するGST-Raf-RBDと、GTP-Rap1と選択的に結合するGST-RalGDS-RBDを用いた実験より、カルバコールはRap1を比較的強く活性化することと、NGFはRasを比較的強く活性化することが分かった。なお、GST-Raf-RBDとGST-RalGDS-RBDを用いることにより、dnRasは主にRasの活性化を抑制することと、dnRap1は主にRap1の活性化を抑制することを確かめることもできた。

3.NGF受容体キナーゼの阻害剤であるK252aと上皮増殖因子(EGF)受容体キナーゼの阻害剤であるAG1478を用いた実験より、カルバコール刺激によるRap1の活性化は、NGFやEGF受容体キナーゼに非依存的であることを確認した。また、Ca2+をキレートするEGTAとC−キナーゼの阻害剤であるGF109203Xの前処理によりカルバコール刺激によるRap1の活性化は、主にCa2+の流入に依存することが分かった。

4.RT-PCR法とDNAシークエンシング法を用いて、PC12D-37-19細胞では、CalDAG-GEFIのmRNAが発現していることを確認した。次にCalDAG-GEFIのC末端を認識する抗体を用いて、PC12D-37-19細胞でのCalDAG-GEFIタンパク質の発現も確かめた。

5.CalDAG-GEFIがカルバコールの刺激に対して応答するかどうかを調べるため、免疫沈降実験を行った。その結果、細胞をカルバコールで処理すると、CalDAG-GEFI、Rap1とB-Rafを含む複合体が形成されることが分かった。MEKを基質とするキーナーゼアッセイを行うことにより、その複合体に入っているB-Rafが活性型であることも確認することができた。

6.カルバコールによるB-Rafの活性化には、CalDAG-GEFIが必要であるかどうかを調べるため、PC12D-37-19細胞にCalDAG-GEFIのアンチセンスRNAを発現させ、HA抗原のタッグが付いているB-Rafの活性化への効果を検討した。その結果、カルバコールによるB-Rafの活性化は、アンチセンスRNAの発現により部分的に抑制されることが判明した。同様な実験により、カルバコール刺激による複合体の形成も、CalDAG-GEFIのアンチセンスRNAの発現により部分的に抑制された。これらの実験結果から、CalDAG-GEFIは、カルバコール刺激によるERK1/2の活性化に機能することが明らかになった。

以上、本論文はPC12D細胞において、M1mAChRによるERK1/2の活性化は、CalDAG-GEFI/Rap1/B-Rafからなる複合体を介して起こることが、初めて明らかになった。この事実より内在性のCalDAG-GEFIの機能についての新たな知見を得ることができた。この結果より、B-Rafを発現する細胞や体内組織では、他のGタンパク質共役型受容体もこの複合体を介してERK1/2を活性化することが予想される。本研究はGタンパク質共役型受容体を介するERK1/2の活性化機構の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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