学位論文要旨



No 117312
著者(漢字) 大村,一史
著者(英字)
著者(カナ) オオムラ,カズフミ
標題(和) 事象関連fMRIを用いた左右片視野における音読時の脳内活動の変化に関する研究
標題(洋) Changes in brain activity related to reading in the left and right visual fields studied with event-related fMRI
報告番号 117312
報告番号 甲17312
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1920号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加我,君孝
 東京大学 助教授 岩波,明
 東京大学 教授 大友,邦
 東京大学 教授 金澤,一郎
 東京大学 教授 栗田,廣
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目的

 分離脳研究や片側脳損傷例の研究から左右半球のうち左半球が主に音読機能を司っていることが明らかにされている。しかし、左右片視野への視覚刺激提示に対する左あるいは右半球内の音読のメカニズムは不明で、臨床例の研究から推定が行われているだけであった。左視野(右半球)に文字を提示し音読を行う際、入力された刺激は、右半球内の視覚連合野まで処理され、その後左半球の視覚連合野に伝達されるのか、あるいは右半球の側頭葉後下部(Broadmannの第37野)で処理された後に左半球へ至るのかといった脳内処理過程は明らかにされていない。また右視野(左半球)に刺激が提示されると、左半球のみで処理が行われ右半球では何も行われないのか、処理が行われるとすればどのような脳内活動が起きるのかも明らかではない。これらの問題を明らかにするためには、左あるいは右視野にランダムに刺激を瞬間的に提示し、その音読の際の脳内活動を測定する必要がある。そのため本研究では、脳内の活動を非侵襲的かつ優れた時間的・空間的分解能で測定することが可能な事象関連機能的磁気共鳴画像法(event-related fMRI)を用い、健常者を対象にした左右片視野への視覚刺激の瞬間露出法により左右大脳半球における音読の脳内メカニズムを検討することを目的とした。日本語には漢字とかなの2つの文字体系が存在するため、音読の言語刺激として両者を採用し、漢字とかなの文字体系による音読の脳内メカニズムの差も合わせて検討した。

方法

被験者 右利きの健常者21名(男性10名、女性11名、18-38歳、平均年齢23.5歳)。職業は大学生または大学院生であった。十分な説明を行い、書面による同意を得た。

課題 視覚刺激として小学校1、2年次に習得する2音節の漢字単語1文字およびその漢字に対応した2音節のかな単語2文字(32単語)を用意し、以下の3つの実験条件を実施した(図1参照)。刺激単語は音読の難易度が可能な限り等質になるように選定した。漢字条件:左半球(右視野)または右半球(左視野)への2音節の漢字単語1文字の瞬間提示、かな条件:左半球(右視野)または右半球(左視野)への2音節のかな単語2文字の瞬間提示、固視点条件:画面中央の固視点注視。漢字およびかな条件の時間は40秒、固視点条件の時間は20秒で、漢字条件およびかな条件の前には必ず固視点条件が対照条件として用意された。漢字条件およびかな条件はそれぞれランダムに4回繰り返された。1回の条件内で提示される刺激数はともに16単語で、左右の視野へは1対1の割合で配分された。漢字かな両刺激は固視点の左右ランダムに視角2.5°、一文字あたり1°の大きさで瞬間露出された(刺激提示時間=150msec、SOA=2500msec)。すべての被験者はevent-related fMRI実験を行う前に、固視点を注視したまま左右にランダムに瞬間露出される文字を読む練習を十分に行い、行動テストにより各個人の漢字およびかなの音読成績が記録された。event-related fMRI実験中、被験者はMRI装置内で仰向けに固定され、液晶プロジェクタによりスクリーン上に投影される刺激を、固視点を注視したまま心の中で音読するように教示された。実験刺激は撮像に合わせてMRI装置から発生される信号に同期させてスクリーンに提示された。

図1.実験デザイン

MRI撮像 GE社製SIGNA Echospeed 1.5T CV/NVを使用。fMRIの時系列データとして,ボクセルサイズ3.75×3.75×8mmのT2*強調画像を水平断で18スライスずつ全脳をカバーし、TE=50msec、TR=2secのgradient EPI法を用いて、1スライスにつき248 time point撮像した。EPIデータの撮像の前に、脳の標準化に用いるT1強調画像をボクセルサイズ0.94×0.94×1.3mmの水平断で全脳にわたって撮像した。

データ解析 ソフトウェアSPM99(Wellcome Department of Cognitive Neurology, London, UK)を使用。動き補正、時間方向の補正、T1強調像とT2*強調像のcoregisteration、Talairach空間への標準化、半値幅8mmのGaussian filterによる平滑化の後、一般線形モデル(GLM : General Linear Model)を用いて、母集団推定を行うrandom effect modelによる解析を行った。「漢字左半球提示−固視点」、「漢字右半球提示−固視点」、「かな左半球提示−固視点」、「かな右半球提示−固視点」の4つの対比および刺激提示半球による差異(「左半球提示−固視点」、「右半球提示−固視点」、両者の直接比較)を検討した。本分析では統計処理における有意水準をp<0.001(多重比較なし、4ボクセル以上)に設定した。有意な活動が見られた関心領域に対して個人ごとの事象関連脳血流反応を平均し、刺激に対する脳血流反応を検討した。

結果

 fMRI実験前の行動テストの成績において被験者内2要因分散分析(文字×半球)を行ったところ、漢字かなの文字差、左右の半球差および両者の交互作用のいずれも有意ではなかった。音読の正答率は一例を除きすべて90%以上であった。event-related fMRIにおける「漢字左半球提示−固視点」、「漢字右半球提示−固視点」、「かな左半球提示−固視点」、「かな右半球提示−固視点」の4つの対比を行ったところ、左半球提示における漢字とかなの比較および右半球提示における漢字とかなの比較では文字の違いによる賦活部位に明確な差は見られなかった。漢字とかなの文字体系による差が認められなかったため、続く分析では漢字とかなを同質の刺激と見なして分析を行った。

 左半球提示に対しては左後頭側頭溝後部、左舌状回、左下前頭回および左中前頭回の後部と左中心前回中部との結合部、左右の頭頂間溝前部、帯状溝後部の活動が認められ、右半球提示では左右の後頭側頭溝後部と右舌状回、左右の下前頭回および中前頭回の後部と中心前回中部との結合部、左右の頭頂間溝前部、帯状溝後部の活動が明確に認められた(図2参照)。左半球あるいは右半球提示に対して、左後頭側頭溝後部、左下前頭回および左中前頭回の後部と左中心前回中部との結合部、および両側頭頂間溝前部には共通した賦活が見られたが、右半球提示の場合にのみ、右後頭側頭溝後部、右下前頭回および右中前頭回の後部と右中心前回中部との結合部の活動が顕著に表れた。左半球提示および右半球提示のそれぞれに対して、左右の後頭側頭溝後部、左右の頭頂間溝前部、左右の下前頭回および中前頭回の後部と中心前回中部との結合部における脳内活動の変化を比較するために事象関連脳血流反応を時系列的にプロットした。左半球提示ではこのすべての部位において左半球の活動が右半球の活動より大きく、事象関連脳血流反応のピーク潜時が、左後頭側頭溝後部では約5秒、両側頭頂間溝前部、左下前頭回および左中前頭回の後部と左中心前回中部との結合部では約6秒であった。右半球提示では両半球とも同程度の大きさの反応が確認された。しかし、右半球提示の場合、事象関連脳血流反応のピーク潜時が右後頭側頭溝後部では約5秒であったが、左後頭側頭溝後部では約6秒であった。同様に右頭頂間溝前部、右下前頭回および右中前頭回の後部と右中心前回中部との結合部の反応のピーク潜時は約6秒であったが、左頭頂間溝前部、左下前頭回および左中前頭回の後部と左中心前回中部との結合部では約7秒であった。

考察

 左右片視野提示に対する大脳半球の活動に左右差が認められた。左半球(右視野)提示の場合は後頭側頭溝後部、下前頭回および中前頭回後部と中心前回中部との結合部の活動は左半球内に限定された。しかし、右半球(左視野)提示では左半球だけでなく、右後頭側頭溝後部、右下前頭回および右中前頭回後部と右中心前回中部との結合部も活動し、右半球も音読に関わっていることが確認された。すべての条件で共通して賦活が見られた左後頭側頭溝後部、左下前頭回および左中前頭回後部と左中心前回中部との結合部、左頭頂間溝前部は文字の音読に必要な部位と考えられる。右視野に入力された刺激は、直接左半球で処理されるため、右半球が抑制され、右半球が関与せず左半球内のみで文字の音読が達成される。これに対して、左視野に入力された視覚刺激は、右半球の視覚領野から右後頭側頭溝後部へ伝達され、その後右頭頂間溝前部や、右下前頭回および右中前頭回後部と右中心前回中部との結合部に伝えられると共に、脳梁膨大部を通り左後頭側頭溝後部へと伝えられる可能性が示唆される。右半球提示における後頭側頭溝後部の事象関連脳血流反応のピーク潜時は、左後頭側頭溝後部に比べ、右後頭側頭溝後部の方が1秒ほど早かった。左視野(右半球)から入力された刺激の視覚情報が左半球に伝達される前に、右後頭側頭溝後部においてもある程度の初期段階の視覚的文字処理が施され、その後で文字処理に重要とされる左後頭側頭溝後部に伝達されるために、このような事象関連脳血流反応の時間的な差が見られたのかもしれない。両半球ともに、後頭側頭溝後部から頭頂間溝前部への情報伝達は頭頂間溝前部から下前頭回および中前頭回後部と中心前回中部との結合部への情報伝達よりも遅いという可能性も象関連脳血流反応から窺える。

 漢字およびかなの音読においては賦活された脳部位に違いが見られなかった。漢字かなの音読には解剖学的な差がないという今回の実験結果は、実験刺激を十分に吟味した上で脳損傷例を詳細に分析した先行研究(Sugishita et al., Brain 115, 1563-1585, 1992)に一致する。漢字およびかなの音読に関する脳内処理過程の差異は、漢字かなの文字差というよりはむしろ実験刺激の音読の難易度や日常生活での使用頻度、文字形態の複雑さ等を反映している可能性が考えられる。

図2.左右大脳半球への刺激提示による脳内活動

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は左右大脳半球提示における音読時の脳内活動を明らかにするために、左または右片視野へランダムに提示される単語の音読を課題とした瞬間露出法を用いて、事象関連機能的MRI(event-related fMRI)による解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.左半球(右視野)提示と右半球(左視野)提示では脳内活動に明確な差が確認された。左半球提示では左半球が主に活動し、右半球提示では左右両半球が対称的に活動することが示された。左後頭側頭溝後部、左背側前運動野付近(左下前頭回および左中前頭回後部と左中心前回中部との結合部)、両側頭頂間溝前部は、左半球提示、右半球提示のどちらにおいても活動が見られ、これらの部位は特に音読に関与するものと考えられた。

2.左半球提示においては、後頭側頭溝後部、背側前運動野付近(下前頭回および中前頭回後部と中心前回中部との結合部)の活動は左半球内に限定されていた。この理由としては、次の二つの左半球提示における音読の脳内メカニズムの可能性が考えられた。一つは、左半球内のみで単語の音読処理が行われるため、右半球への言語情報の伝達は起こらないという可能性。もう一つは、左半球が右半球の言語機能を抑制するという可能性である。

3.右半球提示においては、後頭側頭溝後部、背側前運動野付近の活動は両半球に認められ、その活動パターンは左右両半球対称であり、右半球も音読に関わっていることが確認された。これは脳梁を介して右半球から左半球へ言語情報が伝達する可能性を示唆するものである。右半球提示における音読の脳内メカニズムとして、左視野に入力された視覚刺激は、右半球の視覚領野から右後頭側頭溝後部へ伝達され、その後右頭頂間溝前部や右背側前運動野付近に伝えられると共に、脳梁膨大部を通り左後頭側頭溝後部へと伝えられる可能性が示された。

 以上、本論文は、event-related fMRIを用いて左または右大脳半球提示における実際の脳内活動の違い、特に左半球提示では左半球が主に活動し、右半球提示では左右両半球が対称的に活動することを明らかにした。本研究は、これまで分離脳・片側脳損傷例の臨床研究や心理学研究からモデルの推定が行われるのみであった、左右大脳半球提示における音読の脳内メカニズムの解明に対して重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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