学位論文要旨



No 117313
著者(漢字) 片野田,耕太
著者(英字)
著者(カナ) カタノダ,コウタ
標題(和) 時空間回帰モデルによる機能的MRIデータ解析
標題(洋) A spatio-temporal regression model for the analysis of functional MRI data
報告番号 117313
報告番号 甲17313
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1921号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮下,保司
 東京大学 教授 大友,邦
 東京大学 教授 井原,康夫
 東京大学 教授 加我,君孝
 東京大学 助教授 岩波,明
内容要旨 要旨を表示する

 緒言

 機能的MRI (fMRI)はヒトの脳内血流動態を非侵襲的に調べる手法である。fMRIデータは、ボクセルと呼ばれる箱型の画像単位から成り、各ボクセルが時系列を持つ。fMRIの統計処理は、被験者が異なる課題を行う際に信号が有意に変化したボクセルを検出することを目的とするが、fMRIデータ特有の困難な問題を伴う。第一に、fMRIデータには内在性の空間的、時間的な自己相関がある。空間的な自己相関とは近隣ボクセルの時系列間の相関であり、時間的な自己相関とは時系列内の近隣タイムポイント間の相関である。第二に、神経活動により生じるfMRIの信号変化は、単独のボクセルのみではなく複数の隣接するボクセルにまたがってクラスターを形成する傾向がある。現在一般的に用いられている、t検定、重回帰分析などの一般線形モデル(GLM)による手法は、ボクセル毎に独立に統計パラメータ(回帰係数など)の推定を行うため、空間的な相関及びクラスター形成傾向が統計モデルに反映されていない。また、fMRIデータは信号対ノイズ比(SN比)が低く、静磁場強度1.5テスラの場合、神経活動の賦活による信号変化は数%以下である。このため統計処理の前に空間的な平滑化フィルタを適用してノイズを減じる方法が一般に用いられているが、この手法はデータをぼかすため、空間的には解剖学的情報を著しく損ね、時間的にも微小な信号変化を失う弊害がある。これらの問題点を解決するために、本研究は時間と空間双方の自己相関を同時に考慮した新しい回帰モデルを提案する。人工データから任意の統計手法の真陽性率と偽陽性率を算出して検出力を評価する受診者動作特性曲線(ROC曲線)を用いて、本手法の妥当性を従来の統計処理法と比較検討した。また、指運動実験データに本手法を適用し、その実用可能性を調べた。

 方法

データセット ROC分析のための無課題実験と、指運動実験の2種類の実験を行った。いずれも、1.5テスラGE Signa LXを使用し、EPI法でボクセルサイズ3.75×3.75×4mmのT2*強調水平断画像を全脳にわたる36スライス、180タイムポイント撮像した。無課題実験は被験者3名(男性2名、女性1名。平均年齢27.0)。被験者には撮像中安静にするよう指示した。指運動実験は被験者2名(男性2名。平均年齢28.5)。被験者には安静条件と右手指対立運動条件を40秒間(10タイムポイント)毎に交互に課した。頭部の動き補正とトレンド除去を行った。

人工的賦活 ROC分析のために、無課題実験のデータに人工的な信号上昇を、周期20タイムポイントの矩形関数で、以下の3つの条件を変化させて加えた。(1)賦活強度(信号上昇率):0.25、0.5、0.75、及び1.0%、(2)賦活クラスターの形:立方体と球体、及び(3)賦活クラスターの大きさ:立方体の一辺=2、3、4、及び5ボクセル、球体の半径=1、2、3、及び4ボクセル。賦活ボクセルの総数は全脳に含まれる総ボクセル数の1.5%とした。

時空間回帰モデル ボクセルu0における信号をy(u0,t)と表す。総タイムポイント数をn、t=1,...,nとする。説明変数ベクトルをx(t)、ボクセルu0の回帰係数をβu0とする。本研究の提案する時空間回帰モデルは、任意のボクセルをu0、その近隣l個のボクセルをu1,...,ul、ボクセルu0における誤差ベクトルをε(t,u0)として、

と表される。本モデルにおいて回帰係数βu0を推定し、帰無仮説βu0=0が棄却されるボクセルを賦活ボクセルと判定する。本モデルの特徴は、まず次の2点に要約される。(1)ボクセルu0の回帰式に、自ボクセルのみならず近隣のボクセルの時系列を含める。(2)ボクセルu0の回帰係数βu0は、自ボクセル及び近隣ボクセルからなる多変量時系列がモデルに最もフィットするように推定する。l個の近隣ボクセルの組み合わせはボクセル間で異なるため、ボクセル毎に異なる回帰係数が得られる。βu0の推定は、誤差の時間と空間双方の自己相関を加味するため、通常の最小二乗法ではなく一般化最小二乗法(GLS)を用いる。GLSの実行には式(1)の誤差項(ε(t,u0),...,ε(t,ul))'('は転置行列を表す)の共分散行列が必要である。本研究のモデルのもう1つの特徴は、(3)共分散行列を時間方向と空間方向の相関の積で表す点である。すなわち、ボクセルua,ub(a,b=1,...,l)、タイムポイントt,s(t〓s)=1,...,nとして(1)の誤差項の共分散行列を

で表す。ここでσa,σbはそれぞれボクセルua,ubの誤差ベクトルの標準偏差、ρ1(a,b)はボクセルua,ubの誤差ベクトル間の相関係数つまり空間自己相関、ρ2(t-s)は誤差ベクトルにおけるラグt-sの自己相関つまり時間自己相関を表す。本研究では図1に示す最近隣6ボクセルを含めたモデルを適用し、回帰係数の推定及びt値の算出は周波数領域で行い、時間自己相関の推定にはノンパラメトリック法を用いた。

ROC分析 本研究の統計手法の妥当性を評価するためROC分析を行った。人工的賦活を加えた無課題の実験データに対し、有意水準をP<10-9からP<1.0まで変化させ、各水準で真陽性率と偽陽性率を求め、偽陽性率を横軸、真陽性率を縦軸にとり図2のようなROC曲線を描き、0<偽陽性率<0.1における真陽性率の平均値をROC検出力と定義し、(I)本研究の時空間回帰分析と、以下3つの従来型手法のROC検出力を比較した。(II)通常の回帰分析、(III)ラグ1の自己回帰モデルAR(1)による回帰分析、(IV)半値幅8mmの空間的平滑化後の通常回帰分析。

指運動実験の解析 上記4種類の手法を用いて解析を行い、多重比較を適用しないボクセル毎の有意水準P<10-3で脳賦活画像を作成した。有意水準P<10-5、P<10-7での賦活画像も作成し、それぞれにおける賦活クラスターの大きさと個数を調べた。

 結果

ROC分析 本研究の時空間回帰分析は、賦活クラスターが大きくなるほど通常の回帰分析及びAR (1)モデルより高い検出力を示し、この傾向は賦活強度が低いほど顕著であった。立方体で一辺3ボクセル以上、球体で半径2ボクセル以上のクラスターに対し、本研究の手法は、空間平滑化後の通常回帰分析と同程度に高い検出力を示した。表1に立方体及び球体クラスターにおけるクラスターサイズ別のROC検出力を示す。

指運動実験 本研究の時空間回帰分析は、右手指運動に関与すると思われる左半球の運動野と大脳基底核、右小脳、及び補足運動野の賦活を捉えられた。通常の回帰分析及びAR (1)モデルと比較して、本研究の手法は賦活領域が大きい傾向にあり、偽陽性と思われる小さいクラスターの賦活が少なかった。また空間的平滑後の通常回帰分析に見られるような解剖学的情報の著しい損失は、本研究の手法では観察されなかった。賦活クラスターの大きさと個数に関しては、P<10-3、P<10-5、P<10-7いずれの有意水準においても、偽陽性と思われる大きさ1ボクセルの賦活クラスターは、通常の回帰分析より本研究の手法の方が少なかった。図3に4つの統計手法による脳賦活画像の運動野及び補足運動野を含むスライスを示す。

考察

 fMRIデータは時間、空間双方の自己相関を持つが、現在標準的に用いられるfMRI解析では、いずれの相関も無視するか(通常の回帰分析)、時間自己相関のみを想定する(ARモデル)。本研究の時空間回帰分析は、時間、空間双方の自己相関をモデル化することによりこの理論的な欠点を克服するものである。ROC分析により、本研究の手法が、クラスターをなす賦活及び低い強度の賦活に対して、空間的平滑化後の通常回帰分析に匹敵する高い検出力を持つことが示され、本研究の手法がfMRIデータの解析法として有用であることが確認された。また指運動課題を用いた実データでは、空間的平滑化の短所である解剖学的情報の欠落を抑えて指運動に関与する賦活を敏感に捉えられた。以上により、本研究の時空間回帰分析は、fMRIの高い空間分解能を維持した高精度の解析法として提案できる。

図1

図2

表1

賦活強度をプールした被験者間平均ROC検出力を示す。1に近いほど高い検出力であることを表す。()内は標準偏差。

図3

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、時間と空間双方の内在的自己相関構造を組み込んだ時空間回帰モデルを機能的MRIの新しい統計解析法として提案し、その検出力と実用可能性を従来型の統計手法と比較して検討したものである。本研究の提案する時空間回帰モデルの特徴は以下の3点に要約される。

(1)あるボクセル(機能的MRIの画像単位)の回帰式に、当該ボクセルだけでなく近隣のボクセルの時系列を含める。

(2)当該ボクセルの回帰係数は、当該ボクセルおよび近隣ボクセルからなる多変量時系列がモデルに最も適合するように推定する。

(3)回帰式の誤差項の共分散行列を、時間方向と空間方向の相関の積で表現する。

 本研究の時空間回帰モデルの検出力と実用可能性を検討した結果は以下の通りである。

1.受診者動作特性曲線(ROC曲線)を用いて検出力の評価を行った結果、本研究の手法は、賦活クラスターが大きいほど検出力が高くなることがわかった。また、従来型の統計手法との比較したところ、本研究の手法は、空間的平滑化をしないボクセル毎の回帰分析よりも検出力が高く、空間的平滑化後のボクセル毎の回帰分析と同等の検出力があることがわかった。

2.右手指運動課題のデータを用いて実用可能性の評価を行った結果、本研究の手法は、右手指運動課題遂行時に神経活動が生じると考えられている左運動野、補足運動野、左大脳基底核、および右小脳の賦活を捉えられることがわかった。また、従来型の統計手法と比較したところ、本研究の手法は、空間的平滑化をしないボクセル毎の回帰分析よりも偽陽性と思われる小さい賦活クラスターが少なく、空間的平滑化後のボクセル毎の回帰分析よりも空間分解能の低下が少なかった。

 以上、本論文は、時間と空間双方の内在的自己相関構造をモデルに組み込んだ時空間回帰分析を機能的MRIに適用し、その高い検出力と実現可能性を示した。本研究の提案する手法は、空間自己相関が回帰モデルに反映されていないという従来型の統計手法の理論的な欠点を克服し、かつ空間的平滑化をすることなく高い検出力でクラスターをなす賦活を捉えられるという長所を持つ。したがって、本論文は脳機能画像研究の発展に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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