学位論文要旨



No 117314
著者(漢字) 岩田,淳
著者(英字)
著者(カナ) イワタ,アツシ
標題(和) α−シヌクレインの細胞内動態の研究 : 多系統萎縮症における乏突起神経膠細胞内封入体との関連について
標題(洋)
報告番号 117314
報告番号 甲17314
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1922号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井原,康夫
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 岡山,博人
 東京大学 助教授 郭,伸
 東京大学 助教授 中福,雅人
内容要旨 要旨を表示する

 多系統萎縮症(multiple system atrophy, (MSA))の乏突起神経膠細胞内のglial cytoplasmic inclusion (GCI)を構成する主たる物質として近年α−シヌクレインが同定された。α−シヌクレインは140アミノ酸より構成される分子量約14万の蛋白質で、生理的に三次元構造をとらずその機能は不明である。α−シヌクレインはN末端側にKTKEGVの配列を中心とする繰返し配列を、C末端側は酸性アミノ酸を多く有するが、機能が既知の蛋白質とは相同性が存在しない。類似蛋白として繰返し配列に非常に高い相同性を有しつつC末端側のアミノ酸配列が異なるβ、γ−シヌクレイン、シノレチンが存在するが、それらについても機能は不明である。生理学的にはシナプス末端に多く存在し、シナプス小胞の放出の抑制作用を有していると考えられている。疾患との関連上では2種類の点突然変異が家族性パーキンソン病の原因となっていることが知られている上、パーキンソン病やレビー小体を伴う痴呆症(Dementia with Lewy body)の神経細胞内封入体であるレビー小体の主要構成成分であることが知られている。しかし、私の行った遺伝子解析を含め、多系統萎縮症や孤発性パーキンソン病、Dementia with Lewy bodiesの患者では遺伝子変異は認められず、疾患におけるα−シヌクレインの蓄積現象の意義については現在のところ不明な点が多い。

 私は、まず多系統萎縮症疾患脳でのα−シヌクレインの細胞内信号伝達系への影響を検討するために、多数の信号伝達系の分子に対する抗体で剖検脳の免疫染色を行い、転写因子であるElk-1に対する抗体によって患者脳のGCIが染色されることを初めて見いだした。Elk-1はMEKや、ERKによって構成される古典的なMAPキナーゼ経路の活性化によってリン酸化され、その転写活性を発現する転写因子である。次に、この現象の病理学的意義を検討するために、不死化マウス神経膠細胞培養細胞においてα−シヌクレインとElk-1との関係を検討した。マウス神経膠細胞由来の培養細胞OS-3に、α−シヌクレインとElk-1をクローニングした発現ベクターを遺伝子導入したところ、α−シヌクレインとElk-1は細胞内の細胞質において小顆粒状構造物(cytoplasmic granuleと命名)として複合体を形成することを蛍光二重染色法の共焦点レーザー顕微鏡によって確認した。免疫沈降では抗α−シヌクレイン抗体でElk-1が、抗Elk-1抗体でα−シヌクレインが共沈し、複合体形成が裏付けられた。これらの複合体形成についてはElk-1のN末端側に存在するETS領域とB-box構造が重要であり、これらの構造を欠いた変異Elk-1を導入した場合にはα−シヌクレインとElk-1とは免疫沈降で共沈しない上cytoplasmic granuleも形成しなかった。

 次に、直接結合の可能性を遺伝子組み換え蛋白質によって検討したが、非リン酸化型Elk-1、また試験管内でリン酸化した遺伝子組み換えElk-1蛋白質ともにα−シヌクレインとの結合の証拠は得られなかった。一方、Elk-1と結合し、リン酸化することが知られているMAPキナーゼのERK-2については、α−シヌクレインおよびElk-1の双方と結合することが免疫沈降法及びGSTプルダウン法によって確認されたため、複合体形成はこの三者によるものの可能性が考えられた。

 さらに機能面への影響を検討した。α−シヌクレインを発現した培養細胞はepidermal growth factor (EGF)やアニソマイシン、紫外線による外部からの刺激に対してのMAPキナーゼのリン酸化、そしてElk-1のリン酸化がα−シヌクレイン非導入細胞に比べて抑制される事をルシフェラーゼアッセイ法、及びリン酸化特異的抗体による免疫ブロットによって確認した。そして、この効果にはα−シヌクレインのN末側の繰り返し配列が重要であることも確認した。

 さらに、エクダイソン発現誘導システムを使用してマウスneuro2a細胞のα−シヌクレインの発現誘導培養細胞系を確立して解析を進めたところ、培養細胞でのα−シヌクレインの高発現は細胞の生存能を低下させ、それはMAPキナーゼ経路の活性化が低下するためであることを発見した。すなわち、α−シヌクレインの高発現によって、ERK-1/2、p38MAPキナーゼ、SAPK/JNKといった一群のMAPキナーゼのリン酸化が低下し、その下流に位置するElk-1のリン酸化、c-fos遺伝子の発現、c-FOS蛋白の発現にまで負の調節作用が生じた。一方、MAPキナーゼキナーゼのリン酸化状態には変化は見られなかった上に加えてα−シヌクレインとMAPキナーゼとの結合が示されたため、この阻害作用はα−シヌクレインのMAPキナーゼヘの直接の作用である可能性が示された。

 一方、α−シヌクレイン発現によって低下した細胞の生存能については、活性型MEK-1の遺伝子導入によりMAPキナーゼのリン酸化が回復すると共に改善することを発見した。

 我々の系では、導入され高発現したα−シヌクレインは凝集体を形成することはなかったが、上記の結果より、MAPキナーゼ経路の抑制を様々な形で生じ、結果として細胞の生存能低下につながったと考えた。そして、これらの現象がMSA、そしてパーキンソン病での神経細胞死と関係している可能性があると考えた。その点において、MAPキナーゼのリン酸化回復は治療の可能性を示していると考える。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は多系統萎縮症発症、パーキンソン病、レビー小体を伴う痴呆症において重要な役割を演じていると考えられるα−シヌクレインの疾患への関与を明らかにするために様々な実験を試みており下記の結果を得ている。

1.α−シヌクレインに対する多クローン性抗体を作成するためにまず遺伝子組み換えα−シヌクレインを大腸菌より精製し、これをウサギに免役して抗体を得た。さらに、ヒトα−シヌクレインのC末端の配列を利用して抗ペプチド抗体を作成した。それぞれの抗体について特異性を確認した後に多系統萎縮症剖検脳の免疫染色を行ったところ、α−シヌクレインが乏突起神経膠細胞内封入体(GCI)に含まれる事が示された。

2.MSAにおけるGCIの役割について検討するため様々な抗体でMSA剖検脳の免疫染色を行い、HSP-56、HSP-60、HSP-90といったシャペロン、及び転写因子Elk-1に対する抗体がGCIを染色することを確認した。シャペロンの存在は蓄積したα−シヌクレインの構造が異常であり、凝集体を形成していることと関係があることを示唆し、また、Elk-1で染色されることについては、以前報告されたMAPキナーゼでのGCIの染色性とあわせ、MSAの乏突起神経膠細胞内でMAPキナーゼ経路の異常が生じている可能性が示唆された。

3.正常脳とMSA患者脳より各種界面活性剤を使用して蛋白質を抽出したところ、MSA患者脳ではギ酸不溶性分画にα−シヌクレインが存在することが確認された。家族性パーキンソン病の一部ではα−シヌクレインの突然変異が報告されており、パーキンソン病では不溶性α−シヌクレインがレビー小体として神経細胞内に蓄積するという知見に基づいてMSA患者においてもα−シヌクレイン遺伝子の配列検索をイントロン、エクソン境界を含めて行ったが、今回の解析では患者特異的な変異は発見できなかった。

4.α−シヌクレインとElk-1との関係についてさらなる検討を加えるため、培養細胞系を使用して実験を行った。マウス神経膠細胞系のOS-3を使用してα−シヌクレインとElk-1とを高発現したところ、それぞれは免疫沈降により共沈すると共に、細胞質内に共存する構造物を形成したためこの構造物をcytoplasmic granule(CG)と命名した。Elk-1の欠失変異体による検討では、CG形成にはElk-1のETSドメイン及びB-boxが必要であり、これらのドメインを有する欠失変異体はα−シヌクレインと免疫沈降にて共沈した。融合蛋白による検討ではα−シヌクレイン、及びElk-1との直接結合は観察されなかった。そこで、それぞれに結合する蛋白を検索したところ、MAPキナーゼであるERK-2がα−シヌクレイン及びElk-1双方と直接結合することを確認した。α−シヌクレインとERK-2との結合部位をそれぞれの欠失変異体によって検討したが、α−シヌクレインのN末端繰り返し構造及びERK-2の68-133アミノ酸配列が必要であることが判明した。さらに、α−シヌクレインの高発現がMAPキナーゼ系に与える影響について検討したが、培養細胞系ではα−シヌクレインの高発現がElk-1のリン酸化低下すなわちMAPキナーゼ系の活性低下につながることがホタルルシフェラーゼアッセイ法によって確認された。そして、その効果はα−シヌクレインのN末端繰り返し構造に特異的であることが示された。

5.さらに、α−シヌクレインの高発現が培養細胞系に与える影響について検討するために、マウスneuro2a細胞を用いて検討を加えた。通常のneuro2a細胞ではα−シヌクレインの高発現によって細胞の生存能は低下した。これはα−シヌクレインのN末端の繰り返し構造による影響であり、C末端では効果のないこと、そしてα−シヌクレインの相同蛋白質であるβ−シヌクレインではその効果のないことを確認した。その結果を基にエクダイソン誘導系を使用してneuro2aの発現誘導細胞系を確立し、α−シヌクレイン発現による細胞の生存能の検討を行ったが、培養液中の血清を低下させたときに生存能の低下が有意に生じ、この生存能低下はTUNEL法、及びDNA断片化の検出によりアポトーシスによって生じていることが判明した。細胞生存能低下の原因については、α−シヌクレインの発現につれてERK-1/2、p38MAPキナーゼ、SAPK/JNKのMAPキナーゼ群のリン酸化が低下することより、MAPキナーゼの安定拮抗状態に影響を与えることが原因と考えた。さらに、外部よりの刺激に対するMAPキナーゼの反応についても検討したが、α−シヌクレイン発現細胞ではepidermal growth factor、anisomycin、紫外線による刺激に対するMAPキナーゼのリン酸化、そしてその下流のc-fosのメッセンジャーRNAの発現が欠如していたが、一方でMAPキナーゼキナーゼのリン酸化には影響がなかった。紫外線による刺激では野生型α−シヌクレイン発現細胞では反応が見られたため、変異型α−シヌクレインがより強度にMAPキナーゼ経路に影響することが考えられた。さらに、α−シヌクレインとMAPキナーゼとの直接結合が免疫沈降法、GSTプルダウン法によって確認され、また、MAPキナーゼキナーゼのリン酸化状態がα−シヌクレインの発現によっても変化しないため、一連の影響はMAPキナーゼとα−シヌクレインが直接結合するために生じることが示唆された。そして、α−シヌクレインの高発現による細胞の生存能低下を回復させる目的で活性型MAPキナーゼキナーゼの遺伝子導入を行ったところ、低下したMAPキナーゼのリン酸化が回復し、また細胞生存能も回復した。この現象は通常のneuro2a細胞に一過性αシヌクレインを発現させた場合に生じる生存能低下についても有効であった。

 以上、本論文は多系統萎縮症におけるαシヌクレイン蓄積の検討より出発し、培養細胞においてα−シヌクレインとMAPキナーゼ経路の構成蛋白のElk-1、MAPキナーゼとの結合の存在、及び細胞の生存能に与える影響を明らかにした。本研究はこれまで未知であったα−シヌクレインの役割について貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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