学位論文要旨



No 117315
著者(漢字) 岩田,信恵
著者(英字)
著者(カナ) イワタ,ノブエ
標題(和) 近赤外分光画像計測法によるヒト感覚運動野の解析 : 経頭蓋磁気刺激法との併用による脳内神経線維結合の検討を中心に
標題(洋)
報告番号 117315
報告番号 甲17315
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1923号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 杉下,守弘
 東京大学 教授 上野,照剛
 東京大学 教授 高本,眞一
 東京大学 教授 井原,康夫
 東京大学 助教授 青木,茂樹
内容要旨 要旨を表示する

 近年、陽電子放射断層撮影法(PET)、機能的核磁気共鳴画像(fMRI)などの脳機能画像の開発により、ヒトにおけるより細分化された脳機能局在の研究が可能となった。近赤外分光(near-infrared spectroscopy; NIRS)画像計測法は、これらの機能画像の手法と相補的な情報を得ることのできる脳機能画像化法として開発された新しい計測手段である。その測定原理は、血液中に含まれるヘモグロビンが酸素化型、脱酸素化型のふたつの状態をとり、両者が近赤外領域に固有の吸収特性を持つことを利用し、2つ以上の波長の近赤外光を用いて濃度変化を頭皮上から計測することで、脳における神経活動に付随した血液量変化を計測することである。二次元画像化は、照射用光ファイバと検出用光ファイバを3cm間隔で交互に格子状に配置することにより行う。隣接する各照射・検出位置の中点の大脳皮質が最もよく計測されることになり、空間分解能は約2cmとなる。本法の特徴として、無侵襲かつ小型軽量であり、被検者に対する拘束が小さいため、ベッドサイドや手術室、日常生活の環境下など、任意の状況で長時間連続測定が可能であるという点があり、今後、臨床医学や脳神経科学の分野で応用が期待できる方法論である。本論文では本法を用いてヒトの感覚運動野の局所活動を測定しその定量性について検討し、さらに経頭蓋磁気刺激と組み合わせて神経機能結合を調べる新しい研究手段としての可能性について論述する。

 尚、以下の実験で近赤外計測は主に光トポグラフィ装置ETG-100(日立メディコ社)を用い、一部の実験でマルチチャンネル酸素モニタOMM-2000(島津製作所)も使用した。いずれの実験も東京大学医学部研究倫理審査委員会の承認を得て、被検者全員からインフォームド・コンセントを得て行った。

1.近赤外分光画像計測法における大脳皮質運動野の活動と運動量の相関についての検討

 神経活動に付随した近赤外分光画像計測法(NIRS)で得られる信号(ヘモグロビン濃度変化)の定量性については、まだ十分な検討がなされていない。大脳皮質一次運動野は、その活動の結果が筋収縮として定量的に計測しうるため、この目的に適する計測部位と考えられる。本実験では一定量の掌握運動を行い、対応する大脳皮質一次運動野における脳血液量変化が運動量とどのように対応するか検討することを目的とした。

 対象は健常右利き成人6人。課題は最大握力の10〜50%の5段階の力による1Hzの掌握運動で、これを15秒間繰り返した。各条件課題は5回づつランダムに含まれるようにし、各条件ごとに5回の計測の加算平均を行った。課題施行中は、主動作筋である前腕の伸筋・屈筋の表面筋電図をモニタし、適正に課題を実行したことを確認した。近赤外の計測部位は、対側の手運動野を含む9x9cmの領域とした。

 運動野に相当する計測位置における代表的被検者のヘモグロビン経時変化を図laに示す。力が大きくなるに従って、酸素化および全ヘモグロビン濃度が上昇し、脱酸素化ヘモグロビンの濃度は下がった。課題開始10秒後の全ヘモグロビン濃度変化を磁気センサを用いたナビゲータにより同じ被検者のMRI表面に投射し、皮質上の位置を確認した(図1b)。感覚運動野を中心とした賦活領域が、力の増加とともに徐々に拡大した。各課題条件での各ヘモグロビン変化の総量を積分して求め、力の大きさとの関係を検討した。酸素化および全ヘモグロビン変化は力の大きさの対数に有意に正に相関した(相関係数は各々0.633、0.731)。これはPETとfMRIで力の大きさと局所脳血流変化の相関について検討された結果と同様であった。近赤外分光画像解析法は、信号の定量性においてもある程度の妥当性があると考える。

2.ヒト大脳皮質感覚野の賦活の近赤外分光画像計測法を用いた検出の試み

 近赤外分光画像計測法による一次体性感覚野の活動は報告されていない。神経内科臨床において、皮質性ミオクローヌスなど感覚皮質の興奮性の異常をきたす疾患があるが、PETやfMRIでは不随意運動を呈する患者における感覚野の計測は体動等のため困難である。そこで、まず健常被検者において感覚神経電気刺激時の一次体性感覚野の活動が本法で検出できるかを検討した。

 対象は健常右利き成人13人。感覚刺激は、臨床的に体性感覚誘発電位(SEP)の検査に用いる0.2msの矩形波による正中神経手首部電気刺激を用いた。刺激頻度は3、8、16Hzを主に用い、刺激強度は各被検者の感覚閾値の1〜3倍とした。刺激15秒−レスト40秒を5回繰り返し加算平均した。近赤外計測部位は対側の頭皮上、感覚運動野を含む9x9cmの領域とした。全被検者で同じファイバ配置のもと、指タッピング課題による同様の計測を行い、運動野の位置を確認して比較した。

 ヘモグロビン濃度変化が手指一次体性感覚野由来であるかどうかは、(1)指タッピング課題で賦活がみられた運動野の約3cm後方であり、(2)感覚刺激によって得られたヘモグロビン濃度変化に刺激強度依存性があること、の2点を満たすことで評価した。正中神経刺激により2人の被検者に上記を満たす変化が得られたが、その他の被検者では有意な変化は認めなかった。fMRIでは、末梢感覚刺激による局所脳血流変化は部位局在性が高いと報告されている。SEPに用いるphasicな電気刺激に応じて賦活される皮質領域は非常に小さく、近赤外分光画像計測法の空間分解能では検出困難であったと考えた。健常被検者においては本法により一次体性感覚野の一定した賦活を検出することが困難であったが、感覚皮質の興奮性が変化する疾患、特に巨大SEPが検出される患者においては、異なる反応が得られる可能性があり、今後本法による検討に値すると考える。

3.経頭蓋磁気刺激法と近赤外分光画像計測法の併用による脳内神経線維結合の検討

 脳機能画像の開発によりヒトにおける脳機能局在の研究が可能となってきた一方で、ヒトの高次機能には局在論のみでは説明困難な機能もあることがわかり、局在機能を持った脳領域の相互作用、すなわち神経機能結合についても検討する必要があると考えられる。機能画像をもとに統計学的手法を用いた線維結合の評価法はあるが、課題に依存する難しさがある。機能画像と経頭蓋磁気刺激(transcranial magnetic stimulation; TMS)を組み合わせて神経機能結合を評価する試みは課題に依存せず、有用と考えられる。TMSは、頭皮上にあてた磁気コイルに大きな電流を流すことでヒトの神経組織を非侵襲的に刺激することのできる方法で、神経内科臨床に幅広く普及し、また精神神経疾患の治療法としての応用も期待されている。しかし、TMSが種々の病態に治療効果をもたらす作用機序など未解明の部分も多い。PETやfMRIとTMSの組み合わせは、TMSが検出系等に影響を与えるため、限られた施設でしか行われていない。近赤外計測では、TMSと併用しても光学的検出系に影響を及ぼさず、従来法では困難であったTMSの影響の経時変化を検討するのに適すると考えた。本研究では、TMSと近赤外分光の併用を初めて試みた。

 健常成人7人を対象とした。磁気刺激は8の字コイルを用いて、大脳皮質手一次運動野に対し内向きの誘導電流が生じるように行った。刺激強度は各被検者の弱収縮時閾値の1.5倍とし、0.2Hzの刺激頻度で30秒間刺激を行った。さらに、(i)shamコイルによる刺激、(ii)手運動野より6cm後方の部位に対する刺激、(iii)8の字コイルを外側に向けた刺激も行って比較した。近赤外の計測範囲は、磁気刺激と対側の運動野を含む9x9cmの領域で行い、各被検者ごとに5回の計測を加算平均した。

 刺激した運動野と対側の運動野に相当する計測位置において、全被検者の平均の経時変化を示す(図2)。刺激直後より全ヘモグロビン濃度の低下が始まり、刺激終了約30秒後に元のレベルに復した。3種類の対照刺激と真の磁気刺激の間でのANOVAによる比較では、酸素化ヘモグロビン濃度変化が刺激法により有意に違った影響を受けた(p<0.05)。post hoc分析の結果、一側の運動野磁気刺激のみで、対側運動野における酸素化ヘモグロビン濃度低下が誘発された。脳梁線維を経由した両側運動野間の線維結合については、ヒトにおいて二ヶ所の磁気刺激を用いた方法により促通効果および抑制効果が知られている。抑制効果は促通効果に比べて空間的にも時間的にも大きいとされ、血行動態変化としては後者が検出されたと考えた。TMS/NIRSの併用が他の方法より優れる点として、NIRSでは実時間計測が可能で経時変化を計測できる点、核種の調製や磁場の遮蔽のための設備は不要で、装置自身も比較的安価で簡便に行える点等がある。NIRS/TMSの組み合わせは、課題デザインに依存せず、解剖学的・生理学的な神経機能結合を評価しうる手段として、今後利用されることが期待できる。

結語

 近赤外分光画像計測法を用いて、健常成人における感覚運動野の検討を行った。本法で計測される血液量変化に定量性があることを、運動野で示した。一次体性感覚野については、末梢神経電気刺激では本法の現状の空間分解能では検出が困難であることを示した。さらに、本法を経頭蓋磁気刺激と組み合わせて同時計測を行う方法が、ヒトにおいて神経線維結合を研究する新しい研究手法となり得ることを示した。TMSの臨床応用は今後も広がると考えられ、その作用機序を解明するためにNIRS/TMS同時計測の研究は有用である。今回の結果はその基礎となる重要な情報を提供すると考える。

図1 代表的被検者におけるヘモグロビン濃度の経時変化(a)およびMRI表面への投射図(b)

図2TMSによるヘモグロビン変化のタイムコース(被検者間の平均)

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、新しい脳機能画像法である近赤外分光画像計測法を人の感覚運動野の解析に応用し、本法の脳機能解析法としての妥当性と限界を示した。その上で、経頭蓋磁気刺激と併用して実時間計測を行うことにより、脳内神経線維結合を反映した血行動態変化のタイムコースを検討し、以下の結果を得ている。

1.まず、健常人において、一定量の掌握運動を行った際に、対応する大脳皮質一次運動野における脳血液量変化が運動量とどのように対応するか検討した。力が大きくなるに従って、近赤外分光画像計測法で測定される酸素化および全ヘモグロビン濃度が上昇し、これらの変化は力の大きさの対数に有意に正の相関をすることを示した。この結果は、positron emission tomography(PET)、functional magnetic resonance imaging(fMRI)など、他の神経機能画像法により得られた結果と一致していた。このことから、近赤外分光画像解析法は信号の定量性においてもある程度の妥当性があることを示した。

2.次に、臨床的に体性感覚誘発電位(SEP)の検査に用いる0.2msの矩形波による正中神経手首部電気刺激を行い、対応する手指一次体性感覚野における賦活の検出を試みた。妥当な血液量変化((1)指タッピング課題で賦活がみられた運動野の約3cm後方に血液量変化を生じ、(2)得られたヘモグロビン濃度変化に刺激強度依存性がある、という2点を満たす変化)は13人中2人に認められたのみであった。SEPに用いるphasicな電気刺激に応じて賦活される皮質領域は非常に小さく、近赤外分光画像計測法の空間分解能では検出困難であったと考察した。健常被検者においては本法により一次体性感覚野の一定した賦活を検出することが困難であると結論し、本法の限界を示した。

3.さらに磁気刺激による大脳皮質手一次運動野刺激中に近赤外分光画像計測の同時測定を行い、両側運動野間の神経線維結合について検討した。各被検者の安静閾値以下の刺激強度で、0.2Hzという低頻度刺激による30秒間の刺激を行い、磁気刺激と対側の運動野において0.5秒の時間分解能で近赤外分光計測を行った。刺激した運動野と対側の運動野に相当する計測位置において、刺激直後より全ヘモグロビン濃度の低下が始まり、刺激終了約30秒後に元のレベルに復することを示した。この結果、脳梁線維を経由した両側運動野間の線維結合(促通効果および抑制効果)のうち、空間的にも時間的にも効果が加重しやすい抑制効果が血行動態変化として検出されたと結論した。さらに、磁気刺激後の脳内血行動態変化を数百ミリ秒という時間分解能で追跡し得た。近赤外分光画像計測という実時間計測が可能な方法論と磁気刺激を組み合わせることにより、磁気刺激により引き起こされる変化が、PETなどの既存の方法論で報告された1-2分というタイムウィンドウより早いタイミングで起こっていることを示した点は、本研究の大きな特色である。

 以上、本論文は近赤外分光画像計測法を用いて人の感覚運動野の解析において、まず一次運動野の活動を定量的に計測することが可能であること、また健常人における一次感覚野の賦活の計測には現状の仕様では適さないことを示した。さらに、経頭蓋磁気刺激と併用することにより両側運動野間の神経線維結合について検討し、両側運動野間の抑制性神経線維結合を数百ミリ秒の時間分解能で示した。本研究は人における神経線維結合の時間変化を研究する新しい研究手法を呈示し、近赤外分光画像計測法が今後課題デザインに依存せずに解剖学的・生理学的な神経機能結合を評価しうる手段として利用される基礎を築いた重要な基礎的研究と考える。これらの点は今後の神経科学の研究の発展に寄与するものと考えられ、学位の授与に値するものと考える。

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