学位論文要旨



No 117317
著者(漢字) 小林,俊輔
著者(英字)
著者(カナ) コバヤシ,シュンスケ
標題(和) 認知課題遂行中のマカクザル前頭前野ニューロン活動
標題(洋)
報告番号 117317
報告番号 甲17317
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1925号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮下,保司
 東京大学 助教授 岩波,明
 東京大学 教授 加我,君孝
 東京大学 教授 杉下,守弘
 東京大学 教授 高橋,智幸
内容要旨 要旨を表示する

 前頭前野皮質の発達によって動物は環境の変化に柔軟に対応し多様な行動をとることが可能になったと考えられる。事故により前頭前野に損傷を受けたPhineas Gage(Harlow 1848, 1868)や前頭葉を圧迫する髄膜腫を患ったEVR(Eslinger & Damasio 1985)などの症例は、標準知能検査では異常が見られなかったにもかかわらず社会に適応できなくなった。また実験的にサルの前頭前野を破壊すると、呈示した刺激に応じて特定の反応を行うといった単純な課題の成績は低下しないが(Jacobsen 1935, 1936; Pribram et al. 1952)、刺激と反応の関係を逆転する学習や問題を解決するためのルールが変化する課題になると成績が低下することが知られている(Dias et al. 1996, 1997)。これらの課題を解決できなくなる原因は複数のルールが存在するときにそれらが思考に葛藤を起こし適切なルールに不適切なルールが干渉するためと考えられる。

 外部刺激が二つの矛盾する行動を指示する状況で適切な情報を選ぶことが要求されるStroop課題もこのような思考に葛藤を起こす状況を設定した課題である。Stroop課題では色を表す単語(赤、緑等)を呈示し、その単語を無視して単語が書かれているインクの色を答えることが被験者に要求される。(赤字で書かれた)「緑」の方が(赤字で書かれた)「赤」よりインクの色を答える反応時間が延長することが知られており、Stroop効果と呼ばれている(Stroop 1935)。これは不要な情報の排除に時間的コストがかかるためと考えられる。与えられた情報から行動上必要な情報を抽出する機能や、不必要な情報からの干渉が起こる機構についての神経生理学的基盤は未だ明らかにされていないが、前頭葉損傷患者で上記のStroop効果が顕著になることから前頭葉が重要な役割を果たしていると考えられている(Perret 1974; Vendrell et al. 1995)。

 本研究ではこのような葛藤的状況における行動とそれに関わる神経機構をStroop課題を変形した視覚刺激弁別GO/NG課題を用いてニホンザルについて調べた。これは色と動きを同時にもつ視覚刺激を呈示し、その刺激の色または動きの方向に基づいてGO反応(レバーを離す)またはNG反応(レバーを押しつづける)を行う課題である。色弁別課題においては刺激の動きを無視し色に基づいた判断が要求される。一方、動き弁別課題においては刺激の色を無視し動きの方向に基づいて判断をしなければならない。例えば、色弁別課題で色がGO反応、動きがNG反応を指示する場合には正反応はGOであるが、無視すべき動き情報は注意すべき色情報と矛盾する反応を指示する(incongruent条件)。例えば色がGO反応、動きがGO反応を指示する場合は二つの情報は矛盾しない(congruent条件)。この課題を3頭のサルにそれぞれ約半年から1年間訓練し学習させた。課題学習後のサルはincongruent条件ではcongruent条件と比較して反応時間が遅延し誤反応が増加するStroop様干渉効果がみられた。しかし干渉効果は小さく、どのサルも90%以上の正反応率を達成したことより、サルには干渉効果を抑えて行動を導く神経機構が存在することが示唆された。

 干渉除去を実現する外側前頭前野(Lateral prefrontal cortex : LPFC)の神経機構を調べるために、選択的注意課題遂行中のサル2頭からLPFCニューロン609個の神経細胞活動を記録した。LPFC腹側には色選択性を示す神経活動(Cニューロン)が多く見られ、LPFC背側には動き選択性を示す神経活動(Mニューロン)が多く見られた。さらに、色選択性を示す神経活動のほとんどは色弁別課題遂行中でのみ色選択性を示し、動き選択性を示す神経活動のほとんどは動き弁別課題遂行中でのみ動き選択性を示した。このような選択的注意依存性の神経活動は行動に必要な情報を文脈依存的に抽出する機能を担っていると考えられる。また前頭前野弓状溝吻側にはGO/NG反応に選択性を示す神経活動が多く見られた(CMニューロン)。これらの結果から、前頭前野は色、動きといった視覚モダリティーごとに行動に必要な情報を抽出し、さらにそれらを統合して運動情報を導く情報処理を行っていることが示唆された。

 一方でLPFCニューロンの一部には行動に関係しない刺激情報を表現するものもみられた。Cニューロンの中には色が行動に関係しない動き弁別課題遂行中にも色情報を表現するものがあり、またMニューロンの中には動きが行動に関係しない色弁別課題遂行中にも動き情報を表現するものがみられた。CニューロンとMニューロンの活動を統合した情報を表現しているCMニューロンの活動では、このような行動に関係しない情報はほとんど表現されていなかった。以上をまとめると、LPFCにおいて視覚情報は最初の段階(Cニューロン、Mニューロン)では視覚モダリティーごとに分散して処理され、その出力は選択的注意によって重み付けを受けた後に次の処理段階(CMニューロン)で競争的に統合されると考えられる。選択的注意機構が完全には働かないためにCニューロン、Mニューロンには一部行動に関係ない情報が表現されている。しかしこれらが競争的に統合された次の段階(CMニューロン)では行動に関係のない情報は排除され、その結果正しい行動が選択できると考えられた。

 思考に葛藤をもたらすもう一つの状況として外的刺激が指示する行動と動機付けが指示する行動が異なる場合がある。例えば、宿題をやりたくないけれど、先生に言われて明日までにやらなければならない場合などである。ある行動をしたいかどうかは動機付けと呼ばれる。動機付けが高ければ行動は早く正確になり、動機付けが低ければ行動は遅く不正確になることは我々がしばしば経験することで、動物の行動実験でも示されている(Kawagoe et al. 1998; Leon & Shadlen 1999)。このような動機付けの行動への影響とその生理学的基盤を調べるために、ニホンザルに非対称型の報酬条件を用いて記憶誘導性眼球運動課題を遂行させた(1CR課題)。サルはCRT上に短時間呈示されたターゲット刺激を見て遅延期間中その場所を記憶し、遅延期間後に記憶した場所に眼球運動を行わなければならない。ターゲット刺激には色がついており、例えば赤のときは正反応後に報酬が与えられ、黄色の時は報酬が与えられない。行動解析の結果、報酬のある試行に比べて報酬のない試行で誤反応が増え、正反応試行においても眼球運動の潜時が遅く、不正確になった。そこで動機付けによる行動の変化の神経機構を調べるためにLPFCの単一神経細胞活動の記録を行った。課題に関連した活動を示すLPFCニューロン226個中40〜45%がターゲット刺激の位置を弁別し、遅延期間にはその約半数が報酬期待の影響を受けていた。報酬期待の行動に及ぼす影響を定量的に評価するため、ニューロンのターゲット刺激位置弁別性を相互情報量で表現し、報酬のある条件と報酬のない条件でその情報量を比較した。その結果、神経活動が表現する位置情報はサルが報酬を期待するときに向上していることが明らかになった。一方、報酬のない条件で発火率が上昇する神経活動の多くは注視に関係していた。報酬のない試行では遅延期間中固視を止めることによる誤反応が多いことから、報酬のない試行を正しく行うにサルは遅延期間中より強く眼球運動を抑制していると考えられた。また、報酬のない試行で活動が上昇するニューロンの多くは眼球注視に関係していた。したがって、これらのニューロンは葛藤を制止して固視を継続することにより行動に関与している可能性がある。

 記憶誘導性眼球運動課題を遂行するためには、刺激の位置情報を保持する空間性作業記憶と遅延期間中に眼球運動を抑制して固視を行う機構が要求される。前頭前野にはこれら各機能に対応する神経活動がみられ、さらにそれぞれが報酬期待の影響を受け報酬条件による行動の変化に寄与していることが本研究から示唆された。

 以上の実験結果から認知的葛藤および動機付け葛藤のいずれの状況においてもLPFCは葛藤する情報の処理にかかわり、状況に応じた反応を行うことに貢献していると考えられた。外部情報がLPFCに入力されて行動情報に変換される際、選択的注意や動機付けが情報処理に影響を与えることにより、柔軟で高度な情報処理が可能となり行動の多様性を生み出していると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は認知課題の遂行に際して注意、動機付けが行動および神経活動に及ぼす影響を明らかにするため、認知課題を遂行するマカクザルの前頭前野単一神経活動を記録し、行動成績との比較を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1. 視覚情報を行動に結びつける際の選択的注意機構の影響を明らかにするために、マカクザルに選択的注意課題を訓練し行動を調べた。視覚刺激弁別GO/NOGO課題において刺激として行動を決定するための情報と、無視すべき情報を同時に提示した。無視すべき情報が正しい反応と一致しないincongruent条件と無視すべき情報が正しい反応と一致するcongruent条件とを比較するとincongruent条件で反応時間が遅延し誤反応が増加した。この結果から行動に関係のない情報が行動に影響をする干渉効果を生じることがわかった。

2. 行動に見られる干渉効果と神経機構の対応を調べるために、選択的注意課題を遂行中のマカクザル外側前頭前野の神経細胞活動記録を行った。外側前頭前野が視覚刺激情報を行動情報に変換するのに重要な役割を果たしていることが明らかとなった。さらにこの変換処理の初期には視覚情報のうち行動に関係しない情報も表現されていたが、変換処理の後期にはこのような行動に関係しない情報は除去される傾向がみられた。このような神経機構の存在が、行動における干渉効果を最小限にする上で重要な役割を演じていることが示唆された。

3. 作業記憶課題の遂行に及ぼす動機付けの影響を調べるために、報酬条件を制御した作業記憶課題を用いてサルの行動を調べた。その結果、報酬のある条件と比較して報酬のない条件で眼球運動が不正確になった。このことは作業記憶のための情報処理機構と報酬予測のための情報処理機構の間に相互作用があることを示唆している。

4. 空間性作業記憶課題の遂行に動機付けが及ぼす影響の神経基盤を調べるために外側前頭前野の神経細胞活動記録を行った。外側前頭前野において報酬期待によって空間性作業記憶にかかわる情報処理の精度が向上するという結果が得られており、これは行動成績と相関する。

以上、本論文は認知課題遂行に注意、動機付けが外側前頭前野神経活動に及ぼす影響を明らかにした研究である。特に神経活動と行動成績との対応により外側前頭前野を通して注意、動機付けの影響が行動に反映されることが明確に示されていることから、外側前頭前野の機能を解明する上で重要な貢献をなし学位の授与に値すると考えられる。

UTokyo Repositoryリンク