学位論文要旨



No 117318
著者(漢字) 林,俊宏
著者(英字)
著者(カナ) ハヤシ,トシヒロ
標題(和) 視覚性作動記憶における統合された物体と個々の属性の貯蔵に関する神経基盤
標題(洋) Neural correlates of integrated objects and individual features in visual working memory
報告番号 117318
報告番号 甲17318
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1926号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 杉下,守弘
 東京大学 教授 加我,君孝
 東京大学 教授 上野,照剛
 東京大学 教授 大友,邦
 東京大学 助教授 岩波,明
内容要旨 要旨を表示する

人間は複雑な認知作業を営むとき,それに必要な情報を一時的に保持し,その情報に操作を加えて処理を行ってゆく.この情報の保持と処理を支える一時的記憶システムを作動記憶(working memory)と言う(Baddeley, 1986).実際に人間が一度に扱うことの可能な情報量は限られている.それは,作動記憶の容量制限により規定されると考えられている.ここで,作動記憶への記憶負荷の増え方として,情報の項目数自体が増える場合と,個々の情報項目の複雑さが増える場合,に二分することが可能である.作動記憶の情報保持では,関連のある複雑な情報を一項目として括るチャンキング(chunking)が起こり,記憶負荷量はチャンク数に依存することが知られている(Miller, 1956).視覚性作動記憶では,個々の項目の属性の多少に関わらず4個までの項目(チャンク)が保持されることが示されている(LuckとVogel,1997).従って,情報の項目数自体またはチャンクが増える場合に対処する神経機構と,個々の情報項目の複雑さが増える場合とに対処する神経機構は少なくとも部分的には異なると考えられ,その異なった部分がチャンクの保持に関与している可能性が高いと考えられる.しかし,その神経機構の詳細についてはまだ知られていない.本研究では,ヒトを対象とした機能的磁気共鳴画像法(fMRI)を用いて,新たに開発した視覚性作動記憶課題を遂行中の脳活動を計測することにより,視覚性作動記憶における統合された物体と個々の属性の貯蔵に関する神経基盤の解明を目指した.

本研究では作動記憶の行動課題として視覚性連続再認課題(n-back課題)を用いた.n-back課題とは,連続提示される刺激中,n回前の刺激と同じ場合にだけ正反応を求められるという,情報の保持と操作・更新の両方が同時に要求される課題であり,作動記憶の神経機構を調べるためにしばしば用いられてきた(SmithとJonides, 1999).その中で作動記憶の負荷依存性を調べた過去の脳機能画像研究はn-backのnを増やした研究が殆どであり,その場合は情報保持の負荷と情報操作の負荷の両方がともに増えるので,全般的な作動記憶の負荷増加に反応する場所を検出するのには適するが,ある脳部位での賦活が,その部分での情報保持・表象増加によるものなのか,それとも情報処理の増加によるものなのか,という区別はつかなかった.従って,本研究では,情報保持の神経機構のみに注目するために,情報保持は必要だが情報操作の負荷のない1-back課題を作動記憶課題とし,情報保持と情報操作双方の負荷のない0-back課題をコントロール課題とした.一方,従来の情報保持の負荷に関する脳機能画像研究は,記憶負荷の変数が覚える項目数のみであったので,賦活部位での記憶表象の具体的な内容までは全く分からなかった.従って,本研究では,記憶負荷の変数として,項目数(1または3本の線分),及び,各項目の属性数(線分の色と傾き)の,2変数を取ることにより,賦活部位での記憶表象の内容に迫ることを意図した.ここで,個々の属性の保持に関連する脳部位は,記憶すべき項目数及び各項目の属性数の双方の負荷に対する感受性があると想定される.一方で,統合された物体(チャンク)の保持に関連する脳部位は,項目数に対する感受性はあるが,各項目の属性数に対する感受性はないと想定される.

まず,視覚性作動記憶に関連する脳部位を同定するために,1-back課題条件と0-back課題条件の差分を取った.両側の前頭葉腹外側部,中前頭回後部,帯状回,島回,上頭頂小葉,頭頂間溝,下頭頂小葉,楔前部,下・中後頭回,紡錘回,視床に賦活を認め,これは従来の視覚性作動記憶に関する脳機能画像研究の結果と合致するものであった.今後の解析は,これらの視覚性作動記憶関連部位に対象を絞った.次に,視覚性作動記憶関連部位のなかで,項目数に対する記憶負荷感受性を持つ部位を同定するために,項目数3条件と項目数1条件の差分を取った.視覚性作動記憶関連部位は左右両側性であったのに対して,項目数記憶負荷感受性領域は,前頭葉に関しては右半球が優位であった.賦活部位は,右側の前頭葉腹外側部,中前頭回後部,及び両側の上頭頂小葉,頭頂間溝,下頭頂小葉,中後頭回,紡錘回であった.さらに,視覚性作動記憶関連部位のなかで,属性数に対する記憶負荷感受性を持つ部位を同定するために,属性数2条件と属性数1条件の差分を取った.賦活部位は,両側の上頭頂小葉,頭頂間溝,楔前部,左下後頭回であった.従来,視覚性作動記憶は前頭前野と後部頭頂葉と高次視覚野を中心とした広範囲な脳内ネットワークによって支えられていると考えられていたが,実際にはそれぞれの脳部位により記憶負荷に対する感受性の種類が異なることが判明した.その理由として,保持された記憶表象の種類が脳部位により異なることが考えられる.

これらの視覚性作動記憶関連部位に保持された記憶表象が,統合された物体(チャンク)に関連するものなのか,それとも個々の属性の保持に関連するものかを検討するために,以上の結果を元にさらに解析を進めた.まず,個々の属性の保持に関連する脳部位は,記憶すべき項目数及び各項目の属性数の双方の負荷に対する感受性があると想定される.従って,本実験の枠組みでは,項目数記憶負荷感受性領域と属性数記憶負荷感受性の共通領域を求めればよい.その脳部位(図Aの緑色部位)は,両側の上頭頂小葉と頭頂間溝,左下後頭回,右紡錘回,左楔前部であった.次に,統合された物体(チャンク)の保持に関連する脳部位は,項目数に対する感受性はあるが,各項目の属性数に対する感受性はないと想定される.従って,本実験の枠組みでは,項目数記憶負荷感受性領域から,属性数記憶負荷感受性を少しでも示す領域(実際には,p=0.05 uncorrectedにて効果を認めた領域)を除いた部位を求めればよい.その脳部位(図Aの赤色部位)は,右側の前頭葉腹外側部前部,中前頭回後部,中心後回,上頭頂小葉,頭頂間溝,下頭頂小葉,中後頭回,紡錘回であった.さらに,各項目の属性数に対する感受性はあるが,項目数に対する感受性はない部位として,属性数記憶負荷感受性から,項目数記憶負荷感受性領域を少しでも示す領域(実際には,p=0.05 uncorrectedにて効果を認めた領域)を除いた部位を求めることにより,楔前部が同定された(図Aの青色部位).

作動記憶は前頭前野と後部頭頂葉と高次視覚野を中心とした広範囲な脳内ネットワークによって支えられていると考えられていたが,それらの機能区分に関する十分な知見はなかった(Cohenら,1997).しかし,本研究により,実際にはそれぞれの脳部位により記憶負荷に対する感受性の種類が異なることが判明した.その理由として,保持された記憶表象の種類が脳部位により異なることが考えられ,個々の属性の保持に関連する主要な脳部位は両側の上頭頂小葉と頭頂間溝であり,統合された物体(チャンク)の保持に関連する主要な脳部位は,右側の前頭葉腹外側部前部であった.この結果は,作動記憶の神経機構に関して,前頭前野はチャンクの保持などの制御的役割を,後部頭頂葉は個々の属性の保持などの貯蔵的役割を果たし,それらの相互作用により,チャンキングが起こることを示唆するものである.

A

B

C

(A)個々の属性の保持に関連する脳部位(緑色),統合された物体(チャンク)の保持に関連する脳部位(赤色),各項目の属性数に対する感受性のみ示す脳部位(青色)(B)代表的な賦活部位における各記憶負荷条件の賦活効果のグラフ(I:項目数,A:属性数).

座標はTalairach空間座標を示す.(C)代表的な賦活部位における項目数記憶負荷感受性(実線)と属性数記憶負荷感受性(点線).

審査要旨 要旨を表示する

本研究は,認知作業に必要な情報の保持と処理を支える一時的記憶システムである作動記憶の神経基盤の究明を試みるものであり,下記の結果を得ている.

1.作動記憶の複合的な機能のうち情報保持機能に特化した分析を行うために,情報保持は必要だが情報操作の負荷のない視覚性連続再認課題(1バック課題)を基礎とし,記憶負荷の変数として,記憶項目数および各記憶項目の属性数の2変数を用いた,新たな視覚性作動記憶を考案した.

2.視覚性作動記憶に関連する脳部位を同定するために,ヒトを対象として,今回考案された視覚性作動記憶を遂行中の脳活動を機能的磁気共鳴画像法を用いて計測した.視覚性連続再認課題(1バック課題)遂行中の脳機能画像とコントロール課題(0バック課題)遂行中の脳機能画像の差分を取ることにより,視覚性作動記憶に関連する脳部位として,両側の前頭葉腹外側部,中前頭回後部,帯状回,島回,上頭頂小葉,頭頂間溝,下頭頂小葉,楔前部,下・中後頭回,紡錘回,視床に賦活を認めた.

3.視覚性作動記憶関連部位の記憶負荷感受性を調べるために,項目数および属性数の2変数,それぞれに相関する部位を同定した.視覚性作動記憶関連部位は左右両側性であったのに対して,項目数記憶負荷感受性領域は,前頭葉に関しては右半球が優位であった.賦活部位は,右側の前頭葉腹外側部,中前頭回後部,及び両側の上頭頂小葉,頭頂間溝,下頭頂小葉,中後頭回,紡錘回であった.また,属性数記憶負荷感受性を持つ部位は,両側の上頭頂小葉,頭頂間溝,楔前部,左下後頭回であった.従来,視覚性作動記憶は前頭前野と後部頭頂葉と高次視覚野を中心とした広範囲な脳内ネットワークによって支えられていると考えられていたが,実際にはそれぞれの脳部位により記憶負荷に対する感受性の種類が異なることが判明した.

4.これらの視覚性作動記憶関連部位に保持された記憶表象が,統合された物体(チャンク)に関連するものなのか,それとも個々の属性の保持に関連するものかを検討した.個々の属性の保持に関連する脳部位は,項目数記憶負荷感受性領域と属性数記憶負荷感受性の共通領域をとることによって求められ,その脳部位は,両側の上頭頂小葉と頭頂間溝,左下後頭回,右紡錘回,左楔前部であった.次に,統合された物体(チャンク)の保持に関連する脳部位は,項目数記憶負荷感受性領域と,属性数記憶負荷非感受性領域の共通領域をとることにより求められ,その脳部位は,右側の前頭葉腹外側部前部,中前頭回後部,中心後回,上頭頂小葉,頭頂間溝,下頭頂小葉,中後頭回,紡錘回であった.

以上,本論文は,作動記憶の神経機構に関して,従来は領域間の機能区分に関する十分な知見のなかった前頭連合野と頭頂連合野を中心とした広範囲な脳内ネットワークについて,各脳領域の記憶負荷感受性に注目することにより,前頭連合野はチャンクの保持などの制御的役割を,頭頂連合野は個々の属性の保持などの貯蔵的役割を果たすことを明らかにした.本研究は記憶の神経機構の解明に重要な貢献をなすと考えられ,学位の授与に値するものと考えられる.

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