学位論文要旨



No 117330
著者(漢字) 浅川,雅子
著者(英字)
著者(カナ) アサカワ,マサコ
標題(和) 心筋ドップラー法による左室および左房心筋運動速度の検討
標題(洋)
報告番号 117330
報告番号 甲17330
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1938号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高本,眞一
 東京大学 助教授 川久保,清
 東京大学 客員助教授 山崎,力
 東京大学 講師 平田,恭信
 東京大学 講師 竹中,克
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要旨

1.背景・目的

 心臓は絶え間なく収縮し血液を駆出するポンプである。したがって、心機能の評価法として左心室の収縮能の指標は広く使用される。しかし、心臓が血液を駆出するためには、左室の円滑な拡張による左房から左室への拡張期血液流入が必須である。近年、臨床現場で非観血的に左室拡張能を評価する方法の進歩がめざましく、心エコーの発展により、心機能評価は非観血的かつ簡便に計測が可能となった。なかでも拡張能異常が心機能に及ぼす影響が注目され、拡張機能をいかに評価するかが様々な方向から検討されている。拡張能評価法として心エコーの果たす役割は非常に大きい。左房から左室への血液流入は左室拡張期に二峰性に生じる。肺静脈から左房への血液流入により左房圧が左室圧を凌駕すると僧帽弁が開放し、左室の能動拡張に伴って拡張早期流入波E波が生じ、それ続く心房収縮により心房収縮波A波が形成される。このふたつの波は心筋拡張率と二腔のコンプライアンスによる左室左房間圧較差に依存し、この比E/Aが拡張能を示し、拡張障害は通常3つの段階に分類される。1)左室弛緩遅延と代償的心房収縮増加の結果である左房左室間の拡張早期圧較差の低下に起因する左室弛緩異常、次の段階として、2)左室弛緩遅延を代償した左房圧上昇を伴うにもかかわらず、一見正常と変わらない左室流入血流波形を示す偽正常化期、さらに3)拡張早期左室圧の急速な上昇と心筋コンプライアンス低下により拡張早期E波の増高を示す最重症期の拘束型期がある。

 従来この左室流入血流速度波形の流入パターンを利用して拡張能評価がされてきたが、このほか経食道心エコーの利用やカラードップラー法やストレインレート法など新技法も発達してきた。しかし、臨床医学の場で実用化するためには、簡便性と患者負担の少ない検査であることは重要な要素となる。心筋内パルスドップラー法は新技術の中でも、従来のパルスドップラー法を応用して心筋運動速度を記録する方法なので、特殊な機械は必要なく、オンラインで即結果がわかり、身体的、時間的な患者負担が少ない優れた方法である。パルスドップラー法はもともと血液の流れの速度を測る方法で、設定したサンプルポイントを通過する赤血球の動きをとらえて、ドップラー信号は弱いが速度の速い波形を形成する。心筋組織の動きはそれに比べると低速だが、ドップラー信号自体はかなり強い。この高振幅で低速度シグナルを、ハイパスフィルターを通さず、自己相関演算器に入力して白黒断層像表示し、サンプルボリュームを設定して、FFT解析による速度表示することで局所心筋速度をドップラー法で計測することができるようになった。心筋運動速度を利用した研究では、僧帽弁輪部、左室などの速度計測が報告され始めているが、左房運動速度の報告はいままでにない。

 本研究では心筋運動速度計測の臨床的有用性を検討すべく、左室における心筋運動速度記録、左房における心筋運動速度記録から各種疾患の病態を評価ができるかどうか検討した。

2.方法と結論

 心エコーパルスドップラー法による心筋運動速度記録は、心尖部アプローチ長軸像で、左室僧帽弁尖レベル、僧帽弁輪レベルおよび左房レベルの後壁の3カ所から検討目的により計測部位を選択した。

 対象疾患として左室収縮不全心と慢性心房細動電気的除細動後症例を検討した。

 拡張型心筋症は心筋が傷害され、びまん性に左室収縮不全を来す代表的な疾患で、剖検報告で線維化は左室のみならず左房にも強く観察されることが報告されている。このことを経胸壁心エコーにおける心筋運動速度記録から評価可能かどうかを検討するために、左室および左房心筋運動速度を記録計測した。

 1)左室後壁運動速度記録の有用性: 左室収縮不全症例を左室流入血流速度拡張早期波Eと心房収縮波Aの比E/AとE波減速時間DTにより2群(偽正常化群20例、1≦E/A≦1.5かつDT≦200msec、拘束型流入群16例、1.5<E/A、DT≦160msec)に分類し、年齢を一致させた対照群22例と比較した。偽正常化群では左室後壁運動速度拡張早期波LV-Eおよび心房収縮波LV-Aともに対照群と比較して有意に小で(LV-E対照群12.5±3.5cm/sec、偽正常化群8.1±3.1cm/sec、LV-A対照群7.7±2.2cm/sec、偽正常化群5.0±1.7cm/sec、いずれもp<0.01)左室流入血流速度では有意差のない偽正常化群と対照群の鑑別が可能だった。

 2)心房壁運動速度記録の有用性: 左室収縮不全症例を左室流入血流速度波形E/AとDTにより3群(弛緩異常群10例、E/A<1かつ240ms≦DT、偽正常化群10例、1≦E/A≦1.5かつDT≦200msec、拘束型流入群5例、1.5<E/A、DT≦160msec)と対照群13例で比較検討した。運動速度記録は左室、弁輪部、左房の3カ所で行った。各部位における心房収縮波は左室(LV-A)<弁輪部(MA-A)<左房(LA-A)の順に有意に大だった。心房運動速度心房収縮波LA-Aは弛緩異常群、偽正常化群では対照群と有意差がなかったが、拘束型流入群では有意に小だった(対照群13.0±3.4cm/sec, 拘束型流入群5.8±2.4cm/sec p<0.01)。左室後壁や僧帽弁輪部の心房収縮波では対照群との有意差は認めなかった(弛緩異常群13.6±5.4cm/sec, 偽正常化群11.2±3.9cm/sec)。

 3)心房運動速度の臨床応用として、心房細動除細動後の心房運動速度を記録した。心房細動は電気的、機能的心房活動の停止と位置づけられ、心房細動除細動後の心房筋はいわゆる"stunning"を起こしており、除細動直後には電気的にも機械的にも定常状態ではない。このとき心房運動速度の観察で心房細動除細動後の洞調律維持予測が可能かどうかを検討した。左室、弁輪、左房の各後壁3カ所で除細動後2時間後と24時間後に心筋運動速度を記録し、心房収縮波の増加量をΔとし、除細動後一日以上洞調律が維持できた30例を一ヶ月以内に再発したか否かで、2群に分類(成功群13例、再発群17例)、比較した。左房運動速度ΔLA-Aのみが成功群で有意に大きく(成功群2.3±1.5cm/sec、再発群0.3±1.4cm/sec、p<0.001)、一ヶ月後の洞調律維持予測が可能だった。

3.考察

心筋パルスドップラー法

 血流ドップラー法がグローバルな心機能評価に利用されるのに対し、心筋パルスドップラー法による心筋運動速度では局所の心機能評価が可能である。一方で近年、技術の進歩に伴い、心筋ドップラーで得られる速度情報をコンピューター処理することによる新手法が開発されてきたが、その多くは、結果解析がオフラインで行うため、時間と手間がかかり、実際の臨床検査で広く取り入れられるまでには至ってない。心筋パルスドップラー法は、従来から行われてきたパルスドップラー法の原理に従った簡便な計測法なので、一般の市販超音波装置で施行可能である。本論文ではこの心筋ドップラー法の心機能評価における臨床的有用性を検討した。

 現在まで左室拡張能指標としての心筋運動速度計測は、僧帽弁輪部運動速度を利用するものが多かった。僧帽弁輪部は左房と左室の相互作用評価に有用であるという報告もあり、僧帽弁輪部運動速度は左室の心尖部から心基部までの運動に加え、左房運動の影響も受けていることは間違いない。以上の考察を踏まえ、本来の局所心機能評価という目的に立ち返り、左室機能評価は左室局所の運動速度で、左房機能の評価は左房壁の運動速度で、各々評価する必要があると考える。

左室心筋速度の有用性

 左室流入血流速度が偽正常化しているときに左室心筋運動速度では偽正常化は起こらずにLV-E波は偽正常化群ですでに対照群よりも減高しており、これは左室心筋の拡張能をより直接示唆する所見と考える。同時に対照群と比較して偽正常化群でLV-A波の速度低下も認めたが、これは間接的な心房収縮のデータであり、心房心筋運動速度による検討が必要と考えた。

左房心筋速度の有用性

 本研究では左室収縮不全心における左房心筋ポンプ障害を左房心筋運動速度により評価し得た。偽正常化期のLV-A波、MA-A波はすでに対照群より低下していて、これは左室流入血流速度による受動的運動を反映した、血流の影響を受けた結果の心筋運動速度であり、直接左房ポンプ機能の低下を示すものではないと考えられる。LA-A波だけが偽正常化期まで保たれるという、他の指標とは異なる推移を示したことは、LA-A波がより直接的な心房ポンプ機能を反映していることを示唆すると考える。従来左房機能評価には、経食道心エコーを必要とする肺静脈血流や左心耳を利用することが多い。経食道心エコーは検査のための準備が必要で、患者侵襲の点でも負担が大きい。しかし経胸壁心エコーで評価可能な心筋ドップラー法による左房心筋運動速度は、経食道心エコーに代わりうる検査法として、簡便性、患者負担軽減も含めて、拡張能評価や心房機能評価において優れた方法であると考える。

心房細動電気的除細動後の洞調律維持

 心房細動除細動後の心房運動速度の回復の観察により、洞調律維持予測が可能だった。従来も左房径や左心耳速度など様々な要素から洞調律維持予測がされてきたが、それぞれの報告により結果は異なり、未だゴールドスタンダートとなる指標が確立していない。本研究で心房細動再発群においてΔで示しように左房運動速度が除細動後早期に回復してこないことは電気的、機械的stunningを反映するだけではなく、左房ポンプ機能低下のために、除細動後も洞調律維持できる左房機能がないことを示していると考える。このような時間的変化は左室流入血流速度や他部位の心筋速度では認められず、心房で心筋運動速度を計測することが左房機能評価に有用であることが示唆された。

まとめ:

 心筋パルスドップラー法による心筋運動速度は血行動態の影響が少なく、拡張能評価、心房機能評価での臨床的有用性が示された。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、心エコードップラー法を応用した心筋運動速度計測が、拡張機能評価に有用であることを明らかにした研究で、以下の結果を得ている。

1)左室後壁運動速度記録の有用性: 左室収縮不全症例を左室流入血流速度拡張早期波Eと心房収縮波Aの比E/AとE波減速時間DTにより2群(偽正常化群1≦E/A≦1.5かつDT≦200msec、拘束型流入群1.5<E/A、DT≦160msec)に分類し、対照群と比較した。偽正常化群では左室後壁運動速度拡張早期波LV-Eおよび心房収縮波LV-Aともに対照群と比較して有意に小で、左室流入血流速度では有意差のない偽正常化群と対照群の鑑別が可能だった。

2)心房壁運動速度記録の有用性: 左室収縮不全症例を左室流入血流速度波形E/AとDTにより3群(弛緩異常群E/A<1かつ240ms≦DT、偽正常化群1≦E/A≦1.5かつDT≦200msec、拘束型流入群1.5<E/A、DT≦160msec)と対照群で比較検討した。運動速度記録は左室、弁輪部、左房の3カ所で行った。

 2)-1 各部位における心房収縮波は左室(LV-A)<弁輪部(MA-A)<左房(LA-A)の順に有意に大だった。

 2)-2 心房運動速度心房収縮波LA-Aは弛緩異常群、偽正常化群では対照群と有意差がなかったが、拘束型流入群では有意に小だった。左室後壁や僧帽弁輪部の心房収縮波では対照群との有意差は認めなかった。

3)心房運動速度の臨床応用として、心房細動除細動後の心房運動速度を記録した。心房細動は電気的、機能的心房活動の停止と位置づけられ、心房細動除細動後の心房筋はいわゆる"stunning"を起こしており、除細動直後には電気的にも機械的にも定常状態ではない。このとき心房運動速度の観察で心房細動除細動後の洞調律維持予測が可能かどうかを検討した。左室、弁輪、左房の各後壁3カ所で除細動後2時間後と24時間後に心筋運動速度を記録し、心房収縮波の増加量をΔとし、除細動後一日以上洞調律が維持できた30例を一ヶ月以内に再発したか否かで、2群に分類(成功群13例、再発群17例)、比較した。左房運動速度ΔLA-Aのみが成功群で有意に大きく(成功群2.3±1.5cm/sec、再発群0.3±1.4cm/sec、p<0.001)、一ヶ月後の洞調律維持予測が可能だった。

 以上、心筋運動速度の臨床的有用性を示した論文である。とくに、左房心筋運動速度記録の報告は今までになく、左房の心筋運動速度が記録、評価可能であることを明らかにした。また左房心筋運動速度は、一部のデータが経食道心エコー法に代わる評価法となりうることが示唆された研究である。これらの方法を臨床応用することは、さらなる病態の評価につながるものと期待され、臨床的に貢献度の高い研究であり、学位の授与に値するものと考えられる。

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