学位論文要旨



No 117332
著者(漢字) 笠岡,祐二
著者(英字)
著者(カナ) カサオカ,ユウジ
標題(和) 心房細動の抑制に関する実験的・臨床的検討
標題(洋)
報告番号 117332
報告番号 甲17332
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1940号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高本,眞一
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 助教授 川久保,清
 東京大学 講師 平田,恭信
 東京大学 講師 竹中,克
内容要旨 要旨を表示する

背景・目的

 発作性心房細動は日常臨床において遭遇する機会の多い上室性不整脈であり、その適切な管理は大きな課題である。近年進展の著しいカテーテルアブレーション、ペーシング療法、植え込み型心房除細動器などの非薬物療法は一定の効果を挙げてはいるものの、その適応には限界がある。したがって発作性心房細動に対する治療の主体は依然としてI群抗不整脈薬を中心とした薬物療法であるが、その治療成績は現状では満足すべきものではない。一方で発作性心房細動に対する副交感神経系の関与について臨床的・実験的に多くの報告があり、I群抗不整脈薬の有する抗コリン作用が薬剤の抗細動効果の向上に結びつく可能性が示唆される。I群抗不整脈薬の有する抗コリン作用が実際に薬剤の抗細動効果を増強しうるか否かを知る目的で、2つの研究をおこなった。抗コリン作用強度の異なるI群抗不整脈薬を用いて、(研究1)ではイヌ迷走神経刺激心房細動モデルにおける抗細動効果を、(研究2)では、器質的心疾患のない左室収縮能正常の発作性心房細動における治療成績を比較検討した。

研究1−方法

 α−クロラロース麻酔開胸犬41頭(8-16kg)を用い、迷走神経刺激として10Hz、2msecのパルス刺激を右迷走神経に加えた。ジソピラミド(1、2mg/kg)、シベンゾリン(0.75、1.5mg/kg)、プロカインアミド(5、10mg/kg)、硫酸アトロピン(0.005、0.01mg/kg)の各薬剤または生理食塩水投与前後で、心房有効不応期、心房間伝導時間を測定した。また薬剤の抗コリン作用の指標として、迷走神経刺激電流を漸増して洞周期が50%延長する電流値(洞周期閾値)を求め、薬剤の抗細動効果の指標として高頻度刺激で心房細動を誘発した後、迷走神経刺激電流を漸減して心房細動が停止する電流値(心房細動閾値)を求めた。

研究1−結果

 各抗不整脈薬の血中濃度は高用量ではいずれも正常下限付近であった(ジソピラミド:1.17±0.25 mg/L [2 mg/kg]、シベンゾリン:0.31±0.04 mg/L [1.5 mg/kg]、プロカインアミド:5.1±0.6 mg/L [10 mg/kg])。硫酸アトロピンにより心房有効不応期に有意な変化は見られなかったが、洞周期閾値、心房細動閾値の上昇は有意であった(洞周期閾値:0.09±0.04 mA→0.20±0.08 mA [0.01mg/kg]、p<0.05、心房細動閾値:0.8±0.05mA→0.18±0.05mA [0.01mg/kg]、p<0.05)。基本周期150 msecと200 msecの間では、抗不整脈薬間で心房有効不応期と心房間伝導時間から算出される興奮波長に有意差は認められなかった。洞周期閾値は抗不整脈薬の中でジソピラミドにおいてのみ有意な上昇を示した(0.09±0.04 mA→0.35±0.08 mA [2 mg/kg]、p<0.001)。心房細動閾値の増加は抗不整脈薬のいずれも有意であったが、顕著な増加を示したのはジソピラミドのみであり、シベンゾリン、プロカインアミドの間では有意差は認められなかった(ジソピラミド:0.10±0.05 mA→0.50±0.10 mA [2 mg/kg]、p<0.001、シベンゾリン:0.09±0.04 mA→0.18±0.03 mA [1.5 mg/kg]、p<0.005、プロカインアミド:0.08±0.03 mA→0.13±0.07 mA [10 mg/kg]、p<0.05)。

研究2−方法

 東京大学医学部附属病院及びその関連病院において、1996年以降にジソピラミド、シベンゾリン、ピルジカイニドにより発作性心房細動の治療をおこなった患者のうち、自覚症状と発作の対応が確実で、心エコー上左室駆出分画が正常で器質的心疾患のない116人を後ろ向きに解析した。2年間の観察期間中に同一薬物治療が中止・変更されることなく継続される期間(治療継続期間)を用いてKaplan-Meier法を適用し、log-rank検定をおこなった。さらに自覚的な発作の好発時間帯に基づくサブグループ解析をおこなった。

研究2−結果

 使用薬剤により患者を3群に分けると、ジソピラミドは49人、シベンゾリンは26人、ピルジカイニドは39人となった。各群の臨床的背景は、β遮断薬の併用率がジソピラミドで高いことを除いて有意差を認めなかった。好発時間帯が夜型の群では、6カ月、2年経過時点での治療継続率はそれぞれ、ジソピラミドが61、49%、シベンゾリンが50、50%、ピルジカイニドが56、24%で、ピルジカイニドの治療継続率がジソピラミド、シベンゾリンに劣る傾向がみられたが、夜型、昼型+不定型のいずれのサブグループにおいてもジソピラミドに対するシベンゾリン、ピルジカイニドの治療継続率に有意差は認められなかった(夜型:それぞれp=0.80、0.19、昼型+不定型:それぞれp=0.51、0.88)。β遮断薬併用の有無によるサブグループで解析したところ、夜型に限定するとβ遮断薬の併用による有意な治療継続期間の延長が認められた(p=0.04)。ジソピラミドにおけるβ遮断薬併用率の高さがバイアスとなる可能性を排除するために、β遮断薬非併用例での解析を追加したが、好発時間帯が夜型、昼型+不定型のいずれにおいても、ジソピラミドとシベンゾリン、ピルジカイニドの間で有意な治療効果の差は認めなかった(夜型:それぞれp=0.92、0.19、昼型+不定型:それぞれp=0.64、0.66)。2年間で78人(67%)の薬物治療が中止、他剤に変更された。このうち抗コリン作用に基づく副作用によりジソピラミドでは4人(8%)の治療が中止されたが、シベンゾリンでは中止例は観察されなかった。

考察

 心拍変動解析では、一部の心房細動において発作性心房細動の発生直前に高周波成分の増加が認められる。またホルター心電図を用いた解析からは、発作性心房細動の発生、維持、停止について、食事や睡眠との関連を示唆するサーカディアンリズムの存在が知られている。実験的にも迷走神経に対する電気刺激によって心房細動の誘発が可能となり、誘発された心房細動は迷走神経刺激の中止によって容易に停止する。こうした観察は発作性心房細動における副交感神経系の関与の重要性を支持する。

 薬理学的迷走神経遮断(硫酸アトロピン0.04 mg/kg投与)では、心房有効不応期が若干の延長を示すことが報告されているが、(研究1)における検討(硫酸アトロピン積算0.01 mg/kg投与)では、有意な延長は認められなかった。このことは、コントロールの状態で迷走神経緊張が存在することと、今回用いた硫酸アトロピンの投与量ではそれに十分に拮抗できなかったことを意味する。ところが、同じ硫酸アトロピンの投与量によって心房細動閾値については増加が認められている。これはコントロールの状態で存在する迷走神経緊張に、今回用いた投与量の硫酸アトロピンで拮抗しうる程度の迷走神経刺激を付加することで、十分に心房細動の出現が容易になることを示唆する。したがって今回の検討で用いた迷走神経刺激は、概ね生理的な範囲の強度であることが推測され、この生理的な範囲の迷走神経刺激が実際に心房細動の出現を容易にすることを示唆するものと考えられた。

 (研究1)では迷走神経刺激強度を可変的とする従来にはない迷走神経刺激心房細動モデルを採用した。これにより従来より弱い迷走神経刺激強度の下で、より生理的な迷走神経活動に近似する状態での薬剤の作用の観察を可能とした。このモデルにおいてI群抗不整脈薬本来のNa、Kチャネル遮断作用による心房細動抑制作用と協同して、I群抗不整脈薬の有する抗コリン作用が抗細動効果の向上に寄与することが明らかとなった。また、ヒトの治療域と同等のレベルの薬剤血清濃度において抗細動効果の向上に寄与するのに十分な抗コリン作用を有するのは、ジソピラミド、シベンゾリン、プロカインアミドの中ではジソピラミドのみであった。抗不整脈薬の新しい分類として世界的に用いられるSicilian Gambitでは、ジソピラミドとシベンゾリンの抗コリン作用を区別なく扱っているが、この記載の問題点が本研究により示された。さらに抗コリン作用の有無によってI群抗不整脈薬による心房細動停止の機序に差がないこと、及び従来の仮説のように心房細動停止の機序が興奮波長の延長によるものではない可能性が示唆された。

 (研究2)では、器質的心疾患をもたず、心エコー上左室駆出率が正常な有症候性の発作性心房細動に対するジソピラミド、シベンゾリン、プロカインアミドの治療継続期間を比較検討した。このような自律神経活動の影響が比較的強いと考えられる発作性心房細動が対象でも、抗コリン作用の強度が異なるジソピラミドとシベンゾリン、プロカインアミドとの間で有意な治療継続期間の差が認められないことが示された。また、これらの抗不整脈薬の選択に際して、発作の好発時間帯を考慮することは有意義ではないことが明らかとなった。一方で従来の通説と異なり、β遮断薬の併用は夜型の発作性心房細動に対して著明な治療継続期間の延長をもたらし、β遮断薬の併用を考慮する場合、発作の好発時間帯を確認することに意義がある可能性が示唆された。

 イヌの健常心臓における心房細動とは異なり、臨床的な発作性心房細動では、それを孤立性心房細動に限定しても、背景に心房筋の繊維化、変性、虚血などの異常の存在が想定され、自律神経活動の関与についても必ずしも一律ではないと考えられる。このことが、臨床的な発作性心房細動における迷走神経活動の寄与は相対的に小さくし、(研究1)と(研究2)の結果の間に解離を生じた理由と推察される。

審査要旨 要旨を表示する

 一部の発作性心房細動に対して副交感神経系の活動が密接に関与するという臨床的・実験的な報告が数多くなされている。発作性心房細動の薬物療法に汎用されるI群抗不整脈薬の中には抗コリン作用を有するものが存在し、このことが効率的な薬物療法に結びつく可能性が示唆される。本研究ではI群抗不整脈薬の有する抗コリン作用が、実際に抗不整脈薬本来のNaチャネル、Kチャネル抑制効果と協同して、抗細動効果を増強しうるか否かについて主に検討した.以下に研究結果の要点を示す。

 1.従来の迷走神経刺激心房細動モデルでは、迷走神経刺激強度として抗不整脈薬の有する抗コリン作用を相殺し、かつ概ね洞調律下で洞停止を来すレベルを基準として設定され、実験の間を通じて一定レベルで保持されている。このため、従来のモデルでは抗不整脈薬の有する抗コリン作用自体の評価は不可能で、迷走神経刺激強度は非生理的レベルとなる可能性があった。今回この問題点を克服するため、迷走神経刺激強度を可変的として、従来より弱い迷走神経刺激強度の下で、より生理的な迷走神経活動に近似する状態での薬剤の作用の観察を可能とした。

 2.今回採用したイヌ迷走神経刺激心房細動モデルにおいて、I群抗不整脈薬本来のNaチャネル、Kチャネル遮断作用による心房細動抑制作用と協同して、I群抗不整脈薬の有する抗コリン作用が抗細動効果の向上に寄与することが明らかとなった。

 3.ヒトの治療域と同等のレベルの薬剤血清濃度において抗細動効果の向上に寄与するのに十分な抗コリン作用を有するのは、ジソピラミド、シベンゾリン、プロカインアミドの中ではジソピラミドのみであった。抗不整脈薬の新しい分類として世界的に用いられるSicilian Gambitでは、ジソピラミドとシベンゾリンの抗コリン作用を区別なく扱っているが、この記載の問題点が本研究により示された。

 4.抗コリン作用の有無によってI群抗不整脈薬による心房細動停止の機序に差がないこと、及び従来の仮説のように心房細動停止の機序が興奮波長の延長によるものではない可能性が示唆された。

 5.器質的心疾患をもたず、心エコー上左室駆出率が正常な有症候性の発作性心房細動は、自律神経活動の影響が比較的強いと考えられるが、このような発作性心房細動を対象としても、抗コリン作用の強度が異なるジソピラミドとシベンゾリン、プロカインアミドとの間で有意な治療継続期間の差が認められないことが示された。

 6.これらの抗不整脈薬の選択に際して、自覚症状に基づく発作の好発時間帯を考慮することは有意義ではないことが明らかとなった。

 7.β遮断薬の併用は夜型の発作性心房細動に対して著明な治療継続期間の延長をもたらし、β遮断薬の併用を考慮する場合、自覚症状に基づく発作の好発時間帯を確認することに意義がある可能性が示唆された。

 以上、心房細動抑制に関する実験的及び臨床的な検討を、I群抗不整脈薬の有する抗コリン作用に着目しておこなった。本研究は抗不整脈薬による心房細動停止機序の中で、抗不整脈薬の有する抗コリン作用がどのように位置づけられるかを初めて明らかにすると同時に、現在世界的に用いられているSicilian Gambitの記載の不備を指摘し、今後のより合理的な不整脈の薬物治療確立のための基本的な貢献をなした。さらに、こうした知見が実地診療に応用される際の問題点を併せて指摘し、今後臨床的に検討すべき課題を鮮明とした。以上の観点から、今回の研究は抗不整脈薬による心房細動抑制についての知見の質的向上に重要な寄与をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる.

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