学位論文要旨



No 117336
著者(漢字) 保田,壮一郎
著者(英字)
著者(カナ) ヤスダ,ソウイチロウ
標題(和) 新しいカーボンファイバーを用いた単一心筋細胞の収縮機能測定法
標題(洋) A novel method to study contraction characteristics of a single cardiac myocyte using carbon fibers
報告番号 117336
報告番号 甲17336
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1944号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高本,眞一
 東京大学 教授 矢作,直樹
 東京大学 助教授 小塚,裕
 東京大学 講師 平田,恭信
 東京大学 講師 竹中,克
内容要旨 要旨を表示する

 心不全や心機能低下症例の新たな治療法として心臓の収縮機能を改善する遺伝子治療が注目され様々な実験系で研究が進められている。このうち個体レベルの実験は臨床に類似した条件での評価が可能であるが、心筋の遺伝子導入部位と非導入部位が混在し、さらに生体の複雑な代償機転の影響を受けるため、遺伝子導入部位を特定し収縮機能の改善を評価する目的には不適と思われる。また、乳頭筋などの多細胞の集合標本は代償機転を除外できるもののやはり遺伝子導入および興奮収縮過程の不均一性があり収縮機能の厳密な評価は困難である。単一心筋細胞標本はこのような問題を持たない上に高い遺伝子導入効率を実現できるという利点を持つ実験系である。従って全身の適応の破綻としての心不全の評価はできないものの心筋収縮機能改善のための効果的遺伝子のスクリーニング系としては最適なものとなる可能性がある。しかし、単一心筋細胞は小さく、骨格筋線維標本のように腱を両端に持たないため張力測定装置へ固定保持するのが難しく、短縮距離と発生張力の測定によって収縮機能を厳密に評価することは困難とされてきた。

 過去に心筋細胞の発生張力の測定方法がいくつか報告されている。このうちガラスマイクロニードルで細胞を穿刺する方法、マイクロピペットで心筋細胞の両端を吸引保持する方法、細胞にカトランスデューサーを接着剤で付ける方法は、技術的に難しく、また細胞膜を傷害しやすいため成功率が低いという問題があった。これに対しカーボンファイバーは細胞表面に接触させると、おそらく互いの表面に存在する電荷によると考えられるが、容易に付着することが報告されている。しかし従来用いられてきた均質無構造なカーボンファイバー(図1B)はその付着力が十分でなく、細胞が大きな負荷に抗して急に強い力を出すと外れやすくなってしまうため、軽い負荷から徐々に負荷を強くする漸増負荷に対する発生張力しか測定できない、という問題があった。

 今回申請者が共同研究者と共に新たに開発したGraphite Reinforced by Carbon (GRC)ファイバーは、径1-5μmのカーボンの細顆粒と樹脂を練り合わせた混合物をサファイアに開けた小孔を通して棒状にした後に1500℃で炭化させて固める、という行程で作成され、その表面に無数の小さな凹凸がみられる(図1A)。この表面の形状が細胞表面との付着に有利なように電荷を増加させていると考えられ、心筋細胞に接触させるだけで強く付着することを見出した。この製法で直径30-40μmの固いもの(コンプライアンス0.015-0.02m/N)と、直径5-7μmのある程度のコンプライアンスを持つもの(5.5-7.5m/N)の2種類のカーボンファイバーを作り、それぞれを図2に示すように、単離単一心筋細胞(体重200-300gの雄Wisterラットの心臓をペントバルビタール麻酔下に摘出し、コラゲナーゼ・プロテアーゼを含むTyrode灌流液にて大動脈より逆行性に灌流して単離した)の両端に付着させて保持した。カーボンファイバーにより細胞の長軸方向に引っ張りを加えた結果を示す(図3A, B)。細胞の長軸方向にフーリエ解析を行いサルコメア長を解析したところ1.9μmから2.1μmへ伸長しており、また図3Cに見られるようにサルコメア間での伸長のばらつきもなく、一様に引き伸ばされていた。この程度の伸長ではファイバーは細胞から離れずに付着している。さらに伸長を加えると細いファイバーが細胞から外れるが、その時のファイバーの撓みとファイバーのコンプライアンスから、細胞とカーボンファイバーの付着力(ファイバーが細胞から離れる際の最大張力)を計算した。この付着力の値2.42±0.39μN(mean±S.D., n=5)は後ほど示す心筋細胞が強心薬投与下での単収縮により発生する張力(〜1.3μN)よりも大きく、つまり細胞が強く収縮しても外れないことを示している。この新しいカーボンファイバーを用いて申請者は心筋細胞の単収縮における発生張力を測定するシステムを開発した(図2)。電気的ペーシングによって細胞を単収縮させると太いカーボンファイバーは固いため動かないが、細い方は引っ張られて数μm程度撓む。このカーボンファイバーの動きを2分割フォトダイオードに投影することによって検出し、この変位シグナルにファイバーのコンプライアンスを乗じることにより発生張力を得る。さらに細いカーボンファイバーをピエゾ素子に固定しそのドライバーに変位シグナルの変化を打ち消すようなフィードバックシグナルを加えることによって等尺性収縮に等しい条件をつくり出すことに成功した。図4にフィードバック回路による等尺性張力の記録の一例を示す。まず1拍目はフィードバックをかけない条件であり細胞はファイバーのコンプライアンスによって決まる負荷に対して収縮し短縮する。2拍目、3拍目はフィードバックをかけた収縮であるが細胞の短縮距離は細胞の全長の0.5%以下、つまりほとんど短縮していない。この際にフィードバック回路にかかる信号より心筋細胞の等尺性張力を得た。直ちにフィードバックをoffとした4拍目は1拍目と同じ収縮をしており、カーボンファイバーを付着させて負荷をかけても細胞が障害されていないと考えられる。図5に強心薬の効果の一例を示す。イソプロテレノール10μMを投与すると等尺性張力の最大値は1.06±0.20μN(単位断面積あたり2.91±0.65mN/mm2, n=5)となり、コントロールの0.73±0.17μN(単位断面積あたり2.0±0.43mN/mm2, n=5)に比較して有意に増加し(P<0.05)また収縮・弛緩の時間経過も速くなる傾向が認められ他の実験系で観察される生理的応答がこの系でも実現されることを確認した。

 さらにこのフィードバック回路を用いて、漸増負荷に対する心筋細胞の応答を調べるために、フィードバック力を少しずつ増加させながら細胞の収縮を観察した(図6A)。これらから得られた短縮距離を横軸に、発生張力を縦軸にプロットすると、1回の収縮弛緩に対応して1つのループが得られた。フィードバック力が変化すると、つまり細胞にかかる負荷が変化するとこのループも囲む面積を変えながら傾きを変えていった(図6B)。さらに1つのループで囲まれる面積、つまり細胞が1回の単収縮でする仕事を縦軸に、細胞にかかる負荷を横軸にとりプロットすると図6Cに示すようなカーブを得た。これは、心筋は中程度の負荷に対して外的仕事が最大になるというFenn効果を示すものと考えられ、この実験系によって心筋細胞の生理学的性質を多角的に検証できることを示している。圧負荷肥大心より単離した心筋細胞は外的仕事を最大にする負荷が高い方へ移動しているのではないかといった疑問に対し現在実験を計画中である。

 以上のように申請者は共同研究者と共に新たに開発したカーボンファイバーとフィードバック回路を組み合わせて単離単一心筋細胞の単収縮における発生張力や仕事を測る新しい測定系を開発した。この実験系は過去に報告された心筋細胞の張力測定法には認められない以下の2つの優れた特徴を有している。(1)心筋細胞を傷害することなく再現性をもって容易に等尺性張力の最大値を測定できること。(2)負荷を任意に変えながら心筋細胞の発生張力や仕事の量や効率を記録できることである。現在細胞内Ca2+濃度の同時測定を行うべくシステムを改良中である。これにより、薬物や遺伝子導入によって心臓のエネルギー効率を改善させるという心不全の新たな治療法を開発するのに役立てるのみでなく、様々な心不全の病態において上昇した負荷に対して心筋がいかに適応しているかを細胞レベルで評価することが可能になると考えている。

図1 A:本研究において使用したカーボンファイバーの電顕像。

Bar=10μm. B:従来の市販のカーボンファイバー。Bar=1μm.

図2 実験装置の概略図。

心筋細胞(M)を1対のカーボンファイバー(C1, C2)で保持する。C1, C2はガラス棒(G)に接続されている。C2と心筋細胞の付着点の像を1対のフォトダイオード(PD1, PD2)に投影する。フォトダイオードからの出力は心筋細胞の長さを表すシグナルであり、フィードバック回路を介してピエゾ素子(PT)を駆動する。AD:データ記録装置。

図3 心筋細胞を1対のカーボンファイバーで保持し、細胞を伸長した。

サルコメア長の平均は、自然長の細胞(A)では1.9μm、伸長された状態(B)では2.1μm. Bar=20μm. C: AとBにおけるサルコメア長のスペクトル。

図4 心筋細胞を0.2Hzの頻度でペーシングして4連続の単収縮を記録し、フィードバック制御の効果を示す。

上段は心筋細胞の短縮距離、中段はフィードバックカ、下段はペーシングスパイク。

図5 強心薬が等尺性単収縮に及ぼす影響。

細線はコントロール、太線はイソプロテレノール10μMを投与下の記録。

図6 単一心筋細胞に漸増負荷をかけた場合の単収縮における仕事量。

A:細胞の短縮距離(上段)と発生張力(下段)は負荷を漸増させると変化する。B:Aに示した単収縮毎の短縮距離−発生張力はループを描く。C:単収縮毎の仕事量と漸増負荷の強さとの関係。

審査要旨 要旨を表示する

 心不全や心機能低下症例の新たな治療法として心臓の収縮機能を改善する遺伝子治療が注目され様々な実験系で研究が進められている。単一心筋細胞標本は、個体レベルの実験や乳頭筋などの多細胞の集合標本とは異なり、生体の代償機転や遺伝子導入の不均一という問題を持たない上に高い遺伝子導入効率を実現できるという利点を持つ実験系であり、従って心筋収縮機能改善のための効果的遺伝子のスクリーニング系としては最適なものとなる可能性がある。しかし過去に報告された単一心筋細胞の発生張力測定法は技術的に難しく成功率が低いという問題があった。そこで本研究では、カーボンファイバーとフィードバック回路を組み合わせた新しい単一心筋細胞の収縮機能の測定法を開発し、以下の結果を得た。

1.共同研究者と開発した新しいカーボンファイバーであるGraphite Reinforced by Carbon (GRC)ファイバーは、従来の均質無構造なカーボンファイバーと異なり、表面に無数の小さな凹凸を有する。この表面の形状が細胞表面との付着に有利なように電荷を増加させていると考えられる。直径30-40μmの固いものと、直径5-7μmのある程度のコンプライアンスを持つものの2種類のカーボンファイバーを作り、ラット心臓から単離した単一心筋細胞の両端に付着させて保持した。

2.カーボンファイバーにより細胞の長軸方向に引っ張りを加えると、細いファイバーが細胞から外れるが、その時のファイバーの撓みとファイバーのコンプライアンスから、細胞とカーボンファイバーの付着力(ファイバーが細胞から離れる際の最大張力)を計算した。この付着力の値は心筋細胞が強心薬投与下での単収縮により発生する張力よりも大きく、つまり細胞が強く収縮しても外れないことが示された。

3.この新しいカーボンファイバーを用いて心筋細胞の単収縮における発生張力を測定するシステムを開発した。電気的ペーシングによって細胞を単収縮させると太いカーボンファイバーは固いため動かないが、細い方は引っ張られて数μm程度撓む。このカーボンファイバーの動きを2分割フォトダイオードに投影することによって検出し、この変位シグナルにファイバーのコンプライアンスを乗じることにより発生張力を得る。さらに細いカーボンファイバーをピエゾ素子に固定しそのドライバーに変位シグナルの変化を打ち消すようなフィードバックシグナルを加えることによって等尺性収縮に等しい条件をつくり出すことに成功した。

4.薬物効果の一例として、イソプロテレノール10μMを投与すると等尺性張力の最大値はコントロールに比較して有意に増加し、また収縮・弛緩の時間経過も速くなる傾向が認められた。他の実験系で観察される強心薬に対する生理的応答がこの系でも実現されることを確認した。

5.さらに漸増負荷に対する心筋細胞の応答を調べるために、フィードバック力を少しずつ増加させながら細胞の収縮を観察した。これらから得られた短縮距離と発生張力をプロットすると、1回の収縮弛緩に対応して1つのループが得られた。フィードバック力が変化すると、つまり細胞にかかる負荷が変化するとこのループも囲む面積を変えながら傾きを変えていった。さらに1つのループで囲まれる面積、つまり細胞が1回の単収縮でする仕事と、細胞にかかる負荷をプロットするとFenn効果(心筋は中程度の負荷に対して外的仕事が最大になる)に相当するカーブが得られた。この実験系によって心筋細胞の生理学的性質を多角的に検証できることが示された。

 以上のように本研究においては、新たに開発したカーボンファイバーとフィードバック回路を組み合わせて単離単一心筋細胞の単収縮における発生張力や仕事を測る新しい測定系を開発した。この実験系は過去に報告された心筋細胞の張力測定法には認められない以下の2つの優れた特徴を有している。すなわち、(1)心筋細胞を傷害することなく再現性をもって容易に等尺性張力の最大値を測定できること。(2)負荷を任意に変えながら心筋細胞の発生張力や仕事の量や効率を記録できることである。現在細胞内Ca2+濃度の同時測定を行うべくシステムを改良中である。

 本研究は、薬物や遺伝子導入によって心臓のエネルギー効率を改善させるという心不全の新たな治療法の開発に貢献するのみでなく、様々な心不全の病態において上昇した負荷に対して心筋がいかに適応しているかを細胞レベルで評価することを可能にするものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

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