学位論文要旨



No 117341
著者(漢字) 平田,喜裕
著者(英字)
著者(カナ) ヒラタ,ヨシヒロ
標題(和) Helicobacter pyloriが活性化する上皮細胞増殖シグナルの解析
標題(洋)
報告番号 117341
報告番号 甲17341
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1949号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松島,綱治
 東京大学 教授 木村,哲
 東京大学 教授 上西,紀夫
 東京大学 助教授 真船,健一
 東京大学 講師 川邊,隆夫
内容要旨 要旨を表示する

[研究の背景および目的]

 Helicobacter pyloriは胃炎の原因菌であり、炎症惹起のメカニズムは明らかになりつつある。一方H. pylori感染により胃粘膜の細胞増殖がおこるという報告も散見されるが、その機序はまだ不明である。

 臨床的な解析からcagPAI遺伝子を有するH. pyloriは、胃潰瘍や胃癌などの疾患と関連が強く病原性が高い菌株と考えられていたが、近年このタイプのH. pyloriが、胃粘膜でNF-kBやAP-1などの転写因子を活性化することが分かってきた。この宿主側の反応が炎症惹起に関与すると考えられているが、細胞増殖にたいする影響についての検討はほとんどない。

 細胞の増殖反応は、細胞周期で厳密に制御されている。その制御分子のひとつであるサイクリンD1は、Cdk4,Cdk6を活性化して細胞周期をG1期からS期へ移行させ細胞周期を正に制御している。サイクリンD1の過剰発現により細胞増殖が促進することが知られており、また各種の癌でサイクリンD1の高発現が認められている。さらにサイクリンD1の発現調節に、MAPKカスケードや、NF-kBなどの細胞内シグナルが関与していることも明らかになっている。

 本研究では、H. pylori感染による細胞増殖の機序の解明のため、まずH. pylori感染がサイクリンD1発現に与える影響を検討した。

 また近年cagPAIが形成するIV型分泌機構をもちいてCagA蛋白が上皮細胞内に注入されることが報告されたが、その細胞内での機能は不明である。そこでCagA蛋白が細胞内で活性化するシグナルに関しても検討を加えた。

 [方法]

 1.サイクリンD1発現にたいするH. pylori感染の影響

 AGS細胞とMKN28細胞をもちいて、H. pylori感染の影響を検討した。H. pyloriとしては、cagPAIおよびvacA遺伝子を持つTN2株と、そのノックアウト株(TN2ΔcagE, TN2ΔvacA, TN2ΔcagPAI)を用いた。H. pylori感染がサイクリンD1遺伝子発現に与える影響は、ノーザンブロットとレポーターアッセイで検討した。

 レポーターアッセイには、サイクリンD1のプロモーター領域の1226塩基を含むpD1 lucとNF-kB結合配列に変異をもつ、pD1-kB1M,pD1-kB2M,pD1-kB1/2Mを用いた。これらをAGS細胞にトランスフェクトし、24時間後にH. pyloriを一定濃度で感染させルシフェラーゼ活性を比較した。またMAPKカスケードの阻害のためMEK1/2阻害薬を用い、NF-kB経路の抑制にはIkBaのdominant negative変異体をトランスフェクトした。

 2.CagA蛋白の細胞内機能解析

 ATCC26695株からcagA遺伝子をクローニングし、CagA蛋白発現ベクター(pTX-CagA)を作成した。このベクターと種々の細胞内シグナルの活性化を検討するためのレポーター(pSRE-Luc,pNF-kB-Luc,pAP1-Luc,pSRF-Luc,pCre-Luc)をHeLa細胞にトランスフェクトし、CagA蛋白発現による影響を検討した。またCagA蛋白のシグナル活性化責任領域を明らかにするためcagAのtruncationをおこない、CagA蛋白のリン酸化の影響を検討するためsite-directed mutagenesisでチロシン残基に変異を挿入し、レポーターアッセイをおこなった。

 活性化が認められたSREに関しては、EMSAとウエスタンブロットで活性化機序を検討した。MEK1/2、Rasの関与についてはMEK1/2阻害薬とdominant negative Rasを用いレポーターで検討した。

最後にCagA蛋白がサイクリンD1発現に与える影響をレポーターで検討した。

 [結果]

 1.サイクリンD1発現にたいするH. pylori感染の影響

 AGSおよびMKN28細胞にH. pyloriを感染させると90分後に最大となるサイクリンD1mRNAの発現の増加を認めた。AGS細胞でH. pylori感染濃度を変化させると、細菌細胞比の増加に従いmRNAの発現が増加した。またレポーターアッセイでも、H. pylori感染は時間、菌量依存性にサイクリンD1プロモーターを活性化した。細菌細胞比が100となる濃度で野生株を感染させると、プロモーターを6.4倍活性化した。菌体抽出成分や死菌にはプロモーターの活性化能がなかった。

 H. pyloriの病原因子について検討したところ、TN2ΔcagE, TN2ΔcagPAI株ではサイクリンD1mRNA発現の増強が見られなかった。またプロモーターの活性化能でも野生株の6.4倍にくらべ、TN2ΔcagEで4.5倍、TN2ΔcagPAIで3.7倍と低値であった。

 MEK1/2阻害薬を用いてH. pyloriによるプロモーターの活性化を調べると、濃度依存性に活性化が減弱した。10mMのU0126および100mMのPD98059の添加でH. pylori感染によるプロモーターの活性化は3.8倍から1.3倍へ減弱した。ノーザンブロットでもこれらの阻害薬によりサイクリンD1 mRNAの発現は減弱した。

一方変異レポーターを用いたNF-kBの影響の検討では、pD1-kB1M,pD1-kB2M,pD1-kB1/2Mのいずれも5-6倍の活性化が認められ、pD1 lucと有意差を認めなかった。またdominant negative lkBaの発現もH. pyloriによるサイクリンD1のプロモーターの活性化を減弱させなかった。

 2.CagA蛋白の細胞内機能解析

 pTX-CagAのトランスフェクトによりHeLa細胞でCagA蛋白の発現を認めた。レポーターアッセイではCagA蛋白の発現によりpSRE-Lucが40倍、pSRF-Lucは3.3倍活性化された。pNF-kB-Luc、pAP1-Luc、pCRE-Lucの活性化は認めなかった。EMSAではCagA発現細胞でDNA/SRF/Elk1複合体の増強を認め、ウエスタンブロットでCagA発現によるElk1のリン酸化が見られた。

 種々のtruncate/mutantベクターを用いたレポーターアッセイではCagAのC端側(872-950aa)がSREの活性化に必要であったが、この部分に存在するチロシン残基のリン酸化はSREの活性化に影響を与えていなかった。

CagA発現によるSREの活性化は、MEK1/2阻害薬、dominant negative Rasにより減弱した。

 またpTX-CagAのトランスフェクトによりpD1 lucが2.3倍活性化された。

 [考案]

 多数の研究でH. pylori感染が胃粘膜の細胞増殖を促進することが報告されているが、その細胞内メカニズムは明らかにされていない。今回の検討で、Helicobacter pylori感染が細胞周期を正に調節するサイクリンD1遺伝子の発現を増強すること、またH. pyloriのcagPAI遺伝子がこの遺伝子発現に関与していることが明らかになった。当研究室のスナネズミ長期感染モデルでも、cagPAI遺伝子は胃粘膜肥厚を惹起するのに必要であり、胃潰瘍、腸上皮化生、胃癌などの病態の発生に関与していた。胃粘膜でのサイトカインの産生やアポトーシスなどとともに、サイクリンD1発現により亢進する細胞増殖反応も、cagPAI陽性のH. pylori感染患者で胃癌の発症率が高いことの原因である可能性がある。

 またH. pylori感染によるサイクリンD1遺伝子発現の増強に寄与する細胞内シグナルについては、MAPKの活性化が関与していると考えられた。H. pyloriがcagPAI依存性に活性化するNF-kBは、AGS細胞におけるサイクリンD1発現に関与していなかった。実際の生体内でもおもにNF-kBの活性化で制御される炎症反応とは独立して、胃粘膜増殖反応がおこっている可能性も示唆された。

 次にcagPAIのシステムが上皮にあたえる影響を検討するためCagA蛋白をHeLa細胞に発現させると、容量依存性にserum response element(SRE)とserum response factor(SRF)の活性化が認められた。さらにCagA発現によるElk1のリン酸化とDNA結合能の増強を認めた。SREはCArG boxとEtsモチーフから成る転写因子結合配列であるが、CagAの発現によるSRFの活性化がCArG boxに働き、Elk1のリン酸化がEtsモチーフへの結合を増強し協調してSREを活性化すると考えられた。このSREはc-fosなどの初期応答遺伝子のプロモーター領域に存在し、MAPKにより活性化され細胞増殖や分化を調節する。このことから細胞内に注入されたCagA蛋白は、SREの活性化を介し細胞増殖をうながす可能性が示唆された。

 そしてSREの活性化にはCagAのC端が重要であった。この部位にはEPECのTir類似配列があり、CagAのチロシン残基のリン酸により細胞側のアダプター蛋白と結合しSREを活性化するモデルを考えた。しかしmutagenesisによる検討からはCagAはチロシンのリン酸化非依存性にSREを活性化していると考えられた。またCagA蛋白はサイクリンD1プロモーターを活性化した。

 本研究からH. pyloriはcagPAIのシステムを用いて上皮細胞の遺伝子発現を調節し、細胞増殖などの反応を惹起しうると考えられた。癌細胞株を用いた実験系が細胞増殖メカニズムの研究として一定の限界があることも事実であるが、臨床検体などを用い今後このメカニズムをさらに明らかにしたい。

審査要旨 要旨を表示する

 Helicobacter pylori(以下H. pylori)感染は宿主におけるさまざまな反応を惹起し病態形成に関与している。本研究はH. pylori感染により観察される上皮の細胞増殖反応のメカニズムを明らかにするため、細胞周期関連分子の発現および細胞内シグナルを解析しており、下記の結果を得ている。

1 H. pyloriを培養細胞に感染させ、サイクリンD1遺伝子の発現が亢進することをノーザンブロットで明らかにした。この変化は時間およびH. pyloriの菌量依存性であった。またサイクリンD1遺伝子のプロモーター領域をもつレポータープラスミドを用い、H. pylori感染がプロモーターを活性化することを明らかにした。

2 H. pyloriの病原因子としてはcagPAIがサイクリンD1プロモーターの活性化、遺伝子発現に重要であった。

3 ノーザンブロットおよびレポーターアッセイによりH. pylori感染によるサイクリンD1遺伝子の発現増加には、H. pylori感染が活性化するMAPKカスケードが重要であることを明らかにした。

4 cagPAI遺伝子依存性の細胞増殖シグナル活性化の原因を明らかにするため、CagA蛋白を一過性に培養細胞内に発現させる実験を行い、serum response element(SRE)およびserum response factor(SRF)からの転写が亢進することを明らかにした。

5 EMSAおよびウエスタンブロットを行い、CagA蛋白は転写因子のElk1蛋白のリン酸化を亢進しDNA結合能を増加させることによりSREからの転写を亢進させることを示した。

6 CagA蛋白をtruncateしSRE活性化に関与するアミノ酸配列を検討し、872-950アミノ酸の部分が重要であることを明らかにした。またチロシン残基の変異蛋白を発現させることにより、CagA蛋白のチロシンリン酸化はこの活性化に関与しないことを示した。

7 CagA蛋白のSREの活性化は、Ras、MEKKなどMAPKカスケードを介していた。さらにCagA蛋白の発現によりサイクリンD1プロモーターが活性化された。

 以上、本論文はH. pylori感染が活性化する細胞増殖メカニズムを、細胞周期関連遺伝子の発現、制御およびH. pyloriの病原因子を含め詳細に検討した初めての論文であり、学位の授与に値すると考えられる。

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