学位論文要旨



No 117342
著者(漢字) 上條,敦子
著者(英字)
著者(カナ) カミジョウ,アツコ
標題(和) 腎疾患の進展における遊離脂肪酸と脂肪酸結合蛋白の基礎的および臨床的検討
標題(洋)
報告番号 117342
報告番号 甲17342
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1950号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北村,唯一
 東京大学 教授 五十嵐,隆
 東京大学 教授 豊岡,照彦
 東京大学 講師 平田,恭信
 東京大学 講師 井上,聡
内容要旨 要旨を表示する

研究の背景

 慢性糸球体疾患は進行すると末期腎不全に至り、透析療法が必要となる。この治療は、患者の社会生活を制限するだけでなく、莫大な医療費を必要とするため大きな社会問題となっている。そのため、腎疾患の進行を抑制するための研究が、多くの施設でなされている。最近、慢性糸球体疾患の予後が、病理学的に糸球体障害より間質尿細管障害の程度と強く相関することが明らかになり注目されている。この糸球体病変に伴う間質尿細管障害の原因として、特に臨床的に重要な因子が、尿蛋白である。尿蛋白は、間質尿細管障害の原因として、腎不全進行のmediatorとなることが知られている。しかし、その詳細な機序は現在のところ明らかでない。

 血液中の遊離脂肪酸(以下脂肪酸)は99%以上がアルブミンと結合しており、糸球体で濾過され、近位尿細管でアルブミンとともに再吸収される。そのため大量の尿蛋白のみられる慢性糸球体疾患では、近位尿細管に蛋白だけでなく脂肪酸が過剰に負荷されることになる。負荷された脂肪酸は、炎症性のサイトカインの産生に関与し、また容易に過酸化を受けることにより、間質尿細管障害の発症、進行に関与する可能性がある。

 そこでヒト近位尿細管に発現し、細胞内の脂肪酸代謝に関与する蛋白−肝臓型脂肪酸結合蛋白(L-FABP)に注目した。L-FABPは、脂肪酸をミトコンドリアやペルオキシソームの細胞内小器官に搬送することで脂肪酸代謝に関与する低分子量蛋白(分子量;14kd)である。私たちは、L-FABPのモノクローナル抗体を作成し、尿中L-FABPの測定法を確立した。予備検討の段階で、慢性糸球体疾患で尿中L-FABPが高値の患者では、その後の腎疾患の進行が速いことが示唆された。

 以上より私たちは、以下の仮説を立てた。

1) 尿蛋白が、間質尿細管障害の進行に関与する機序として、尿蛋白そのものよりは、尿蛋白と結合した脂肪酸が重要な働きをしている。

2) 尿蛋白と共に脂肪酸が過剰に近位尿細管に負荷されると尿中へのL-FABPの排泄が増加する。

3) 尿中L-FABPは腎疾患の進行を予測する上で有用な臨床マーカーである。

 私たちは、仮説1)を証明するためにマウスの蛋白負荷モデルを作成した。このモデルは、動物の腹腔内に大量のウシ血清アルブミン(BSA)を投与することで、オーバーフローにより糸球体障害がないにも関わらず、大量の尿蛋白を認める。そのため尿蛋白による間質尿細管障害を検討するのに適しているモデルと考えられる。研究1では、脂質を含むアルブミン(r-BSA)と脱脂した純粋なアルブミン(d-BSA)をそれぞれ腹腔内に投与し、間質尿細管障害の進行を比較した。次に仮説2)を証明するために、研究2では、田辺製薬の菅谷らにより樹立されたヒトL-FABP染色体遺伝子導入マウス(Tgマウス)を使用し、研究1と同様に蛋白負荷モデルを作成し、ヒトL-FABPの動態を観察した。このTgマウスには、ヒトL-FABP遺伝子の転写調節領域を含む染色体遺伝子を導入しており、近位尿細管にヒトL-FABPの発現が確認されている。げっ歯類では、L-FABPの遺伝子発現が、近位尿細管において強力に抑制されているため、このTgマウスを使用することにより、ヒトL-FABPの遺伝子調節を個体レベルで解析することができる。これらの基礎的実験結果をもとに、仮説3)を証明するために研究3では、慢性糸球体疾患における尿中L-FABPの臨床的意義について検討した。

研究1:進行性腎疾患の悪化因子としての遊離脂肪酸

 仮説:尿蛋白が、間質尿細管障害の進行に関与する機序として、尿蛋白そのものよりは、尿蛋白と結合した脂肪酸が重要な働きをしている。

 方法:脂質を含むアルブミン(r-BSA, 250mgを生食1mで溶解し投与)、脱脂した純粋なアルブミン(d-BSA, 250mgを生食1mで溶解し投与)、コントロールとして生食(1ml)をそれぞれ連日14日間腹腔内に投与し、血清生化学的、尿生化学的分析を行った。PAS染色、マウスマクロファージに対する抗体(F4/80)を使用した免疫組織化学染色により組織障害の程度を検討した。

 結果:蛋白負荷初期において、r-BSA群とd-BSA群の尿蛋白、尿マウスアルブミン排泄量は、同程度であったが、その後r-BSA群では、d-BSA群に比べ、有意に多量の尿蛋白の排泄を認めた。また組織学的にもr-BSA群は、d-BSA群に比べ著明な間質尿細管障害と間質へのマクロファージ浸潤を認めた。

 考察:r-BSA群では、d-BSA群に比べ、有意に多量の尿蛋白の排泄を認め、高度な間質尿細管障害と間質へのマクロファージ浸潤を認めたことより、脂肪酸と結合したアルブミンは、純粋なアルブミンに比べ有意に間質尿細管障害を進行させると考えられる。

 結論:尿蛋白が間質尿細管障害を進行させる機序として、尿蛋白そのものよりは、尿蛋白に結合した脂肪酸が重要であることが示された。

研究2:細胞内の脂肪酸代謝に関与する脂肪酸結合蛋白(ヒトL-FABP)の動態−実験腎症においての検討

 仮説:尿蛋白と共に脂肪酸が過剰に近位尿細管に負荷されると尿中へのL-FABPの排泄が増加する。

 方法:ヒトL-FABP染色体遺伝子導入(Tg)マウスを使用し、ヒトL-FABPの動態を観察した。Tgマウスに、wildマウスと同様の蛋白負荷モデルを作成した。r-BSA、d-BSAをそれぞれ腹腔内に28日間連日投与し、wildと同様に間質尿細管障害の程度を比較した。Tgマウスでは、ヒトL-FABPは近位尿細管のみに発現していることを免疫組織化学で確認した。腎臓でのヒトL-FABPの遺伝子発現をNorthern Blot Analysisにより検討した。尿中ヒトL-FABPの測定は、栄研化学の樋川ら、田辺製薬の菅谷、山之内らにより確立され、ヒトL-FABPのモノクローナル抗体を使用したツーステップのELISA法により行った。

 結果:Tgマウスでもwildマウス同様r-BSA群では、d-BSA群に比べ、有意に間質尿細管障害の進行を認めた。またr-BSA群では、d-BSA群より有意にヒトL-FABPの遺伝子発現が近位尿細管で亢進し、尿中へのヒトL-FABPの排泄が増加した。

 考察及び結論:ヒトL-FABPは、近位尿細管に過剰に脂肪酸が負荷されると発現が亢進し、尿中へのL-FABPの排泄が増加する可能性が示された。

研究3:慢性糸球体疾患における尿中L-FABPの臨床的意義

 目的:慢性糸球体疾患患者を対象に尿中L-FABPの臨床的意義について検討した。

 対象と方法:study 1−慢性糸球体疾患患者(n=120)を対象に尿中L-FABPと各種臨床パラメーターとの関係を検討した。尿中L-FABPを測定した時点から10ヶ月〜51ヶ月間(平均26.3ヶ月間)経過を観察し、腎疾患の進行と尿中L-FABPを含む各種臨床パラメーターとの関係を検討した。腎疾患の進行度は、血清creの逆数(1/cre)の時間経過における傾きと定義した。

 study 2−腎生検の前に尿中L-FABPを測定し、かつ血清creが正常の慢性糸球体疾患患者(n=31)を対象に、腎生検組織上の間質尿細管障害の有無と各種臨床パラメーターとの関係を検討した。

 study 3−外来受診時に血清と尿を採取できた慢性糸球体疾患患者(n=71)とC型慢性肝炎患者(n=73)を対象に血清L-FABPの尿中L-FABPに与える影響について検討した。

 結果:study 1−尿中L-FABPは、尿蛋白と相関が高いことが示された。腎疾患の進行度は、尿中L-FABPのみと相関が高いことが示されたが、尿蛋白、血清cre、血圧との相関は低値であった。

 study 2−腎生検組織において、間質尿細管障害を認めた症例では、認めない症例に比べ尿中L-FABPが有意に高値を示した。

 study 3−肝疾患では、血清のL-FABPは、腎疾患、正常コントロールより有意に高値を示し、尿中L-FABPと高い相関を認めたが、尿中L-FABPは正常コントロールと有意差を認めず低値であった。腎疾患では、血清L-FABPは、正常コントロールと有意差を認めず、また尿中L-FABPとの相関は低値であった。

 考察:尿蛋白が、尿中L-FABPと相関が高い因子として選ばれたことから、尿蛋白が近位尿細管のストレスとなり、尿中へのL-FABPの排泄を促している可能性が示された。腎疾患の進行度が、尿中L-FABPのみと相関が高いことから、尿中L-FABPは、近位尿細管にかかる蛋白尿などのストレスの程度に応じて尿中へ排泄され、腎疾患の進行を反映する指標であると考えられる。

 L-FABPは、低分子量蛋白であり、腎臓以外にも肝臓や消化管で発現を認めるため、慢性腎不全や肝疾患などで血清のL-FABPが上昇し、尿中へ影響する可能性がある。しかし、study 3の結果より、血清L-FABPの尿中L-FABPへの影響は、無視しうると考えられる。

 結論:尿中L-FABPは、近位尿細管にかかる蛋白尿などのストレスの程度を反映し、腎疾患の進行の予測因子となりうると考えられる。

結論

 基礎的実験により、尿蛋白が、間質尿細管障害を進行させる一つのメカニズムとして、尿蛋白と結合した脂肪酸が、重要であることを明らかにし、このような状況では、近位尿細管におけるL-FABPの発現が亢進し、尿中への排泄が増加する可能性が示された。さらに臨床的検討により尿中L-FABPは、蛋白尿などの近位尿細管にかかるストレスの程度に応じて尿中へ排泄され、腎疾患の進行を予測する有用な臨床マーカーとなりうると考えられる。

 今後、近位尿細管におけるL-FABPについてのさらなる基礎的研究が進むことにより、腎疾患におけるL-FABPの臨床的重要性が明らかになることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 慢性糸球体疾患の進行には、糸球体病変よりも間質尿細管障害が注目されている。尿蛋白が、間質尿細管障害の原因因子であり、また悪化因子であることが知られているが、その詳細な機序は知られていない。

 本研究は、「間質尿細管障害の進行には尿蛋白だけでなく尿蛋白と結合した脂肪酸が重要である」という仮説をin vivoの系で証明するために、蛋白負荷モデルを作成し、1.の結果を得ている。さらにヒトの近位尿細管に発現し、細胞内の脂肪酸代謝に関与する肝臓型脂肪酸結合蛋白(L-FABP)に注目し、腎疾患の病態においてのL-FABPの動態を明らかにするためにL-FABP染色体遺伝子導入マウスを使用し、蛋白負荷モデルを作成し、2.の結果を得ている。これらの基礎的実験結果をもとに、慢性糸球体疾患における尿中L-FABPの臨床的意義について検討し、3.の結果を得ている。

1.「間質尿細管障害の進行には尿蛋白だけでなく尿蛋白と結合した脂肪酸が重要である」という仮説を証明するために、脂肪酸を含む通常のウシ血清アルブミン(r-BSA)と脱脂した純粋なウシ血清アルブミン(d-BSA)をそれぞれマウスの腹腔内に連日投与した結果、r-BSA群では、d-BSA群に比べ有意に強い間質尿細管障害を認め、また尿マウスアルブミンの排泄量も有意に高かった。尿蛋白による間質尿細管障害の進行には、尿蛋白そのものよりは、尿蛋白と結合した脂肪酸が重要であることが示された。

2.L-FABP染色体遺伝子導入(Tg)マウスを使用し、研究1と同様の蛋白負荷モデルを作成した。その結果、Tgマウスでもwildマウス同様r-BSA群では、d-BSA群に比べ、有意に間質尿細管障害の進行を認めた。また、このような状況では、r-BSA群では、d-BSA群より有意にヒトL-FABPの遺伝子発現が近位尿細管で亢進し、尿中へのヒトL-FABPの排泄が増加した。近位尿細管に脂肪酸が過剰に負荷されると、細胞内の脂肪酸代謝に関与するヒトL-FABPの発現が亢進し、尿中への排泄が増加する可能性が示された。

3.慢性糸球体疾患患者を対象に尿中L-FABPの臨床的意義を検討した。その結果、尿中L-FABPは、腎疾患の進行を反映する臨床マーカーとなることが明らかにされた。また尿中L-FABPは、尿蛋白と相関が高く、腎組織にて間質尿細管障害のある患者では有意に高値を示した。尿蛋白が、近位尿細管のストレスとなり近位尿細管からL-FABPの排泄を促し、このような状況では、間質尿細管障害が進行すると考えられる。尿中L-FABPは、近位尿細管にかかる蛋白尿などのさまざまなストレスの程度を反映し、腎疾患の進行の予測因子となりうると考えられる。

以上、基礎的実験によりin vivoの系ではじめて、間質尿細管障害の進行に尿蛋白そのものよりも尿蛋白と結合した脂肪酸が重要であることを明らかにし、さらにヒト近位尿細管に発現しているL-FABPは、脂肪酸が過剰に負荷される状況では、発現が増強し尿中への排泄が増加する可能性を示した。この基礎的実験をもとにした臨床検討では、尿中L-FABPは、近位尿細管にかかるストレスの程度を反映し、腎疾患の進行を予測する優れた臨床マーカーであることが明らかにされ、尿中L-FABPは、従来のマーカーにない腎疾患のモニタリングに有効なまったく新しいマーカーとなりうることが示された。本論文は、Originalityが高く、さらに基礎実験は臨床に反映され非常に意義のあるものと考えられる。またこの臨床マーカーは、今後の臨床応用に高く期待がもてることから、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク