学位論文要旨



No 117345
著者(漢字) 山田,耕永
著者(英字)
著者(カナ) ヤマダ,コウエイ
標題(和) 補体依存性糸球体メサンギウム細胞障害においてクラスタリンの発現は増加する
標題(洋) Clusterin is up-regulated in glomerular mesangial cells in complement-mediated injury
報告番号 117345
報告番号 甲17345
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1953号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 五十嵐,隆
 東京大学 教授 木村,哲
 東京大学 教授 北村,唯一
 東京大学 助教授 門脇,孝
 東京大学 助教授 本間,之夫
内容要旨 要旨を表示する

 糸球体腎炎の大半は免疫複合体の沈着によって引き起こされると考えられており、従来の研究により特に補体の活性化がその糸球体障害に重要な役割を果たすことが明らかにされている。このような場合補体は、その活性化の中間産物(C3aやC5a)が炎症のメディエーターとして働くこと、あるいはその最終産物である膜障害性複合体(C5b-9)が細胞を融解または活性化することにより、障害を引き起こしている。

 Thy1腎炎はメサンギウム増殖性糸球体腎炎のモデルとして、炎症性糸球体腎炎の発症機序解明に役立っている。このモデルラットは、ラット糸球体メサンギウム細胞膜上に発現しているThy1抗原に対するポリクローナルあるいはモノクローナルな抗Thy1抗体を静注することで惹起され、抗体投与後約1-2日でメサンギウム領域の融解がおこり、続いてこれを補うように4日目ころからメサンギウム細胞の増殖とメサンギウム基質の増加がみられ、約1週間で細胞増殖がピークとなり以後メサンギウム細胞のアポトーシスによって細胞数が減少し、約1ヶ月で腎炎が回復するという可逆性の経過を辿る。Thy1腎炎が補体依存性に生じるということは、山本らがコブラベノファクターを投与しC3を不活化したラットではThy1腎炎がほとんど起こらないこと、さらにBrandtらが先天的にC6の欠損したPVGラットに抗Thy1抗体を投与してもほとんど腎炎が惹起されないことにより示しており、Thy1腎炎の発症には補体成分のうちとりわけ最終産物C5b-9が重要な役割を果たすことが分かっている。

 このような不適切な補体の活性化から自己を守るため、生体は種々の補体調節蛋白による防御機構を備えている。補体調節蛋白には細胞膜に結合している膜結合型のものと血中に存在する可溶型のものがある。このうち膜結合型の補体調節蛋白は糸球体細胞に豊富に存在することから従来より注目され、培養糸球体細胞や種々の動物モデルを用いた実験により腎炎における機能的重要性が明らかにされてきた。一方、可溶型補体調節蛋白の糸球体腎炎における役割についてはほとんど知られていなかった。最近可溶型補体調節蛋白の一つであるFactor Hの欠損によりブタの膜性増殖性糸球体腎炎(MPGN type II)が生じることが報告された。また他の可溶型補体調節蛋白であるクラスタリンについても、Fx1A抗体を投与したラット(膜性腎症モデルラット)の分離腎にクラスタリン欠損血清を灌流すると蛋白尿の増加と糸球体でのC5b-9の沈着増加がみられることが示された。これらのことから可溶型補体調節蛋白と糸球体腎炎との関わりも重要であると考えられ、我々はこのクラスタリンに注目した。

 クラスタリンは1983年にはじめて羊の精液から抽出された40kDaの2つの異なるαサブユニットとβサブユニットからなる酸性糖蛋白質で、以来多くの研究者によりさまざまな種と組織でhomologueが同定されている。この蛋白は大部分の臓器の主に上皮細胞に発現が認められ、特に精巣、精巣上体、肝臓、胃、脳での発現が多いことが知られている。クラスタリンはその体内分布とin vitroのデータからさまざまな機能をもっていると考えられ、可溶型補体調節蛋白としての補体調節機能(C5b-7に結合することでC5b-9の形成を阻害する)以外にも脂質輸送、精子の成熟促進作用、抗アポトーシス作用、cell interaction促進機能などをもつことが分かっている。そしてこのクラスタリンは組織障害や組織の変性時に発現が増加することが知られており、糸球体腎炎のような腎疾患の他、アルツハイマーのような神経変性疾患、癌、心筋梗塞、動脈硬化など、さまざまな疾患において発現の増加が認められる。

 糸球体腎炎におけるクラスタリンの発現に関しては、補体依存性の膜性腎症のような免疫複合体関与の糸球体腎炎の糸球体内で、C5b-9とともにクラスタリンの沈着が認められることが報告されている。さらに膜性腎症モデルラットの分離腎にクラスタリン欠損血清を還流させると、蛋白尿が増加することが示されている。これらのこととクラスタリンがC5b-9の形成を抑制するというin vitroのデータから、糸球体腎炎で認められるクラスタリンは、補体調節蛋白として補体の攻撃から自己を守る役割を果たしているのではないかと考えられている。しかしこの糸球体で認められるクラスタリンが糸球体細胞で産生されたものなのか、流血中から糸球体へ移行したものなのかについては議論の多いところである。最近のin vitroの実験では、糸球体のメサンギウム細胞や上皮細胞をトロンビンで刺激すると、クラスタリンのmRNAが増加することが示されており、ある病的な状態下では糸球体細胞はクラスタリン産生を増加させるのではないかと推測されている。

 このような観点から今回我々は、補体の攻撃により糸球体メサンギウム細胞が可溶型補体調節蛋白であるクラスタリンの産生を増加させるかどうかをin vitroとin vivoで検討した。まずin vitroで培養ラット糸球体メサンギウム細胞をポリクローナルな抗Thy1抗体であるantithymocyte serum(ATS)抗体で感作した後、補体成分として5%正常ラット血清入りDulbecco's modified Eagle's medium(DMEM)で培養し(メサンギウム細胞膜にC5b-9が挿入されてはいるがほとんどの細胞が壊れていない状態、すなわちC5b-9によるsublyticな刺激を加え)、次に0.5% fetal calf serum(FCS)入りDMEMで0, 12, 24, 48, 72時間培養後、クラスタリン蛋白発現のtime courseを調べるため培養上清をWestern blot法で検討したところ、刺激後24時間目をピークとするクラスタリン蛋白の発現増加を認めた。一方コントロールとしてATS抗体で感作のみした場合、ATS抗体感作なしに5%正常ラット血清入りDMEMのみで培養した場合、またはDMEMのみで培養した場合には、クラスタリン蛋白の発現増加はみられなかった。またこのクラスタリン蛋白の発現増加が実際にC5b-9による刺激によるものであることを確認するため、メサンギウム細胞をATS抗体で感作し、5%C6欠損ラット血清入りDMEMで培養したところ(C5b-9は形成されない)、クラスタリン蛋白の発現増加は認められなかった。さらにNorthern blot法によりC5b-9の刺激でメサンギウム細胞におけるクラスタリンmRNAが発現増加することも確認された。次にin vivoでラットにモノクローナルな抗Thy1抗体(OX-7)を投与することでThy1腎炎を惹起し、抗体投与後細胞増殖がピークとなる8日目と腎炎回復期である29日目の腎組織でNorthern blot法、in situ hybridization法によりクラスタリンmRNAの発現を、免疫組織染色によってクラスタリン蛋白の発現を検討した。OX-7を投与しなかったコントロール群に比べ、Thy1腎炎8日目の糸球体ではクラスタリンmRNAの発現の増加がみられ、さらに多くの糸球体メサンギウム領域にC5b-9の沈着と一致したクラスタリン蛋白の発現増加が認められた。このクラスタリンmRNAおよび蛋白の発現増加は29日目にも認められた。なおコントロールラットおよびThy1腎炎29日目の糸球体にはC5b-9の沈着はみられなかった。

 以上、in vitroおよびin vivoで補体刺激が糸球体メサンギウム細胞のクラスタリン産生を増加させること、さらにThy1腎炎8日目の多くの糸球体メサンギウム領域にクラスタリンがC5b-9と共存することを示した。従来から免疫複合体関与の糸球体腎炎の糸球体内でC5b-9とともにクラスタリンの沈着がみられることが免疫染色すなわち蛋白レベルで示され(クラスタリン蛋白が血中から移行したものか、糸球体細胞で産生されたかは不明)、また最近in vitroではある条件下で培養糸球体メサンギウム細胞のクラスタリンmRNAの発現が増加することが知られているが、今回我々はin vivoで補体(C5b-9)依存性糸球体腎炎の糸球体メサンギウム細胞が、蛋白レベルだけでなくmRNAレベルでもクラスタリンの発現を増加させること、すなわち糸球体局所でのクラスタリンの産生が増加することをはじめて示した。そしてin vitroでC5b-9による刺激により培養糸球体メサンギウム細胞のクラスタリンの発現が増加することやThy1腎炎8日目の多くの糸球体メサンギウム領域にクラスタリンとC5b-9が共存することから、このような糸球体腎炎における糸球体メサンギウム細胞のクラスタリン発現増加は、膜結合型補体調節蛋白とともに補体攻撃から糸球体メサンギウム細胞を防御するために重要な役割を果たしている可能性があると考えられた。これまで糸球体腎炎において可溶型補体調節蛋白が糸球体細胞局所で過剰産生されるとの報告はなく、本研究は遺伝子組み替え型クラスタリンの投与や遺伝子導入による糸球体局所でのクラスタリン過剰発現によって糸球体腎炎を抑えるという新たな治療戦略を呈示するものと考える。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、補体依存性糸球体腎炎において補体による糸球体障害を軽減するために重要な役割を演じている可能性がある可溶型補体調節蛋白のクラスタリンに注目し、補体の攻撃により糸球体メサンギウム細胞がクラスタリンの産生を増加させるかどうかをin vitroおよびin vivoで検討したものであり、下記の結果を得ている。

1.補体刺激によるメサンギウム細胞でのクラスタリン蛋白発現を調べるため、培養ラット糸球体メサンギウム細胞にsublyticなC5b-9による刺激を加え培養上清を用いてWestern blotを行ったところ、刺激後24時間目をピークとするクラスタリン蛋白の発現増加を認めた。さらにNorthern blot法によりクラスタリンmRNA発現増加も認められた。

2.ラットにモノクローナルな抗Thy1抗体(OX-7)を投与することでC5b-9依存性腎炎であるThy1腎炎を惹起し、抗体投与後細胞増殖がピークとなる8日目と腎炎回復期である29日目の腎組織の糸球体細胞でのクラスタリンmRNAの発現をNorthern blotおよびin situ hybridizationにより解析したところ、OX-7を投与しなかったコントロール群に比べThy1腎炎8日目と29日目における糸球体細胞でのクラスタリンmRNAの発現増加が認められた。

3.上記のThy1腎炎における糸球体でのクラスタリン蛋白の発現を調べるため免疫組織染色を行ったところ、コントロール群に比べThy1腎炎8日目と29日目の糸球体メサンギウム領域にクラスタリン蛋白の発現増加を認めた。

4.Thy1腎炎におけるクラスタリンの発現増加がC5b-9の刺激によるものであることを示唆するため、クラスタリンとC5b-9の蛍光免疫二重染色を行ったところ、Thy1腎炎8日目の多くの糸球体メサンギウム領域のクラスタリン蛋白の沈着はC5b-9の沈着と一致して認められた。なおコントロールラットおよびThy1腎炎29日目の糸球体にはC5b-9の沈着はみられなかった。

 以上、本論文はin vitroおよびin vivoで補体刺激が糸球体メサンギウム細胞のクラスタリン産生を増加させること、さらにThy1腎炎8日目の多くの糸球体メサンギウム領域にクラスタリンがC5b-9と共存することを明らかにした。このようなクラスタリン発現増加は、補体による攻撃から糸球体メサンギウム細胞を防御するために重要な役割を果たしている可能性があると考えられた。これまで糸球体腎炎において可溶型補体調節蛋白が糸球体細胞局所で過剰産生されるとの報告はなく、本研究は遺伝子組み替え型クラスタリンの投与や遺伝子導入による糸球体局所でのクラスタリン過剰発現によって糸球体腎炎を抑えるという新たな治療戦略を呈示する重要な研究と考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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